青酸カリ自殺をすすめられた?障害者が語った戦争体験に胸が痛む…

ikutantakatan
2016年8月15日は、終戦記念日です。戦時中の日本には、今と同じように障害を持った人もたくさんいました。あまり語られることのない、ナチスの障害者安楽死計画をはじめ、障害者の戦争体験についてまとめます。

8月15日は終戦記念日です

日本国内の犠牲者の数は310万人以上

1977年に厚生省が明らかにした数字では、「軍人・軍属・准軍属」の戦没者230万人、
外地での戦没、一般邦人30万人、内地での戦災死者50万人、計310万人となっている。
太平洋戦争戦跡地−戦没者の60%強140万人は餓死であった

戦時中のエピソードが数多く語られてきた中…

障害者の戦争体験はあまり語られることがなかった

戦後も苦痛を強いられた―。しかし、こうした史実は、今までそう多く語り継がれてきていません。まともな人間関係を得られず、かつ、不就学のため、言いたいことを具現化できずに育ったろう者が多くいるためです。
シリーズ戦後71年 わたしが見た“ろう者の戦争” – ハートネットTV – 2016年8月3日の放送 – NHK福祉ポータル ハートネット

2016年夏、ある事件でナチスドイツの暗い歴史が蘇る

それが、2016年7月26日未明に起きた「相模原障害者施設殺傷事件」

神奈川県相模原市緑区にある障害者施設「県立津久井やまゆり園」で発生した凄惨な殺傷事件。7月26日、元職員の植松聖容疑者(26才)が同施設に乱入、入所者を次々に刺し、19人を死亡させ、職員2人を含む26人に重軽傷を負わせた。
相模原の障害者施設殺傷事件 マスコミや世間の反応に違和感も – ライブドアニュース

耳を疑うような痛ましい事件…

植松容疑者は、ナチスドイツの思想に影響を受けたとも言われている

ナチス政権は20万人以上もの障害者を虐殺していた

「戦争は不治の病人を抹殺する絶好の機会である」とアドルフ・ヒトラーは、提言しました。
障害者の殺害

知的障害、身体障害、精神障害のある人は、ナチスが「T-4」または「安楽死」プログラムと呼んでいた殺害の標的とされました。
障害者の殺害

身体障害者や精神障害者は社会には「無用」であり、アーリア人の遺伝的な純粋性を脅かすため、生きる価値なしと見なされました。第二次世界大戦が始まると、知的障害、身体障害、精神障害のある人は、ナチスが「T-4」または「安楽死」プログラムと呼んでいた殺害の標的とされました。
障害者の殺害

極論を押し通し、弱い立場の人々を抹殺した

戦時下の日本でも、障害を持った人々は辛辣な差別を受けていた

戦争中、障害者は「穀潰し」呼ばわりされることもあった。右半身にマヒがある男性もその一人。障害のため、兵隊になって国のために戦えない。徴兵検査で不合格になり、「国家の米食い虫」と言われたという。
語られてこなかった障害者の戦争体験 日本や独ナチスでも抑圧の歴史

障害者に青酸カリを渡して自殺をすすめたという一説も…

日本でも太平洋戦争中には、障害者に自殺用の薬が渡されたと.いわれています。一人前の兵士となれない障害者は「国の役にたたない存在」「社会に不必要な存在」とみなされていたのです。
日本における「障害者の歴史」を知ると見えてくることがあります② | 障害者とともに造る自然派日本酒~ハッピーチョイス~

障害を理由に殺されかけた事例もある。脳性小児まひで体に障害がある女性は、幼年時代、母親とともに満州から山口県に引き上げてきた。そこへ日本兵がやってきて「障害のある子供は有事の時に邪魔になるから殺せ」と母親に青酸カリを手渡したという。
語られてこなかった障害者の戦争体験 日本や独ナチスでも抑圧の歴史 | THE PAGE(ザ・ページ)

障害を持った人達にとって、戦時下の中生きていく困難は想像を絶するほど

沖縄戦が始まった4月。那覇から北へ避難しようとした家族には2人の障害者がいた。家族でサポートしながら逃げる最中、「障害者は足手まといになる」と周囲の人たちから嫌味を言われることもあった。そんな中、視覚障害のある娘は父親に「私たち2人は置いていっていい」と告げた。父親はそれでも最後まで家族を守り続けた。
語られてこなかった障害者の戦争体験 日本や独ナチスでも抑圧の歴史

それでも、日本のために戦いたいと思う気持ちは同じだった

負い目や軍国教育の影響もあり、国のために戦いたいと考えた障害者もいた。障害があっても人間魚雷になら乗れる、と訴えたり、また視覚障害者は耳がいいので敵機の音を聞き分ける防空監視員になったりして、なんとか役に立ちたいと願ったのだ。
語られてこなかった障害者の戦争体験 日本や独ナチスでも抑圧の歴史

日本を想う気持ちは一緒

障害を持った人々が差別を受けない社会を作るためには、「平和であること」が不可欠…

戦争のような有事の際は、ともすると、国のためになるか、という「優先順位の社会」になりがちだ。そこでは、人間は平等であるという価値観が忘れ去られてしまう。それは私たち自身にも突きつけられる問題だ。
語られてこなかった障害者の戦争体験 日本や独ナチスでも抑圧の歴史

戦時下の非常事態、物が無い 人々の心に余裕が無い、その様な状況下では障害者のような方はお荷物でしかない、自然と人々の鬱憤はそう言った弱者に向けられます。
人が人に優しく出来るのは、ある程度の精神的・物理的余裕が必要だと思います。
なぜ、戦争時代は障害者に対する差別が露骨だっ…(2ページ目) – 日本史 | Yahoo!知恵袋

差別のない社会を作るためにも、戦争は二度と繰り返してはいけない

参考文献

https://matome.naver.jp/odai/2147106023923659801
2016年08月13日