平沢進『コヨーテ』 考察

ゴッド兄やん
平沢進さんの『コヨーテ』の歌詞を考察しました。今一つ突き詰めが甘い部分もありますが、関連の在りそうなワードや作品について触れてあります

概要

日照りが続く中、飢えと乾きで村は滅びる寸前。
そんな中、コヨーテが通りかかった。
『光る目に最後の水の瓶が映る』のが見え、コヨーテは人に追われることに。

逃げるため、誰も通らなかったところを突き進んで『この世で始めの道』が出来ていく。
谷に追い込まれ、ままよ、と近くの大木に登る。
やがて木は人間に切り倒され、『谷間の架け橋』となる。
すかさずわたって逃げるが、湖のもとでとうとう力尽きた。
こうして、人間は食料と水を得た

それから数えて百万年(現代?)。相変わらずの日照り(苦難)が続いている。
そんな中、少し進化したコヨーテが『もっとかしこく』人類から逃げ、新しいモノを人類に授ける

平沢進の言う『日照り』

この動画の口上に於いては、「暑さ」(=日照り)は
「人間性を失わせるほどの」灼熱と乾きをもたらすものであるとされている。

日照り
日照り続きは百月続いたところから歌は始まり、
百万年たってなお日照りが続いていることを示して終わる。
コヨーテ
コヨーテは、トリックスター(ペテン師)とも呼ばれ、インディアンに敬われている
賢い動物で、知性の象徴であり、霊的な世界へ行ける聖なる存在であるとされているらしい。
彼らの伝承曰く、コヨーテによって人間社会にもたらされたものはタバコ、太陽、死、雷をはじめとして、あらゆるものに及んでいる

【天かとっても二合半(こなから)】
たとえ出世し天下を取った人間でも、一食に二合半ほどの米が食べるのが限度であること。

【天下とっても二合半(こなから)】
たとえ出世し天下を取った人間でも、一食に二合半ほどの米が食べるのが限度であること。

ぱっと思いついた熟語がこれ。関係あるかもしれない。

歌詞

日照り続きも
はや数え百月
派手な雨躍りの
ほこりじゃ命は洗えぬ
不意をつく
疾風の影はコヨーテ
光る目に
最後の水の瓶が映る

(村の命あと)
二歩と半分
(滴一つ)
残さず頂く

※コヨーテ コヨーテ
Uo-
コヨーテ コヨーテ
Uo-
コヨーテ コヨーテ
Uo-
コヨーテ コヨーテ
Uo-

追いつ追われつ
踏む草は百万
風もままと吹けば
この世で始めの”道”が鳴る
先は眩暈の谷
行けず戻れず
神よ仏よマリアと吠えて 登る大木

(巾はおよそ)
二歩と半分
(見上げる幹は)
雲を頂く

※Repeat

遥か根本に響く斧 百度
「さらば雲よ」と泣き
倒れて谷間の架け橋
渡りゃ疲れ果てた目には湖
尽きて浮かぶコヨーテは
晴れて八つ裂き

(分け前約)
二個と半分
(村の夕餉にゃ)
おかずに頂く

※Repeat×5

https://matome.naver.jp/odai/2146070610095665101
2016年06月10日