貧しい国とは?
最貧国とは、開発途上国の中でも最も開発が遅れた国々
という意味で、しばしば後発開発途上国
(Least Developed
Countries)
を指します。
https://www.unicef.or.jp/kodomo/teacher/pdf/fo/fo_45.pdf
貧しい国の定義です。
貧困とは単純にお金がある、ないという経済的な側面だけ
でなく、人間として享受すべき教育や医療などの社会サービ
スが受けられない状況も含めて多角的に測られるべきもので
す。
https://www.unicef.or.jp/kodomo/teacher/pdf/fo/fo_45.pdf
貧困について考えさせられる文章です。
貧困率とは所得が国民の平均にも満たない割合を指します。
ちなみに日本の貧困率は16.0%です。
ここでは世界の貧困率のランキングを発表したいと思います。
第5位 シエラレオネ 貧困率70.2%
シエラレオネ共和国(シエラレオネきょうわこく)、通称シエラレオネは、西アフリカの西部、大西洋岸に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。北にギニア、南東にリベリアと国境を接し、南西は大西洋に面する。首都はフリータウン。
シエラレオネ – Wikipedia
シエラレオネについての基本情報です。
約10年以上続いた内戦による影響で、現在でも世界で最も平均寿命が短い国(2014年度で46歳、WHO報告)の一つとなっている(他にはエイズ禍が深刻な南部アフリカ諸国が平均寿命の下位を占めている)。
シエラレオネ – Wikipedia
このように世界で最も平均寿命が短い国になってしまいました。
シエラレオネ内戦は1991年から2002年にかけて行われた戦争です。
反政府勢力、革命統一戦線(RUF)と政府軍に分かれて戦いました。
内戦の原因はダイヤモンド鉱山の領有権問題です。
第4位 コンゴ民主共和国 貧困率71.0%
アフリカ大陸中央部のコンゴ川流域に広がり、アルジェリアに続いてアフリカ大陸で第2位の面積を擁し、世界全体でも第11位の面積を擁する広大な国家である。
コンゴ民主共和国 – Wikipedia
コンゴ民主共和国は大きな国です。
2009年、コンゴ国民は未だ毎月およそ45000人が亡くなっていると思われ、[8] 長い紛争の間になくなった数の推計は90万人から540万人程度である。[9] 死亡者数は蔓延る感染病と飢饉によるものである。
コンゴ民主共和国 – Wikipedia
コンゴ民主共和国はこのように毎年多くの人が亡くなっています。
首都キンシャサでは、「シェゲ」と呼ばれるストリート・チルドレンによるひったくりやスリ、「クルナ」と呼ばれる不良暴力集団による殺人、強盗、恐喝事件が多発しています。
海外安全ホームページ: 安全対策基礎データ
外務省も警告を出しています。
第1位 ハイチ 貧困率80.0%
ハイチ共和国(ハイチきょうわこく、ハイチ語: Repiblik d Ayiti、フランス語: République d’Haïti)、通称ハイチは、中央アメリカの西インド諸島の大アンティル諸島内のイスパニョーラ島西部に位置する共和制国家である。
ハイチ – Wikipedia
ハイチは初の黒人による共和制国家でもあります。
ハイチでは独立してから現在まで国内が混乱しています。
さらに大規模災害が発生したり、復興がうまくいかなかったりと混乱を解決できていません。
主要都市では殺人等の凶悪事件は継続して発生しており、国民の生活環境改善への期待と不満が混在する中、銃器へのアクセスが容易である当地において、凶悪犯罪の危険性が増す可能性は依然として高いと言えます。
海外安全ホームページ: 安全対策基礎データ
ハイチでは凶悪事件が発生しています。
第1位 リベリア 貧困率80.0%
リベリア共和国(リベリアきょうわこく)、通称リベリアは、西アフリカに位置する共和制国家。北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はモンロビア。
リベリア – Wikipedia
リベリアは列強の植民地にならなかったアフリカの国です。
(1)首都モンロビア市内においては、内戦終結以来、特段の戦闘行為は発生していませんが、人口過密、高い失業率等の要因により一般犯罪は多発しています。
海外安全ホームページ: 安全対策基礎データ
高い失業率も問題になっています。
第1位 チャド 貧困率80.0%
チャド共和国(チャドきょうわこく、République du Tchad)、通称チャドは、アフリカ中央部の国家。スーダン、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、リビアと国境を接する。首都はンジャメナ。
チャド – Wikipedia
チャドという国名を一度は耳にしたことがある人は多いのではないのでしょうか。
2003年から2004年にかけて隣国スーダンのダルフール紛争が激化、20万人とも推定される難民と追撃する民兵組織がチャド国内に侵入し、政情を不安定なものにさせた。
チャドの歴史 – Wikipedia
政情を不安定にさせる原因の一つとして内戦が挙げられます。
チャド国内の反政府勢力en:United Front for Democratic Change(FUC)は混乱に乗じて2006年4月13日に首都ンジャメナを攻撃したが(en:Battle of N’Djamena (2006))、政府側に撃退されている。
チャドの歴史 – Wikipedia
反政府勢力が活発に活動しています。