■深名線とは
北海道の鉄道で最も寒いところを走る路線として有名でした
深名線
営業係数は常にワースト10に入るという大赤字の路線
深名線 – Wikipedia
始終着駅の名寄と深川を除けば、これと言って大きな街や有名な観光名所は無く、過疎化が進む小さな町や集落を、121.8kmのレールが細々と結んでいた。
深名線〜記憶の中の旅路〜
他の赤字ローカル線が次々と廃止される中、代替道路が未整備であるという理由でかろうじて存続したが、平成7年(1995年)9月3日の運行を最後に廃止された。
街道の行く先へ 深名線廃線跡
深名線の名寄~朱鞠内間は名羽線(未成線)の一部で、朱鞠内から羽幌に伸びる区間を運行される予定だった。
大日本ノスタルジィ鉄道 深名線
■深名線時刻表
■深川駅(ふかがわえき)
■円山駅(まるやまえき)
■上多度志駅(かみたどしえき)
かつては交換設備のある島式ホームを持ち、貨物も扱う有人駅で、開業当初より利用者の多い駅であったらしい。
深名線 �@ (深川駅、円山駅、上多度志駅、多度志駅、宇摩駅)
■多度志駅(たどしえき)
かつては交換設備のある相対式式ホーム2面2線、構内踏切、側線を有し、貨物扱いも行う有人駅で、深名線の中では幌加内駅と並んで利用者の多い駅であった
深名線 �@ (深川駅、円山駅、上多度志駅、多度志駅、宇摩駅)
■宇摩駅(うまえき)
■幌成駅(ほろなりえき)
具体的な時期は不明ですが1980年代に元の駅舎が取り壊されたそうで、車掌車が改造されて駅舎に転用されました。
JR北海道深名線の旧・幌成駅舎 ( 鉄道、列車 ) – 札幌学院大学鉄道研究会OB会のブログ – Yahoo!ブログ
■下幌成駅(しもほろなりえき)
■鷹泊駅(たかどまりえき)
かつては相対式ホーム2面2線、構内踏切と複数の側線を有し、木材(原木)の貨物輸送で栄えた大きな有人駅であった。
深名線 �A (幌成駅、下幌成駅、鷹泊駅、沼牛駅、新成生駅)
■沼牛駅(ぬまうしえき)
2015年7月18日、当年9月で廃止後20年になるのを記念して、町民や鉄道ファンにより数か月をかけて倉庫として使用されてきた駅舎を清掃・修復して、駅名板を旧ホームに設置するなど廃止前の姿を復元するイベント「おかえり沼牛駅」が開催された。
沼牛駅 – Wikipedia
■新成生駅(しんなりうえき)
■幌加内駅(ほろかないえき)
〒074-0426, 政和第二 幌加内町 雨竜郡 北海道 074-0426 日本
日本一縦に長い町、幌加内町の中心地の駅。交換できるのは幌加内・朱鞠内のふたつだけでした。
想い出の鉄道写真館・深名線駅めぐり
幌加内の駅舎は今はバスの待合室となっており、出札窓口の壁が取り払わるなど若干の手が加えられて広々としている。地元の人が整備しているようだ。中には真新しい記念スタンプも置いてあった。
’97 夏・北海道旅行記
旧駅前広場の片隅には駅跡のモニュメントが設置され、駅名標や線路の一部が移設されている。
深名線 �B (幌加内駅、上幌加内駅、雨煙別駅、政和温泉駅、政和駅)
深名線の現役時代の駅の写真や通票(タブレット)閉塞機など、深名線に関わる多数の資料が残されています。
LM徒然草 ~駅と列車と情景と~ 【2013.08 北海道旅行記】深名線跡探訪(5) 幌加内駅跡
■上幌加内駅(かみほろかないえき)
■雨煙別駅(うえんべつえき)
もともと交換設備もあり、駅員も常駐する立派な駅だった
風太郎のPな日々 雨煙別
有人駅時代の駅舎は積雪による倒壊が原因で解体されていた。
雨煙別駅 – Wikipedia
■(臨)政和温泉駅(せいわおんせんえき)
昭和62年から冬季(12月1日~4月20日)営業休止の扱いとなり、やがてただ1軒の駅前温泉旅館も閉鎖となったため、平成2年3月9日限りで廃駅となっている。
不思議な小駅”仮乗降場”について
■政和駅(せいわえき)
長らく駅員が常駐する有人駅だったが、昭和59年(1984年)無人駅に。
街道の行く先へ 深名線廃線跡
駅舎は平成15年(2003年)から”飯処せいわ”として食堂に転用されていたが、現在は食堂も廃業したようだ。
街道の行く先へ 深名線廃線跡
■新富駅(しんとみえき)
■添牛内駅(そえうしないえき)
昭和20年代に添牛内地区の人口は約1800人を数え、郵便局や診療所、旅館をはじめ商店や理容院等が軒を連ね、人口増加を象徴するように駅前にはパチンコ屋もあったようだ。
街道の行く先へ 深名線 添牛内駅跡
■大曲仮乗降場(おおまがりかりじょうこうじょう)
利用者の減少により1976年(昭和51年)2月1日に廃止となった。
大曲仮乗降場 (北海道幌加内町) – Wikipedia
すべての施設が撤去され、駅跡と路盤跡はヤブに埋もれ、全くわからない状態である。
深名線 �C (新富駅、添牛内駅、大曲仮乗降場、共栄駅、朱鞠内駅)
昭和30年の国勢調査で48世帯335人もあった「大曲」部落の人口は、昭和50年には6世帯18人となっていた
不思議な小駅”仮乗降場”について
■共栄駅(きょうえいえき)
何もないところに共栄駅はあった。もともと仮乗降所だったということもあり、こんな駅を利用する人がいるのかと思ってしまうほど周囲には何もない。
くにすけの鉄道趣味
■朱鞠内駅(しゅまりないえき)
名羽線が開業すれば、当駅は名羽線と深名線とをスイッチバックで接続する乗換駅になる予定だった。
朱鞠内駅 – Wikipedia