枕草子【全文】【原文・現代語訳あり】清少納言

oriorinouta
有名な古典「まくらのそうし」の古文・現文を掲載しました。

▼有名部分のみ抜粋したまとめはこちら

▼枕草子の全文は以下

春は

春は曙(あけぼの)。

やうやう白くなりゆく、山際(やまぎわ)すこし明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

春は夜明け。

だんだん空が白くなり、山際がほのかに明るくなって、紫がかった雲が細くたなびくの。

夏は

夏は夜。

月の頃はさらなり。

闇もなほ、螢(ほたる)の多く飛びちがひたる。

また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。

雨など降るも、をかし。

夏は夜。

月夜はもちろん。

闇夜に飛び交うたくさんの蛍。

1、2匹の蛍ほのかに光りながら飛んでいくのも素敵。

雨の夜も素敵。

秋は

秋は夕暮(ゆうぐれ)。

夕日のさして、山の端(やまのは)いと近うなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。

まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。

日入り果てて、風の音(おと)、虫の音(ね)など、はた、言ふべきにあらず。

秋は夕暮れ。

夕日が差して、山み沈みかける頃、家路を急ぐカラスが、3つ4つ2つと飛ぶのも素敵。

ましてや、雁なんかが連なって、すごく小さく見えるまで飛んでいく姿は、すごく素敵。

日が落ちて、風の音、虫の声などが聞こえるのは、もう言うまでもない。

冬は

冬はつとめて。

雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。

霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。

昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も白き灰がちになりぬるはわろし。

冬は早朝。

雪が降っいてるの言うまでもない。

霜が真っ白に下りているのも、またそうでなくても、とても寒い朝、火を急いで起こして、炭を持って御殿を渡るのも、冬の朝らしくて素晴らしい。

昼になり、気温が上がって暖かくなると、炭櫃・火桶の火も白い灰がちになってダメ。

聡明で美しく、枕草子の中で清少納言が絶賛した藤原定子。一条天皇の妃として宮中に華やかなサロンを築き、多くの貴族を魅了しました。父・道隆が亡くなり、政敵・藤原道長の標的とされ不遇になってもなお、一条帝に寵愛され、美しく儚く生きました。

権力の中枢に座る美しき一族・中関白家の貴公子として、平安王朝で栄華を極めた隆家。後世は、国難である女真族の博多湾襲来・刀伊入寇に際して、いち早く立ち上がり、国難を撃退。しかし、藤原道長によって消された英雄となってしまう・・・。

頃は

頃は、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一、二月。

すべて、をりにつけつつ、一年ながら、をかし。

時候は、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一月、二月。

すべて、その時々に応じて、一年中素敵。

正月一日は

正月一日は、まいて空の景色もうらうらと珍しう、霞みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、かたち、心ことにつくろひ、君をも我をも祝ひなどしたるさま、殊(こと)にをかし。

正月一日は、空の景色もいっそううららかで新鮮で、霞がかった中で、どの人も皆、衣装もメイクも格別にキメて、主君も自分も末永くとお祝いしているのは、特別に素敵。

七日

七日、雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの目近からぬ所にもて、騒ぎたるこそ、をかしけれ。

白馬見んとて、里人は、車きよげにしたてて見に行く。

中の御門の閾(とじきみ)引き過ぐるほど、頭、一所にゆるぎあひ、刺櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば折れなどして笑ふも、またをかし。

七日、雪の間で若菜を摘んできて、青々とした若菜を、普段はそんなものを近くで見ることもない御殿の中で見て騒いでいるのが、とても素敵だ。

白馬節会(あおうまのせちえ・天皇が白馬を見て一年の邪気を祓う儀式)を見ようとして、女性たちは、車を綺麗に飾り立てて宮中へ出掛ける。

待賢門の敷居を通過する時、車が揺れて乗っている人たちの頭がぶつかり、飾り櫛も落ちて気をつけていないと櫛が折れたりもして、みんなで笑うのもまた素敵。

左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを、僅(はつか)に見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづか)、女官などの行き違ひたるこそ、をかしけれ。

建春門の左衛門府のあたりに殿上人などが大勢立っていて、舎人の弓を取り上げて馬を驚かせて笑う様子を、車の中から少し覗き見ると、奥の宣陽門の向こうに立蔀が見えて、そこを主殿司や女官などが行ったり来たりしているのも、本当に素敵。

いかばかりなる人、九重(ここのえ)をならすらんなど、思ひやらるるに、内裏(うち)にも見るは、いと狭きほどにて、舎人が顔のきぬもあらはれ、誠に黒きに、白きものいきつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたる心地して、いと見ぐるしく、馬のあがり騒ぎなどもいと恐しう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。

いったいどのような幸運な人が、宮中で権勢を振るっていられるのだろうかと気になったけど、宮中からでも車から見えるのはすごく狭い範囲だし、舎人の顔は(化粧がはがれて)地肌が見えて真っ黒で、白粉(おしろい)がはげた所は雪がまだらに消え残っているみたいですごく見苦しくて、馬が跳ねて騒いでいる姿もすごく怖いので、自然と身体が車の奥に引き籠ってしまって、よく見えない。

八日

八日、人のよろこびして走らする車の音、異(こと)に聞こえて、をかし。

八日、昇進した人が喜んで挨拶回りに走らせている車の音が、いつもとは違って聞こえるのが素敵。

十五日

十五日、もちかゆの節供まゐる。

粥(かゆ)の木ひき隱して、家の御達(ごたち)、女房などのうかがふを、打たれじと用意して、常に後を心づかひしたる景色も、いとをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ちあてたるは、いみじう興ありてうち笑ひたるは、いと栄々(はえばえ)し。

ねたしと思ひたるもことわりなり。

十五日、望粥(もちの日に食べる小豆粥)をご用意する。

粥の木(小豆粥を煮た時の燃えさしの木を削って作った杖。これで女性の腰を叩くと男子を出産するという言い伝えがある)を隠し持ち、お家の方々や女房が隙を伺っているのを、打たれまいと用心して、常に自分の後ろに気をつけている様子も、とても素敵なのだが、どのようにして隙を見つけたのだろうか、上手く打ち当てた時には、本当におかしくて皆で笑い合うのは、とても賑やかだ。

打たれて悔しいと思うのも道理である。

新しう通ふ婿の君などの、内裏(うち)へ参るほどをも心もとなう、所につけて我はと思ひたる女房の、のぞき、けしきばみ、奧の方にたたずまふを、前にゐたる人は心得て笑ふを、『あなかま』と、招き制すれども、君見知らず顏にて、おほどかにて居給へり。

新たに家に通うようになった婿が出仕の身支度をしているときでさえ、待ち切れずに我こそはと隙を狙う女房が、覗き込み、そわそわして奥のほうでウロウロしているのを、婿君の前にいる女房が気付いて笑っているのを、『静かに』と手真似で制止するのだけれど、姫君は何も知らない顔をして、おっとりした感じで座っていらっしゃる。

