源氏名に名字を付けるなら参考に!!格式高い華やかな名字とその由来

sangolow
源氏名を付けるに際して、名字って悩みますよね。せっかくなら高級感溢れるラグジュアリーな名前を付けてみたいもの、そこで参考までに名字のそもそも論と、参考になりそうなお公家さんの名字を挙げておきました。

お急ぎの方は是非こちらへ!!
以下、結構薀蓄が長いですww

水商売に足を踏み入れて悩む源氏名、そしてその名字・・・

いすず@1412_su

貴族とか公家ぽい名字の人すごい羨ましい…私、全国名字ランキング50位以内のありきたり名字……

せっかくならラグジュアリーな名字を纏ってもみたいもの、そこで参考になりそうな名字の生い立ちについて調べてみました。

姫海棠という名字も格式高そうですし

昔の日本人の名前ってこんな感じ・・・

明治維新以前の日本の成人男性は、とりわけ社会の上層に位置する者は、家名(カメイ)と氏(ウヂ。本姓)の2つの一族名、仮名(ケミョウ。通称)と実名(諱)(ジツメイ、イミナ)の2つの個人名を持っていた。
人名 – Wikipedia

人名としての実際の配列は、家名、仮名、氏、実名の順

・大石内蔵助「大石内蔵助藤原良雄」
(おおいしくらのすけふじわらのよしたか)」
家名(名字)「大石」、通称「内蔵助」(律令官名で内蔵寮次官)、
氏「藤原」、実名(諱)「良雄」
・織田信長「織田弾正忠平朝臣信長」
(おだだんじょうのちゅうたいらのあそんのぶなが)
家名(名字)「織田」、通称「弾正忠」(律令官名で監察・警察官僚)、
氏「平」、姓(地位的なもの)「朝臣」実名(諱)「信長」

まずは姓・氏・名字の違いを押さえよう。

姓(カバネ、可婆根)とは、古代日本のヤマト王権において、大王(おおきみ)から有力な氏族に与えられた、王権との関係・地位を示す称号である。
カバネ – Wikipedia

。カバネには有力豪族により世襲される称号として、いわゆる爵位としての性格と、職掌の伴う官職としての性格の二つの側面があるとされ、古代、ヤマト王権の統治形態を形成する上で重要な役割を果たしてきた。
原始的カバネとは、ヤマト王権が成立する以前から、在地の首長や団体名に使われたと思われる名称である。
ヤマト王権が確立するとカバネが制度化され、王権との関係・地位を示す称号となる。
姓の制度は、壬申の乱(672年)の後、天武天皇が制定した八色の姓(やくさのかばね)によって有名無実化される。

成務天皇
国造(くにのみやつこ)、県主(あがたのぬし)、ワケ(和気、別)、稲置(いなぎ)など
允恭天皇 臣連制
公・君(きみ)、臣(おみ)、連(むらじ)、直(あたい)、首(おびと)、史(ふひと)、村主(すぐり)など
臣連制の中で最も有力な者には更に大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)、百済滅亡後に帰化した百済王族に与えられた王(こにきし)など
天武天皇 八色の姓(やくさのかばね)
真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣・連・稲置

日本の古代における氏(うじ、ウジ)とは、事実上または系譜上、祖先を同じくする同族集団、すなわち氏族を指す
氏 – Wikipedia

古代
ヤマト王権(大和朝廷)が形成されると、朝廷を支え、朝廷に仕える父系血縁集団として、氏姓(うじかばね)制度により姓氏(せいし)へと統合再編され、支配階級の構成単位となった。(中略)氏の名は朝廷内での職掌や根拠地・居住地の地名に由来し、多くは氏姓制度により地位に応じて与えられたカバネ(姓)を有し、政治的地位はカバネによって秩序づけられた。
中世
平安時代の貴族や武士では、血縁集団を区別するための氏(ウジ)とは別に、家族集団を区別するために家名ないし苗字を名乗るようになり、それが一般的に通用するようになる。例えば源氏の中のある家系は足利という苗字を称し、別の家系は新田の苗字を称した。つまり足利も新田も、血縁集団としては同じ源姓の源氏だが、家族集団としては足利家と新田家と別個に分かれた。時がたてば、足利も新田も家族的規模からより大きな氏族的規模となり、そこからさらにまた家族集団が新しい苗字で別れていった。

公卿などは早くから邸宅のある地名を称号としていたが、これが公家・武家における名字として発展していった。
名字 – Wikipedia

その家を現すためにその出身地を付けたのが名字の始まり
名字 – Wikipedia

平安時代、同じ氏族格式の中でも家系や家族が重要になり、家を区別する必要が生じた。
例)藤原氏 → 藤原北家 or藤原式家 or藤原北家 → 道長・頼通流 or それ以外

