ざっくり知りたい、ボケ担当「松本人志」!

yokotarapcon

0~10歳

3人兄弟の末っ子。
祖父(昇次郎)(1896年 – 1971年6月8日)。
家族構成は父(譲一)(1933年[20] – 2014年8月18日)、
母(秋子)(1933年[20] – )、兄(隆博)、姉(奈緒美)。

兵庫県尼崎市出身。
小学校・中学校の同級生に浜田雅功と構成作家の高須光聖がいる。

11~20歳

浜田と共に吉本総合芸能学院(NSC)に入学(同校の1期生)。
入学当初から浜田とコンビを結成。
その後コンビ名をダウンタウンとして舞台やテレビ番組に出演。

21~30歳

1987年4月に開始した初看板番組『4時ですよーだ』、
翌年には深夜のコント番組『夢で逢えたら』で東京進出。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(NTV系列)、
『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系列)
等では出演のほか番組の企画・構成も担当。

https://www.youtube.com/watch?v=wzLDNHmJhRg
https://www.youtube.com/watch?v=Gh7H8kBRunE

31~40歳

1993年から1995年にかけて、週刊朝日に連載していた
自身のエッセイ(オフオフダウンタウン)が
『遺書』及び『松本』として単行本化される。
それぞれ250万部、200万部を売り上げる。
1990年代後半より、『一人ごっつ』シリーズ(フジテレビ系)、
入場料1万円のコントライブ「寸止め海峡(仮題)」、
料金後払い制ライブ「松風’95」、
コントビデオ『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』など、
個人での活動も行うようになる。
2000年、自身の原案で『伝説の教師』
(日本テレビ系、SMAPの中居正広と共演)に主演。

2001年10月4日より、ラジオ番組『放送室』
(TOKYO FM)を高須光聖と共に開始し、
2009年3月28日の番組終了まで約7年半に渡り放送。

41~50歳

2007年、企画、脚本、監督、出演の四役を務めた
映画『大日本人』を発表し映画監督デビュー。
日本での公開に先立って
カンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待された。
これに伴い、2008年の東京スポーツ新聞社主催
「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で
話題賞を受賞。

2004年から『人志松本のすべらない話』のホスト及び企画、
2009年からは大喜利の祭典
『IPPON グランプリ』の大会チェアマンとして出演し、
あまり知名度の無いお笑い芸人の才能の発掘や
若手芸人の育成にあたる役割も担っている。

『すべらない話』では、
関西での活動を中心としていた小籔千豊や、
矢野・兵動の兵動大樹がMVSを受賞し
全国区へとブレークするきっかけを作り、
『IPPON グランプリ』では、
バカリズムの大喜利能力の圧倒的な高さを発掘した。

2010年6月、左股関節に股関節唇損傷を患い、
股関節の手術を受けるため1 – 2ヶ月程度の休養を発表した。
その後、8月18日収録の
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で仕事復帰。
同年10月15日にNHK総合でテレビでは実質的に
9年振りとなるコント番組『松本人志のコント MHK』が放送、
翌10月16日に同局のドキュメンタリー番組
『プロフェッショナル 仕事の流儀』で
「松本人志スペシャル」が放送された。

51~60歳

2013年5月4日、TBS系列のリンカーンでTwitterを開始。
番組企画後もTwitterを続けている。

2015年12月、第18回みうらじゅん賞を受賞。

61~70歳

71~80歳

感動をありがとうございます。

https://matome.naver.jp/odai/2146227045427723101
2016年05月03日