22歳 4浪後千葉大学園芸学部へ入学
26歳 大学卒業後は働かず独学で約2年、英語を勉強。3DKの自宅マンションは親が所有するもので家賃はタダだった。月々の仕送りが15万円でアルバイトはしていなかった。
28歳 事件を起こす
初公判
裁判長「それでは開廷します。被告人は証言台の前に来てください」
被告「はい」
《市橋被告が小さな声を上げ、中央の証言台の前に立つ。人定質問が始まる》
裁判長「名前は?」
被告「市橋達也です」
《市橋被告はか細い声で答える》
裁判長「生年月日は?」
被告「昭和54年1月5日です」
《堀田裁判長は本籍地や住所を確認した上で続ける》
裁判長「職業は?」
被告「ありません」
被告「私はリンゼイさんに対して殺意はありませんでした。しかしリンゼイさんの死に対し、私にはその責任があります。私はその責任は取るつもりです」
「リンゼイさんを姦淫したのは私です。リンゼイさんに怖い思いをさせて死なせてしまったのは私です。本当に申し訳ありませんでした」
裁判長「少し確認しますが殺意はなかったということですね」
被告「はい」
裁判長「あなたの行為によって死亡したことは認めますか」
被告「はい」
裁判長「それから姦淫したことは認めますね」
被告「はい」
検察官「被告は26歳で大学を卒業して、事件当時は28歳で無職でした」
《検察官はまず市橋被告とリンゼイさんの略歴について簡単に説明する。リンゼイさんは1984(昭和59)年12月にイギリスで次女として生まれ、大学では生物学を学んだ。日本で英会話教師になるために平成18年10月に来日した》
検察官「続いて犯行のいきさつについてです。19年3日20日から21日に日付が変わったころの夜、東京メトロ東西線の行徳駅から西船橋駅に向かう電車の中で、市橋被告はリンゼイさんのことをじっと見つめていました。リンゼイさんが自宅最寄りの西船橋駅で降りたら市橋被告も降り、自転車で帰宅するリンゼイさんを走って追いかけました」
「市橋被告は『水を飲ませてほしい』という口実で家に上がり込みました。家には同居人の○○さん(法廷では実名)がいました。リンゼイさんと○○さんは市橋被告に早く帰ってほしいと思っていましたが、市橋被告は居座りました。市橋被告は『英語を教えてほしい』といい、リンゼイさんの連絡先を聞き、21日午前1時ごろにリンゼイさんの家を出ました」
《裁判員たちは検察側から配られた手元の用紙を見つめながら検察官の言葉に耳を傾ける》
《市橋被告は22日にメールで『英語を教えてほしい』と伝え、2人は24日までのメールのやりとりで1時間3500円の授業料を条件に、25日午前9時から行徳駅付近で英会話レッスンを行うことを約束した》
検察官「市橋被告は3月25日午前9時前に駅前でリンゼイさんと会い、駅前の喫茶店でレッスンを受けました。市橋被告は自宅に連れ込んで強姦するために『レッスン料を家に忘れた』と言ってリンゼイさんを自宅に誘い出しました」
検察官「市橋被告は部屋に入り、リンゼイさんの顔を殴りつけ、結束バンドと粘着テープで手首を縛り、強姦しました。その後、首を圧迫して窒息死させました。26日夕方に外出して園芸用の砂を購入。(取り外しが可能な)浴槽にリンゼイさんを入れてベランダに運び、土を入れて遺棄しました」
検察官「セーターを着て、クリーム色のリュックサックを背負った若い男が部屋から出てきて、市橋被告だな、と思った。職務質問をするのに、マンションの共用の廊下上では都合が悪く、被告の自室の状況も確認したかったので、『中に入って話を聞こうか』と言った。被告は、いきなりリュックサックを肩から下ろすと、署員を押しのけて、すごい勢いで走り出し、非常階段を降りていった。私は『逃げたぞ』と叫んで追いかけたが見失った」
《検察官は、大型モニターに『遺体発見の状況』と示しながら、刑事が市橋被告の部屋からリンゼイさんの遺体を発見した状況について読み進めた》
検察官「リンゼイさんの安否確認をしなくてはならないと思って、被告の部屋に戻った。玄関を開けると、大きな女性用の黒い靴が置いてあり、リンゼイさんはここにいると直感した。そばのゴミ箱に、銀色の接着テープと、結束バンド、明るい茶色の髪の毛が絡まっているのを発見し、リンゼイさんに危害が加えられているのを確信した」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんが市橋被告をにらみつける。市橋被告は微動だにしない》
検察官「リンゼイさんを保護しようと各部屋を確認したが、リンゼイさんはいなかった。浴室の浴槽が外れているのに気付き、確認していないベランダを回ったところ、浴槽が置いてあった。一緒にいた署員が浴槽に詰まっていた土を軽くなでると、白い肌色の皮膚がみえた。触っても反応がなく、土が盛り上がったり下がったりと呼吸をしている様子もなかったので、土に埋まっているのは人間の遺体だと分かった」
《生々しく明らかにされるリンゼイさんの遺体発見当時の様子に、母のジュリアさんが、体を震わせ、顔を覆って泣き出した》
当時の交際女性の証言
《引き続き検察側の証拠調べが始まり、女性検察官は事件当時、市橋被告が交際していた女性の供述調書を読み上げ始めた。供述は事件があった平成19年3月25日前後に関するものだ》
検察官「24日午後11時ごろ、達也に電話をしたら家にいました。『泊まりに行きたい』と伝えたら、『今日はスポーツジムに行って疲れたから1人で寝たい』と言われました。ただ『ご飯だけならいい』といわれたので、(市橋被告の住む)マンションまで迎えに行き、近くで焼き肉を食べました」
《市橋被告は焼き肉が好物だったが、この日はあまり食が進まない様子だったという。食事の後は近くの海岸までドライブをした後、市橋被告のマンション前で別れたという。そして供述は事件当日の3月25日に移る》
検察官「達也の家に電話をしましたが出ませんでした。達也から26日午前0時38分にメールが届きました」
《ここで法廷内の大型モニターに交際女性の携帯電話を撮影した写真が映し出される。携帯の画面には市橋被告が女性に送ったメールの文章が出ており、男性検察官が読み上げる》
検察官「××へ(法廷では実名) 達也です。電話くれた? これから1週間ぐらい部屋にこもって勉強します。××には悪いけど、1週間電話を取らない。でも信じてください。メールは構わないです。ではでは」
《市橋被告は以前から部屋にこもって勉強をすることがあったため、女性は市橋被告のメールを不審に思わなかったという。市橋被告は出版した手記の中で、警察官から逃走した直後に公衆電話を見つけ、車を所有していたこの女性と一緒に逃げたくて電話したが、話し中だったため断念したことを明らかにしている》
第二回公判
検察官「まず顔面の写真について説明してください」
証人「(1)と書いてある部分は、右目の周りが皮下出血、いわゆるあざがみられます。皮下を開けると、筋肉が挫滅、つまりつぶれている状況です」
「(2)と書いてあるところも、皮下を開けると皮下脂肪に出血がありました」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは、まな娘の遺体の状況を「聞いていられない」という様子で、右手を額にあてて下を向いている。ウィリアムさんは、手をあごにあてて、険しい表情で聞き入っている》
証人「(3)は鼻のところの皮膚がへこんでいます。圧痕(あっこん)がみられました」
「(4)は表皮剥脱(ひょうひはくだつ)といって皮膚の表の層が取れている状態です」
《ジュリアさんは、ハンカチで涙をふいて、一言二言ウィリアムさんに語りかけている》
検察官「表皮剥脱とはどういうことですか」
証人「すったり、強く圧迫されてもなります。皮膚の一番上の層が取れてしまうことです」
検察官「圧痕についてもう一度説明してください」
証人「強く長い時間圧迫されてへこんでしまうことです」
検察官「口の中はどうでしたか」
証人「粘膜の中にも出血がありました。口角、口のはじっこの内側です」
《目の前で徐々に明らかになっていくリンゼイさんの遺体の状況。市橋被告は、やや猫背気味で身じろぎ一つせず聞き入っていた》
検察官「胸骨舌骨筋は、首のどの位置か説明してください」
証人「鎖骨とのど仏を結んでいる筋肉です」
検察官「輪状軟骨についてもお願いします」
証人「のど仏のすぐ下です」
検察官「骨の『輪』の中はどうなっていますか」
証人「空気の通り道になっています」
検察官「骨折は2カ所ですね」
証人「はい」
検察官「これはどういう力が働いたと推測できますか」
証人「真ん中の方から強く押す力が働いたと推測できます」
検察官「胸骨舌骨筋の状態も合わせて、推測できることはどういうことですか」
証人「頚部(けいぶ)に強い圧迫が加えられたと考えられます」
《続いて検察側はリンゼイさんの下半身部分について尋問を続ける》
検察官「陰部はどうでしょう。写真はありませんが」
証人「膣入り口の粘膜、右の小陰唇内側のつけ根に出血がありました」
検察官「出血はどうして起きたと考えられますか」
証人「強く圧迫されたと思います」
検察官「何が原因ですか」
証人「何か圧迫、挿入があったのでは」
《午前11時5分、休廷に入った。ウィリアムさんはポケットに手を入れて市橋被告をにらみつけ、いったん退廷した》
検察官「リンゼイさんの死因は何と判断しましたか」
証人「一番考えられるのは首の圧迫による窒息死です」
検察官「根拠を説明してください」
証人「首以外の表皮剥脱や皮下出血は死因となり得ない。首の筋肉からの出血や輪状軟骨の骨折など圧迫の痕跡があったからです」
検察官「首の圧迫でなぜ死亡しますか」
証人「輪状軟骨は気管を取り巻いていて、(圧迫されることで)酸素を取り込めなくなるからです」
検察官「首のほかに窒息死の根拠は」
証人「教科書には窒息の3兆候というのがあります。『血液の暗赤色(あんせきしょく)と流動性』『臓器の鬱血(うっけつ)』『臓器や粘膜の溢血点(いっけつてん)』です。これが満たされていた」
第三回公判
被害者との出会い