『ここなる物、取り侍らむ』など言ひ寄りて、走り打ちて逃ぐれば、ある限り、笑ふ。男君も、にくからずうち笑みたるに、ことに驚かず、顔少し赤みて居たるこそ、をかしけれ。また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。

いかなる心にかあらむ、泣き腹立ちつつ、人を呪ひ、まがまがしく言ふもあるこそ、をかしけれ。内裏わたりなどのやむごとなきも、今日は皆乱れて、かしこまりなし。

『ここにある物を取りましょう』などと言いながら、走って近づいていって姫君の腰を木で打ってから逃げると、みんなこぞって笑う。婿君もまんざらではない感じで微笑んでいるのに、姫君は特に驚かず、少し赤面して恥ずかしそうに座っているのも、素敵。また女房同士でお互いに打ち合ったり、男の人を打ったりもするみたい。

どういう心境なのか、打たれて泣いたり腹を立てたり、打った人を呪ったり、不吉な言葉を話す女房もいたりするのがおかしい。宮中にいる高貴な方々も、今日は無礼講で楽しんでいる。

除目(じもく)の頃など

除目(じもく)の頃など、内裏わたり、いとをかし。雪降り、いみじうこほりたるに、申文(もうしぶみ)持てありく。

四位、五位、若やかに心地よげなるは、いとたのもしげなり。

老いて頭白きなどが、人に案内言ひ、女房の局などによりて、おのが身のかしこきよしなど、心一つをやりて説き聞かするを、若き人々は真似をし笑へど、いかでか知らむ。

『よきに奏し給へ、啓し給へ』など言ひても、得たるはいとよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。

春の除目(人事)の頃の宮中は、とても素敵。雪が降ったり氷が張っていたりするのに、人々は申文を持ってあちこちを行ったり来たりする。

位階が四位や五位の若くて気力のある人たちは、とても頼もしげ。

老いて髪の毛が白くなっている人が、女房に取次ぎを頼んだり、また女房の局に立ち寄ったりして、自分が有能で賢い人間なのだと必死で主張するのを、若い女房がモノマネをして笑っているのけれど、本人はそんなことは知らない。

『どうかよろしくお伝え下さい。帝にも中宮様にも』などと頭を下げて頼んでも、官位を得られた人は良いが、手に入れられなかった人は非常に気の毒なものである。

三月三日は

三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。

桃の花の、今咲きはじむる、柳などいとをかしきこそ更なれ。それもまだ、まゆにこもりたるはをかし。

広ごりたるは、うたてぞ見ゆる。

三月三日はうららかに日が照っている。

桃の花も今咲き始め、柳の風情は更に言うまでもない。
それもまだ、芽が出るか出ないかという時期に味わいがある。

葉が開ききってしまうとつまらない。

おもしろく咲きたる桜を長く折りて、大きなる瓶(かめ)にさしたるこそ、をかしけれ。

桜の直衣(なほし)に、出袿(いだしうちき)して、客人(まろうど)にもあれ、御兄の君達にても、そこ近くいて物などうち言ひたる、いとをかし。

美しく咲いた桜を長く手折って、大きな花瓶に挿しているのは、すごく素敵。

桜襲ね(さくらがさね・表は白地で、裏は藍と紅色の重ね着)の直衣に、出袿を掛けた恰好で、中宮定子様の客人やご兄弟の方々が、花瓶の近くに座って話をしているのは、とても素敵。

四月

四月、祭のころ、いとをかし。

上達部、殿上人も、袍(うへのきぬ)の濃き薄きばかりのけぢめにて、白襲(しらがさね)など同じ様に、涼しげにをかし。木々の木の葉、まだいとしげうはあらで、若やかに青みわたりたるに、霞も霧も隔てぬ空の景色の、何となくすずろにをかしきに、少し曇りたる夕つ方、夜など、忍びたる郭公(ほととぎす)の、遠く、そら耳かとおぼゆばかりたどたどしきを聞きつけたらむは、何ごこちかせむ。

四月の葵祭の頃は、とても素敵。

上達部も殿上人も、袍の色が濃いか薄いかという違いがあるだけで、白襲をまとってみんな似たような姿で、涼しげで素敵。木々の葉はまだすっかり茂りきってはいなくて、若々しい青さが広がっている。霞も霧も立っていない晴れた空の景色が、何となく気持ちを浮き立たせて素敵。少し曇った夕方、夜に、遠慮がちに鳴くほととぎすの、空耳かと思えるほどに弱々しく小さな声が遠くで聞こえたら、どんなに素敵な気分かしら。

祭近くなりて、青朽葉(あおくちば)、二藍(ふたあい)の物どもおし巻きて、紙などにけしきばかりおし包みて、行き違ひ持て歩くこそ、をかしけれ。

末濃(すそご)、斑濃(むらご)なども、常よりはをかしく見ゆ。童女(わらわべ)の、頭ばかりを洗ひつくろひて、形(なり)は皆ほころび絶え、乱れかかりたるもあるが、屐子(けいし)、沓(くつ)などに『緒すげさせ、裏をさせ』など持て騒ぎて、いつしかその日にならなむと、急ぎ押し歩くも、いとをかしや。

祭の日が近くなって、青朽葉や二藍の着物地をくるくると巻いて紙にほんの少し包んだのを持って、忙しそうに行き来するのは、素敵。末濃や斑濃の染物も、いつもより素敵に見える。

小さな女の子で、頭だけは綺麗に洗って手入れをして、服装は普段着のままで、綻びの所は大きく裂けてしまって、ボロになりかかった着物を着ている子もいるが、『下駄に鼻緒をつけさせて、靴の裏を打たせて』などと騒いで、早くお祭りの日にならないかなと、急いで押し合いながら歩いている様子も、とても素敵。

清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の

怪しう踊りて歩く者どもの、装束きしたてつれば、いみじく定者(じょうじゃ)などいふ法師のやうに、ねりさまよふ、いかに心もとなからむ。ほどほどにつけて、親・叔母の女、姉などの供し、つくろひて率て歩くもをかし。

普段は粗末な恰好をしている子供でも、祭りの日には晴れ着を着ると、もう定者(じょうじゃ・大法会で香炉を持って前を行く役を務める僧侶)という僧侶のようにその周囲を練り歩いている。心配なのだろう、その子の親や叔母、姉などがついて、子供の身なりを整えながら歩いているのも素敵。

蔵人(くらうど)思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日、青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやとおぼゆれ。綾ならぬは、わろき。

蔵人になりたいと思っている人で、今すぐにはなれない人が、祭りの当日、行列で蔵人のような青色の服を着用したのは、脱がせずそのままにしてあげたいと思ってしまう。その服装が綾(きちんとした織物)じゃないのがイマイチだけど。

