【世界史の雑学】「天空の城ラピュタ」にみる19世紀の世界像

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19世紀の英国ヴィクトリア朝のスタイルをモデルにしたSF・ファンタジー作品を「スチームパンク」と呼ぶことがあります。フィクションではあっても、その中には当時の人々や世相を表すヒントが隠されています。本稿では「ラピュタ」から、その姿に迫ります。
日本アニメ史に残る傑作「天空の城ラピュタ」。

◉その独特の世界観は、19世紀のイギリスがモデルになっている。

物語の舞台は企画段階では「立憲君主国。ただし国王は登場しない」とされており、後に宮崎駿は舞台をイギリスのつもりで設定したと語っている。

宮崎は製作が始まる前の1985年5月にイギリスのウェールズをロケハンで訪れており、そこで見た風景が本作に活かされた。(略)。また登場する小火器(拳銃、小銃、重機関銃)もイギリスの兵器をモチーフにしている。

年代は劇中で明示されていないが、パズーの父親が撮ったラピュタの写真には「1868.7」と作品世界の暦による年代らしき数字が印字されている。
天空の城ラピュタ – Wikipedia

「ラピュタ」から、19世紀の世界が見えてくる。
画像は、イギリスを舞台にした映画「オリバー・ツイスト」(2005年)より。

◆◆子供たちの過酷な暮らし・・・児童も「労働力」だった

機械工として働くパズーは、そこかしこで手慣れた仕事ぶりを見せる。

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938307603
かつては幼い子供たちも、大人と同じように働かされた。
急速な工業化で、安価な労働力が求められたためである。
http://www.historyplace.com/unitedstates/childlabor/hine-indiana.htm

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938307703
危険な場所で子供を長時間働かせることが問題化し、それを防ぐための法律が整備されていった。

イギリスでは、1802年に最初の工場法が成立するが、法的に整備されるようになったのは33年の工場法からである。
この1833年工場法は、18歳未満の年少者の労働時間を1日12時間に制限するとともに、13歳未満の児童労働者の労働時間を1日8時間に制限し、さらに9歳未満の児童の雇用を全面的に禁止した。また、18歳未満の労働者は深夜業も全面的に禁止された。
年少労働者(ねんしょうろうどうしゃ)とは – コトバンク

児童福祉への社会的関心の高まりを示すかのように--

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938307403
「けなげな子供」を主人公にした物語も多く作られた。
画像は、2012年のミュージカル映画「レ・ミゼラブル」に登場する孤児コゼット。

「レ・ミゼラブル」は1862年発表のフランス文学。
このほかにも、「オリバー・ツイスト」(1838年)や「家なき子」(1878年)など、過酷な環境に生きる子供を主人公にした名作が、多数生まれた。

◆◆炭坑の町〜「化石燃料の時代」の幕開け

「ラピュタ」の風景のモデルとなった英国ウェールズ地方。多くの埋蔵資源を産出し、英国の産業革命を支えた。

ウェールズは18世紀に工業が発達し、埋蔵されていた石炭、銅、鉄、銀、鉛、金、粘板岩を産出した。19世紀後半から鉱業と金属工学はウェールズの経済において主要なものになり、ウェールズの南部と東北の工業地域の景観と社会は変化した。かつてウェールズ地方南部は、世界最大の石炭の輸出地域で20世紀前半の最盛期には、600以上の炭鉱で約20万人が働いていた。
ウェールズ – Wikipedia

特に石炭は、蒸気機関を動かす上で欠かせない。

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燃料としての需要は、特にイギリスにおいて後に産業革命の原動力となった蒸気機関の発展と歩調を合わせたものであった。蒸気機関が紡績工場の動力として用いられるようになると、その熱源として石炭が重宝されるようになったのである。
炭鉱 – Wikipedia

産業社会の繁栄の陰には、資源の採掘でそれを支えた地域があった。

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938309103

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938305803
ウェールズには今日も、そんな時代の面影が残る。それはまさに「ラピュタの眺め」。
画像はウェールズにあるビッグ・ピット国立石炭博物館。
炭鉱跡を保存している。
http://d.hatena.ne.jp/azu0azu0azu/20131024/1382617871

◆◆交通革命ーー人類は史上空前の移動能力を手にした

1814年、スチーブンソンが蒸気機関車を発明。「鉄道の時代」が始まる。

鉄道は時をおかずして諸国にも伝わり、1830年代にはすでにアメリカ・フランス・ドイツ、さらにはロシアなどにおいても鉄道が開通し、1850年ごろにはこれらの国でもかなりの長さの鉄道網が開通していた。これらの移動手段の発達は「交通革命」と呼ばれる。
産業革命 – Wikipedia

1866年には、ベンツがガソリン車を発明。「オートモービル」の登場である。
ただし、初期の自動車はレース用。往来を走ることは、極めてまれだった。
「オートモービルだ。珍しいなぁ」というパズーの台詞は至極もっともなもの。

移動手段や物資の輸送手段になるのは、20世紀に入ってから。アメリカのフォードの貢献が非常に大きい。

◆◆「こいつ金貨なんか持ってらあ!」


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ムスカがパズーに金貨を握らせる場面があるがーー
19世紀の世界では、本物の金貨が実用貨幣として流通していた。「金本位制」である。
この画像は、1842年銘の金貨。当時のヴィクトリア女王の横顔がデザインされている。