弁護人「あなたは初日の公判で『事件の日に何があったか話すのが義務だ』と話しましたが、覚えていますか」
被告「はい、覚えています」
《市橋被告は、法廷に響くほどの大きな声で述べた。弁護側はまず、リンゼイさんと出会うまでの状況について尋ねていく》
弁護人「平成17年3月に千葉大学を卒業しましたね?」
被告「そうです」
弁護人「大学では主に何を学んでいましたか」
被告「主に植物について。公園や広場のデザイン、設計を学びました」
弁護人「卒業後はどういう進路を考えていましたか」
被告「大学と同じ分野で、海外の大学院で学びたいと思っていました」
弁護人「17年の大学卒業から事件の19年3月までについて聞きます。仕事はしていましたか」
被告「していません」
弁護人「収入はどうしていましたか」
被告「親に仕送りをしてもらっていました」
弁護人「留学準備は、具体的にどんなことをしていましたか」
被告「留学に必要なTOEFL(トーフル)テストというものがあり、対策の参考書を使い、英語の勉強をしていました」
《ここからリンゼイさんと出会った3月20日夜の話に移っていく。左から2番目の男性裁判員は眉間に手をやり、真剣な表情を崩さない》
弁護人「リンゼイさんを、初めにどこで見かけたんですか」
被告「最寄り駅の(千葉県市川市の東京メトロ)行徳駅の改札前広場で見かけました」
弁護人「見かけて、どう思いましたか」
被告「すれ違った後、数カ月前に私が洗濯機の水漏れを直し、英語の個人レッスンを頼んだ若い白人女性に似ていると思いました」
《検察側は、初公判の証拠調べで、リンゼイさんが「洗濯機を直したのは僕です」と市橋被告から話しかけられた、とするリンゼイさんの親友の△△さん(法廷では実名)の証言を明らかにしている。実際に市橋被告が洗濯機の修理を行ったかについては、これまでの公判でも触れられていない》
弁護人「そのときの女性に似ていると思って、どうしましたか」
被告「もしそのときの若い白人女性なら、もう一度レッスンを頼もうと思いました」
弁護人「その後、リンゼイさんはどこに行きましたか」
被告「行徳駅の中に入っていきました」
《その後、リンゼイさんの後をついて、西船橋駅で電車を降りた市橋被告。質問は、駅前通りで声をかけた市橋被告とリンゼイさんの対面と会話の内容に迫っていく》
弁護人「何と声をかけたんですか」
被告「『突然、話しかけてすいません。少し話してもいいですか』と言うと、リンゼイさんはうなずいてくれました。私は、リンゼイさんに『私のことを覚えていますか』と尋ねました」
《最初の一言こそ力強く答えた市橋被告だったが、その後はたどたどしい返答が目立つ。はなをすする音が響き、声は震えている。涙声のようにも聞こえるが、台本を読み上げているような印象も受ける》
弁護人「英語で話しかけましたか。日本語ですか」
被告「全て英語です」
弁護人「リンゼイさんは何と答えましたか」
被告「『違うと思います』と言いました」
弁護人「それからリンゼイさんはどうしましたか」
被告「自転車に乗って、通りの方に走っていきました」
弁護人「あなたはどうしましたか」
被告「駅の方に歩いてから、リンゼイさんが走った方向と思う方へ走っていきました」
弁護人「リンゼイさんと会えましたか」
被告「団地のような場所の街灯のところで、リンゼイさんが自転車を降りているところを見つけました」
《再びリンゼイさんに話しかける市橋被告。リンゼイさんの部屋に上がり込むまでの様子を詳細に答えていく》
弁護人「何と声をかけましたか」
被告「『また怖がらせてごめんなさい。どこ(の国)から来ましたか』と聞きました」
弁護人「リンゼイさんは?」
被告「『イングランドから』と答えていたと思います」
弁護人「他に何か話しましたか」
被告「はい。『私は海外で風景建築、公園設計、広場設計を学びたい。英語を教えてくれませんか。教えてくれれば、もちろんお礼をします』と話しました」
弁護人「それに対してリンゼイさんは何と答えましたか」
被告「リンゼイさんは笑ってくれて、『何か飲む?』と聞いてきてくれました」
《リンゼイさんに誘われて部屋に上がった、と説明する市橋被告。リンゼイさんの母、ジュリアさんは口を手で覆い、険しい表情で市橋被告を見つめる》
弁護人「リンゼイさんの部屋には誰がいましたか」
被告「リンゼイさんの他に、若い白人女性2人がいました」
弁護人「歓迎された、と思いましたか」
被告「思いませんでした」
弁護人「部屋に入って、どうしましたか」
被告「絵を描かせてほしい、と言いました」
弁護人「なぜ絵を?」
被告「部屋の雰囲気を和ませたかったので」
弁護人「描かせてくれた人はいましたか」
被告「はい」
弁護人「誰ですか」
被告「リンゼイさんです」
《リンゼイさんの絵を描いた後、他の2人には断られたと市橋被告は説明する》
弁護人「描き終わってどうしましたか」
被告「絵に私の名前、電話番号、メールアドレス、日付を書いてリンゼイさんに渡しました」
弁護人「リンゼイさんの反応は?」
被告「受け取ってくれました」
弁護人「リンゼイさんもメールアドレスを教えてくれましたか」
被告「はい」
《10~15分間、部屋で過ごし部屋を出ると、時間は既に深夜で終電はない。市橋被告は西船橋駅に戻り、インターネットカフェで一泊したという》
弁護人「リンゼイさんから連絡先を聞いてどう思いましたか」
被告「うれしかったです。」
弁護人「どうして、うれしいと思いましたか」
被告「リンゼイさんから英語の個人レッスンを受けられるかもしれない、と思ったからです」
《初対面を終え、事件を迎えるまでの数日間のやり取りについて、質問が続いていく》
事件当日の朝から被害者を部屋に呼び込むまで
弁護人「どういう約束をしたのですか」
被告「日曜日(平成19年3月25日)の午前9時に(東京メトロ)行徳駅前で会って、駅前で1時間のレッスンを受けることになりました」
《市橋被告は時折、はなをすすり、ゆっくりとした口調で答えた》
弁護人「25日は何時に起きましたか」
被告「午前8時40分です」
弁護人「(待ち合わせ時間の直前に起きたのには)何か事情があったのですか」
被告「よく寝てませんでした。25日深夜(未明)、私は当時つきあっていた女性と外で会っていました。自分の部屋に戻ったのは朝4時ごろでした。そ…そこから、帰って眠ったので、起きたときが8時40分ごろです。寝坊したのです」
《一言一言を区切るようにして話す市橋被告。両手をきつく握りしめ、顔を小刻みに揺らしており、緊張しているようにも見える》
《市橋被告は起床してから自転車で行徳駅に向かい、その様子は途中の防犯カメラにも写っているという。弁護人に駅までの所要時間を尋ねられ、「5分もかかっていない」と答えた。駅前には、リンゼイさんが先に到着していたという》
弁護人「リンゼイさんと会ってどうしましたか」
被告「駅前のコーヒーショップに一緒に入りました」
弁護人「どんなレッスンを受けましたか」
被告「私の趣味の話、お互いの好きな映画女優の話、(19)98年の(サッカー)フランスワールドカップの話、(映画化された)ハリーポッターの話を(英語で)しました」
弁護人「レッスン料はコーヒーショップで払いましたか」
被告「いいえ、払っていません」
《弁護側は冒頭陳述で、市橋被告は待ち合わせ時間直前に起床したことで慌てたため、レッスン料を持っていくことを忘れたと主張。市橋被告もこの趣旨に沿った返答を行った。一方、検察側は冒頭陳述で強姦目的で『レッスン料を家に忘れた』と口実を使って自宅に誘い込んだと指摘しており、双方の主張は真っ向から対立している》
弁護人「いつ代金を忘れたことに気づきましたか」
被告「コーヒーショップに入って飲み物を注文し、支払うときに財布の中身を見たときです」
弁護人「どうして、そのときに(レッスン料を忘れたことを)言わなかったのですか」
被告「そのときに言ったら、レッスンを受けられなくなるかもしれないし、受けたとしても、レッスンの雰囲気が悪くなると思ったからです」
《検察側の後方に座る父親のウィリアムさんは眼鏡を取り出してかけ、市橋被告の顔を見つめる》
弁護人「どうするつもりだったのですか」
被告「レッスンが終わったころにリンゼイさんにお金を忘れたことを謝って、(自宅に)取りにいけばいいと思いました」
弁護人「忘れたことを伝えたとき、リンゼイさんはどんな反応をしていましたか」
被告「リンゼイさんは『それだったら急がなければいけない』と言いました」
《これまでの公判で、リンゼイさんが同日午前10時50分から語学学校でレッスンの予定があったことが明らかになっている。2人はコーヒーショップを出た後、タクシーに乗って市橋被告方のマンションに向かっている》
弁護人「タクシーの中でリンゼイさんと会話を交わしましたか」
被告「していません」
弁護人「タクシーはどのあたりに止まりましたか」
被告「マンション前のガソリンスタンドです」
弁護人「タクシー運転手と何か話しましたか」
被告「はい。私がタクシー料金を払った後、運転手に『ここで5、6分待っていてくれませんか』と言いました」
弁護人「あなたはどうするつもりだったのですか」
被告「私は走って自分の部屋に行き、お金を取って戻ってきて、リンゼイさんにレッスン料を渡すつもりでした」
弁護人「運転手の答えは?」
被告「『それはできない』などと言っていました。私は運転手に『それだったら5、6分後にここに来てくれないか』と言いました」
弁護人「運転手は何と答えましたか」
被告「運転手は『ここに電話してくれればいい』と言って、タクシー会社の電話番号が書かれた領収書を渡してきて、行ってしまいました」
弁護人「タクシーが去ったとき、リンゼイさんは何か言いましたか」
被告「はい。リンゼイさんは『私はどうやって帰ったらいいの?』と言っていました」
弁護人「それで、あなたはどうしたのですか」
被告「マンションに歩いていきました」
《市橋被告とリンゼイさんは4階にある市橋被告の部屋に向かうため、エレベーターに乗り込んだ。検察側の冒頭陳述によると、エレベーターでリンゼイさんは、しきりに腕時計を見るなど、時間を気にしていたという》
弁護人「あなたはエレベーター内で何を考えていましたか」
