小松 清廉(こまつ きよかど、天保6年10月14日(1835年12月3日) – 明治3年7月20日(1870年8月16日))
小松清廉 – Wikipedia
維新の十傑の1人。
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倒幕・明治維新の立役者と言っても過言ではない人物です。
小松帯刀|幕末・維新の黒船社中
幕末の薩摩藩といえば、「西郷隆盛」と「大久保利通」が非常に有名ですが、帯刀さんを忘れちゃいけません!
小松帯刀|幕末・維新の黒船社中
幕末における薩摩藩重臣。肝付 (きもつき) 兼善の3男,のち小松清猷の養子となる。通称は清廉。島津久光の側役となり,藩政改革に尽力し,人材の登用に努めた。文久2 (1862) 年 12月,同藩家老となる。
小松帯刀(こまつたてわき)とは – コトバンク
イギリスとの友好に努める一方で、四侯会議・討幕の密勅・大政奉還といった幕末から明治維新までのビッグイベントにはだいたい関わっています。
惜しまれる早逝の志士・小松清廉(小松帯刀) 幕末のビッグイベントほぼ全てに関わった大人物の生涯
小松の実家肝付家のとなりが、篤姫の実家今和泉島津家の私領
小松帯刀「歴史を動かした縁の下の力持ち」 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online
小松帯刀も篤姫も天保6年生まれ。小松帯刀は旧暦の10月14日、篤姫は旧暦の12月19日が誕生日。2ヶ月早く生まれた幼なじみだった。
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10代の頃の帯刀さんは非常に勉強熱心でした。
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13、4歳ごろから学問の才覚を発揮し、
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昼も夜も関係なく1日中勉強していたそうです。
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あまりにも熱心すぎて昼夜を問わず勉強していたらしく、元々丈夫ではない体質をさらに弱めてしまいました。
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勉強の代わりに琵琶を習わせたといいます。
ところが、今度は琵琶にハマり過ぎて、1日中弾き続けてしまったそうです。
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湯治に出向いた先でも地域や身分の異なる様々な人々から知識や考えを吸収していった
小松清廉 – Wikipedia
安政3年(1856年)、22歳の時に、吉利(よしとし)領主の小松清猷(きよもと)の養子となって家督を継ぎ、近(ちか)と結婚をしました。
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帯刀さんは“日本初の新婚旅行”をした人物とも言われています。
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知名度のためか、坂本龍馬のほうが有名ですが、小松夫妻のほうが10年ほど先。
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藩の中でも“名君”と評判になり、文久2年(1862年)には28歳の若さで
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島津久光の側役に抜擢されている
小松清廉 – Wikipedia
「薩摩の小松か、小松の薩摩か」と志士たちに噂されるほどの活躍ぶり
吹上焼酎 : 名宰相 小松帯刀
その後、薩摩藩は「文久の改革」に乗り出し、政治の中心地・京都へと進出!
小松帯刀|幕末・維新の黒船社中
在京中に土佐の脱藩浪士であり同い年であった坂本龍馬と出会い親友となります。
小松帯刀|幕末・維新の黒船社中
身分などお構いなく龍馬をバックアップし、亀山社中(後の海援隊)の設立を援助しました。
小松帯刀|幕末・維新の黒船社中
「大政奉還」では薩摩藩代表として徳川慶喜に辞職を勧告し、「王政復古」の実現に成功しました。
小松帯刀|幕末・維新の黒船社中
長州の井上馨と伊藤博文を長崎の薩摩藩邸にかくまってグラバーと引き合わせ、その後、鹿児島へ井上を伴って薩長同盟の交渉を行った
小松清廉 – Wikipedia
薩長同盟締結の場も、清廉が京都に持っていた屋敷だという説があります
惜しまれる早逝の志士・小松清廉(小松帯刀) 幕末のビッグイベントほぼ全てに関わった大人物の生涯
維新後は、徴士参与、総裁局顧問、外国事務局判事、外国官副知事を歴任
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今後のさらなる活躍を誰もが期待した最中、明治3年(1870年)に何と36歳の若さで病死してしまいます
小松帯刀|幕末・維新の黒船社中
小松には持病があった。痛風・糖尿病・脚気ともいわれる
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明治に入ってたった三年での死去は多くの人に惜しまれました。
惜しまれる早逝の志士・小松清廉(小松帯刀) 幕末のビッグイベントほぼ全てに関わった大人物の生涯
“幻の名宰相”の異名も、その早すぎる死に由来するそうです。
小松帯刀|幕末・維新の黒船社中
日本に滞在していた外交官のアーネスト・サトウ氏は
吹上焼酎 : 名宰相 小松帯刀
「小松は私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物、家老の家柄だがそういう階級の人間に似合わず、政治的な才能があり態度がすぐれ、友情が厚くそんな点で人々に傑出していた。」と言い、薩摩の蔵屋敷の土地として購入していた神戸の敷地を外国人居留地として帯刀が申し出たエピソードも記しています。
吹上焼酎 : 名宰相 小松帯刀
内容量:1800ml
県名: 鹿児島県
アルコール度数: 25%
鹿児島産の黄金千貫芋と黒麹を使用した本格焼酎です