【奇跡じゃない】サンフレッチェ広島が世界3位になれた理由【CWC】

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《FIFAクラブワールドカップ2015 presented by Alibaba E-Auto》においてサンフレッチェ広島が3位になり、世界で3番目のクラブになりました。サンフレッチェ広島がここまでの成績を収められた理由をまとめました。

■チーム史上、初の快挙!

Jリーグチャンピオンシップ決勝第1戦から19日間で6連戦をこなす超過密日程を乗り越えた先に“世界3位”の称号が待っていた。Jリーグ王者・サンフレッチェ広島がクラブW杯3位決定戦でアジア王者の広州恒大(中国)に2-1で逆転勝ち。
19日間で6連戦…“世界3位”の広島「美しく勝つより、しぶとく勝つ」 | ゲキサカ[講談社]

広島はクラブ史上初、日本勢として08年のG大阪以来となる世界3位に輝いた。
広島が世界3位に!! アジア王者・広州恒大を逆転で撃破 | ゲキサカ[講談社]

「開催国枠でJリーグの代表、日本の代表として戦おうということで、意地を見せてくれた。我々広島は全世界に中継がある中で平和都市広島を勝利をもって、世界3位を持って発信できたと思います」
「すべてのサポーターに勝利をお届け出来て良かった。また世界180か国に広島のサッカーを発信できたのはよかったと思います」
日本の若き名将が、ブラジルが誇る老将を上回る采配を見せ、世界3位を手繰り寄せた。
“名将対決”制した!森保采配的中!!「広島のサッカーを世界に発信できた」 (ゲキサカ) – Yahoo!ニュース

■サンフレッチェ広島とは?

Jリーグ創設時から存在したいわゆる「オリジナル10」のうちの1チームである。
前身は1938年に設立した東洋工業蹴球部。後に「東洋工業サッカー部」(※1971年)~「マツダスポーツクラブ(マツダSC)東洋工業サッカー部」(※1981年)~「マツダスポーツクラブサッカー部」(※1984年)~「マツダサッカークラブ(マツダSC)」(※1986年)と4度も名称を変更している。1991年のJリーグ加盟に伴いプロ化し、現名称になった。
愛称の『サンフレッチェ』の由来は、地元の戦国大名である毛利元就の「三本の矢」の故事にちなんで、「サン」は日本語の「三」、「フレッチェ」はイタリア語で「矢」を意味している。
ユニフォームはホームが紫、ビジターが白。
ホームスタジアムはエディオンスタジアム広島。

■マスコットは?

サンチェ(左)とフレッチェ(右)
チームマスコットは、中国山地に生息するツキノワグマをモチーフとしたサンチェとフレッチェ。サンチェはJリーグ創設時から存在し、Jリーグをあまり知らない人でも姿だけは見たことがある、という人が多いのではなかろうか。彼女のフレッチェは2000年に誕生した。
2013年9月には、第3のキャラクターとして「こやのん」が誕生している(Jリーグ未公認のため公式なマスコットではない)。

■珍エピソード…チェアマン杯破損

1994年6月11日、磐田スタジアムで行われたジュビロ磐田戦で、広島は2-1で勝利し、サントリーシリーズ優勝を決めた。選手は喜びのあまり授与された高級クリスタル製のチェアマン杯(HOYAクリスタル特製)を、頭に被ったり振り回したりしてはしゃいでいた。
ところがこの際、チェアマン杯をサポーターに見せようと、チームトレーナーが踏み台に上がろうとしたとき、興奮しすぎたため誤って転倒して手から落とし、チェアマン杯は粉々に破損。この珍事は翌日のスポーツ新聞紙面を飾った。クラブはその場でJリーグ側に陳謝、その後クラブには新しいチェアマン杯が送られた。この件以降、チェアマン杯は金属製となった。また、割ってしまった旧チェアマン杯のかけらは広島の選手スタッフおよびサポーター総出でかき集め、一旦溶かされてペンダントとなった。
この話には後日談がある。当時その模様を伝えるニュースでは、森山佳郎が持ってサポーターの方へ向かい広告ボードで躓いた状況が放送されたため、多くのファンは「割ったのは森山」と考え、森山本人も以後会う人全員から疑われて否定に必死だったという。また、広島はそこから長らくJリーグ三大タイトルに恵まれなかったが、一部では「旧チェアマン杯の呪い」と考えるものもいた。森山が監督を務めていたユースチームが高円宮杯U-18に優勝した際や、2012年のJリーグ初優勝の際には、サポーターによりこのことを揶揄する弾幕が張られている。(wikipediaより)