《市橋被告は、間を置いてから、たどたどしくしゃべり始めた》
被告「私はタクシーが行ってしまったから、リンゼイさんは仕事に間に合わないと思いました。このままリンゼイさんと親密な関係になれたらいいな、と勝手に思っていました」
《「親密な関係」を通訳が訳したとき、検察側の後方に座る母親のジュリアさんは隣のウィリアムさんを見つめ、顔を振りながら怒気をはらんだ表情となった。一方、傍聴人席の最前列に座るリンゼイさんの姉妹も遺影を膝の上に置き、市橋被告の背中に厳しい視線を注いでいた》
事件当日・監禁開始から殺害まで
弁護人「あなたの部屋にリンゼイさんが入ったあと、あなたはどうしましたか」
被告「入ったあと、私は手を伸ばしてリンゼイさんの後ろから抱きつきました」
《リンゼイさんの父親のウィリアムさんは険しい表情をしている》
弁護人「なぜ、抱きついたのですか」
《この質問に市橋被告は、しばらく沈黙する》
被告「彼女とハグ(抱き合うことを)したかったからです」
弁護人「場所はどこですか」
被告「玄関です」
弁護人「そのとき、リンゼイさんはどのような反応だったのですか」
被告「リンゼイさんは強く拒絶しました」
弁護人「それでどうしたのですか」
被告「私は誘惑に負けました。…(しばらく黙ったあと)、私はリンゼイさんを廊下に押し倒しました」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは、唇をかみしめている》
弁護人「リンゼイさんはもちろん抵抗しましたよね?」
被告「しました」
弁護人「あなたはどういう行為をしましたか」
被告「抵抗するリンゼイさんを押さえつけました」
《泣いているのか、市橋被告がはなをすする音が法廷に響く》
弁護人「どういう体勢でリンゼイさんを押さえつけたのですか」
被告「リンゼイさんは廊下にあおむけになり、私はその上にまたがるように乗りました」
弁護人「具体的にはどういうことですか」
被告「リンゼイさんの手足を私が押さえつけるようなかたちです」
弁護人「リンゼイさんの着ている服を破ったりしていますか」
被告「してます」
弁護人「顔面を殴ったり、頸部(けいぶ)を圧迫したりしましたか」
被告「それはしていません」
弁護人「リンゼイさんはどのくらい抵抗しましたか」
被告「数分間、抵抗しました」
《傍聴席から見て、右端から2番目の5番の男性裁判員は市橋被告をじっと見つめている》
弁護人「あなたは(抵抗するリンゼイさんに対して)どうしましたか」
被告「手首と足首に、結束バンドをはめました」
弁護人「その後どうしましたか」
被告「リンゼイさんを姦淫(かんいん)しようとしました」
《ジュリアさんは目を覆って泣いている》
弁護人「あなたはすぐに姦淫することができましたか」
被告「できませんでした」
《市橋被告は、リンゼイさんを乱暴しようと、避妊具の装着を試みたが、うまくいかなかったため、避妊具をそのままゴミ箱に捨てたという》
《右から3番目の男性裁判員が首をかしげている》
弁護人「それからどうしましたか」
被告「私はリンゼイさんを姦淫しました」
《男性弁護人は質問を変えた》
弁護人「結束バンドは何の目的で持っていたのですか」
被告「私の部屋の配線コード類をまとめて、壁に掛けるために、前年(平成18年)、ホームセンターで買いました」
弁護人「結束バンドはどこにありましたか」
被告「玄関の靴箱の上、壁際にある収納棚にまとめて置いてありました」
《男性弁護人は、計画的に結束バンドを準備したわけではなかったと主張したいようだ》
《続いて、男性弁護人は法廷内に設置された大型モニターに市橋被告の部屋の見取り図を示して、姦淫した場所の確認をした後、別の男性弁護人に交代した》
弁護人「あなたがしたことは、リンゼイさんの気持ちを踏みにじった強姦行為だと分かっているのですか」
被告「…はい」
弁護人「強姦した後、どのような行動をしましたか」
被告「私は寝室に置いてあった、テンピュール(低反発)のマットレスを廊下に持ってきて、廊下で横になっているリンゼイさんの下に敷きました」
《一言一言区切るように話す市橋被告。はなをすする音がますます大きくなった》
弁護人「なんでそんなことをしたのですか」
被告「彼女に申し訳ない気がしたので…」
弁護人「それは冷たい床で横たわっているリンゼイさんをいたわる気持ちからですか」
被告「はい」
《ジュリアさんは目を見開いて、「ふん」と鼻で笑うような仕草をした》
弁護人「あなたが脱がしたリンゼイさんの服はどこに置きましたか」
被告「彼女のそばに置きました」
弁護人「布団の上ですか」
被告「そうです」
《弁護人の質問に対して市橋被告は、リンゼイさんが失禁した事実を述べた。ジュリアさんは手で顔を覆っている》
弁護人「あなたはどうしましたか」
被告「リンゼイさん(の体)を洗おうと思いました」
弁護人「どこに連れて行こうと思いましたか」
被告「浴室です」
《市橋被告は、リンゼイさんを抱きかかえて浴室に連れて行こうとしたが、抵抗されたことを話した》
被告「リンゼイさんを抱きかかえて風呂場に連れて行こうとすると、リンゼイさんは『私を殺すつもりね』と言いました。リンゼイさんが風呂場に行くことを強く拒否したので、連れて行けませんでした」
弁護人「あなたはその後、リンゼイさんをどこに連れて行こうとしましたか」
被告「リンゼイさんを抱きかかえたまま、和室に運びました」
弁護人「その後どうしましたか」
被告「結束バンドを切りました」
弁護人「どうして切ったのですか」
被告「そのときリンゼイさんは裸でした。私のグレーのパーカをリンゼイさんの上半身に着てもらうためです」
弁護人「実際に着せたのですか」
被告「はい」
《男性弁護人は、市橋被告がリンゼイさんに着せたというパーカを大型モニターに映し出した》
弁護人「これですね」
被告「はい」
弁護人「その後、あなたは灰色のパーカを着せたまま、リンゼイさんを浴槽に入れたでしょう?」
被告「はい」
弁護人「その後、さらに上に何か掛けたでしょう」
被告「はい」
弁護人「何を掛けましたか」
被告「私が着ていた茶色のジャケットを彼女の上半身に掛けました」
《男性弁護人の指示により、大型モニターに茶色のジャケットが映し出される》
弁護人「リンゼイさんの服をそばに置いていたのに、なぜそれを掛けなかったの?」
《市橋被告はリンゼイさんが失禁したためだと答えた。男性弁護人は小さくうなずいた》
弁護人「さっき敷いていたマットレスはどうしたの?」
被告「…。外のベランダに掛けました」
弁護人「あなたが逃走したあと、ベランダに掛かっていたマットレスですね」
《答えを考えているのか数秒黙ったあとでこくこくとうなずいて答えた》
被告「そのはずです」
弁護人「一度外した結束バンドをその後、どうしましたか」
被告「もう一度、彼女の手首にはめました」
弁護人「リンゼイさんの体はどうしましたか」
被告「黒いパーカとバスタオルを持ってきて掛けました」
《市橋被告の口から詳細な犯行状況が赤裸々に語られる中、リンゼイさんの両親はうなだれている》
《弁護側はリンゼイさんを浴槽に入れた経緯について質問をする。市橋被告は再度の失禁を恐れたためだと説明し、続けた》
被告「それで浴槽を持ってきてリンゼイさんに、その中に入ってもらったんです」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは目頭に手を当てる。母、ジュリアさんは励ますように右腕を伸ばし、ウィリアムさんの肩を抱いた》
弁護人「浴槽に入れたのは何時ごろのことですか」
被告「私とリンゼイさんが私の部屋に入ってから、1時間後ほどのことだったと思います」
弁護人「(平成19年3月)25日午前11時ぐらいということですか」
被告「だと思います」
弁護人「リンゼイさんを姦淫し、行為が終わった後、あなたはどういう気持ちだったんですか」
被告「リンゼイさんに悪いことをしたと思いました」
弁護人「また姦淫するつもりはあったんですか」
被告「ありません」
弁護人「あなたは悪いことをしたというが、じゃあ、これからどうしようと思ったんですか」
被告「なんとかしてリンゼイさんに許してもらわないと、許してもらいたいと思いました」
《この返答に、弁護人は少し語気を強める》
弁護人「こんなにひどいことをして許してもらえると思ったんですか」
被告「思いませんでした。すぐには許してもらえないと思いました。そのとき、私が考えたことは、なんとか彼女に話しかけて、人間関係をつくったら、許してもらえるんじゃないかと思いました」
《父のウィリアムさんは鼻を赤くし、「わけが分からない」といった様子で頭(かぶり)を振った》
弁護人「あなたが浴槽を置いたのは、4・5畳の和室ということだよね」
被告「そうです」
弁護人「浴槽はどのへんに置いたのか言える?」
《弁護人は市橋被告に、犯行現場となったマンションの間取りを示す》
被告「4・5畳の和室の壁際の真ん中あたりです」
弁護人「壁っていうとたくさんあるので、図面でいうと?」
被告「この4・5畳の左側の壁際の真ん中あたりに私は浴槽を起きました」
弁護人「ラジカセがあったけど、その前あたりですか」
被告「はい」
《その位置は、弁護人が実況見分や証拠写真を使って示した浴槽の排水口の跡が畳に残っていた位置と一致する》
弁護人「4・5畳の部屋にはあなたもいた?」
被告「はい」
弁護人「座っていた?」
被告「私は座っていました」
弁護人「話はしました?」
被告「はい」
弁護人「被害者はどんな話をしましたか」
被告「リンゼイさんは4・5畳の和室の左側の壁際に私が張っていた、私が書いた『走っているチーター』の絵をみて、私に『この絵は間違っている。私は大学で生物学を学んでいたから分かるんだけど、このチーターのおなかは出すぎている』と言ってくれました」
《弁護人はチーターの絵の写真を市橋被告に提示する。大型モニターに映し出された絵は、鉛筆かボールペンのようなもので描かれたモノクロのスケッチで、横から見たチーターが描かれていた》
弁護人「誰が描いたのですか」
被告「私です」
弁護人「さきほどのは、この絵のことですね」
