2019年までの国内での大震災をまとめました。震度6以上の地震による歴史と驚異を知り、今後の対策にしてもらえればと思います。
震央:北海道胆振地方中東部
最大震度:7
被害総額:不明
死者42人(負傷者762人)
北海道胆振地方を震源として発生した地震。発震機構は東北東-西南西方向に圧力軸を持つ逆断層型で、内陸地殻内で発生した地震である。余震は最初の震度7の地震の震源地から南北に広がっている。最大の特徴として「土砂崩れ」での被害が膨大なものとなった。
震源地:大阪府大阪市北区・高槻市・枚方市・茨木市・箕面市
最大震度:6弱
被害総額:約1800億円
死者:6人
防災科学技術研究所によると、本震は西北西 – 東南東を圧縮面とする逆断層型。気象庁マグニチュード暫定値はMj 6.1である。なお、その後の余震活動では地震活動域の北側で逆断層型、南側で横ずれ断層型というように混在した型の地震が発生している。
震源地:熊本県熊本地方
最大震度:7
被害総額:最大4.6兆円
死者:267人
熊本県を中心に連続して発生した一連の地震。本震レベルの揺れが立て続けに起き、その後も強い揺れを残している事が特徴としてあげられる。熊本地方の大地震が離れた地域の地震活動を誘発した可能性(誘発地震)が考えられているが、このような例は気象庁の担当官も「(日本の)近代観測史上、聞いたことがない」としている。
震源地:仙台市の東方沖70kmの太平洋の海底
最大震度:7
被害総額:約16兆9000億円
死者:15,894人(行方不明者:2,561人)
2004年の新潟県中越地震以来、観測史上3回目の最大震度7を観測した。この地震によって引き起こされた災害を、東日本大震災と呼ぶ。この地震とそれによって引き起こされた津波、およびその後の余震は、東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらし、日本における戦後最悪の自然災害となるとともに、福島第一原子力発電所事故も引き起こした。
震源地:岩手県内陸南部
最大震度:6強
被害総額:約16兆9000億円
死者:17人(行方不明者:6人)
岩手県内陸南部(仙台市の北約90km、東京の北北東約390km)で発生した、マグニチュード7.2 の大地震。岩手県奥州市と宮城県栗原市において最大震度6強を観測し、両市を中心に被害が発生した。被害の特徴として、同じ規模の地震と比較して、建物被害が少なく土砂災害が多いことが挙げられる。
震源地: 福岡県北西沖
最大震度:6弱
被害総額:約528億円
死者:1人
震源に近い福岡市西区の玄界島で住宅の半数が全壊する被害となったのをはじめ、同区能古島、西浦、宮浦、東区志賀島などの沿岸地区で大きな被害となった。福岡市および志摩町・前原市(現・糸島市)と周辺市町村を中心に被害が発生したが、震源が福岡市街から離れた沖合であったことなどから市街部で建物の全壊被害はほとんど出なかった。死者1名、負傷者約1,200名、住家全壊約140棟。福岡市付近では有史以来最も大きな地震となった
震源地:新潟県中越地方
最大震度:7
被害総額:3兆円
死者:68人
新潟県北魚沼郡川口町(現長岡市)の直下を震源として発生した逆断層型の内陸地殻内地震。震源直上の川口町で最大震度7を観測した。震度7を観測したのは、1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来9年ぶり、観測史上2回目。なお、兵庫県南部地震では気象庁などの調査によって震度が判定されたため、震度計で震度7が観測されたのは初めてである。また、M6を越える規模の大きな余震が複数回発生するなど、群発地震活動を呈して頻繁に起きたことも特徴のひとつである。
震源地:北海道襟裳岬東南東沖
最大震度:6弱
死者:1人(行方不明者:1人)
過去に数回発生している、北海道の十勝地方の沖合を震源として起こる地震。この地震の震源付近では1952年3月4日にM8.2の十勝沖地震が発生している。
震源地:鳥取県米子市南方
最大震度:6
被害総額:約485億円
1996年の震度階級改正以来初めて震度6強を記録した。気象庁マグニチュードが7を超す大地震だったにもかかわらず、何人かは生き埋めとなったが救助され、死者は無かった。これは、震源地が山間部であったこと、市街地の一部を除き、人口が密集していない地域であったこと、積雪の多い地域のため頑丈な造りの民家が多かったこと、そして地盤が比較的強固であったことも挙げられる。
震源地:淡路島北部、兵庫県津名郡北淡町(現淡路市)
最大震度:7
死者:6,434人(行方不明者:3人)
被害総額:約10兆円
日本で初めて大都市直下を震源とする大地震で、気象庁震度階級に震度7が導入されて以来、初めて気象庁によって震度7が記録された地震である。
震央:日本 長野県 王滝村付近
最大震度:推定6(烈震)
死者:29人(負傷者:10人)
被害総額:不明