同じことなれども、聞き耳異なるもの。

法師の言葉。

男の言葉。
女の言葉。

下衆の言葉にはかならず文字余りたり。

僧侶の言葉。

男の言葉と女の言葉。

下衆の言葉にはいつも余計なひと言が付いている。

思はむ子を法師になしたらむこそ

思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。

ただ木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。

精進物(しょうじんもの)のいとあしきをうち食ひ、い寝る(いぬる)をも。

若きは、物もゆかしからむ。

女などのある所をも、などか忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ。それをも、安からずいふ。

まいて験者(げんじゃ)などは、いと苦しげなめり。

可愛い子供を法師にするのは、気の毒。

人々が坊さんのことを木の切れ端か何かのように取るに足りない存在だと思っていることも、とても可哀想。

精進料理の粗末な食事をして、居眠りしただけでもうるさく叱られる。

若いうちは好奇心もあるだろうに。

女のいるような所を、まるで忌み嫌うようにして全く覗かないなんて。そんなちょっとしたことでも、うるさく言われてしまう。

まして山野で過酷な修行をしている験者などになると、すごく苦しいだけのように見えてしまう。

困(こう)じてうち眠(ねぶ)れば、『ねぶりをのみして』など、もどかる。いと所狭く、いかに思ゆらむ。

疲れてしまって居眠りをすると、『居眠りばかりして』なんて文句を言われる。自分の居場所もないように肩身が狭く感じて、どんなに辛く思っているのかしら。

これは昔のことなめり。今様(いまよう)は、いと安げなり。

まあ、これは昔のことで、今の僧侶はすごく気楽にやっているみたい。

大進生昌(だいじんなりまさ)が家に

大進生昌(だいじんなりまさ)が家に、宮の出でさせ給ふに、東の門は四足(よつあし)になして、それより御輿(みこし)は入らせ給ふ。

平生昌(たいらのなりまさ・正四位下の播磨守)の家に、中宮定子様がおでましになるので、東の門を四足門に改築して、その門から中宮様の御輿がお入りになる。

北の門より、女房の車どもも、まだ陣の居ねば、入りなむと思ひて、頭(かしら)つきわろき人もいたくもつくろはず、寄せておるべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛(びろうげ)の車などは、門小さければ、障りてえ入らねば、例の、筵道(えんどう)敷きておるに、いとにくく腹立たしけれども、いかがはせん。殿上人、地下なるも、陣に立ち添ひて見るも、いとねたし。

女房たちの乗った車も、まだ警護の者たちの詰所が設営されていないから、北の門から入れるだろうと思っていた。髪の毛の状態が良くない女房もあまり髪をつくろわず、建物の近くまで車を寄せて降りられると思っていたのに、大きな檳榔毛(びろうげ)の車なんかは、門が小さくて中に入ることができず、地面に筵道(えんどう)を敷いて降りなければならなくて、とても腹立たしいことだったけど、どうしようもない。殿上人だけではなく下級役人たちまでが、詰所の傍で立って見ているのも癪に障る。

御前(おまへ)に参りて、ありつるやう啓すれば、

(宮)『ここにても、人は見るまじうやは。などかは、さしもうち解けたる』と、笑はせ給ふ。

(清少納言)『されどそれは、目(め)馴れにて侍れば、よくしたてて侍らむにしもこそ、驚く人も侍らめ。さても、かばかりの家に車入らぬ門やはある。見えば笑はん』など言ふほどしも、

(生昌)『これ、まゐらせ給へ』とて、御硯(おんすずり)などさし入る。

中宮様の御前に参上して、事の次第をお伝えすると、

『気を遣わずに済む生昌の家だからといって、人に姿を見られないことなどないでしょう。なぜ気が緩んでいたのです』とお笑いになられた。

(清少納言)『お言葉ですが、見知った者ばかりですのに、私たちが着飾り過ぎていたら、驚かれます。それにしても、これほどの大きなお屋敷に車が入らない小さな門があろうとは。生昌殿の顔が見えれば、からかわなくては』などと言っていると、(生昌がやってきて)

『これを中宮様に差し上げて下さい』と言って、硯などを御簾の中に差し入れてきた。

同じ局に住む若き人々などして、よろづの事も知らず、ねぶたければ皆寝ぬ(いぬ)。東の対(たい)の西の廂(ひさし)、北かけてあるに、北の障子に懸金(かけがね)もなかりけるを、それも尋ねず、家主なれば、案内を知りてあけてけり。

同じ部屋の若い女房たちと一緒に、何も気にせず、睡魔に負けて皆寝てしまった。私たちの局は、東の対の屋の西の廂の間であり、北側の部屋に続いていたが、その間にある襖には鍵がかからないのに、家主の生昌は勝手を知っていて、私たちの眠り込んでいる局につながる襖を開けてしまった。

あやしく涸(か)ればみさわぎたる声にて、

(生昌)『候はむ(さぶらわん)はいかに、候はむはいかに』

と、数多(あまた)たびいふ声にぞ、驚きて見れば、几帳(きちょう)の後に立てたる燈台の光はあらはなり。障子を五寸ばかりあけて言ふなりけり。

いみじうをかし。更にかやうの好き好きしきわざ、ゆめにせぬものを、わが家におはしましたりとて、無下(むげ)に心にまかするなめりと思ふも、いとをかし。

妙にしわがれた騒がしい声で、

『そちらに伺ってもよろしいでしょうか。そちらに伺ってもよろしいでしょうか』

と何回も言うので驚いて見ると、几帳の後ろに立てた燈台の光が、向こう側を明るく照らしている。障子を15cm(五寸)ほどだけ開けてこちらに声を掛けているの。

すごく笑える。こんなナンパなことは、絶対にしない男なのに、中宮様が自分の家においでになったという栄誉に浮かれ、調子に乗っていると思うと、ほんと笑える。

傍ら(かたわら)なる人をおし起こして、

(清少納言)『かれ見給へ。かかる見えぬもののあめるは』

と言へば、頭もたげて見やりて、いみじう笑ふ。

近くで寝ていた女房たちを揺すって起こして、

(清少納言)『あちらをご覧になって。不審者がいるわ。』

と言うと、女房は頭をもたげてそちらを見て、すごく笑う。

(清少納言)『あれは誰そ。けそうに』と言へば、

(生昌)『あらず、家主(いえあるじ)と局主(つぼねあるじ)と定め申すべき事の侍るなり』と言へば、

『門の事をこそ聞えつれ、障子開け給へ、とやは聞えつる』と言へば、

『なほその事も申さむ。そこに侍はむはいかに。そこに侍はむはいかに』と言へば、

(女房)『いと見苦しきこと。更にえおはせじ』とて笑ふめれば、

『若き人おはしけり』とて、引き立てて去ぬる(いぬる)後に、笑ふこといみじう。

『あれは誰なの。懸想しているのかしら』と言うと、
(生昌)『違うんです。この家の主として、この部屋の責任者であるあなたに相談したいことがあるのです』と言う。
(清少納言)『さっき門の話はしたけど、障子を開けてくださいだなんて言いましたっけ?』と言うと、
(生昌)『実はそのことについても申し上げたいことがあります。そちらに伺ってもよろしいでしょうか、そちらに伺ってもよろしいでしょうか』と言う。(近くにいる女房)『すごく見苦しい。ダメに決まっているじゃないの』と言って笑うと、
『若い女性がいらっしゃったのですね』と言って、障子を閉めて生昌は立ち去った後、
(清少納言と女房は)笑いが止まらなかった。