被告「そうです」
弁護人「そのほかにあなたのほうから話しかけることはありました?」
被告「ありました」
弁護人「どんな話でした?」
被告「私はリンゼイさんに、キング牧師の演説の内容を尋ねました」
弁護人「どんなテーマの演説ですか」
被告「『I HAVE A DREAM』。『私には夢がある』という題名のスピーチです」
弁護人「訪ねたことに被害者は?」
被告「私がその演説の最初の部分をリンゼイさんに尋ねると、リンゼイさんは黒人は奴隷解放宣言のあと、黒人は自由を手にしたけれども、奴隷のときは生活や仕事に保証があったけど、自由を手にしたことで、生活や仕事の保証がなくなった面があるということを教えてくれました」
弁護人「そういう話を聞いてどう思いましたか」
被告「私はそういう考えもあるのだなと思いました」
《裁判員の男性は市橋被告の証言にじっと聞き入っている》
弁護人「他には?」
被告「あります」
弁護人「項目的にいうとどんなこと?」
被告「私は、リンゼイさんにカトリックとプロテスタントの違いを尋ねました。それとリンゼイさんが日本に来るまでに、どんな国に行ったことがあるのかということも尋ねました」
弁護人「あなたとすると人間関係を作ろうと話しかけたということでしょうか」
被告「はい」
弁護人「被害者はずっと答えてくれましたか」
被告「いいえ」
弁護人「どうしてですか」
《市橋被告はしばらく沈黙した後に答える》
被告「リンゼイさんが答えるのがしんどくなったんだと思います」
弁護人「そうすると、あなたは話しかけるのをやめた、控えたのですか」
被告「はい。控えました」
弁護人「そうしたら、どうなりました?」
被告「リンゼイさんから、甘いものがほしい。飲み物がほしいと言われました」
弁護人「それに対してどうしましたか」
被告「私は台所に行ってミネラルウオーターと黒砂糖を…」
《市橋被告はそこで言葉を止め、しばらくしてもう一度繰り返す》
被告「私は台所に行ってミネラルウオーターと黒砂糖を取ってきて、リンゼイさんの口の中に入れました」
弁護人「そのほかに求められたものは?」
被告「リンゼイさんは私に手首の結束バンドが痛いから外してほしいといいました」
弁護人「それに対しては?」
被告「また台所に行ってキッチンばさみを持ってきて、彼女の結束バンドを切りました」
弁護人「次に何を求められましたか」
被告「リンゼイさんは私に足首の結束バンドも痛いから外してほしいと言いました」
弁護人「それに対しては?」
被告「私は『できない』といいました」
弁護人「ほかには?」
被告「リンゼイさんは私にトイレに行きたいといいました」
弁護人「それに対してどうしました?」
被告「リンゼイさんに浴槽から出て、廊下のトイレに行ってもらいました」
弁護人「だけど足首は外してないと言っていたのに、どうしたんですか」
被告「足首はトイレに行く前に外しています」
《つじつまがあわない発言に弁護人は質問を続ける》
弁護人「戻ったあとでまた足首に(結束バンドを)したということですか」
被告「違います。順序が違います」
弁護人「では言ってみて」
被告「私がリンゼイさんの…」
《そこまで言ったところで、市橋被告は言葉を止めて言い直す。英語を意識してのことか、主語と述語の使い方にこだわりがあるようだ》
被告「リンゼイさんから私に、足首が痛いから外してほしいといい、私はできないといいました。リンゼイさんがトイレに行きたいと言ったのは、だいぶ後の話です」
《弁護人は順を追って説明するように市橋被告に言い、質問を続ける》
弁護人「では、さきほどの話の続きの中で求められたことは?」
被告「あります。リンゼイさんはたばこが吸いたいと私に言いました」
弁護人「それに対しては?」
被告「私はできないと言いました」
弁護人「足首を外してとか、たばこを吸いたいとか言われ、『できない』『できない』と答えたんだよね」
被告「ええ」
弁護人「そのときの心境は?」
《市橋被告は言葉を詰まらせ沈黙する。10秒ほどたったところで、弁護人が根負けした》
弁護人「じゃあ質問を変えるけど、イライラとか怒ったとか、感情的なものがなかったのかということなんだけどね」
被告「ありました」
弁護人「それはどんな気持ち?」
被告「私は…。リンゼイさんに対して…。イライラしていました」
《言葉を切りながら、ゆっくりと吐露する》
弁護人「なぜイライラしたんですか?」
被告「私がリンゼイさんが逃げたいことは、私はもちろん分かっていました。でも、リンゼイさんがいうことを私がすべてしていたら、リンゼイさんが逃げてしまうと思って、私はイライラしました」
弁護人「それであなたはどういう行動を取ったんですか」
被告「私はリンゼイさんの顔を殴っています」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんは「あぁ」というように体を大きくのけぞらせる》
弁護人「それは感情的にキレたということですか」
被告「はい」
弁護人「何回ぐらい殴りましたか」
被告「私はリンゼイさんの顔を2回殴っています」
《「殴りました」ではなく、「殴っています」という表現を使う市橋被告。どこか客観的な印象を受ける》
弁護人「リンゼイさんのいる浴槽に寄っていて殴った?」
被告「そうです。はい」
弁護人「どちらの手で殴りました?」
被告「最初に左のこぶしで、次に右のこぶしで殴りました」
《淡々としながらも事件当時の怒りの感情に言及した市橋被告。リンゼイさんの両親の鼻は赤く、キッと市橋被告をにらみつけている。ここで法廷は20分の休憩に入った》
弁護人「抵抗できない被害者を2発、しかも強い力で殴った。なぜそんなひどいことをしたんですか」
被告「私はかっとなりました」
弁護人「どうしてかっとなったんですか」
被告「リンゼイさんから『たばこを吸いたい』といわれて、私は『できない』といいました。それからやり取りがあって、私はかっとなってリンゼイさんの顔を殴りました」
弁護人「しかし、あなたは人間関係をつくって許してもらう気でいたんではないんですか」
被告「そうです」
弁護人「感情的に殴りつけて、穏便には済まなくなってしまった?」
《市橋被告は涙声で答えた》
被告「そうです」
弁護人「その後、どう考えたんですか。後悔の他には?」
被告「彼女、リンゼイさんに逃げられてはいけないと思いました」
弁護人「どうしてですか」
被告「私がリンゼイさんを姦淫(かんいん)した上に、殴ったからです」
弁護人「では、どうしようと思ったんですか」
被告「今はダメだけど、何とか許してもらいたいと、それだけ思っていました」
《浴槽の中で手足を縛られたリンゼイさんとともに、4畳半の和室にいた市橋被告。弁護人は2人の会話について尋ねていく》
弁護人「リンゼイさんは何と話しましたか」
被告「『トイレに行きたい』と言いました」
弁護人「他には?」
被告「リンゼイさんの家族構成についても話を聞きました」
《突然の「家族」の言葉に、リンゼイさんの母、ジュリアさんは目頭を押さえる》
《ここで、弁護人はこれまでの証拠調べなどで明らかになっていない詳しい犯行時刻などについても質問する。市橋被告は殴りつけたことについて「まだ明るかった」とし、会話のやり取りについては「日が落ちて暗くなってから」と答えた。弁護側は暴行と死亡の時間差を強調したいようだ》
弁護人「他には、どんな話をしましたか」
被告「リンゼイさんは『私は子供をたくさん産みたい。私の人生は私のもの』と言いました」
弁護人「他には?」
被告「『(リンゼイさんの)ルームメートがパーティーに行っている。今なら大丈夫』と言いました」
《リンゼイさんは今無事に返してくれれば取り返しがつくと、伝えようとしたようだ。弁護側は、市橋被告がもっぱら聞き役だったことも強調したいようだ》
弁護人「(平成19年)3月26日午前0時半ごろ、当時の彼女にメールをしていますね」
被告「出しています」
《「これから1週間ぐらい部屋にこもって勉強します。1週間電話しない」という内容のメールについては、初公判の証拠調べでも紹介されている》
弁護人「1週間の間に、被害者と人間関係をつくろうと思っていたんですか」
被告「はい、そう考えていました」
《ここから、リンゼイさんが死亡に至る経緯について、質問が始まる》
《当時の彼女にメールを出した市橋被告はそのまま眠りについたが、3月26日午前2~3時の間に目を覚ましたという。浴槽の中のリンゼイさんの様子を確認すると、手の結束バンドが外れていたという》
弁護人「外れているのを見て、どうしましたか」
被告「外れている、と思った瞬間、リンゼイさんはこぶしで私の左こめかみを殴りました。頭を壁にぶつけ、何が起きたか分かりませんでした」
弁護人「その後は?」
被告「大きな音がしました」
弁護人「何の音?」
被告「リンゼイさんを探すと、浴槽が倒れていました」
弁護人「音は浴槽が倒れた音だったんですか」
被告「分かりません。左こめかみを殴られ、壁に打ちつけられたときに大きな音がしました。浴槽が倒れ、リンゼイさんが浴槽から出ていました」
《事件の核心部分に迫るにつれ、リンゼイさんの両親ら家族の表情が険しくなっていく》
弁護人「リンゼイさんの体勢はうつぶせですか」
被告「はい」
弁護人「静かにはっていたのですか」
被告「いいえ。大声を出して逃げていこうとしました」
弁護人「それはどんな声でしたか」
被告「獣のようなうなり声でした」
《女性通訳が「animal」(動物)の単語を発すると、リンゼイさんの母、ジュリアさんは大きく首を振った》
弁護人「声を聞いてどう思いましたか」
被告「下の住人に声が聞こえてしまうと思い、追いすがりました」
《必死ではい逃げるリンゼイさんに乗りかかった市橋被告。左腕を伸ばし、リンゼイさんのあごを覆ったという。ジュリアさんからおえつが漏れ、リンゼイさんの父、ウィリアムさんがジュリアさんの膝に手を置く》
弁護人「リンゼイさんに声を出されないようにするだけの目的で腕を伸ばしたんですか」
被告「いいえ。逃げられないようにするためです」
弁護人「そうすることで声は止まりましたか」
被告「止まりませんでした」