■珍エピソード…ユニフォーム忘れ

1995年4月1日、熊本市水前寺競技場で横浜フリューゲルス戦が行われた。この試合は当時九州にJリーグチームがなく、熊本県をホームタウンとほぼ同等の権限を持った特別活動地域の1つとしていた横浜Fのホームゲームだった。広島は、4日後の4月5日に万博記念競技場でガンバ大阪戦を控えており、アウェーゲームが続くため横浜F戦を前に2試合分の準備をし熊本にはそれら2試合分のアウェー用道具を持参していた。ところが持参したユニフォームはアウェー用の白で、しかも横浜Fの1stユニフォームは白。2つのアウェー用道具を一緒に事前準備していたためスタッフは間違いを犯した。水前寺競技場に着いて間違いに気付いた広島は球団事務所に紫の1stユニフォームを熊本まで届けるように頼んだ が、当然ながら間に合うはずもない。
広島は横浜Fの了解を得て、まず白ユニを紫に着色することを思いつき、熊本県サッカー協会からスプレーを借りたが時間が足りなかった。そこで、競技場に来ていたサポーターからレプリカユニフォームを借り、それにテープで背番号を貼って試合に臨んだ。借りたユニフォームは当然サポーターのものなので、スポンサーのロゴが描かれていないものもあった。ちなみにパンツとストッキングは2ndユニフォームを使用したので、上から紫・紫・白という組み合わせだった。
この試合はNHKBSにより生放送され、延長前半12分にイワン・ハシェックのVゴールで広島が勝利しJ通算50勝を達成した。広島の営業はスポンサーに詫びを入れに回り、Jリーグから制裁金が課せられた。
ちなみにレプリカユニを借りたサポーターには「選手が着用したものだから洗わずに今すぐ返してほしい」と言われ、後日この試合でベンチ入りした監督・選手全員のサイン入り色紙をプレゼントした。(wikipediaより)

■代名詞…サンフレッチェ劇場

ホームであるエディオンスタジアム広島において試合で勝利後、選手がトランジスタメガホン片手にサポーター席の前で選手自身が用意した扮装等パフォーマンスを行っている。
自チームサポーターに向けてパフォーマンスを行っていた中山雅史や岡山一成に憧れた柏木陽介と槙野智章が、2007年にホームゲームで勝利するとサポーター席の前にやってきてパフォーマンスを行っていたのが始まり。当初は2人の名前を取って「カシマキ劇場」と呼ばれていた。翌2008年、ここに森脇良太が加わり、現在の名前となった。森脇移籍後は、千葉和彦を中心に塩谷司や野津田岳人、増田卓也などが行っている。ちなみに、試合後の渋滞が緩和されるとして「クラブ公認」となっており、公式ウェブサイトにこの様子の動画が公開されている。また、スカパー!の試合中継内でも放送される。(wikipediaより)

■代名詞…ゴールパフォーマンス

2010年に槙野智章と森脇良太(時折GKの西川周作も参加する)を中心にゴール後にさまざまなゴールパフォーマンスを行うようになり、全国ネットのスポーツニュースで取り上げられるなど注目された。槙野は2011年に、森脇は2013年、西川は2014年に広島を退団したが、現在でも佐藤寿人を中心にパフォーマンスは続いている。(wikipediaより)

代表的な矢を放つパフォーマンス。

アメトーークでカープ大好き芸人が放送された後には、カープファンお馴染みのスクワット応援も披露。

話題となったようかい体操第一も披露。

小田拓司@odatakuji

サウザンドゴーラー、黄金の右足!! (笑) “@lovecarp: サンフレ野津田のゴールで先制
そしてランニングマンのパフォーマンス(笑) pic.twitter.com/5qqpYUC9qt