平安時代の貴族は母親の邸宅で育つため、その母方の邸宅のある地名などを名字につけた。
初期は一台限りであったが、平安後期より家名として家系を表すようになる。
例)近衛家、九条家、西園寺家など
この家名が武家社会以降の公家の名字となり、明治維新以降も受け継がれる。

その意味では地元の町名とか大字・小字以下を名字にするのもあり。
但し防犯上、珍しすぎる地名を除く・・・

武士は自らの支配している土地の所有権を主張するために自分の所有する土地(本貫地)(名 – みょう)の地名を名字として名乗り、それを代々継承した。
名字 – Wikipedia

鎌倉時代になると武士の所領が拡大し、大きな武家になると全国各地に複数の所領を持つようになった。鎌倉時代の武家は分割相続が多かったため、庶子が本家以外の所領を相続すれば、その相続した所領を名字として名乗るようになる。またさらなる土地の開墾によって居住域が増え、新たな開墾地の地名を名字とし、ますます武士が名乗る名字の数は増大していった。
(中略)南北朝時代以降は嫡子単独相続が主流となったため、このような形での名字の拡大は収まった。つまり一族の所領は兄弟で分割相続するのではなく、嫡子が単独で相続するため、嫡子以外の兄弟はその配下となり、独立しないため、新しい名字を名乗ることが少なくなった。

つまり年代が下るにつれ、家系の優劣を判断するのに細分化が必要となったということ。
「姓」で優劣が判断しきれなくなる→ 「氏」を使う・判断しきれなくなる → 「名字」

つまり古くから続く「姓 → 氏 → 名字」の順に伝統があり、格式の高い家系の本流と言える!!

但しイメージとしては古代よりも平安時代以降の方が華やかです。

1.古代に姓を与えられた家系(氏族)

【臣】
臣姓の豪族は主に奈良盆地周辺の地名を氏の名としており、元は天皇家とともに連合政権(ヤマト王権)を形成していたと推定される。
例)蘇我氏、巨勢氏(巨瀬・許勢)、紀氏、平群氏、葛城氏、波多氏、阿部氏、穂積氏など
【連】
『日本書紀』などにおいては、連姓の多くは皇室以外の神の子孫としている。
例)大伴氏、物部氏、中臣氏、土師氏、弓削氏、尾張氏など

【朝臣】684年(天武天皇13年)に初めて朝臣を賜った52氏
大三輪氏、大春日氏、阿倍氏、巨瀬氏、膳氏、紀氏、波多氏、物部氏、平群氏、雀部氏、中臣氏、大宅氏、粟田氏、石川氏、桜井氏、采女氏、田中氏、小墾田氏、穂積氏、山背氏、鴨氏、小野氏、川辺氏、櫟井氏、柿本氏、軽部氏、若桜部氏、岸田氏、高向氏、宍人氏、来目氏、犬上氏、上毛野氏、角氏、星川氏、多氏、胸方氏、車持氏、綾氏、下道氏、伊賀氏、阿閉氏、林氏、波弥氏、下毛野氏、佐味氏、道守氏、大野氏、坂本氏、池田氏、玉手氏、笠氏

氏の名は朝廷内での職掌や根拠地・居住地の地名に由来
氏 – Wikipedia

地名に由来する氏 -出雲氏、尾張氏、和邇氏、穂積氏、吉備氏、葛城氏、蘇我氏、毛野氏など。
朝廷内の職掌(品部)に由来する氏 – 物部氏、大伴氏、阿曇氏、額田部氏、膳氏、日下部氏など。
天皇に姓を賜わり新たに命名された氏 – 藤原氏、橘氏、源氏、平氏、豊臣氏など。

源平藤橘とは日本における貴種名族の四つ、源氏・平氏・藤原氏・橘氏をまとめた言い方である。
源平藤橘

四姓のうちもっとも古いのは藤原氏で、天智天皇を援けて蘇我入鹿を倒して大化の改新(乙巳の変)を実現した 中臣鎌足に始まる。

橘氏は敏達天皇を太祖とする氏族で、元明女帝に仕えた県犬養三千代が橘宿禰姓を賜り、 三千代と敏達天皇の皇胤美奴王との間に生まれた葛城王が臣籍に列し橘諸兄を称した。

平氏は桓武天皇の皇子葛原親王の子高棟王・高見王らが臣籍に下って平朝臣姓を名乗ったことに始まる。

四姓のうちもっとも新しいのが源氏で、平安時代前期、嵯峨天皇が皇子に源姓を与えて臣下に降したことに始まる。

2.御所に昇殿、太政官になれる資格のある堂上家

広義では公卿になることが出来る摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家の総称であるが、狭義では上記の内、羽林家以下を指し、平堂上とも呼ばれた。