弁護人「それで、どういう行動をとったんですか」
被告「左腕をもっと伸ばして、彼女の顔を巻くようにしました」
弁護人「リンゼイさんの様子はどうでしたか」
被告「リンゼイさんは、まだ声を出していました。前に進んでいこうとしていました」
《市橋被告の語る「リンゼイさんの死」が目前に迫り、法廷内は緊張感に包まれる》
弁護人「どのような言葉を言われたのですか」
被告「アイ・ガット・イット、アイ・ガット・イット、ハハハ」
弁護人「その言葉の意味は分かりましたか」
被告「『分かった、分かった、ハハハ』だと思います」
弁護人「それを聞き、どう思いましたか」
被告「私はリンゼイさんを全然押さえ込めておれず、逃げてしまうと思いました」
弁護人「リンゼイさんはその状態で前に進もうとしていましたか」
被告「はい」
弁護人「あなたはどういう行動に出ましたか」
被告「私は体を前に倒すようにしてリンゼイさんの上に覆いかぶさりました」
《検察側の後方に座るリンゼイさんの母親のジュリアさんは頭を抱えた》
弁護人「なぜ覆いかぶさったのですか」
被告「リンゼイさんが声を上げないように、リンゼイさんが逃げないようにするためでした」
弁護人「覆いかぶさってどういう効果があると思いましたか」
被告「覆いかぶされば、リンゼイさんが逃げないし、声を上げても響かないと思いました」
弁護人「覆いかぶさったとき、左腕をリンゼイさんに巻き付けるようにしていたと言っていましたが、そのとき左腕はどこにありましたか」
被告「下にいるリンゼイさんの下に、私の左腕がありました」
弁護人「リンゼイさんの体の下のどの辺りにありましたか」
被告「私の左腕が私の体と、リンゼイさんの体の下にあり、私が覆い被さったときに左腕がリンゼイさんの体の下のどこにあったのかまでは分からないのです」
《市橋被告はやや不自然な言い回しで答えた。市橋被告ははなをすすり、息が上がっているようだ》
弁護人「左腕は自由に動かせましたか」
被告「動きませんでした」
弁護人「左腕は抜けなかったのですか。引き抜けなかったのですか」
被告「抜けませんでした」
《市橋被告は嗚咽をもらしたような声を出したが、その表情はうかがえない。弁護人はさらに左腕がリンゼイさんの体のどのあたりに接触していたかについて質問を重ねたが、市橋被告は「分かりませんでした」と繰り返した》
弁護人「リンゼイさんを押さえつけた状態で、リンゼイさんの顔がつぶれることを心配しなかったのですか」
被告「リンゼイさんの顔の下は畳でした。そのとき、リンゼイさんの顔がつぶれるとは考えていませんでした」
《傍聴席でリンゼイさんの遺影を抱く姉妹は生々しい犯行手口の表現に、うなだれてしまった》
弁護人「一昨日の公判で医者の証言を聞いたでしょ? あなたの左腕で被害者の喉が圧迫されたことも考えられると言っていたでしょ? 被害者の喉を圧迫した認識はありましたか」
被告「左腕がどこにあるか分かりませんでした」
弁護人「覆いかぶさっていたとき、右手はどうなっていましたか」
被告「右手は…、私の…右横で…。私はリンゼイさんの体に乗りかかった状態から、右側に右手を立てました」
《市橋被告は、実際にその場で右腕を動かしながら、右腕で畳をおさえ、体を支えていたと説明した》
弁護人「左腕と右腕が結ばれていたということはありますか」
被告「ありません」
弁護人「あなたが覆いかぶさったとき、リンゼイさんの後頭部はどの辺りにありましたか」
被告「私の胸の下にリンゼイさんの後頭部がありました」
弁護人「あなたは体をリンゼイさんの上に乗せ、リンゼイさんは声を出さなくなりましたか」
被告「出さなくなりました」
弁護人「体は動いていましたか」
被告「リンゼイさんの体は暴れていました」
弁護人「乗ったとき、どうしようと思ったのですか」
被告「リンゼイさんが動かなくなるまで、リンゼイさんの上に覆いかぶさろうと思いました」
弁護人「動かなくなるまでとは?」
被告「リンゼイさんが抵抗しなくなるまでです」
弁護人「抵抗しなくなるまでとは?」
被告「申し訳ありません」
《質問には答えず、はなをすすりながら謝罪する市橋被告。弁護人は「そうじゃなくて」と言い、質問を重ねる》
弁護人「抵抗しないとはどのような状態を想定していたのですか」
被告「逃げるのを諦めるまで…」
弁護人「(リンゼイさんが)逃げるのを諦め、声を出さなくなったら、どうするつもりだったのですか」
被告「リンゼイさんから離れるつもりでした。リンゼイさんにまた、(直前まで縛って監禁していた)浴槽の中に入ってほしかった」
《市橋被告の声は消え入るようにか細くなった。弁護側はこれまでのやり取りで、市橋被告に殺意がなかったことを強調したいようだ。弁護人は大型モニターに、市橋被告がリンゼイさんを押さえつけた状況を絵で描いた紙を映し出した》
《市橋被告がリンゼイさんの体の上に半身を乗せたような状態で左手で口付近を押さえているところから、完全に覆いかぶさって左腕をリンゼイさんの体に差し込むまでの過程が5枚に描かれている》
《市橋被告は弁護人の「これはどういう状況?」という質問に答える形で、絵の解説を行ったが、途中で涙声で「すみませんでした」と謝罪した》
弁護人「完全に覆いかぶさった状態でどれくらい時間が経ちましたか」
被告「私の感覚では短かったのです」
弁護人「その後、どうなりましたか」
被告「リンゼイさんは動かなくなりました。リンゼイさんが逃げるのを止めたと思いました」
弁護人「リンゼイさんは下を向いていましたか」
被告「はい」
弁護人「あなたはリンゼイさんを仰向けに起こしましたか」
被告「起こしました」
弁護人「どうなっていましたか」
被告「リンゼイさんは両目を開けていました。目の焦点は合っていませんでした」
《傍聴人席で目頭をハンカチで押さえ、泣く姉妹たち。検察側の後方に座る両親も目に涙をためながら、姉妹たちを心配するように見つめていた》
《市橋被告はその後、人工呼吸、心臓マッサージを説明した》
弁護人「あなたは心臓マッサージの技術を持っていましたか」
被告「持っていません」
《一般的に心臓マッサージで胸骨は骨折するとされるが、リンゼイさんの胸骨は折れていなかった》
弁護人「(胸が折れるような)やり方で心臓マッサージをしたのですか」
被告「していません」
弁護人「被害者を殺害しようとしたのですか」
被告「思っていませんでした」
《リンゼイさんの両親は「信じられない」という表情をしながら、ほぼ同時に体をのけぞらせた。殺意の有無は裁判の最大の争点となっており、弁護人は質問を続ける》
弁護人「死んでもいいと思いましたか」
被告「思いませんでした」
弁護人「死んでしまうかもしれないとは」
被告「思わなかった…。すみません」
弁護人「左腕がリンゼイさんの首を圧迫していると分からなかった」
被告「分からなかった…」
《絞り出すように答えた市橋被告。弁護人は「予定したものは終わりました」と堀田真哉裁判長に告げ、堀田裁判長は閉廷を宣言した。8日午前10時から被告人質問が続けられる》
第四回公判
弁護人「あなたはリンゼイさんに人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたと言いましたね」
被告「はい」
弁護人「それでも被害者の意識は戻らなかった?」
被告「はい」
弁護人「そのあと、どういう行動を取りましたか」
被告「リンゼイさんは動きませんでした。それを見たら、私は全身の力がなくなって、意識がなくなっていました」
弁護人「事件は(19年)3月26日午前2時から3時ころと言われましたね。あなたの意識が回復したのは、どれくらいたってからですか」
被告「26日の午後2時か3時の間でした」
弁護人「約12時間くらい、意識がなかったと」
被告「はい」
弁護人「目覚めた事情は」
被告「事情はありません。リンゼイさんにマッサージを繰り返したけど、全く動かなかった。そこから全く覚えてなくて、目が覚めたら外が明るかった」
弁護人「その時の精神状態はどうでしたか」
被告「これが現実なのか、夢なのか分かっていなかった。分かっていませんでした」
弁護人「なぜそんな心理になったのですか」
被告「最悪な状態になりました。これが夢であってほしいと思いました。現実が分からなくなっていました」
《市橋被告は涙声になった。弁護側は続いて、リンゼイさんが大声を出さないよう口などに貼ったとされる粘着テープについて質問した》
弁護人「いつの時点で、被害者にテープを使ったかは覚えていますか」
被告「覚えています」
弁護人「それはいつ?」
被告「私は3月25日の昼にリンゼイさんを殴っています。そのあと、リンゼイさんが大声を出さないよう、口や、口から頭のまわりにかけて粘着テープを貼っています」
弁護人「それで、どうなりましたか」
被告「口に貼ると声が出ないと思いましたが、リンゼイさんが口をもごもごさせると、唾液がついて、すぐテープが口からはずれました。何回かやってもはずれるので、諦めてはずしました」
弁護人「粘着テープは、なぜ家にあったのですか」
被告「私は以前から、床の掃除に粘着テープを使っていました」
《第3回公判で、市橋被告はリンゼイさんの拘束に使った結束バンドについて、配線コードをまとめて壁にかけるため平成18年に購入したと証言していた。弁護側はこの粘着テープを含め、市橋被告の犯行に計画性がなかったことを主張したいようだ》
《続いてリンゼイさんを入れていた浴槽の図面が、法廷の大型モニターに映し出された。頭を置く傾斜部分がA面、足を置く部分がC面と記されている》
弁護人「リンゼイさんの入れ方は、A面の部分に背中がつく形でいれたのですか」
被告「そうです」
弁護人「足はC面ですか」
被告「そうです」
弁護人「リンゼイさんは同じ姿勢で座っていたのですか」
被告「リンゼイさんはじっとしていませんでした。時々、動きました」
《父親のウィリアムさんは市橋被告をにらみつける。母親のジュリアさんは隣に座る通訳の方に顔を向けたままだ》
弁護人「あなたはリンゼイさんを2回殴ったと言っていましたが、どこを殴ったのですか」
被告「私も浴槽に入るようにして、顔を殴りました」