■代名詞…トリックプレー


FKを獲得したサンフレッチェ広島はキッカーを3人で構える。その中の1人、森崎浩司がボールの位置を直そうと手を伸ばすフリをして、ボールを少し浮かせる。そのボールを森崎和幸がフワッと蹴り上げ、相手DFが作る壁の裏側に走りこんだ小村へダイレクトパス。小村がシュートを放ったがゴールは決まらなかった。
http://www.youtube.com/watch?v=1dQLAdkggzw
PKで槙野がボールをセット。右利きの槙野は助走のためにゴール中央よりやや左寄りに後退し、背後(敵陣の反対側)に身体を向け、点を仰ぎ集中を高めるようなそぶり。その瞬間、やや右寄りにいた佐藤が急に挙動を開始、左足でボールをネットに流し込み得点した。
しかし、ルールブックのペナルティエリアの条項には『ペナルティキックを行う競技者は特定されなければならない』と明記されている。後日このプレーは反則であると発表されたが、誤審という形になり得点は認められた。審判をも欺くトリックプレーだったといえる。

PKでキッカーを務めた佐藤が、シュートを蹴ろうと後ろへ下がる。あたかも強く蹴るかのように助走を付けるが、左前方にちょこんと蹴り出し、ここに走りこんだ槙野がシュートを決め試合に勝利した。
前述の誤審PKからわずか2ヶ月だったこともあり、ルール上の問題が指摘されたが、このプレー自体は一度前に蹴り出している時点でPKは成立しており、問題ないと明かされた。

以上の3つは「マツコ&有吉の怒り新党」で注目された。


壁である相手選手を動揺させ隙間を作ったところに、強烈なシュートを放ち得点した。

■現監督 森保一とは?

愛称は「ポイチ」。
守備的MFとして中盤の底で守備を最優先し、相手の攻撃の芽を摘むことに長ける。日本にボランチというサッカー用語が定着するきっかけとなった選手。
87年マツダに入団。
92年4月、日本代表に初招集される。
97年末、広島は経営悪化がピークに達し、主力放出を余儀なくされ、京都パープルサンガにレンタル移籍した。完全移籍の方向で話を進めていたが、広島サポーターが怒り、反対署名を集め、レンタル移籍に変わった。
99年広島に復帰、同シーズンに広島の選手としては初のJリーグ通算200試合出場達成。
02年ベガルタ仙台に移籍も、翌シーズン末にJ2に降格、自身も戦力外通告を受け、04年1月に正式に現役引退。
確かな実力。
経営事情によりペトロヴィッチとの契約を断念したチームは、森保を監督とした。森保は3年ぶりの広島復帰で、クラブ史上初の生え抜きとなるトップチーム監督を務めることとなった。
同シーズン、日本人元Jリーガーの監督としては初であり、日本人新人1年目監督としては松木安太郎以来2人目となるJ1年間優勝を、翌2013年には松木(V川崎)、岡田武史(横浜FM)およびオリヴェイラ(鹿島)以来4人目となるJ1連覇を達成した。
そして2015年、森保監督は4年間で3度のリーグ優勝を果たした。

■失われる戦力

サンフレッチェ広島を支えていた選手たちが浦和レッズに集まる。
2010年 柏木陽介
2012年 槙野智章
2013年 森脇良太
2014年 李忠成
2014年 西川周作
2015年 石原直樹

また、主力だった高萩洋次郎が海外挑戦のため2015年に退団。

こんなん笑うやろ

サンフレッチェ広島vsサンフレッズ浦島やんけ pic.twitter.com/lfokmcgDKB

■育てる戦力

もとより、サンフレッチェ広島は育成型クラブと呼ばれていた。決して豊かとは言えない経営状況のため、若い選手や地元の選手を獲得して戦ってきた。育て上げた選手は日本代表に選ばれることもあった。一方で、他のクラブに引き抜かれることも少なくなかった。それでもめげずに育て続けている。そして期待に応えるように、若手が活躍を見せている。