あけむとならば、ただ入りねかし、消息を言はむに、よかなりとは誰か言はむと、げにぞをかしき。

障子を開けるくらいなら、黙って部屋に入ってくればいい、入ってもいいかと聞かれて、いいなんて誰も言わないのに、ほんと笑える。

つとめて、御前に参りて啓すれば、

『さる事も聞えざりつるものを。昨夜(よべ)のことに愛でて行きたりけるなり。あはれ、彼をはしたなう言ひけむこそ、いとほしけれ』とて、笑はせ給ふ。

翌朝、中宮様の御前に参上して、生昌の深夜の来訪についてお伝えすると、

『そんな遊び人のような噂は全く聞かない方なのに。昨夜のあなたの切り返しに感心して局まで押しかけたのでしょう。気の毒に、彼をいじめては可哀想よ』とおっしゃってお笑いになられた。

姫宮の御方の童女(わらわべ)の装束つかうまつるべきよし、仰せらるるに、

(生昌)『この袙(あこめ)の上襲(うわおそい)は、何色にか、つかうまつらすべき』と申すを、また笑ふもことわりなり。

脩子内親王(しゅうしないしんのう・一条天皇の第一皇女)に仕える女の子の着物を新調するようにと、中宮様が仰せられると、

(生昌)『この袙(あこめ)の上っ張りはどのような色にしたらよろしいでしょうか』なんて言うので、また笑いものになるのも仕方ない。

(※注…汗衫(かざみ・女児の上着)という単語を知らなかった)

(生昌)『姫宮の御前の物は、例のやうにては、悪気(にくげ)に候はむ。ちうせい折敷(おしき)に、ちうせい高杯(たかつき)などこそ、よくはべらめ』と申すを、

(清少納言)『さてこそは、上襲(うわおそい)着たらむ童女も、参りよからめ』と言ふを、

(宮)『なほ、例の人のやうに、これかくな言ひ笑ひそ。いと謹厚なるものを』と、いとほしがらせたまふも、をかし。

(生昌)『姫宮の御膳の食器は、大人と同じいつものものでは使いにくいでしょう。ちんめえ折敷とちんめえ高杯のほうがよろしいかと』と言うのを、

(清少納言)『それなら、上っ張りを着た童女もお仕えしやすいでしょうね』と皮肉を言うと、

(中宮様)『これ普通の人のように、生昌を笑いものにしちゃダメよ。こんなに生真面目な方なのに。』と言って気の毒がられるのも、素敵。

中間なるをりに、

『大進、まづもの聞えむ、とあり』と言ふを聞こし召して、

『また、なでふこと言ひて笑はれむとならん』と仰せらるるも、またをかし。

『行きて聞け』と、のたまはすれば、わざと出でたれば、

『一夜の門のこと、中納言に語り侍りしかば、いみじう感じ申されて、「いかでさるべからむをりに、心のどかに対面して申しうけたまはらむ」となむ、申されつる』とて、また異事(ことこと)もなし。

合間の時間に、

(生昌)『大進生昌が、どうしても清少納言に申し上げたいことがあるって』と言う取次役の女房の声をお聞きになって、

中宮様が『また、何を言って笑いものになろうとしてるのかしら』とおっしゃるのも、また素敵。

『行って用件を聞いてきなさい』とおっしゃるので、わざわざ行くと、

『あの一夜の門の話を、中納言(生昌の異母兄・惟仲)に語ったところ、大層感心しまして、「なんとか機会を設けて、ゆっくりと会って語らいたいものだ」と申していました』だって、それ以外の用件があるわけでもない。

一夜のことや言はむと、心ときめきしつれど、

『今静かに、御局(おつぼね)にさぶらはむ』とて去ぬれば、帰り参りたるに、

『さて、何事ぞ』と、のたまはすれば、申しつる事を、さなむと啓すれば、

『わざと消息し、呼び出づべきことにはあらぬや。おのづから端つ方、局などにゐたらむ時も言へかし』とて笑へば、

『おのが心地に賢しと思ふ人のほめたる、嬉しとや思ふと、告げ聞かするならむ』とのたまはする御気色(おんけしき)も、いとめでたし。

あの夜の夜這いのことでも言い出すのだろうかとドキドキしたけど、

『ではこれで。そのうちまたお部屋に伺いますので』と去っていったので、中宮の御前に戻ったら、

(中宮様)『どんな話だったの』と仰るので、生昌の申し上げた内容をお伝えすると、

(女房たち)『わざわざ訪ねてきて、呼び出すほどの用件ではないわ。中宮様の御前に仕えていない時とかお部屋に下がっている時に言えばいいのに』と笑ったが、

(中宮様)『自分の尊敬する人(兄・惟仲)に褒められて、清少納言も嬉しがるに違いないと思って、告げにやってきたのでしょう』とおっしゃるご様子も、本当にご立派だ。

上に侍ふ御猫は

上に侍ふ御猫は、かうぶり得て命婦(みょうぶ)のおとどとて、いみじうをかしければ、寵(かしづ)かせ給ふが、端に出でて臥したるに、

乳母の馬の命婦、『あな、まさなや、入り給へ』と呼ぶに、日のさし入りたるに、眠りてゐたるを、おどすとて、

『翁丸(おきなまろ)、いづら。命婦のおとど食へ』と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえ惑ひて、御簾の内に入りぬ。

帝が飼っておられる猫は、五位の位階を与えられて『命婦のおもと』と呼ばれ、とても可愛らしいので、帝もいつも可愛がっておられるが、その猫が縁側で寝ているので、

お世話係の馬の命婦が、『あら、いけません。部屋に入りなさい』と呼んでいる。日差しを浴びて眠っている猫を、おどかしてやろうとして、

(馬の命婦)『翁丸(犬の名前)、どこにいるの。命婦のおもとに噛みつきなさい』と言ったら、本気で噛めと言われていると勘違いした愚かな翁丸が走りかかったので、命婦のおもとは怯えて、御簾の中に入ってしまった。