弁護人「入るようにしてとは、被害者と相対する形ですか」
被告「そうです」
弁護人「あなたはリンゼイさんに電話番号や似顔絵を書いて渡していますよね。被害者と連絡が取れないことを不審に思われ、すぐ、あなたに結びつくとは思いませんでしたか」
被告「思いました」
弁護人「あなたはリンゼイさんと人間関係を作って、早く帰そうと思っていたとも話していましたが、どのくらいで帰そうと思ったのですか」
被告「彼女に悪いことをした気がしたので、許してもらえたら、彼女を帰したかった。でも、私は、彼女を殴ってしまったのです」
《市橋被告の声は、徐々に小さくなっていった》
被告「リンゼイさんからは『警察には言わない。言わないから私を帰して!』と言われました」
弁護人「それを聞いて?」
被告「帰してあげたかった」
弁護人「なぜ帰さなかったのですか」
《弁護人はやや語気を強め、ゆっくり質問する。涙声で話し続けている市橋被告が、はなをすする音が法廷に響く》
被告「私が顔を殴ったせいでリンゼイさんの目の下が黒くなっていました」
「いま帰したらリンゼイさんが警察に言わなくても、ルームメートや周囲の人たちが問題にする。『今は帰せない』と思いました」
《検察官の後ろに座るリンゼイさんの父、ウィリアムさんは、鋭い目つきをしたまま、女性通訳の言葉に耳を傾けている》
弁護人「だから当時、付き合っていた女性に『1週間ぐらい会えない』とメールを出したわけですね?」
被告「はい」
《これまでの公判では、市橋被告がリンゼイさんに乱暴し、監禁した後の平成19年3月26日午前0時半ごろ、交際していた女性に『1週間ぐらい部屋にこもって勉強する。1週間電話しない』とメールを送ったとされる》
弁護人「逮捕されたとき、あなたは最初から黙秘していた?」
被告「事件のことは、黙秘していました」
《傍聴席から向かって正面に座るいずれも男性の裁判員6人は、一様に真剣な表情でメモをしたりしながら証言を聞いている》
弁護人「勾留質問で裁判官に何か言ったことは?」
被告「あります」
《逮捕後に行われた市橋被告に対する勾留の必要性を判断するための裁判所での答弁の内容を指しているようだ》
弁護人「何と?」
被告「『亡くなった方はもう何も話すことはできません。自分が間違ったことを訂正したり、自分に有利になることは言うことができないので、何も言いません』と言いました」
弁護人「起訴の直前に事件の概要を話していますね?」
被告「はい」
弁護人「供述調書に取られていますね?」
被告「はい」
弁護人「なぜ、話す気になったのですか」
被告「取調官からリンゼイさんの家族が来日していると聞きました。事件のことを話すことはありませんでしたが、謝罪はしたかった」
《事件後、リンゼイさんの両親は、何度も来日し、事件解決を呼び掛け続けてきた。一言一言、言葉を選ぶように話す市橋被告は、感極まってきたのか、声の震えが大きくなった》
被告「事件のことは話せない…。私は弱い人間です。事件のことを話すと、自分に有利な方に話をしてしまう。でも、謝罪だけはしたかった。でも、しゃべれない…」
《市橋被告は震える声で供述に至った心の揺れを告白していく。法廷は市橋被告の声だけが響き、静まり返っている》
被告「家族は、家族がどんなふうに亡くなったのか、どんな状況で亡くなったとしても、聞きたいと思っていると(取調官から)聞かされました」
「私は、どんなふうに亡くなったか、なんて(家族は)聞きたくないと思っていました。それ(取調官の話)を聞いて事件のことを話さないといけないと思いました。でも…」
弁護人「調書は、読み聞かせてもらいましたか」
被告「はい」
弁護人「内容に間違いは?」
被告「事件の経過については正しいです。しかし、リンゼイさんが動かなくなったときの様子は違っていました」
弁護人「内容が違っているのに、署名をしたのはなぜ?」
被告「私は、これでよかった。事件の流れがリンゼイさんのご両親に伝わればよかった。(両親に対する)謝罪の言葉をのせてもらった。それで十分でした」
《ジュリアさんは首を軽く左右に振った。考え込むような表情のままメモを取り続けている》
弁護人「最後の質問です」
「あなたの供述を検察官は信用してくれましたか」
被告「信用してくれませんでした」
弁護人「以上です」
検察官による厳しい尋問が始まる
検察官「先ほど、逮捕後一度話せば自分に有利なように話してしまうと言っていたのは、あなたが現実に思っていたことですか」
《市橋被告は少し間を置いて話しはじめる》
被告「そうはなりたくないと思っていました」
検察官「供述調書を作成したとき、あなたはリンゼイさんの遺族に謝罪したかったのですか」
被告「謝罪だけはずっとしたかった…」
検察官「(供述)調書には謝罪の言葉が載っていたけれど、言葉だけで十分だと思って謝罪したんですか」
《男性検察官は、市橋被告が逮捕後、断食して黙秘するなどの行動をとって、犯行状況について口をつぐんでいたことを指摘したいようだ。市橋被告はしばらく黙ったあと、一語一語しっかりと話しはじめた》
被告「事件の内容と、私の気持ちが入ればよかったです」
検察官「今述べた謝罪の気持ちってどういう気持ち?」
被告「(供述)調書に書いてもらったことですか」
検察官「はい」
被告「供述調書に書いてもらったのは、『彼女の死について私には責任がある。私はその責任を取る』ということです」
検察官「それ以上に謝罪の言葉を(供述調書に)載せてもらおうとは思わなかったの?」
《市橋被告のはなをすする音が法廷に響く。泣いているようだ》
被告「思いません。私がいくら言葉で謝っても、リンゼイさんは戻ってきません。私はちゃんとリンゼイさんの死について責任を取ると、それだけが言いたかった…」
《リンゼイさんの父、ウィリアムさんの視線が宙をさまよっている。何かを考えているようだ》
《男性検察官の質問は、犯行直前のリンゼイさんとのレッスンについてに移った》
検察官「駅前の喫茶店で行ったレッスンについて、レッスン料を持っていないということは、レッスン開始前から気付いていたのですよね?」
《市橋被告はしばらく黙った》
被告「飲み物を注文して、代金を支払うときに気付きました」
《男性検察官はため息をついた》
検察官「『はい』、『いいえ』で答えられる質問は、『はい』か『いいえ』で答えてくれる?」
「飲み物の代金を払うというのは、レッスンを受ける前だったのでしょ?」
《市橋被告は、またしばらく黙った。しびれを切らしたように、男性検察官が声を荒らげる》
検察官「黙秘したいのであれば、黙秘したいって言ってー…」
被告「違います」
《市橋被告が、男性検察官をさえぎって話しはじめた》
被告「レッスンが始まったのがいつなのかを考えていて。飲み物を取ってきて席についてから始まったのか、それとも(千葉県市川市の東京メトロ)行徳駅で待ち合わせして、喫茶店に一緒に歩いて来るまでも話していたので、彼女のレッスンがどこで始まっているのか…。私は正確に答えたい。だから質問を」
《いったん、市橋被告は口をつぐんだ》
被告「だから質問を、もう少し正確にお願いします」
《男性検察官は怒りを抑えているのか、腕を組んで下を向いた。後ろに座るリンゼイさんの両親を一瞬、振り返った後、質問を続けた》
検察官「あなたがレッスン代金を忘れたと、リンゼイさんに言ったのは、喫茶店を出る直前ですか」
被告「出る前です」
検察官「どのくらい前?」
被告「レッスンが、レッスンが終わる前です」
検察官「いずれにしろ、店にいる間、レッスンの終わり際になって、リンゼイさんに代金を忘れたと伝えたんでしょう?」
被告「そうです」
検察官「喫茶店で、代金を払う時点でレッスン代を忘れたと気付いたなら、リンゼイさんを喫茶店で待たせて、代金を取りに行けばよかったじゃないですか」
被告「そうです」
検察官「あなたの話を総合すると、今後もリンゼイさんのレッスンを受けていたいということじゃないですか」
被告「そうです」
検察官「レッスンが終わり際の段階になって、レッスン料金取りに行く。そんな行動をすれば、信用されずにレッスンを続けられないのではないですか」
被告「それもあります。でも、最初に喫茶店でレッスン料を払うお金がないことに気付いたとき、ここでお金がないと(リンゼイさんに)言ったら、最初のレッスンの雰囲気が悪くなると思ったので。私はリンゼイさんのレッスンを受け続けたかった。雰囲気を悪くしてはいけないと思いました」
《男性検察官は質問を変えた》
検察官「あなたは喫茶店に青い手提げカバンで行った?」
被告「いいえ」
検察官「その日は何らかのカバンを持っていってますか」
被告「はい」
検察官「それは何色ですか」
被告「黒色です」
検察官「なぜそのカバンを?」
被告「…いつも使っているからです」
検察官「その黒色のカバンにキャッシュカードや運転免許証を入れたポーチは入っていなかったの?」
被告「いいえ」
《男性検察官の隣に座った、別の年上の男性検察官が書類を眺めて、顔をしかめている》
検察官「常に運転免許証などを持ち歩いていたのではないですか」
被告「いいえ」
検察官「黒いカバンはどのくらいの大きさのものですか」
《市橋被告はすこし考えている》
被告「形はショルダーバッグくらいで、大きさは何の負担もなく肩に掛けられるくらいです。それしか正確なことは言えません。覚えていません」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんが、ウィリアムさんに何かを耳打ちしている》
検察官「喫茶店の後にタクシーに乗った?」
被告「そうです」
検察官「(市橋被告の)マンションの敷地内までタクシーに乗って来たのなら、現金を部屋から取ってきて、駅まで引き返して、往復の代金を払えばよかったのではないですか」
被告「もう一度」
《男性検察官と市橋被告のやりとりに、男性弁護人が口を挟んだ》
弁護人「検察官、尋問はなるべく短く区切っていただいた方が分かりやすいかと思います」
《男性検察官は顔を赤くしたが、ワンテンポおいて質問を続けた》
検察官「その場にタクシーが来ていたのなら、そのまま往復の代金を払って、そのタクシーで駅まで引き返せばよかったのではないですか」