■チームの意識

現在のサンフレッチェ広島は一体感が高く評価されている。チーム全体での方向性が定まっているのだ。どれだけお金を使って素晴らしい選手を獲得しても、お金で意識を統一させることはできない。監督が代わりサッカー自体に変更があり、システムがその都度変更され、その度に選手たちは新たな決まり事を取り入れプレーを変えなくてはいけないチーム作りよりも、チームとしてのサッカーの方向性を確立し、継続し時間を長く持つ持ち続けることで熟成されたチームを創る。昨年、結果が出たとはいえない年になり、さらに複数の主力選手がチームを離れながらも、芯を変えることなく今季の準備を行った。長年徹底し熟成した「広島サッカー」は、ブレることなく道を進んだ。
その一本通った信念が日々重ねられることで大きくなり、今「強さ」を誇っている。

「これまでの攻撃は、前線の選手たちによる“あうんの呼吸”によって作られていたところが多分にあったと思うけど、今季はそのうちのふたりがいなくなった。そうした状況にあっても、(新たな選手で)コンビネーションでうまく攻撃できればいいんですけど、(これまでのような)連動や連携はそんなに簡単に築けるものではない。もちろん、そこは理想としてトライしつつも、それができないからといって、『うまく攻撃ができませんでした』、結果『試合にも負けてしまいました』ではダメでしょ。だから、そうならないために、まずはしっかりとした守備を重視。失点をしないように攻守の切り替えをきちんとやっていこう、ということを最初に選手たちに伝えました」
広島は、決して“コンビネーションサッカー”を捨てたわけではない。ただ、それを築く過程で、カウンターとサイド攻撃という、新たな武器を身につけた。J1最少失点を誇る守備をベースにして、あらゆる攻撃を模索し続けてきた結果、広島はJ1最多得点を誇る攻撃も完成させたのである。
連覇時より強い。年間1位のサンフレッチェ「変幻自在の攻撃力」|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|J Football

■堅実かつ大胆な采配

現在のサンフレッチェ広島は出場メンバーが固定されていない。というのも、全ての選手が役割を果たせるという考えであるからだ。実際に試合を見てみるとわかるはずだ。主力のベテランであっても先発を外れ、公式試合の経験が少ない選手であっても世界大会に出ている。そしてなにより、その采配が的中する。入れ替えた選手が必ず活躍する。

■強さの理由

2012年、13年の年間優勝に続いての今季の年間勝ち点1位。この広島の強さのベースにあるのは、補強のうまさと若手育成のうまさ。広島は資金力のあるチームじゃない。ここ数年は毎年のように主力選手が他チームに移籍している。それにもかかわらず、ピンポイント補強と若手の突き上げでそれを補っている。
今年もMF髙萩(現FCソウル)、FW石原(現浦和)が抜け、開幕前の時点では「優勝は難しいだろう」という予想が大勢を占めていた。
ところが、新加入したブラジル人FWドウグラスが得点ランキング2位(21点)とブレイク。彼は昨季J2に降格した徳島でもそんなにゴールを決めていた選手ではないし、シーズン序盤もそれほど目立っていなかった。そんな“微妙な選手”を我慢して使い続け、チームのサッカーになじませた。それがシーズン後半の爆発につながっている。よく目をつけたと思う。
セルジオ越後氏「サンフレッチェ広島が王者にふさわしい」 – ライブドアニュース

「うちでタイトルを獲りたいと思って移籍してきた選手や、若手の選手がこのチャンピオンシップでも活躍した。2連覇したときのメンバーではない、そういう選手が活躍して優勝したことに意味がある」
今季チーム最多ゴール(21点)を決めたMFドウグラス。CS第1戦で起死回生の同点ゴールを決めたDF佐々木翔。同じく決勝ゴールを叩き込んだMF柏好文。CS第2戦の同点ゴールで勝負を決定づけた浅野。いずれも2連覇時には在籍していなかった、あるいはほとんど試合には出場していなかった選手たちばかりだ。
サンフレッチェ広島 主力が抜けても優勝を実現するチーム内の競争意識 – ライブドアニュース

少ない資金でありながら、弱点をピンポイントで補強するチーム。
目立たないが伸びしろのある選手を見つけ、使い続けて開花させる監督。
質の高い練習で共に高め合い、監督・ファンの期待に答える選手。
あらゆる要素が噛み合っている今、サンフレッチェ広島が世界で3位になったのは必然だといえよう。

https://matome.naver.jp/odai/2145061347328040701
2015年12月21日