朝餉(あさがれひ)の御間に上おはしますに、御覧じていみじう驚かせ給ふ。

猫を御懐に入れさせ給ひて、男ども召せば、蔵人忠隆(くろうど・ただたか)、なりなか、参りたれば、

『この翁丸、打ち調じて、犬島へつかはせ、只今』と仰せらるれば、集まり狩り騒ぐ。

ちょうど御朝食の間に帝がいらっしゃった時で、この様子をご覧になってとても驚かれた。

猫をお懐にお入れになって、蔵人(秘書)をお呼び出しになられた。蔵人の忠隆(源忠隆)となりなか(詳細不明)が帝の御前に参上すると、

『この翁丸の犬を、打ち据えて罰し、犬島に流刑にしてしまえ、今すぐにそうせよ』とおっしゃるので、みんなが集まって翁丸を捕まえるために騒がしくなった。

馬の命婦をもさいなみて、

『乳母かへてむ、いとうしろめたし』と仰せらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、瀧口(たきぐち)などして、追ひつかはしつ。

帝は馬の命婦もお叱りになり、

『猫の世話係の乳母を変えよう。このままだと安心できない』とおっしゃるので、馬の命婦は御前に顔も出すこともできない。犬はみんなで狩りをして捕まえた、瀧口の武士(たきぐちのぶし・警護役)などによって追放された。

『あはれ、いみじうゆるぎ歩きつるものを。三月三日、頭の弁の柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桜、腰にさしなどして、ありかせ給ひしをり、かかる目見むとは思はざりけむ』など、あはれがる。

『可哀想に、翁丸はあんなに威張ってこの辺をのし歩いていたのに。三月三日の時には、頭の弁(蔵人頭・くろうどのとう・秘書長官)が柳で(翁丸の)頭を飾り、桃の花を首に掛けて、桜を腰に差したりして練り歩いていた時は、こんな酷い目に遭うなんて思ってもいなかったでしょうね』と、哀れんだ。

『御膳(おもの)のをりは、かならず向ひさぶらふに、さうざうしうこそあれ』など言ひて、三、四日になりぬる昼つ方、犬いみじう鳴く声のすれば、なぞの犬のかく久しう鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬、とぶらひ見に行く。御厠人(みかわやうど)なるもの走り来て、『あないみじ。犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。犬を流させ給ひけるが、帰りまゐりたるとて、調じ給ふ』と言ふ。

『中宮様のお食事の時には、いつも庭に来ていたのに、いなくなると淋しいわね』なんて言って、3~4日経った昼頃、犬がすごく鳴く声がするので、どうして犬がこんなに長く鳴くのだろうと思っていると、御所にいる犬たちが様子を見るために駆け寄っていく。御厠人の女たちも走ってきて、『まぁ、大変なことです。蔵人が2人がかりで犬を打ちのめしております。死んでしまいます。流罪にした犬が帰ってきたということで懲罰しているのです。』と言う。

心憂(う)のことや、翁丸なり。

『忠隆(ただたか)、実房(さねふさ)なんど打つ』と言へば、制しに遣るほどに、辛うして鳴きやみ、『死にければ陣の外に引き捨てつ』と言へば、あはれがりなどする夕つかた、いみじげに腫れ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、『翁丸か。このころ、かかる犬やはありく』と言ふに、『翁丸』と言へど、聞きも入れず。

心配になってしまう、翁丸じゃないかしら。

『忠隆、実房(藤原実房・ふじわらのさねふさ・六位蔵人)などが犬を打ちのめしている』と言うので、止めるために使いを送ると、やっと犬の鳴き声がやみ、(使いが戻ってきて)『死んでしまったので、御門の外に放り捨ててしまいました。』と言うので、可哀想に思っていたその夕方のこと、酷く体が腫れあがり、惨めな格好をした犬が、みすぼらしく、よろよろとして歩いているので、『翁丸かしら。最近、こんな犬がいたかしら』というと、『翁丸』と呼びかけたけれど見向きもしない。

『それ』とも言ひ、『あらず』とも口々申せば、

(宮)『右近ぞ見知りたる。呼べ』とて、召せば、参りたり。

『これは翁丸か』と見せさせ給ふ。

(右近)『似ては侍れど、これはゆゆしげにこそ侍るめれ。また「翁丸か」とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。それは、「打ち殺して捨て侍りぬ」とこそ申しつれ。二人して打たむには、侍りなむや』など申せば、心憂(う)がらせ給ふ。

『翁丸よ』という女房もいれば、『あれは違うわよ』という女房もいるが、

(中宮様)『右近内侍(うこんのないし・女房の名前)なら分かるわ。呼びなさい』とおっしゃるので、呼び出すと、(右近が)参上した。

『これは翁丸かしら』とその犬をお見せになられた。

(右近)『似てはございますが、この犬はあまりにもみすぼらしい有様です。それに「翁丸」と呼びかければ喜んでやってくるはずなのですが、この犬は呼んでもやって来ません。やはり違う犬でしょう。先ほどの犬は「打ち殺して死骸は門の外に投げ捨てた」ということでした。二人で打ったのであれば生きていないでしょう。』と申し上げたので、中宮様はお心を傷められた。

暗うなりて、もの食はせたれど食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬる。

つとめて、御梳櫛(おけずりぐし)、御手水(ごちょうず)などまゐりて、御鏡もたせさせ給ひて御覽ずれば、侍ふに、犬の柱のもとに居たるを見やりて、

暗くなって、エサを食べさせようとしたけど食べないので、これはやはり違う犬だったのだという事にしてしまった。

翌朝、中宮が髪を整え、顔をお洗いになる時、私に鏡をお持たせになって御覧になるので、お側に付いていたが、昨夜の犬が柱のところに居るのを見て、

(清少納言)『あはれ昨日、翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらん。いかにわびしき心地しけむ』と、うち言ふに、この居たる犬のふるひわななきて、涙をただ落しに落とすに、いとあさまし。

さは、翁丸にこそはありけれ。

昨夜は隠れ忍びてあるなりけりと、あはれに添へて、をかしきこと限りなし。御鏡うち置きて、『さは翁丸か』と言ふに、ひれ伏して、いみじう鳴く。

御前にも、いみじうおち笑はせ給ふ。

(清少納言)『可哀想に、昨日は翁丸を酷く打ったものよ。

死んでしまうなんて、すごく可哀想。今度は何に生まれ変わったのでしょう。

どれほど辛かったことか。』と言うと、そこにいた犬が身体をぶるぶると震わせて、ポロポロと涙を落としたので本当に驚いてしまった。やはり翁丸だったのだ。昨夜は素性を隠して耐えていたのだと思うと、その哀れさに加えて、人間のような(自分の素性を隠す)深い考えがあることに関心させられる。鏡を下に置いて、『お前は翁丸か。』と言うと、地面にひれ伏して、激しく鳴く。