被告「私がですか」
検察官「はい」
被告「1人でですか」
検察官「いいえ違います。リンゼイさんと駅までタクシーで戻ればよかったのではないですか。考えませんでしたか」
被告「考えていませんでした」
検察官「あなたはタクシー代を払った後に『5、6分待って』と言ったのですか。払う前にどうして言わなかったのですか」
被告「まずはタクシー代を払わなければ信用されないと思っていました」
検察官「リンゼイさんから『帰りはどうしたらいいのか』と言われ、とっさにタクシー運転手に『数分後にきてくれ』と言ったのではないですか」
被告「違います」
《検察側は冒頭陳述で、市橋被告が当初から強姦目的でリンゼイさんを自宅マンションまで連れて行ったと主張している。市橋被告がタクシーを呼び戻そうとした言動はとっさの機転だったに過ぎないとみているようだ》
検察官「リンゼイさんに『どうやって帰ったらいいのか』と聞かれ、どう答えたのですか」
被告「私は何も言えませんでした。タクシーが去ったとき、リンゼイさんは不機嫌な表情をしていて、私はうまく説明することができなかったのです」
《検察官は強姦時の状況に質問を移した》
検察官「玄関でリンゼイさんを押し倒した時点で、強姦をするつもりだったのですか」
被告「はい」
検察官「ハグ(抱き合う合うこと)しようとして拒絶され、どうして強姦しようと思ったのですか」
被告「玄関でリンゼイさんの後ろからハグをしようとしたとき、私はすでに『ハグをしてからリンゼイさんとキスや、セックスもしたい』と思っていました。でも…、でも…リンゼイさんは強く拒絶しました。それで私は誘惑に勝てず、リンゼイさんを強姦しようと思ったのです」
《検察側の後方に座るリンゼイさんの母親のジュリアさんは頭を抱えた》
検察官「弁護人の質問で『どういうつもりで抱きついたのか』と聞かれ、『ハグしたかったから』と答えていましたよね?」
被告「抱きついたのは最初にハグをしたかったからです」
検察官「キスやセックスをしたいと思ったのはいつの時点だったのですか」
被告「リンゼイさんが私の部屋に入ってくれたときです」
検察官「リンゼイさんをどのように押し倒したのですか」
被告「私はリンゼイさんが玄関に入った後、後ろから手を伸ばしてハグしようとしました。リンゼイさんが振り返り、私と顔と顔が向き合った状態で、強く拒絶しました。私はリンゼイさんを抱きかかえるようにして、玄関から続く廊下に押し倒しました」
検察官「押し倒した後、どうしましたか」
被告「私は彼女の服を脱がせようとしました」
検察官「それでどうしましたか?」
《市橋被告は少し間を置いてから答える》
被告「私はリンゼイさんの服を脱がせました」
《上下の服を脱がせ、全裸にしたと説明する市橋被告。リンゼイさんの父親のウィリアムさんは厳しい表情になった》
検察官「女性は服を脱がされそうになったら、ものすごく抵抗すると思うのですが、どう抑えて脱がせたのですか」
被告「数分間、激しくもみ合いました。数分間もみ合いになり、彼女は…リンゼイさんは抵抗しなくなりました。疲れたのだと思います。リンゼイさんが抵抗しなくなったので、服を脱がせようとしました」
検察官「上下とも裸にしてから結束バンドを使ったのですか」
被告「そうです」
《ジュリアさんは首を振り、憤った表情を見せた》
検察官「リンゼイさんはもみ合った際、大声を上げましたか」
被告「私が押し倒したとき、彼女は大きな声を上げました。内容は分かりません」
検察官「彼女が大声を上げないようにするために、何かしましたか」
被告「はい。私はリンゼイさんの口を手でふさぎました」
検察官「リンゼイさんを脅すような言葉を言いませんでしたか」
被告「言っていません」
検察官「言わない理由は?」
被告「リンゼイさんは強く抵抗しており、それを抑えるのに精いっぱいだったからです」
検察官「あなたはなぜ(リンゼイさんの手足を縛るため)結束バンドを使おうと思ったのですか」
被告「私がリンゼイさんを姦淫するとき、リンゼイさんが抵抗すると思ったからです」
検察官「(抵抗を抑える手段として)結束バンドを使おうと思いついたのはなぜですか」
被告「リンゼイさんは力が強かったです。姦淫するときには何かで縛らないといけないと考え、思いついたのは以前に買って使っていなかった結束バンドでした」
検察官「結束バンドを使う前に、粘着テープを使ったのではないですか」
被告「使っていません」
検察官「廊下の柱にリンゼイさんの髪の毛がついた粘着テープが貼られていました。なぜですか」
被告「姦淫したときに粘着テープは使っていません。もし柱にテープがあったのだとしたら、それはリンゼイさんが亡くなった後、私が貼ったもののはずです」
《検察官は首をかしげ、質問を続ける》
検察官「なぜ貼る必要があったのですか」
被告「これは、はっきり説明できないかもしれませんが、それでもいいですか」
検察官「はい」
被告「リンゼイさんが亡くなった後、私は4畳半に倒れていたはずのリンゼイさんと、(取り外し可能で4畳半に置かれていた)浴槽を、一緒にか別々かは分かりませんが、浴室に運びました。私はそのことを覚えていないのですが、私がしたはずです。リンゼイさんのご遺体と浴槽を浴室に入れた後、私はリンゼイさんの髪を切っているはずです」
「私は粘着テープを以前から床の掃除によく使っていました。だから、私が床に落ちていた髪をテープで取ったのか…、そんなことをした…して、したから、廊下の柱についていたのかもしれません。覚えていないのですが、テープが柱についたのはそのとき以外に考えられません」
検察官「コート、カーディガン、ブラジャー、いずれも切られた跡がありますね?」
被告「はい」
検察官「コートやカーディガン、ブラウスは、左の袖も右の袖も切られていますね?」
被告「はい…いや、ブラウスの右側は切れていません」
検察官「(写真を指さし)こっちの写真をみれば切れているでしょ?」
被告「はい」
検察官「いつ切ったんですか」
被告「私はリンゼイさんを姦淫するとき、リンゼイさんのコートを手で破いています。ブラジャーについては手で切っていません。姦淫する前、裸にするときは普通にはずしています。ブラジャーが切れているのは、リンゼイさんが亡くなった後、私がはさみで切っているかもしれません」
被告「カーディガンは、手ではこのように破れません。だからはさみで切ったのは覚えていませんが、リンゼイさんが亡くなった翌日(平成19年3月26日)にはさみで切ったと思います」
《ひとごとのように分析する市橋被告。衣服などを切った理由は判然とせず、首をかしげる裁判員もいる》
《検察側はさらに、下着やタイツの尿の跡についても尋ねるが、市橋被告は「分からない」「覚えていない」と繰り返した》
《検察官は次に、市橋被告に乱暴された後のリンゼイさんの様子について尋ねていく》
検察官「強姦後、リンゼイさんは何と話していましたか」
被告「『警察には言わない。帰してくれ』と繰り返していました」
検察官「リンゼイさんは『知らない男に襲われたと言えばいい』と言っていましたか」
被告「はい。帰してほしい、と何度も言いました。『外国人登録証を持っている。信用できないなら、それを持っていてもらっても構わない』『道を歩いていて、見知らぬ男に襲われたと言えばいい』と話していました」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは右手で両目を覆い、下を向いている。さらに、リンゼイさんの両足を結束バンドで縛った状態で乱暴したときの姿勢についての質問に市橋被告が答え、ジュリアさんら遺族の表情は険しくなっていく》
殺害後〜遺棄
被告「リンゼイさんのご遺体が入ったバスタブをベランダに出し、土をかぶせたことは覚えています。なぜやったかは、私は分かっていませんでした」
《市橋被告は「はあ」と大きな息を吐き、「すいません」とつけ加えた。声は激しく震えている》
検察官「あなたが土を購入したとき、脱臭剤なども買ったのはなぜですか」
《検察側冒頭陳述などによると、市橋被告はリンゼイさん殺害後の平成19年3月26日夕に一度外出して近くのホームセンターで土や脱臭剤を購入している》
被告「分かりません。しかし、私は土と一緒にそれらを買っています」
2011.7.8 15:37 (3/5ページ)
《検察官は矢継ぎ早に質問する》
検察官「リンゼイさんの頭髪を切ったのはなぜですか」
被告「髪を切った行為自体覚えていないのです。ただ、私とリンゼイさんしかいませんでした。髪を切ったのは私です」
《ジュリアさんは目を押さえた》
検察官「警察が訪ねてきたとき、スポーツクラブに出かけようとしていましたね?」
被告「そうだと思います」
検察官「なぜ、リンゼイさんを土に埋めたあと、スポーツクラブに行こうとしたのですか」
被告「それは、いま考えれば…」
《ここで市橋被告は「いま考えればということでもいいですか」と検察官に尋ねる。検察官は「はい」と応じた》
被告「(同年3月)26日午後2時か3時の間に目が覚めてリンゼイさんの状態を確かめ、夢なら覚めればいいと、夢か現実か分からない状態になっていました」
「(スポーツクラブに出かけようとしたのは)普通の生活に戻りたかったのかもしれません。いまから考えると、このことぐらいしか答えられません」
《右から2番目の裁判員はあごに手を当て納得がいかないような表情で市橋被告の証言に聞き入っている》
検察官「警察官が来たとき、あなたはなぜ逃げたのですか」
被告「玄関から出ると警察の方がいました。警察官に囲まれ、『リンゼイさんのことを知っているか』と尋ねられると、私がリンゼイさんにしたことが頭に浮かんできました」
「そのときリンゼイさんが言った『私の人生は私のもの』ということが分かりました。急に怖くなりました。私は卑怯(ひきょう)にも逃げ出しました。申し訳ありませんでした」
《この後、検察官が強姦の際に使った避妊具をどう捨てたのかの確認を行う。市橋被告は「ゴミ箱として使っていたバケツに捨てた」と説明した》