摂家(せっけ):鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家
摂家 – Wikipedia

近衛家:衛大路に由来、藤原北家近衛流の嫡流。
九条家:京都九条の九条殿が家名の由来。藤原北家嫡流、藤原忠通の三男・九条兼実を祖とする。
二条家:藤原氏北家九条流。鎌倉時代、九条道家の二男二条良実が、二条富小路の邸宅を二条殿と称したのが家名の由来
一条家:九条道家三男一条実経を祖とし、道家が創建した一条殿を実経が家名の由来。別名「桃華家」
鷹司家:鎌倉時代中頃、藤原北家嫡流の近衛家実の四男兼平が祖。家名は平安京の鷹司小路に由来。

五摂家系図

清華家(せいがけ):公家の家格のひとつ。最上位の摂家に次ぎ、大臣家の上の序列に位置する。
清華家 – Wikipedia

・久我家
村上天皇の第八皇子具平親王の男右大臣源師房(1008年 – 1077年)を祖とする村上源氏の嫡流。
・三条家(転法輪三条家)
藤原北家閑院流(太政大臣藤原公季の子孫)。権大納言公実の二男太政大臣三条実行(1080年 – 1162年)が初代。
・西園寺家
藤原北家閑院流。同じく公実の三男権中納言西園寺通季(1090年 – 1128年)を祖とする。
・徳大寺家
藤原北家閑院流。公実四男左大臣徳大寺実能(1096年 – 1157年)を始祖とする。
・花山院家
藤原北家師実流(花山院流)。摂政太政大臣師実の次子右大臣花山院家忠(1062年 – 1136年)より始まる。
・大炊御門家(おおいのみかどけ)
藤原北家師実流(花山院流)。花山院家と同じく摂政師実の子大炊御門経実(1068年 – 1131年)が初代。
・今出川家(菊亭家)
藤原北家閑院流、西園寺家の庶流。

・醍醐家
藤原北家摂関流。江戸時代に五摂家の一条家から分かれた家。
・広幡家
正親町源氏嫡流。正親町天皇の皇孫八条宮智仁親王の第三王子、源忠幸(1623年 – 1669年)が臣籍降下して創設。

羽林家(うりんけ):鎌倉時代以降の公家の家格のひとつで、摂家、清華家、大臣家の下、名家と同列、半家の上の序列
羽林家 – Wikipedia

藤原北家閑院流(23家)
(三条家・西園寺家・徳大寺家をはじめとする藤原北家支流の公家の一門。)
姉小路家、阿野家、梅園家、裏辻家、正親町家、大宮家、小倉家、
押小路家、風早家、河鰭家、滋野井家、清水谷家、高松家、西四辻家、
橋本家、花園家、武者小路家、山本家、四辻家

藤原北家公季流ではない閑院家
藪家、中園家、高丘家、園池家

藤原北家花山院流(5家)
(花山院家の庶家一門)
中山家、難波家、飛鳥井家、野宮家、今城家

藤原北家中御門流
中御門家(通称:松木家):中御門嫡流(勧修寺流の中御門家とは別)。藤原頼宗の孫宗俊が祖。
持明院家:持明院嫡流。藤原頼宗の孫通基が祖。
園家、東園家、壬生家、高野家、石野家、石山家、六角家

藤原北家御子左流(4家)
冷泉家(上冷泉):御子左嫡流。藤原為家の子為相が祖。
冷泉家(下冷泉):御子左支流。冷泉為尹の子持為が祖。
藤谷家、入江家

藤原北家四条流(7家)
四条家:四条家嫡流。
山科家、西大路家、鷲尾家、油小路家、櫛笥家、八条家

藤原北家水無瀬流(5家)
水無瀬家:水無瀬嫡流。
七条家、町尻家、桜井家、山井家

藤原北家高倉流(2家)
堀河家、樋口家

宇多源氏(3家)
庭田家:敦実親王の後裔源経資が祖。旧家。
綾小路家、大原家

村上源氏(8家)
六条家、岩倉家、千種家
東久世家、久世家、梅溪家、愛宕家、植松家

名家(めいけ、めいか)とは、鎌倉時代以降に成立した公家の家格のひとつで、羽林家と同列で、半家の上の序列

半家(はんけ)とは鎌倉時代以降に成立した公卿の家格で堂上家の中でも最下位の家柄(中略)専ら源平藤橘以外の氏族を出自とし、特殊な技術を以って朝廷に仕える。
例)神職、陰陽師、医師など

地下家(じげけ)は、昇殿が許されない廷臣の家格。

以上、一旦ここまでとします。
気が向いたら随時更新します。

名前の方はこちらを参考に

https://matome.naver.jp/odai/2145199109416174201
2016年01月07日