明治維新でお金が激変していた!意外と知らない日本円の歴史に、ほぉ〜って思った。

金持ち父さんの秘密
今は当たり前にお金がある世の中ですが、お金の歴史をわかりやすく説明します。キーワードは明治維新。

お金は人々のこんな思いで作られた。

(1)誰もが欲しがるもの
(2)収集・分配できて、誰もが納得できる値打ちの大きさを表現できるもの
(3)持ち運びやすく、保存できるもの

これらの条件を持つ、布、穀物、砂金などの品物が交換の手段として使われるようになりました。
中国の殷・周の時代には、宝貝が物品貨幣として使用されていました。お金に関係のある漢字に貝のつくものが多いのはそのためです。
「おかね」のはじまり – 日本の貨幣の歴史 – お金の歴史 – 公益財団法人 八十二文化財団

1600年代、江戸時代が始まった頃から流通し始めた「貨幣制度」

元禄時代になると、幕府は貨幣素材の不足や財政事情の悪化に対処し、金銀貨の質を落とす改鋳をおこないました。貨幣の改鋳はたびたびおこなわれ、貨幣制度は乱れていきました。
江戸時代の貨幣制度 – 日本の貨幣の歴史 – お金の歴史 – 公益財団法人 八十二文化財団

そんな中誰かがこんなことを言いました。
お金を紙にしよう!!!

明治新政府は当初、通貨制度を整備するまでのゆとりがなかったため、幕藩時代の金銀銭貨や藩札をそのまま通用させる一方、通貨不足解消のために自らも太政官札や民部省札などを発行し、さらには民間の為替会社にも紙幣を発行させました。
このため、各種通貨間の交換比率が非常に複雑になり、また偽造金貨、紙幣も横行するなど通貨制度は混乱をきわめました。
明治維新と通貨制度 – 日本の貨幣の歴史 – お金の歴史 – 公益財団法人 八十二文化財団

そして近代の硬貨、紙幣制度の始まり
現代の世界の国々で共通する通貨システムといえば、「紙幣とコイン」です。
どこの国も高額通貨には、「紙幣」を用い、低額通貨に「コイン」を用いていますが、 主役は何といっても「紙幣」です。

そして、この現在につながる紙幣による通貨システムは、中世ヨーロッパに起源をもちます。

紙幣は金の預かり証
紙幣が発明される以前のヨーロッパ諸国では、各国の国王や支配者が金・銀・銅でできた延べ棒やコインを発行し、国民はそれらで商取引をしていました。

中でも価値の高い「 金」は、柔らかいためにすり減ったり、盗まれる危険性があるために人々は丈夫な金庫を持った金庫番(当時の金細工職人や両替商)に自分の「金」を預けました。

そして、「金」を預けた代わりにその証明書として預り証を受け取ります。

そして後に、この「金」の預り証が、紙幣になっていくのです。

人々は、自分の「金」が必要な時に預り証を持って、金庫番の所に引き取りに行っていましたが、やがて、経済が発達してくると、商取引の際にいちいち金庫番のところに行くのが煩わしくなってきます。

そこで、人々は預り証でじかに取引をするようになります。預り証でモノを買ったり、モノを売ったときに預り証を受け取ったり……。

このように元々は、「金」の預り証であった「紙」が通貨としての機能を持ち始めたのです。

銀行の始まり
金庫番は、有り余るほどの「金」を手にするようになったのです。
そこで、金庫番は、はたと気づきます。

「ちょっと、待てよ。人々が一度に全ての金を引き取りに来ることはない。だから、預り証を勝手に発行してもばれないぞ!」

こうして元々は、「金」を預かる代わりに渡していた預り証。金庫番は、これを「金」を預けていない人にも発行し、利子をつけて貸すようになりました。これが銀行の始まりです。

明治4年、ついに日本円誕生。

明治維新の頃日本円の流通が本格的に。
日本円はいまでも信用が続く、大きなお金の物語の一つです。

新政府は貨幣制度の統一を目指して、明治4(1871)年に「新貨条例」を制定しました。金貨を貨幣の基本とし、単位も「両」から「円」にあらため、10進法を採用するというものです。もっとも本位貨幣である金貨とは別に外国との貿易用に貿易銀として1円銀貨を通用させたので、金本位制をうたいながら実質的には金銀複本位制が採られていました。

そして明治5(1872)年に、政府は旧紙幣を回収し、流通している紙幣を統一するために、新紙幣「明治通宝」を発行しました。当時の日本には技術がなかったことから、ドイツの印刷業者に原版の製造を依頼しました。このため、この新紙幣は「ゲルマン紙幣」とも呼ばれていました。
明治維新と通貨制度 – 日本の貨幣の歴史 – お金の歴史 – 公益財団法人 八十二文化財団

日本銀行法もこのタイミングで設立。大きく歴史が動いた瞬間です。

銀行の語源は座っているだけでお金が入ってくる「BANCO」(長机、腰掛の意味)

政府は貨幣制度の統一を目指す一方で、近代的な銀行制度の確立をしていくために、アメリカのナショナルバンクをモデルに明治5(1872)年に「国立銀行条例」を制定しました。この条例にもとづき、全国で153の国立銀行が設立され、これら国立銀行には、一定の発行条件のもと、紙幣の発行権が付与されました。
明治維新と通貨制度 – 日本の貨幣の歴史 – お金の歴史 – 公益財団法人 八十二文化財団

つまり銀行法の名の下、いくらでもお金を刷ったりできる権利がここで誕生。

世界統一政府に向けて、ここで大きな転換を迎えたのかもしれません。

日本銀行についてはここから学んでみて

そのお手本となったアメリカのナショナルバンク、バンク・オブ・アメリカとは??

アメリカの大手商業銀行
アメリカのほかの大銀行とは異なり、西海岸のカリフォルニア州で圧倒的な地位を占めているのが特徴である。
ロスチャイルド系、モルガン・ロスチャイルド連合の銀行
大株主はシード・アンド・カンパニー
バンク・オブ・アメリカ
→シード・アンド・カンパニーが発行株の92.6%を保有

シード・アンド・カンパニーは、ロックフェラー財閥、モルガン財閥、ロスチャイルド財閥という世界3大財閥の企業、すべてを股にかけ、デュポン財閥の企業まで支配しています。

この謎の会社の存在が、ロックフェラー、モルガン、ロスチャイルド、デュポンなどのユダヤ金融資本すべてが、一枚岩になっていて、大きな闇のシンジケートを形成していることを明らかにしています。
いずれにせよ、これだけのアメリカの中枢企業を支配する謎の会社は他に無いです。シード・アンド・カンパニーを所有する者こそ、アメリカ経済の真の支配者と言えると思います。
ロックフェラーとロスチャイルドは仲間。-シード・アンド・カンパニーの謎-|なな

つまり日本もシード・アンド・カンパニーの支配下になったとも言えるのです。

日本銀行の出資者40パーセントの個人というのは多くの謎に包まれています。何も知らない一般の人ではないことでは明らかです。

すなわち、これが意味することは、民間でありながらも強い権力を持つ日本銀行の発言にはよくよく注意を傾けた方がいいと思います。
日本銀行と政府は別?!銀行と債券に関する【わかりやすい】3つのまとめ – NAVER まとめ

明治維新に始まり、今の金融市場は大きな組織に完全に支配されて続けています。

いったい未来はどうなるのやら、、、。楽しみですね!!

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2016年10月13日