◉その独特の世界観は、19世紀のイギリスがモデルになっている。
物語の舞台は企画段階では「立憲君主国。ただし国王は登場しない」とされており、後に宮崎駿は舞台をイギリスのつもりで設定したと語っている。
宮崎は製作が始まる前の1985年5月にイギリスのウェールズをロケハンで訪れており、そこで見た風景が本作に活かされた。(略)。また登場する小火器(拳銃、小銃、重機関銃)もイギリスの兵器をモチーフにしている。
年代は劇中で明示されていないが、パズーの父親が撮ったラピュタの写真には「1868.7」と作品世界の暦による年代らしき数字が印字されている。
天空の城ラピュタ – Wikipedia
◆◆子供たちの過酷な暮らし・・・児童も「労働力」だった
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938307603
http://www.historyplace.com/unitedstates/childlabor/hine-indiana.htm
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938307703
イギリスでは、1802年に最初の工場法が成立するが、法的に整備されるようになったのは33年の工場法からである。
この1833年工場法は、18歳未満の年少者の労働時間を1日12時間に制限するとともに、13歳未満の児童労働者の労働時間を1日8時間に制限し、さらに9歳未満の児童の雇用を全面的に禁止した。また、18歳未満の労働者は深夜業も全面的に禁止された。
年少労働者(ねんしょうろうどうしゃ)とは – コトバンク
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938307403
「レ・ミゼラブル」は1862年発表のフランス文学。
このほかにも、「オリバー・ツイスト」(1838年)や「家なき子」(1878年)など、過酷な環境に生きる子供を主人公にした名作が、多数生まれた。
◆◆炭坑の町〜「化石燃料の時代」の幕開け
ウェールズは18世紀に工業が発達し、埋蔵されていた石炭、銅、鉄、銀、鉛、金、粘板岩を産出した。19世紀後半から鉱業と金属工学はウェールズの経済において主要なものになり、ウェールズの南部と東北の工業地域の景観と社会は変化した。かつてウェールズ地方南部は、世界最大の石炭の輸出地域で20世紀前半の最盛期には、600以上の炭鉱で約20万人が働いていた。
ウェールズ – Wikipedia
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938309203
燃料としての需要は、特にイギリスにおいて後に産業革命の原動力となった蒸気機関の発展と歩調を合わせたものであった。蒸気機関が紡績工場の動力として用いられるようになると、その熱源として石炭が重宝されるようになったのである。
炭鉱 – Wikipedia
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938309103
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938305803
◆◆交通革命ーー人類は史上空前の移動能力を手にした
鉄道は時をおかずして諸国にも伝わり、1830年代にはすでにアメリカ・フランス・ドイツ、さらにはロシアなどにおいても鉄道が開通し、1850年ごろにはこれらの国でもかなりの長さの鉄道網が開通していた。これらの移動手段の発達は「交通革命」と呼ばれる。
産業革命 – Wikipedia
移動手段や物資の輸送手段になるのは、20世紀に入ってから。アメリカのフォードの貢献が非常に大きい。
◆◆「こいつ金貨なんか持ってらあ!」
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2152293255517347603
金本位制は両大戦を通じて崩壊した。ブレトン=ウッズ体制を経て、現在の管理通貨制度に至る。
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2152293294717520603
このあたり、江戸時代の貧しい庶民が、小判など持ち歩くことはありえなかったイメージで描写されている感がある。
実際に、「ラピュタ」の英語版では、「こいつ金貨なんか持ってらあ!」というセリフはMom, can I keep this money?(ママ、このお金もらってもいい?)と置き換えられている。あちらの感覚では、金貨を珍しがるのは不自然なのだろう。
◆◆高価だった子供服
1905年ごろまでに、洋服はだんだんと工場で作られたものになり、多くの場合は決まった値段で大きなデパートなどで売られるようになった。
ヴィクトリア朝の服飾 – Wikipedia
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938306903
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938306803
画像は、19世紀イギリスの王女アリス(1843 –1878)の肖像。
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938308803
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938306103
フリルなど豪華な装飾付きのドレスが衰退するのは、第一次世界大戦(1914)の戦時下での物資不足で、衣料用品に不足が生じたせいもある。装飾を省いたり、スカートを短くすることで生地を節約し、物資不足を乗り切った。
現在は、豪華なフリルは、ウェディングドレスや、ロリータファッションでしか見られなくなった。それらの服は「ヴィクトリアン・ファッション」と呼ばれたりするが、様式としては一時的なものに過ぎなかったからこそ、そう呼ばれる。
◆◆人類はまだ「大量破壊兵器」を知らない
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938307003
歩兵の銃剣突撃や騎兵の槍突撃を主体とする戦法に変化をもたらしたのは、20世紀にはいって実用化された機関銃をはじめとする自動火器の発達である。大規模な白兵戦が行われれば銃剣は依然有効な武器であったものの、日露戦争では初めて重機関銃が登場し、敵陣地を攻撃する歩兵に重大な損害が生じるようになった。
銃剣 – Wikipedia
第一次世界大戦で機関銃が大々的に使用され、見通しのよい場所は火力で制圧されてしまうようになった。従来行われていた正面からの銃剣突撃は困難になり、騎兵突撃はより困難になった。
白兵戦 – Wikipedia
機関銃の普及によって、戦争の姿そのものが大きく変わっていく。
19世紀後半の普仏戦争におけるフランス騎兵隊が、プロイセン軍の圧倒的火力の前になす術もなく全滅した悲劇が歴史に刻まれている。
騎兵 – Wikipedia
https://matome.naver.jp/odai/2147403026370610801/2149032980938305503
★★リンク★★
https://matome.eternalcollegest.com/post-2146712723464663101