
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130820/Hazardlab_2637.html
そもそも北方領土問題とは?
1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、1945年8月28日から9月5日にかけて赤軍(ソ連軍)は北方領土に上陸し占領した。北方領土は現在に至るまでソビエト社会主義共和国連邦および、それを継承したロシア連邦が実効支配を継続している。ロシアによる事実上の領有状態のため、日本国政府が領有権を主張しているものの、一切の施政権は及んでいない。第二次世界大戦後、現在に至るまで、ソ連・ロシア連邦に占領・実効支配されており、日本は固有の領土としてその返還を求めている。
北方領土問題 – Wikipedia
日本政府の主張:日本固有の領土
北海道の北東洋上に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島及び択捉(えとろふ)島の北方領土は、日本人によって開拓され、日本人が住みつづけた島々です。これら北方四島には、1945年(昭和20年) 8月の第二次世界大戦終了直後、ソ連軍により不法に占拠され、日本人の住めない島々になってしまいました。非常に悲しいことです。
北方四島は、歴史的にみても、一度も外国の領土になったことがない我が国固有の領土であり、また、国際的諸取決めからみても、我が国に帰属すべき領土であることは疑う余地もありません。
北方領土問題とは | 北方対策本部 – 内閣府
ソ連・ロシア政府の主張:戦利品としての北方領土
戦後日本の領土主権に関する最重要文書は、ヤルタ協定(一九四五年)である。同協定で,クリール列島のソ連割譲」が直接規定されている。日本は、同協定に調印していないし、その存在も知らなかったとして、協定の合意に日本は縛られないと主張している。確かに、当時日本は連合国と戦争状態にあり、ヤルタ協定に参加できるはずもなかった。しかし、だからといって、日本が協定事項の履行を免れることにはならないのだ。
ヤルタ協定とその合意事項は、一九五一年のサンフランシスコ講和条約で確認され、クリール列島に対する日本の帰属権の放棄が確定した。ソ連は同条約に調印しなかったから、ソ連がクリール列島を領有することはできない、とする日本の主張は根拠薄弱だ。講和条約で日本が列島の帰属を放棄したことは絶対的なものであり、その法的効果が及ぶ範囲は条約調印国にとどまらない。さらに日本側は、択捉、国後など四島がクリール列島に入らない、という論拠まで持ち出した。
しかし、連合国は、日本の北側国境は北海道の海岸線によって画定される、という認識をもっていたし、日本政府もかつて、四島はクリール列島の一部と認めていた。
北方領土返還要求に対するソ連の考え
ヤルタ協定とその合意事項(クリール列島(=千島列島)のソ連への割譲)はサンフランシスコ講和条約でも確認され、日本は千島列島の帰属権を放棄した、という主張です。
四島は、日本「固有の領土」という主張も考えてみる価値がある。竹下登首相は「イズベスチヤ」紙とのインタビューで、「四島は一八五五年の日露通好条約で日本領土として承認された」と主張した。しかし、ロシア人探検家が、十七世紀前半の時代から北太平洋の島々を含む極東の新しい土地を発見したことは、歴史資料が証明している。十八世紀、南部を含むクリール列島の全島がロシアに属していた。
ではなぜロシアは、クリール列島全島に対する歴史的かつ法的領有権をもっていたにもかかわらず、日露通好条約で国境線を択捉の東に引いたのだろうか。その答えは同条約の「以後ロシア、日本両国間の永続的な平和と心からの友好が続くように」というくだりにある。しかるにその後、日本は領土拡張主義に乗り出し、結局は日露戦争の勃発と日本によるサハリン南部の奪取という結果になった。これにより、国境線の画定に関する両国の協定は、すべて御破算になってしまった。
北方領土返還要求に対するソ連の考え
千島列島の歴史的・法的領有権はもともとロシアにあったが、「日本への思いやり」で日本の領有を許したにすぎないという主張のようですね。

http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2015_01_23/282366013/
日本共産党の主張:千島放棄条項を絶対視せず
第2次世界大戦末期の45年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦条件として千島列島のソ連への「引き渡し」を求め、アメリカとイギリスが認めたことに始まります。これは米英ソ自身が公約した「領土不拡大」という第2次大戦の戦後処理の大原則に反する行為であり、日本政府はそれを正すという大義を明確にする必要があります。具体的には、サンフランシスコ条約にある千島放棄条項を絶対視せず、歴史的な根拠、国際的な道理を示して堂々と全千島返還をロシアに求めるべきです。歯舞、色丹については、千島列島の返還や日ロ間の国境画定・平和条約を待つことなく、速やかな返還を求めるのが筋です。
千島問題をなぜ「北方領土問題」と呼ぶ?
サンフランシスコ条約(第二次大戦の日本と連合国の講和条約)の一条項そのものが、戦後処理の大原則に反していて無効という主張ですね。