第二次世界大戦初期の日本陸軍主力戦闘機一式単座戦闘機「隼」の画像まとめ。一式戦闘機は海軍の零戦と並んで緒戦の日本軍を支えた名機です。生産数は陸軍最多の5,751機。数機が現存し、在りし日の勇姿を見せてくれます。
一式戦闘機(いっしきせんとうき、いちしき-)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。
一式戦闘機 – Wikipedia
日本陸軍の緒戦における主力戦闘機。軽快な運動性能を武器とした。
大戦初期の日本軍の躍進を空から支え、中期以降は旧式化したものの改良を加えながら終戦まで使用された。
一式戦闘機 隼 一型
一式戦闘機 隼 二型
隼の最多生産型。
エンジンをハ115に換装し、プロペラを3翔にすることで2型前期で515km/h、後期型で548km/hの速度を実現した。
また機首の武装を12.7mm砲×2に強化した。その他機体構造や防弾装備の強化も行われている。
エンジンをハ115に換装し、プロペラを3翔にすることで2型前期で515km/h、後期型で548km/hの速度を実現した。
また機首の武装を12.7mm砲×2に強化した。その他機体構造や防弾装備の強化も行われている。
一式戦闘機 隼 三型
隼の最終生産型。
エンジンを水エタノール噴射装置付きのハ115-IIに更新したタイプ。水エタノール噴射装置を使うことで560km/hの速度を発揮した。
エンジンを水エタノール噴射装置付きのハ115-IIに更新したタイプ。水エタノール噴射装置を使うことで560km/hの速度を発揮した。
駐機場でプロペラを回す隼
翼は前縁部が直線で、後部のみテーパーとなる平面形が特徴。この翼の形は失速特性が良好になるとされ、中島製戦闘機の特徴であった。後の二式単座戦闘機「鍾馗」や四式戦闘機「疾風」でも取り入れられている。
映画「加藤隼戦闘隊」出演の隼二型
加藤建夫率いる飛行第64戦隊は緒戦においてマレー半島やインドネシア、ビルマで活躍した。その活躍から「加藤隼戦闘隊」として軍歌や映画にもなり、国民に絶大な人気を誇った。
映画「加藤隼戦闘隊」出演の隼二型
映画のワンシーンだが、戦中に公開されたこの映画は実際の隼を使って撮影され、当時の国民の間で大人気となった。
この映画の影響もあり、当時の国民の間では日本の戦闘機といえば「隼」という認識が広まっていた。
この映画の影響もあり、当時の国民の間では日本の戦闘機といえば「隼」という認識が広まっていた。
特攻に出撃する一式戦闘機 隼 三型
1945年4月知覧の基地から女学生に見送られ、米艦隊への「神風」特別攻撃に出撃する第20振武隊穴沢利夫少尉機。
翼下には250kg爆弾を搭載している。
末期には多くの隼が特攻機として使われた。
翼下には250kg爆弾を搭載している。
末期には多くの隼が特攻機として使われた。
シアトル航空博物館の隼三型
アメリカのシアトルにあるMuseum of Flight所蔵の隼III型。千島列島占守島で回収された残骸から復元された。復元時にプラット・アンド・ホイットニーR-1830-92を装備させ、飛行可能な状態になっている。
ティラムック航空博物館の隼三型
アメリカのティラムック航空博物館所蔵の機体。
シアトルのものと同じく、こちらも千島列島で回収した機体にプラットアンドホイットニーのエンジンを搭載し、飛行可能な状態になっている。
シアトルのものと同じく、こちらも千島列島で回収した機体にプラットアンドホイットニーのエンジンを搭載し、飛行可能な状態になっている。
インドネシア空軍中央博物館の隼二型
ジャカルタにある空軍博物館にある機体。
戦後インドネシア軍で使われていた機体。キャノピーはオリジナルと異なり、独自のものに変わっている。
戦後インドネシア軍で使われていた機体。キャノピーはオリジナルと異なり、独自のものに変わっている。
アメリカのフライングヘリテイジの隼一型丙
米国ワシントン州にあるFlying Heritage Collection所蔵の隼1型丙。機体、エンジン共にほぼオリジナルの状態で飛行可能という大変貴重な存在。
フライングヘリテイジの隼一型丙
このフライングヘリテイジはマイクロソフトの共同創設者であるポール・アレン氏私設の博物館。同氏は2015年に改定に眠っていた戦艦武蔵を発見している。
隼一型の尾翼部分
知覧特攻平和会館所蔵の隼三型のレプリカ
2007年公開の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で撮影用に作られた隼3型の実物大模型。
細部にまでこだわったリアルな造形で定評。
鹿児島県知覧の特攻平和開館に展示されている。
細部にまでこだわったリアルな造形で定評。
鹿児島県知覧の特攻平和開館に展示されている。
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」撮影で使用された機体
2007年公開の映画映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」撮影のために作られた新造機。
映画は大戦末期の知覧飛行場を舞台に特攻隊員たちの姿を描いたもの。
元東京都知事の石原慎太郎が脚本・製作総指揮を手がけたことでも話題に。
映画は大戦末期の知覧飛行場を舞台に特攻隊員たちの姿を描いたもの。
元東京都知事の石原慎太郎が脚本・製作総指揮を手がけたことでも話題に。
モスクワの隼 二型
ロシアのモスクワにある大祖国戦争中央博物館で展示されている機体。
占守島で発見された残骸を元に作られたとのこと。
占守島で発見された残骸を元に作られたとのこと。
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2020年01月12日
プロペラは2翔で最高速度は495km/h。
初期は7.7mm銃×2と貧弱な装備だったが、徐々に7.7mm銃×1と12.7mm砲に更新。更に12.7mm砲×2に更新されていった。
抜群の運動性能と長距離飛行性能、射撃時の座りの良さが持ち味。
反面、低火力や低速、機体構造が貧弱であることが弱点だった。
1943年ごろには二型に更新された。