※ここでは、内容が入りやすいように「スルタン(オスマン帝国の皇帝や皇后に使われる称号)」を「皇帝」と表現します。
ウクライナ・ルテニア地方ロハティンで生まれる
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奴隷市場では、様々な地域から連れてこられた女が裸にされセリにかけられた。
その中で、美しいヒュッレムはひと際目立ち高値での取引きがされる。
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買い取ったのが、ただの金持ちではなく、帝国NO.2格の男であったことが、後にヒュッレムを歴史の表舞台に立たせることになる。
ヒュッレムはイブラヒムの屋敷で暮らすようになり、宮廷のハレム(日本の大奥のようなもの)で生きるための教育を受けた。
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ヒュッレムは美しい声をしていて、その声は自然と相手を明るく気持ちにする力があったことから「陽気」を意味する「ヒュッレム」という名が、この時期に与えられた。
ハレムでの序列は皇帝の寵愛次第
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そして、皇帝の目に止まり、一夜を共にすると、そこで個室を与えられ、オダリスク(部屋を持つ者)と呼ばれる。ハレムには、ここまで到達せずに終わる女も少なくない。
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そこから皇帝の子供を産んだ女はカドゥン・エフェンディと呼ばれて尊ばれ、広い部屋と専用の召使が与えられて優遇された。
そして、皇帝の長男を産んだ女はバシュ・カドゥン・エフェンディ(第1夫人)と呼ばれ、皇帝の生母である皇太后に次ぐ地位を得る。
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この時点で、ヒュッレムには自分の息子をスレイマン1世の後継者にするという確かな野心があったと考えられる。
第1夫人マヒデヴランの子である第1皇子ムスタファは後継者として盤石の状態だった。
大宰相イブラヒムはムスタファへの支持を固めており、ムスタファの母マヒデヴランはスレイマン1世の母である皇太后ハフサ・ハトゥンの寵愛を受けていた。
相次ぐラッキー
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後ろ盾を失った第1夫人マヒデヴランがスレイマン1世の機嫌を損ねて宮殿を追われる。
さらにスレイマン1世の信頼厚く、そのあまりの有能さがゆえに、大宰相にしてもマレな権限と影響力を誇ったイブラヒムが、過信と増長から自身をスルタン(皇帝・皇后を意味する)と表現したため、スレイマン1世はそれを見過ごすわけにもいかず、イブラヒムは処刑された。
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それを物語るように、ヴェネツィア共和国の大使ベルナルドウ・ナヴァゲラは、ヒュッレムを「性質のよくない、いわばずる賢い女性である。」と述べている。
オスマン帝国の慣例や慣習を打破していく
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しかし、スレイマン1世はヒュッレムが男子を出産した後もそばに置き続け、果ては正式な妻とする。
オスマン帝国では基本的に皇帝が妻を迎えることはなく、これもまた慣習にならわない異例の寵愛であった。
邪魔者が全て消える
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ムスタファは非常に優秀で、オスマン帝国歩兵団(イェニチェリ)から異常な人気を誇っていたため、ムスタファの処刑に不満を持った兵士達が反乱を起こす寸前の事態となった。
このムスタファ処刑は、理由という理由が存在しない唐突なものだったので、宮廷内を含む世論は、最も得をするヒュッレムの暗躍を疑う。
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溺愛するヒュッレムへの疑いの目をそらし、世論のバランスを取ることを考えた。
ヒュッレムの娘婿で大宰相のリュステム・パシャを辞職させて、さらに処刑しようとする。
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以降、リュステムはヒュッレムの庇護のもとで蓄財に精を出し、財力をもって派閥を形成し、政治力を維持する。
この事をキッカケに、こういった金と派閥を背景に、皇太后や第1夫人、宦官やハレムの住人達が、権謀術数を巡らせ、オスマン帝国の政治を支配するカドゥンラール・スルタナトゥ(女人天下)と呼ばれる習慣を出来た。
政治的影響力が増す
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奴隷の立場から皇后にまで登りつめ、以降のオスマン帝国の慣例や政治体制に多大な影響を与えたヒュッレムは、1558年4月18日、我が子の戴冠を確認する前に死去した。
ヒュッレムの死後
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スレイマン1世の死後、皇帝に即位したセリム2世は、国家運営を官僚に任せきりにし、バーブ・ウッサーデ(至福の家)と呼ばれる館で酒と女に浸る幸せな日々を過ごした。
これを境に、セリム2世以降、オスマン帝国の国家運営は官僚による支配が常態化し、皇帝はほとんどお飾りの存在となっていった。
【 歴史に名を連ねる美女達 】
【 参考 】
古代から続き、未来永劫なくなることはないであろう女性の性が売られるとは?その深淵に入っていきます。
ヒュッレムの本名はアレクサンドラ・アナスタシア・リソフスカであったとされている。また、スラヴ系であったので、後にロシアの女という意味のロクセラーナという通称でも呼ばれる。
生地ルテニアの人々は、細々と農業を行ない、その生活は貧しいものだった。