中宮様も、満面の笑みをお見せになる。

右近内侍(うこんのないし)召して、

(宮)『かくなむ』と仰せらるれば、笑ひののしるを、上にも聞し召して、渡りおはしましたり。

(帝)『あさましう、犬などもかかる心あるものなりけり』と笑はせ給ふ。

上の女房なども聞きて参り集りて呼ぶにも、今ぞ立ち動く。

右近内侍をお呼び出しになられて、

『こうなのよ』とおっしゃると、女房たちも騒いで笑ったが、帝までもその騒動をお聞きになり、中宮の部屋にいらっしゃった。

(帝)『驚いた、犬でもこのような心があるものなんだね』とお笑いになった。

帝にお仕えしている女房たちもその話を聞いて集まってきたが、名前を呼ぶと今度は元気に跳ねまわった。

(清少納言)『なほこの顔などの腫れたる、ものの手をせさせばや』と言へば、

(女房)『終にこれを言ひあらはしつること』など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所(だいばんどころ)の方より、

『まことにや侍らむ。かれ見侍らむ』と言ひたれば、

『あなゆゆし、さる者なし』と言はすれば、

『さりとも、見つくる折もはべらむ。さのみも、え隠させ給はじ』と言ふ。

(清少納言)『まだ顔が腫れ上がっているから、何とか手当をして上げたいものだわ』と言うと、

(女房たち)『ついにあなたは翁丸の正体を見破ったわね』と言って笑っている。蔵人の忠隆も話を聞きつけて、裏の台盤所のほうから、

『その犬が翁丸であるという話は本当でしょうか。どれ見せて下さい。』と申してきたので、

『あぁ、とんでもない。そんな犬はいません。』と取次の者に言わせたが、

(忠隆)『そんなことをおっしゃっても、私がその犬を見つけてしまう時もあるでしょう。隠そうとしても、隠しきれるものではありませんよ。』と言う。

さて畏り許されて、もとのやうになりにき。

猶あはれがられて、ふるひ鳴き出でたりしこそ、世に知らずをかしくあはれなりしか。

人などこそ、人に言はれて泣きなどはすれ。

そして翁丸は帝から許されて、元のように暮らせることになったのだった。

翁丸が憐れまれ、震えながら泣きだした様子は、この上なく素敵で感動した。

人間であれば、人からあたたかい言葉をかけられて泣いてしまうこともあるけれど。

正月一日

正月一日、三月三日は、いとうららかなる。

正月一日、三月三日は、すごくうららかなの(が、素敵)。

五月五日は

五月五日は、曇り暮らしたる。

五月五日は、一日中曇ったまま過ごの(が、素敵)。

七月七日は

七月七日は、曇り暮らして、夕方は晴れたる空に、月いと明く、星の数も見えたる。

七月七日は、昼は曇っていて、夕方になって晴れてきた空に、月がすごく明るくて、沢山の数の星も見えの(が、素敵)。

九月九日は

九月九日は、暁方(あかつきがた)より雨少し降りて、菊の露もこちたく、おほひたる綿などもいたく濡れ、うつしの香ももてはやされたる。つとめては止みにたれど、なほ曇りて、ややもせば降り落ちぬべく見えたるも、をかし。

九月九日は、明け方から雨が少し降って、菊の花に露がたっぷり降りて、菊の着綿(きくのきせわた・菊の花に黄色の真綿を被せて、朝露を含んだ綿で体を拭くと無病でいられるという習慣があった)も滴るほど濡れて、花の移り香がいっそう強くなってるの。朝には雨も止んだけれど、まだ曇っていてすぐにも降り始めそうに見えるのも、素敵。

よろこび奏するこそ

よろこび奏するこそ、をかしけれ。後(うしろ)をまかせて、御前の方に向ひてたてるを。拝し舞踏しさわぐよ。

昇進の喜びを天皇に奏上してるのは、素敵。下襲(したがさね・アウターとインナーの間に着るトップス)の裾を後ろに長く曳いて、帝の御前に向かって立っているの。帝に拝礼して喜びの所作を舞っているのも。

今内裏(いまだいり)の東をば

今内裏(いまだいり)の東をば、北の陣といふ。楢(なら)の木の遙に高きを、『幾尋(いくひろ)あらん』など言ふ。

今内裏の東の門を、北の陣と呼んでいる。ナラの木が高くそびえているのを、『どどれくらいあるのかしら』などと言い合っていた。

権中将、『もとより打ち切りて、定澄僧都(じょうちょうそうづ)の枝扇にせばや』とのたまひしを、山階寺(やましなでら)の別当になりてよろこび申す日、近衛司にてこの君の出で給へるに、高き屐子(けいし)をさへはきたれば、ゆゆしく高し。

権中将(源成信・みなもとのなりのぶ・「照中将」「無双美男」と称された美男子)が『根元からこの木を切って、定澄僧都(じょうちょうそうず・長身で有名だった)の扇子にすれば』とおっしゃっていたところ、(定澄僧都が)奈良の興福寺の別当(べっとう・長官)に任命されて朝廷にお礼を申し上げに行く日、近衛府の代表として権中将も出席していたが、(僧都は)高い下駄を履いていたので、いつもより更に背が高く見えた。

出でぬる後に、(清少納言)『など、その枝扇はもたせ給はぬ』といへば、(中将)『もの忘れせぬ』と笑ひ給ふ。

僧都が退出してから、(清少納言)『どうして先日言っていた枝扇を持たせて上げなかったのですか。』と言うと、(権中将)『よく覚えてたね。』とお笑いになった。

『定澄僧都に袿(うちぎ)なし、すくせ君に袙(あこめ)なし』と言いけむ人こそ、をかしけれ。

『定澄僧都に似合う袿(うちぎ・ロングコートのようなアウター)は無い、すくせ君(詳細不明)に似合う袙(あこめ・女児の中着)は無い』とは誰が言ったのだろう、面白い。

山は

山は小倉山。鹿背山(かせやま)。三笠山。このくれ山。いりたちの山。忘れずの山。末の松山。かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。五幡山(いつはたやま)。かへる山。後瀬(のちせ)の山。朝倉山、よそに見るぞをかしき。おほひれ山もをかし。臨時の祭の舞人などの思ひ出でらるるなるべし。三輪の山、をかし。手向山(たむけやま)。待兼山(まちかねやま)。玉坂山。耳成山。

山といえば、小倉山。鹿背山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。忘れずの山。末の松山。かたさり山というのは、遠慮する山という意味なのだがいったいどんな山なのだろうかと考えるのも面白い。五幡山。かへる山。後瀬の山。朝倉山、「もう他人(昔見し人をぞ我はよそに見し 朝倉山の雲居はるかに・昔の恋人も今は他人だ、という歌)」ってフレーズが素敵。大比礼山(おおひれやま・雅楽の東遊びの終わりに歌われる歌謡と同名の山・場所は不詳)も素敵。臨時の祭の舞人のことが思い出されるからかしら。三輪の山も素敵。手向山。待兼山。玉坂山。耳成山。