震度が「推定」になっているのは、当時地震計が置かれていなかったためである。震源の深さは2kmと極めて浅い地震であったが、この地震によって地表面に断層は現れなかった。余震分布の観測結果により、延長15kmの北東-南西走向の右横ずれ断層と、直交する延長5kmの北西-南東走向の左横ずれ断層の2つの断層が活動した。
震央:日本 福井県坂井郡丸岡町(現坂井市丸岡町)付近
最大震度:6(現在の震度階級で震度7相当)
死者:3,769人(行方不明者含む)
北北西-南南東方向の左横ズレで、従来から把握されていた断層の活動ではなく、200m以上の厚い堆積層に埋もれて地表に現れていない活断層が活動した。当時、地表には断続的に福井県坂井郡芦原町北部から、金津町、坂井町、丸岡町、松岡町を通り福井市南東部付近まで続く総延長約25kmの地割れが生じ、のちに福井地震断層と命名された。後年の調査により福井平野東縁断層帯の西部の活動が関与している事が判明している。
昭和4大地震(1000名を超える死者が4年連続)
1945年の終戦前後にかけて4年連続で起こった4つの大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震、三河地震)。いずれも1,000人を超える死者を出した最凶最悪の地震である。
震央:日本 紀伊半島沖
最大震度:6
死者:1330人
1946年南海地震とも呼ばれ、単に南海地震といえばこの地震を指すことも多い。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。この領域では周期的に大地震が発生しており、前回の南海地震である安政南海地震から92年ぶりでの発生となった。その地震後に今村明恒は「宝永地震や安政東海・南海地震は東海・南海の両道に跨って発生したものであるが、今回の地震は東海道方面の活動のみに止まっており、今後、南海道方面の活動にも注視するべきである」と指摘していたが、当時これに耳を傾けるものはいなかった。
震央:日本 愛知県三河湾
最大震度:6(現在の震度階級では7)
死者:2,306人(行方不明者1,126人、負傷者3,866人)
4大地震の一つである。震源が浅く、瞬発的な攻撃性の高い地震であったとされる。さらに、マグニチュード 6.8と規模が比較的大きかったにも関わらず、被害報告はごく僅かしか残されていない。
現在に至ってもこの地震について詳しいことは判っていない。
震央:日本 熊野灘沖
最大震度:6(推定7の場所もあり)
死者:1223人(行方不明者含む)
4大地震の一つ。震央では震度6などと観測されているが、観測所によっては、地震の強さが測定範囲を超えており(震度計の針が端まで振り切れてしまっており)、強度を記録しきれていないほどであった。また、地震発生後に常設の観測点では無い臨時観測点による集中観測は、地震発生から2ヶ月を経過してから行われたため、地震像の詳細や余震活動については不明点が多い。
震央:日本 鳥取県東部
最大震度:6
死者:1,083人
被害総額:1億6,000万円(当時)
4大地震の一つである。激しい揺れにより、鳥取市の中心部は壊滅し、古い町並みは全て失われてしまった。木造家屋のほぼ全てが倒壊した一方で、五臓円薬局ビルなど鉄筋コンクリートの建物は比較的持ちこたえた。家屋の全壊率は80%を超え、特に千代川と袋川流域の沖積地質の地域での被害が突出していたが、これは湿気によって家屋の土台が腐っていたためとされている。
日本歴史上で最悪の関東大震災
関東大地震によって、南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害である。
大震災と呼ばれる災害では死因に特徴があり、関東大震災では焼死が多く、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)では圧死、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では溺死が多い。
震源地:相模湾中央
最大震度:6
死者・行方不明者:105,385人
190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる(犠牲者のほとんどは東京府と神奈川県が占めている)。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟である。東京の火災被害が中心に報じられているが、被害の中心は震源断層のある神奈川県内で、振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波による被害が発生した。
震災被害以上に、日本には未来と希望があります。
頑張り続けている限り、震災で失ったものは無意味にはなりません。がんばろう日本!
震央:山形県沖
最大震度:6強(新潟県村上市)
新潟地震や1983年の日本海中部地震などと同様に日本海東縁変動帯付近で発生したとされている。
各地で津波注意報を発表し、新潟県の新潟港で10cm、新潟県の粟島と山形県の酒田、石川県の輪島港でもそれぞれ数cmの微弱な津波を観測した。