金本位制は両大戦を通じて崩壊した。ブレトン=ウッズ体制を経て、現在の管理通貨制度に至る。


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金貨を捨てられないパズーの姿は、貧しさの悲哀を象徴している。
ただし、「こいつ金貨なんか持ってらあ!」と驚くほどに、金貨が珍しいものであったかは微妙。金貨は普段の買い物や決済に使えるものであったから、誰が持っていてもおかしくはない。
このあたり、江戸時代の貧しい庶民が、小判など持ち歩くことはありえなかったイメージで描写されている感がある。
実際に、「ラピュタ」の英語版では、「こいつ金貨なんか持ってらあ!」というセリフはMom, can I keep this money?(ママ、このお金もらってもいい?)と置き換えられている。あちらの感覚では、金貨を珍しがるのは不自然なのだろう。

◆◆高価だった子供服

19世紀半ば、ミシンが実用化され、縫製業に革命をもたらした。

1905年ごろまでに、洋服はだんだんと工場で作られたものになり、多くの場合は決まった値段で大きなデパートなどで売られるようになった。
ヴィクトリア朝の服飾 – Wikipedia

既製服が大量生産されるとともに、次々と新しいデザインが誕生。「ファッションの時代」の幕開けである。
20世紀になると、「レディメイド」「プレタポルテ」などの用語が一般化する。

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938306903
しかし、農村や地方都市においては、既製服は依然として高価なもの。
庶民の衣服は、見た目より実用性が優先され、装飾はほとんどない。

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938306803
「誰がそのシャツを縫うんだい?」という台詞にもあるように、衣類は貴重で、各家庭で繕いながら大事に使うものだった。
そんな中で、フリルやリボンなど装飾付きの服は、王族や貴族しか着られず、人々の憧れだった。
汚れたり傷んだりしやすいフリルは、日々の労働に追われる者にとっては非実用的。また当時の技術では大量生産しにくく、オーダーメイドによる贅沢品だった。

画像は、19世紀イギリスの王女アリス(1843 –1878)の肖像。


https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938308803
「働く女性」の地位が向上する以前は、フリルは高貴な女性を象徴するものだった。
画像は、イギリスのアレクサンドラ皇后(1844ー1925)の皇太子妃時代の肖像画。

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938306103
子供用のドレスそのものが、ほとんど生産・販売されなかったので、「子供用のドレス」は超高級品だった。
ムスカが「流行りの服は嫌いですか?」と話す場面は、農村出身のシータにはとても手が出ないであろう高価なドレスで、子供心を籠絡しようとしているのである。
やがて、「働く女性のための既製服」が大量生産されるようになると、フリルは衰退していく。
画像は、1920年代のシャネルのスタイル。女性服に、着心地や動きやすさが取り入れられた。

フリルなど豪華な装飾付きのドレスが衰退するのは、第一次世界大戦(1914)の戦時下での物資不足で、衣料用品に不足が生じたせいもある。装飾を省いたり、スカートを短くすることで生地を節約し、物資不足を乗り切った。

現在は、豪華なフリルは、ウェディングドレスや、ロリータファッションでしか見られなくなった。それらの服は「ヴィクトリアン・ファッション」と呼ばれたりするが、様式としては一時的なものに過ぎなかったからこそ、そう呼ばれる。

◆◆人類はまだ「大量破壊兵器」を知らない

「ラピュタ」に登場する兵士たちは、個人の装備として、銃剣(じゅうけん)を手にしている。
画像はこちらより引用しました。https://matome.eternalcollegest.com/post-2145260302074220301
銃剣は、当時の基本装備。銃の筒先につけ、槍のようにして戦う。
画像は、義和団事件(1900年)当時の各国の兵士の写真。日本兵(右端)だけでなく、各国の兵士が銃剣を手にしている。

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938307003
機関銃が普及するまでは、接近戦で欠かせない武器だった。
「ラピュタ」には固定式の機関銃が登場。個人で持ち運べるほどの軽いタイプは、まだ実用化されていない。

歩兵の銃剣突撃や騎兵の槍突撃を主体とする戦法に変化をもたらしたのは、20世紀にはいって実用化された機関銃をはじめとする自動火器の発達である。大規模な白兵戦が行われれば銃剣は依然有効な武器であったものの、日露戦争では初めて重機関銃が登場し、敵陣地を攻撃する歩兵に重大な損害が生じるようになった。
銃剣 – Wikipedia

第一次世界大戦で機関銃が大々的に使用され、見通しのよい場所は火力で制圧されてしまうようになった。従来行われていた正面からの銃剣突撃は困難になり、騎兵突撃はより困難になった。
白兵戦 – Wikipedia

機関銃によって衰退したのは、銃剣だけでなく、騎兵もだった。
弾幕の前には、単なる的でしかなくなったためである。
機関銃の普及によって、戦争の姿そのものが大きく変わっていく。

19世紀後半の普仏戦争におけるフランス騎兵隊が、プロイセン軍の圧倒的火力の前になす術もなく全滅した悲劇が歴史に刻まれている。
騎兵 – Wikipedia

機関銃により、戦場には累々たる死体の山が築かれるようになる。「大量虐殺」の完成である。
兵器の進化はとどまるところを知らず、来たる20世紀には、人類は地獄を見た。

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938305503
そんな悪夢のような未来など想像だにせず、19世紀の各国は、産業の振興と富国強兵に邁進していた・・・。

★★リンク★★

https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801
2018年04月05日