市は

市は辰(たつ)の市。里の市。海石榴(つば)市、大和に数多ある中に、長谷寺にまうづる人のかならずそこに泊まるは、観音の御縁のあるにやと、心異(こと)なり。をふさの市。飾磨(しかま)の市。飛鳥の市。

市といえば、辰の市(たつのいち・奈良県奈良市)。里の市。海石榴市(つばいち・奈良県桜井市)、大和国に多くある市の中でも、長谷寺に参詣する人が必ず泊まるのは、観音様の御縁があるからなのかと思うと軽々しくは扱えない。をふさの市。飾磨の市(しかま・兵庫県姫路市)。飛鳥の市(あすか・奈良県明日香村)。

峰は

峰は、ゆづる葉の峰。
阿弥陀の峰。
弥高(いやたか)の峰。

峰といえば諭鶴羽山(ゆづるはさん・兵庫県南あわじ市。兵庫県宝塚市の譲葉山との説も)の峰、阿弥陀ヶ峰(あみだがみね・京都市東山区)、弥高の峰(いやたかのみね・兵庫県。滋賀県との説も)。

原は

原は瓶(みか)の原。
朝(あした)の原。
園原。

原といえば、瓶原(みかのはら・京都府木津川市)、朝原(あしたのはら・奈良県王寺町)、園原(そのはら・長野県阿智村)。

淵は

淵は、かしこ淵は、いかなる底の心を見て、さる名を付けけむと、をかし。
な入りその淵、誰にいかなる人の教へけむ。
青色の淵こそ、をかしけれ。
蔵人などの具にしつべくて。
隠れの淵。
いな淵。

淵といえば、かしこ淵(場所は不詳)というのは、どんな淵の底を見てその名を付けたのかしら、おもしろい。な入りその淵(ないりそ・立入禁止の意味・大阪府大東市)は、誰にどんな人が名前を教えたのだろう。
青色の淵(場所は不詳)も素敵な名前だ。蔵人が着ていそうな色だし。隠れの淵(場所は不詳)。いな淵(奈良県明日香村)。

海は

海は水うみ。
与謝の海。
かはふちの海。

海といえば琵琶湖、与謝の海(京都府の宮津湾)、かはふちの海(大阪湾か)。

山陵(みささぎ)は

山陵(みささぎ)はうぐひすの陵(みささぎ)。
柏木の陵。
あめの陵。

天皇陵といえば鶯塚古墳(うぐいすづかこふん・奈良県奈良市)、かしはぎの陵(場所は不詳)、あめの陵

渡りは

渡りはしかすがの渡り。
こりずまの渡り。
水はしの渡り。

渡し場といえば然菅の渡り(しかすが・愛知県豊橋市)、こりずまの渡り(兵庫県神戸市須磨区)、みづはしの渡り(富山県富山市)。

たちは

たちはたまつくり。

太刀といえば玉造鍛冶(たまつくりかじ・宮城県大崎市)。

家は

家は近衛の御門(みかど)。
二条。
みかゐ。
一条もよし。
染殿(そめどの)の宮。
せかゐ。菅原の院。
冷泉院(れいぜいいん)。
閑院。
朱雀院。
小野宮。
紅梅。
県(あがた)の井戸。
竹三条。
小八条。
小一条。

建築といえば陽明門(ようめいもん・大内裏の東の門)、二条院、みかゐ(不詳)。一条院も素敵。藤原良房邸、清和院(せいわいん)、菅原道真邸、冷泉院(れいぜいいん)、藤原冬嗣邸、朱雀院、惟喬親王邸、紅梅殿、井戸殿、竹三条、小八条、小一条。

清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の

清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の、北の隔てなる御障子には、荒海の絵、生きたるものどもの恐ろしげなる、手長足長などをぞ、描きたる。

上の御局(みつぼね)の戸を、押しあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。

清涼殿(せいりょうでん・内裏にある天皇の普段の居所)の東北の隅の、北側との隔てになっている障子には、荒海の絵で、恐ろしい姿をした生き物である手長・足長などの絵が描いてある。

上の御局の戸はいつも開け放しているので、いつでも視界に入ってしまうので嫌だなあと言いながら笑い合っていた。

高欄(こうらん)のもとに、青き瓶(かめ)の大きなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外(と)まで咲きこぼれたる昼つ方、大納言殿、桜の直衣(なおし)の少しなよらかなるに、濃き紫の固紋の指貫(かたもんのさしぬき)、白き御衣(おんぞ)ども、上に濃き綾のいとあざやかなるを出だして参り給へるに、上の、こなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷に居給ひて、ものなど申し給ふ。

高欄(こうらん・簀子、手すり)の下に、青くて大きな瓶(かめ)を置いて、桜の、見事に咲いた枝の、1.5mくらいのを、すごく沢山差して、高欄の外まで(桜が)咲きこぼれている(ような、そんなうららかな)昼の日に、大納言様(藤原伊周・ふじわらのこれちか・中宮定子の兄)が桜色の直衣(のうし・皇族や貴族の平服)のやや着慣らしたのに、濃紫の固紋(かたもん・綾地の横糸に縦糸を絡めて固く織り出す紋様)の指貫(さしぬき・袴)、白い服の上にとても鮮やかな濃い綾を重ね着してお出ましになった。一条天皇がちょうどいらっしゃっていたので、戸口の前の狭い板敷きに控えて何かを申し上げていらっしゃる。

御簾の内に、女房、桜の唐衣(からぎぬ)どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤山吹など色々このましうて、あまた、小半蔀(こはじとみ)の御簾より押し出でたるほど、昼の御座(ひのおまし)の方には、御膳(おもの)まゐる足音高し。

御簾の中には、女房たちが桜襲ね(さくらがさね・表は白地で、裏は藍と紅色の重ね着)の唐衣(からぎぬ・十二単の一番上に着る丈の短い衣)をゆったりと着て、藤(表が薄紫、裏は深緑色の重ね着)や山吹(表は橙色、裏は黄色の重ね着)などの重ね着を色々と趣向を凝らして、小半蔀(こはじとみ・吊り下げ窓)の御簾から皆が袖などを見せている。

警ひちなど、『をし』と言ふ声聞ゆるも、うらうらとのどかなる日の景色など、いみじうをかしきに、果の御盤(ごばん)取りたる蔵人参りて、御膳奏すれば、中の戸より渡らせ給ふ。御供に、庇より大納言殿御送りに参り給ひて、ありつる花のもとに帰り居給へり。

帝の昼間の御在所の方には、御膳を運んで配膳している蔵人たちの足音が高らかに聞こえる。先払いの『を、し』という警ひつの声なども聞こえてくるのも、うららかでのどかな春の情景で、とても素敵。最後の食器を運び終えた蔵人がこちらへと参上して、御用意ができましたと奏上するので、(帝は)中の戸を通って昼の御前にいらっしゃった。帝のお供をしている大納言様は庇の間を通ってお送り申し上げ、先ほどの桜の差してある瓶の所に戻ってお座りになった。

