トラッシュ中沼
平成のフライ級四天王
坂田 健史 元WBA世界フライ級王者
内藤 大助 元WBC世界フライ級王者
小松 則幸 元OPBF東洋フライ級王者
この三人と並び評されたトラッシュ中沼
坂田健史との関係
坂田 健史 元WBA世界フライ級王者とは一勝一敗であるが第二戦目では疑惑が残る判定だったため遺恨が残る試合となった…。その際、大手の協栄ジムということもあったのではないかという噂も流れた…。
内藤大助との関係
内藤 大助 元WBC世界フライ級王者との関係は非常に良く、当時はスパーリングも行った中
大ちゃん・トラと呼び合う仲だったらしい。
小松則之との関係
小松 則之 元OPBF東洋フライ級王者とは一勝一敗であるが第二戦目で疑惑が残る判定だったため遺恨が残る試合となった…。
国際ジム四天王
セレス小林
トラッシュ中沼
プロスパー松浦
キンジ天野
この4人が国際ジムを盛り上げた!!
国際ジム黄金期といっても過言ではない。
トラッシュ中沼【獲得タイトル】
1995年度全日本ライトフライ級新人王
1996年度B級トーナメントライトフライ級優勝
2000年度A級トーナメントフライ級優勝
第46代日本フライ級王座
第30代OPBF東洋太平洋フライ級王座
世界王座を獲得していれば当時日本で認定しているタイトルを全て制したことになった…
【戦歴】
1993/12/04 ○2RTKO 大木 亜弓(鎌ヶ谷)
1994/11/05 ○4R判定 (採点不明) 吉田 寿臣(ワタナベ)
1994/11/28 ●4R判定 (採点不明) 木村 充孝(新日本木村)
1995/03/30 ●4R判定 (採点不明) 柳 孝之(不二)
1995/07/11 ○4RTKO 斉藤 伸哉(金子)
1995/08/28 ○4R判定 (採点不明) 宮澤 伸英(石丸)
1995/09/27 ○4R判定 (採点不明) 誠 士郎(全日本パブリック)
1995/10/31 ○4R判定 (採点不明) 平出 一浩(新日本タニカワ)
1995/12/16 ○6R判定 (採点不明) 長山 俊一(石川)
■1995年度全日本ライトフライ級新人王決定戦
1996/02/18 ○2RKO 福本 義弘(本田フィットネス)
※全日本新人王獲得
1996/07/05 ○5R判定 (採点不明) 八尋 亮(北澤)
1996/08/30 ○5R判定 (採点不明) 誠 士郎(全日本パブリック)
■1996年度B級トーナメントライトフライ級決勝
1996/10/25 ○6R判定 (採点不明) 折原 健也(極東)
※B級トーナメント優勝
1997/02/17 ○8R判定 (採点不明) 田中 強士(京浜)
1997/07/28 ○10R判定 3-0(採点不明) 島津 光也(上滝)
1999/07/03 ○4RTKO 濱口 健一郎(ビクトリー)
2000/04/07 ○2RKO ヨドペッチ・チュワタナ(タイ)
2000/09/01 ○6R判定 (採点不明) 小林 宏(角海老宝石)
■2000年度A級トーナメントフライ級決勝
2000/10/20 ○3RTKO 家住 勝彦(レイスポーツ)
※A級トーナメント優勝
2001/01/20 ○10R判定 2-1(98-96、97-96、96-97) パニアン 奥田(角海老宝石)
2001/07/14 ○6RTKO ウィン・ネイションマン(タイ)
2002/01/19 ○3RKO センサック・シンマナサック(タイ)
■日本フライ級タイトルマッチ
2002/04/30 ○10R判定 2-0(97-96、98-96、96-96) 坂田 健史(協栄)
※日本フライ級王座獲得
■日本フライ級タイトルマッチ
2002/09/07 ○6RKO 北野 良(ヨネクラ)
※日本フライ級王座防衛①
■日本フライ級タイトルマッチ
2002/12/05 ○10RTKO 小島 武幸(横浜さくら)
※日本フライ級王座防衛②
■日本フライ級タイトルマッチ
2003/04/05 ●10R判定 0-3(95-97、96-97、95-96) 坂田 健史(協栄)
※日本フライ級王座陥落
■OPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ
2003/08/24 ●12R判定 1-2(113-115、114-115、115-114) 小松 則幸(エディタウンゼント)
※OPBF東洋太平洋フライ級王座獲得失敗
■WBC世界フライ級タイトルマッチ
2004/01/03 ●12R判定 0-3(112-116、113-116、113-115) ポンサクレック・クラティンデーンジム(タイ)
※WBC世界フライ級王座獲得失敗
2004/06/05 ○8RTKO エドガー・ロドリゴ(比)
■OPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ
2004/09/20 ○12R判定 2-0(114-114、115-113、114-113) 小松 則幸(エディタウンゼント)
※OPBF東洋太平洋フライ級王座獲得(のちに返上)
■WBC世界フライ級タイトルマッチ
2005/01/03 ●12R判定 0-3(112-116、112-116、113-115) ロレンソ・パーラ(ベネズエラ)
※WBC世界フライ級王座獲得失敗
2006/03/11 ○2RKO クリストファー・テポラ(比)
2006/06/17 ○10R判定 3-0(98-94、97-94、96-95) ジョジョ・バルドン(比)
来歴
両親が1歳の時に離婚。父に引き取られるも、ギャンブル好きで酒びたり暴力も常であった。17歳の時にその父が病没。姉が生活を支えるために働き、その反面自身は暴力行為を繰り返し鑑別所に入れられる状況であった。しかし鑑別所でボクシングを教えられ、亡き父、育ててくれた姉のためにも頂点を目指す事を心に誓う。リングネームのトラッシュは、英語でゴミ、屑の意味で、これはゴミのような人生を送ってきた自分に対する自戒の意味がこめられている。
大のキャバクラ好きとしても有名。
デビュー〜新人王獲得[編集]
1993年12月4日、後楽園ホールで国際ボクシングスポーツジムからプロデビュー。大木亜弓を相手に2RTKO勝利。
1995年12月16日、東日本新人王決勝戦で長山俊一に6R判定勝ち。東日本ライトフライ級新人王タイトルを獲得。
1996年2月18日、大阪府立体育会館で福本義弘に2RKO勝ち。全日本新人王決定戦を制した。
病気、日本王座獲得[編集]
1997年10月25日、折原健也に6R判定勝ちした後、髄膜炎を煩い入院。後に「連日のように40度近い高熱に魘され、死ぬことを覚悟した」「毎日のように『ナーカーヌーマークーン』と呼んでいる男の幻聴が聞こえた」と闘病生活について語っている。
1999年7月3日、約2年ぶりのリングで濱口健一郎を相手に復帰戦を行い、4RTKO勝ちを収める。
2002年4月30日、日本フライ級王者坂田健史とタイトルマッチを行い、10R判定勝ち。日本フライ級王座を獲得。
タイトルマッチ3連敗[編集]
2003年4月5日、日本フライ級王座3度目の防衛戦で坂田健史と再戦し、10R判定負け。日本フライ級王座陥落。
2003年8月24日、OPBF東洋太平洋フライ級王者小松則幸とタイトルマッチを行い、12R判定負け。OPBF東洋太平洋王座獲得に失敗。
2004年1月3日、パシフィコ横浜でWBC世界フライ級王者ポンサクレック・クラティンデーンジムとタイトルマッチを行い、12R判定負け。世界王座獲得に失敗。
東洋王座獲得・引退[編集]
2004年9月20日、OPBF東洋太平洋フライ級王者小松則幸と再戦し、12R判定勝ち。世界挑戦に専念するため、同王座は防衛せずに返上。
2005年1月3日、有明コロシアムでWBA世界フライ級王者ロレンソ・パーラとタイトルマッチを行い、12R判定負け。世界王座獲得に失敗。この試合後、「三浦さんがいないなら、国際ジムでボクシングをやる意味がない。三浦さんのジムに移籍できないなら現役引退する」とコメント。トレーナーをしていたクラッシャー三浦が国際ジムから独立し、ドリームボクシングジムを開設したことを理由に現役引退を表明。
現役復帰[編集]
2006年3月11日、引退を撤回し現役復帰。クリストファー・テポラに2RKO勝ちして再起に成功。所属は現在も国際ジムだが、指導は元国際ジムトレーナーで、現ドリームボクシングジム会長のクラッシャー三浦から受けている。
ウィキペディア
小ネタ
東京都文京区出身。
・鑑別所でボクシングを学んで競技開始。
・ランキング獲得後から、ランカーはリングネームをつける国際ジムの慣例により、
トラッシュ 中沼として戦っている。トラッシュの意味は「ゴミ」で、ゴミのような人生を
送ってきたことに対する自戒の念が込められているとされる。
・折原健也に6R判定勝ちした後、髄膜炎を煩い入院。死を覚悟するほどの大病だった。
三浦からの指導を受けることで現役復帰している。
辰吉丈一郎からの電話…
トラッシュ中沼にすれば辰吉丈一郎はボクシングを初めたきっかけである。
トラッシュ中沼が引退を決意し公表した後
辰吉丈一郎から電話があり「君に辞めてもらったら困るんだけど」
と言われたらしい。
トラッシュ 中沼(Trash Nakanuma)(国際)
本名:中沼 正樹
生年月日:1975年2月19日
国籍:日本
戦績:33戦27勝(12KO)6敗