《検察官はバケツから発見された証拠品の写真を法廷内に設置された大型モニターに映しながら「避妊具も結束バンドや粘着テープと一緒にレジ袋に入れて捨てたのでは」と質問するが、市橋被告は「違う。バンドなどは強姦の後も切っていない」と否定した》
《ウィリアムさんは厳しい目付きで市橋被告の言葉を翻訳する女性通訳を見ている》
《検察官はまた質問を変える》
検察官「調書では、リンゼイさんの首を絞める状況がどう記載されていますか」
被告「リンゼイさんが動かなくなる直前の様子のことですか」
検察官「はい」
被告「調書では『リンゼイさんの首を絞めました』となっています」
検察官「調書では、リンゼイさんが『I got it(アイ・ガット・イット=分かった) アハハ』と言った後、首を絞める力を強めたと書いていますね?」
《市橋被告は「もう一度お願いします」と聞き直し、検察官が質問を繰り返す》
被告「調書には書いています」
検察官「黙秘をやめた理由は、遺族が事件の経緯を知りたいと言っていると聞かされたからですね」
被告「私が部屋に戻ったのは午前4時ごろです。私は家計簿をつけていたので、(家に)戻った後は、その日使ったお金をつけていました。そのあと、リンゼイさんと会う約束があったので、寝たと思います」
代理人弁護士「その間、あなたは粘着テープを切ったり、結束バンドをわっかにしたりして、(犯行の)準備をしていたのではないですか」
被告「準備…」
《市橋被告の答えをさえぎって、男性代理人弁護士は質問を変えた》
代理人弁護士「あなたが(強姦の時)結束バンドを取りに行こうとしたら、リンゼイさんは逃げようとしましたか」
被告「…私は」
代理人弁護士「結構です」
弁護人「異議あり。被告は答えようとしています」
《市橋被告の答えをさえぎろうとした男性代理人弁護士に、弁護人は異議を申し立て、認められた》
《かみ合わないやりとりのあと、市橋被告は「(逃げようと)していません」と答えた》
《その後、男性代理人弁護士の「息ができなくなったら死ぬと分かっているのか」との質問に、市橋被告がまわりくどい答えを返した後、男性代理人弁護士は質問を終えた》
代理人弁護士「結構です。終わります」
裁判官「リンゼイさんの体から離れて結束バンドをとったんですか」
被告「いいえ、離れていません。右手をリンゼイさんの体に置いた状態で、左手を伸ばし収納棚の扉を開けました。手でゴソゴソ探して結束バンドを見つけ、棚の下に落としました」
裁判官「その後、避妊具を装着してリンゼイさんを姦淫していますが、避妊具はどこから取り出しましたか」
被告「物置の棚の下にいつも置いていました」
《男性裁判官は見取り図を取り出し、堀田真哉裁判長と小声で相談する》
裁判官「物置の棚とはどこのですか」
被告「すいません、げた箱の棚の上、靴箱の棚の上です」
裁判官「結束バンドと同じ場所ですか」
被告「違います」
裁判官「結束バンドも靴箱の収納棚ですよね」
被告「違います」
《首をひねる男性裁判官。結束バンドと避妊具が不自然に同じ場所に置かれていたとすれば、リンゼイさん暴行の計画性を示す可能性もある》
弁護人「コンドームはなぜ玄関の棚に置いていたのですか」
被告「当時付き合っていた女性と肉体関係があり、外出するときに持っていけるように置いていました」
第五回公判
弁護人「被害者への手紙に加えて話すことは?」
《この法廷で、市橋被告がリンゼイさんにあてて書いた手紙が弁護側の証拠として読み上げられていた》
《「はあ、はあ」という市橋被告の激しい息づかいがマイクを通じて聞こえてくる》
被告「リンゼイさんの最期の気持ち、苦しくて、怖くて、つらかったと思います…」
《徐々に涙声になっていく。はなをすする音も法廷に響く》
被告「それを考えると、苦しくなります…。周りの壁が迫ってきます。呼吸ができなくなります…。でもそれをやったのは私です」
《やっと絞り出したというような声で言い切った》
被告「私はリンゼイさんの気持ちをこれからずっと考えていかなければなりません…。と思います」
弁護人「被害者にとってあなたはどう見えていると思いますか」
被告「けものに見えていると思います」
弁護人「あなたの一番の罪は何だろう?」
被告「一番の罪…。リンゼイさんに、怖い思いをさせ、苦しませ、死なせてしまったことです」
《市橋被告の声の震えが収まらない。右から3番目の男性裁判員は身を乗り出すように、市橋被告の表情をうかがっている》
弁護人「(リンゼイさんの)ご両親の『最高に重い罪になってほしい』との言葉は聞きましたか」
被告「はい。聞いています」
弁護人「その証言についてどう思っています?」
被告「私はそれを重く受け止めなければいけないと思います」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは通訳の言葉を聞き逃すまいとするように顔を傾けて震える市橋被告の証言を聞いている》
弁護人「自分でどういう罪が相当か考えたことはありますか」
被告「ありません。私は裁かれる身です。裁判で何があったか話をすることだけ。あとは裁判所にお任せします。それ以上考えるべきではないと思っています」
弁護人「今、罪の深さが分かっていますか」
被告「いいえ」
《罪の深さが分からないとする市橋被告の回答に、男性弁護人は改めて聞き直した》
弁護人「まだ、足りないということ?」
被告「はい」
弁護人「一生かけて罪と向き合っていく?」
被告「その…。はい」
《証言台の席に座る市橋被告は、両手のこぶしをそれぞれ握りしめている》
弁護人「事件のとき、本当に思っていたら、少なくとも警察に連絡したり、逃げなかったと思うんだけど」
被告「そうです」
弁護人「2年7カ月、もっと早く出頭すべきだったのでは」
被告「そうです」
弁護人「なぜできなかった?」
被告「私の中は自分勝手であふれています。私がリンゼイさんにした行為に向かい合うということをしませんでした。リンゼイさんにした行為の責任を取ることが怖かった。だから、『誰だって逃げる。誰だって逃げるんだ』と言い聞かせて逃げていました。本当に卑怯(ひきょう)でした」
弁護人「本件以外にこれまでに女性を殴ったことはありますか」
被告「ありません」
弁護人「無理矢理の性行為を強要したことは?」
被告「ありません」
《涙声ではなをすする市橋被告。弁護士に促され、手に握りしめていた赤いハンカチで「ずずずっ」とはなをかんだ》
弁護人「なんでこんな事件を起こしたの?」
被告「逃げていた間に考えたのですが、私が自分がした行為に責任を取ろうとせず、逃げてきたからです」
《男性弁護士はたたみかけるように質問を続ける。市橋被告を説き伏せているようだ》
弁護人「被害者に部屋に入ってもらって、ハグ(抱き合うこと)をしようとしましたね。拒否された時点で止めればよかったのではないですか」
被告「そうです」
弁護人「強姦しておいて人間関係をつくろうなんてごまかしでしょ」
被告「逃げです」
弁護人「向かい合わないから殴っちゃうんでしょ」
被告「はい、そうです」
弁護人「そのときに責任を取らないから、アザができちゃって、1週間(自宅に)帰せない。これもごまかし」
被告「はい」
弁護人「そのつど、やったことに責任を取らないから、最悪の結果になったんでしょ」
被告「はい」
弁護人「『逃げて、誰だって逃げる』。全部自分、自分、自分でしょ」
被告「はい」
《市橋被告は7日の被告人質問で、自宅玄関でリンゼイさんに抱きついた理由を「誘惑に負けた」と説明している。拒否されて廊下に押し倒して乱暴した後に、リンゼイさんの言動に腹を立てて顔を殴ったとされる》
弁護人「責任をね、取らないからね、こういう形であなたの人生がめちゃくちゃになったんでしょ」
被告「はい」
弁護人「もう、だから、責任から逃げるつもりはない?」
被告「…」
《市橋被告は、体を震わせながらうなずいた》
弁護人「もう逃げたくないんでしょ」
被告「…」
《言葉を出せない市橋被告は、もう一度うなずいて反応した》
弁護人「被害者に1点でも落ち度は?」
被告「ないです。ありません」
弁護人「今後、責任転嫁はしませんね」
弁護人「そういう気持ちで証言したと誓えますね」
被告「はい」
《ウィリアムさんは口を真一文字に結び、顔をしかめた。男性弁護士は市橋被告が出版した手記について質問した》
弁護人「責任を取る方法として?」
被告「そのときは浅はかにもそう考えました。申し訳ありませんでした」
《市橋被告は、公判で刑事責任を取り、リンゼイさんの気持ちや家族を考えて生きていくことで道義的責任を取りたいと主張した》
《市橋被告はさらに強く、左手のハンカチを握りしめた。ウィリアムさんは顔を横にふる。市橋被告の考えに納得がいかないのだろうか》
弁護人「(手記の執筆は)被害者への弁償、民事責任と考えている?」
被告「そう考えていました」
弁護人「弁償として申し入れた金額は?」
被告「分かっています」
弁護人「金額は?」
被告「912万9885円と聞いています」
弁護人「でも、(リンゼイさんの遺族は)1円も受け取るつもりはない、と。それを聞いてどう思いますか」
被告「本当に申し訳ありません。私はリンゼイさんの家族の立場を考えなくてはいけないと思っています」
《男性弁護士は、手記の印税を受け取ってもらえない場合について質問。市橋被告は手を付けるつもりはないと説明した》
弁護人「受けとってもらえないということだが、お金はどうするつもり?」
被告「弁護士の先生に相談して、何か社会に役立ててもらおうと思っています」
「私は、人間以下の行為をしました。でも、よい人間になりたかった。実際には悪でした」
《通訳を介して説明を聞くウィリアムさん。2度うなずき、ジュリアさんに小声で話しかけた》
弁護人「今日まで自分の親と会ったり、連絡したことは?」
被告「ありません」
弁護人「理由は?」
被告「リンゼイさんが両親と会えないようにしたのは私。その私が両親と連絡を取ることはできないと思いました」
弁護人「自分の親に対してどう思う」
被告「事件を起こすまで、たくさんのチャンスをくれました。でも、感謝することができなかった。ただ、迷惑をたくさんかけました。その迷惑を考えるといえることはありません」