宮の御前の、御几帳押しやりて、長押(なげし)のもとに出でさせ給へるなど、何となくただめでたきを、さぶらふ人も思ふことなき心地するに、

『月も日もかはりゆけども久に経る三室(みむろ)の山の』

といふ言を、いとゆるるかにうち出だし給へる、いとをかしう覚ゆるにぞ、げに、千年もあらまほしき御有様なるや。

中宮様が御几帳を押しやって、御簾のお近くまでいらっしゃっているご様子は、この上なく素晴らしいので、お仕えしている女房たちもただただうっとりしているところに、

(大納言様)『月も日もかはりゆけども久に経る三室(みむろ)の山のへ「月も日もかはりゆけども久にふる三室の山の…(月日は移っても奈良の三室山の離宮は変わらない)』

という古歌を、すごくゆっくり吟じられる。すごく素敵でたまらない、本当に、千年もこのままでいて欲しいと思わせられるような中宮様の素敵なご様子だ。

陪膳(はいぜん)つかうまつる人の、男(をのこ)どもなど召すほどもなく、わたらせ給ひぬ。「御硯の墨すれ」と、仰せらるるに、目は空にて、唯おはしますをのみ見奉れば、ほとど継ぎ目も放ちつべし。白き色紙(しきし)おしたたみて、「これに、ただ今覚えん古き事、一つづつ書け」と仰せらるる。

お食事の配膳をする係の者が、食膳を下げる男たち(蔵人)を呼ぶ間もなく、(帝は)こちらにお戻りになられた。(中宮様)「硯の墨をすりなさい」とおっしゃったが、私はうっとりして、ただ(美しい中宮様の)お姿ばかり拝見しているので、墨ばさみと墨の継ぎ目をあやうく取り外してしまいそうになった。(中宮様は)白い紙を折り畳んで、「これに、今思い浮かぶ古い歌を、一つずつ書いてみなさい」とおっしゃった。

外(と)に居給へるに、(清少納言)「これは、いかが」と申せば、(伊周)「疾う書きて参らせ給へ。男は言(こと)加へ侍ふべきにもあらず」とて、さし入れ給へり。御硯とりおろして、「とくとく、ただ思ひまはさで、難波津(なにわづ)も何も、ふと覚えん言を」と責めさせ給ふに、などさは臆せしにか、すべて面(おもて)さへ赤みてぞ思ひ乱るるや。

御簾の外にいらっしゃる大納言様に、「これはどうしたらよろしいでしょうか」と申すと、(伊周大納言)「早く歌を書いて差し上げなさい。男性が口を挟む問題ではないので。」と言って、紙を差し戻された。中宮様はお硯を突きつけるようにして、「早く早く。深く考えないで、難波津(難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花・誰でも知っている和歌だった)でも何でもいいから、思いついた歌を」と強く要求なさってくるので、どうしたことか臆病になってしまって、もう顔が真っ赤になってしまってうろたえてしまった。

春の歌、花の心など、さ言ふ言ふも、上臈(じょうろう)二つ三つばかり書きて、「これに」とあるに、

春の歌だとか花(桜)に心を寄せた歌だとかを、上級の女官たちが2つ3つと書いたあと、「ここに」と中宮様から紙を差し出されたので、

年経れば齡(よわい)は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし

年経れば齡(よわい)は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし(年を重ねて年老いたけれど、花を見れば辛く思うこともない)

という言を、「君をし見れば」と書きなしたる、御覧じくらべて、

(宮)「ただこの心どものゆかしかりつるぞ」と、仰せらるるついでに、

「円融院の御時に、草子に『歌一つ書け』と仰せられければ、いみじう書きにくう、すまひ申す人々ありけるに、『さらにただ、手のあしさよさ、歌のをりにあはざらむも知らじ』と仰せらるれば、わびて皆書きけるなかに、ただ今の関白殿、三位の中将と聞えける時、

という歌を、「君をし見れば(中宮様を見れば)」と書き換えてみた。中宮様は歌を御覧になって色々と比べて、

「私はただあなたたちの咄嗟の機転を見てみたかったの」とおっしゃる。ついでに、

「円融院(えんゆういん・一条天皇の父)の御代に、(当時帝であった円融院が)草子を差し出されて、『これに歌を一つずつ書け』とおっしゃったのだけど、尻込みして、何も書かずに辞退してしまう家臣が多かったの。(帝)『別に字が下手でも、季節外れの歌でも構わないから』とおっしゃるので、困りながらも皆が書いた歌の中に、今の関白様(藤原道隆・ふじわらのみちたか・中宮定子の父)がまだ三位の中将であった時、

潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふはやわが

潮の満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふはやわが(潮が満ちる 「いつもの浦」 のように、いつもいつもあなたのことを深く思う)

といふ歌の末を、『頼むはやわが』と書き給へりけるをなむ、いみじうめでさせ給ひける」など、仰せらるるにも、すずろに汗あゆる心地ぞする。

若からむ人は、さもえ書くまじき事のさまにや、などぞ、覚ゆる。

例いとよく書く人も、あぢきなう皆つつまれて、書きけがしなどしたるもあり。

という恋の歌の終わりを、『頼むはやわが(帝のご恩寵を頼りにしています)』と書き直したのを、(当時帝であった円融院は)すごくお褒めになたの」などとおっしゃっるので、(私は)冷や汗をかくような心地がした。

年の若い女房であれば、このように歌を書くことはできなかっただろうと思われる。

いつもは美麗に書き上げる人も、あの場では緊張してしまって、書き損じてしまった人などもいる。

古今の草子を御前に置かせ給ひて、歌どもの本を仰せられて、(宮)「これが末、いかに」と問はせ給ふに、すべて夜昼心にかかりておぼゆるもあるが、げによう申し出でられぬは、いかなるぞ。

宰相の君ぞ、十ばかり、それも、おぼゆるかは。

まいて五つ六つなどは、ただ覚えぬよしをぞ啓すべけれど、「さやは、けにくく、仰せ事を映え(はえ)なうもてなすべき」と、わび口をしがるも、をかし。

(中宮様は)古今和歌集を御前にお置きになり、歌の上の句を詠まれてから「下の句は何?」とお尋ねになる。いつも昼夜を問わずしっかり覚えているはずの歌が、上手く下の句を思い出せずお答え出来ないなんてどうしてかしら。

宰相の君(さいしょうのきみ・女房のひとり)は10首くらいはお答えになられたけど、それでも十分な数とは言えない。

まして5つ6つ程度であれば、答えない方がマシだけど、「それではあんまりというもの。聞かれたことを無視するわけにもいきませんから」と惜しがっているのもおかしい。

1 2 3 4