元巨人のドラフト1位..野球のマスコットを定着させた草分け的な存在がいた

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野球のマスコットと言えば今では当たり前の存在になりましたが、実はこのマスコットを定着させた一人の人物がいたことをご存知でしょうか?

野球のマスコットと言えば今では当たり前の存在になったが…

最近大活躍のご当地ゆるキャラ。それに続くマスコットがプロ野球界に存在していたことを知っていましたか?
ゆるキャラの次はこれ!プロ野球球団マスコットがかわいすぎっ!|MERY [メリー]

野球ファンならずとも「なんとなく見たことある」というのが、球団マスコットではないでしょうか
自由すぎる振る舞いに笑いがこみ上げる!球団マスコットが色々やらかしていた

中日ドラゴンズのマスコットといえば、やはりドアラ。
その知名度と人気は球団マスコットの域を超え、プロ野球ファンだけではなく、子どもやゆるキャラファンにも広がっています
ドアラだけじゃない!中日ドラゴンズのマスコットたち | スポフリ

実はこのマスコットを定着させた一人の人物がいる

マスコットの“中の人”として史上初めて1000試合出場を果たした「マスコット界のパイオニア」島野修
1500試合連続出場に王手!つば九郎の足跡を振り返る〜飛べないからこそ地道に歩んだ21年 | 週刊野球太郎

島野さんのマスコット人生を考えると非常に足跡は大きい
プロ野球マスコットの先駆者・島野修さんに捧ぐ。 | 俺も許さない かな?

実は「巨人にドラフト1」で入団したという異色の経歴がある

神奈川県出身で、武相高から68年のドラフト1位で巨人に入団した
島野修さん死去…球団マスコット演じ18年 – 野球ニュース : nikkansports.com

山本浩二(広島)、星野仙一(中日)、田淵幸一(阪神)、山田久志(阪急)といった錚々たるメンバーが連なる中、巨人が1位指名したのが島野修
昭和43年巨人ドラフト1位 島野修の生き方 | 人生で必要なことはすべてプロ野球が教えてくれた

10年間プロとして活動したものの、巨人から阪急に移籍してからも成績はふるわず
通算1勝4敗で現役を退いた
ヒダカズの「ココロの授業」比田井家通信編:ブレービーの島野さん…

宴会芸が達者だったことから、引退後にマスコットの誘いを受けた

選手としては大成しなかった島野だったが、球団内では「宴会部長」として活躍
プロ野球マスコット界のパイオニア、島野修が歩んだ道(前編)(週刊野球太郎)|dメニュー(NTTドコモ)

宴会では一流だったらしく、山本リンダの「こまっちゃうな」をパンツ一丁でフリ付きで披露したのを、職員が覚えていてスカウトされたそうだ
島野修〜マスコットの名球界プレーヤー  ver.17 – 一瞬専手録 Issen

メジャーリーグのマスコットが生き生きと活躍しているビデオを見て、引き受ける決心をしたとの事です
ファンゾーン | 北海道日本ハムファイターズ

ファンサービス担当者の「野球を知っていないとできない仕事だよ」との言葉に「お客さんが少しでも増えるなら」と引き受ける決心をつけた
島野修 – Wikipedia

しかし、心無いヤジが飛ばされるなど辛いことも多かったという

相手チームの野次はひどかった。
「島野、そんな情けないこと、よくやってられるな」
「ドラフト1位が泣くぞ。はずかしくないのか」
ヒダカズの「ココロの授業」比田井家通信編:ブレービーの島野さん…

同期のドラフト1位はすごい連中ばかり。それができなかった自分はこれで生きるしかないんだ。わからないだろうけどね
昭和43年巨人ドラフト1位 島野修の生き方 | 人生で必要なことはすべてプロ野球が教えてくれた

当たり年だった68年ドラフトの大外れが、
着ぐるみに入ってまで野球にしがみつかなアカンとは…。
ここまで落ちぶれたないのぉ…」等のヤジ
ドラフト1位からマスコットで金字塔の島野修氏逝く: 心の栄養にっこり

「プロで10年もやった、しかも巨人にドラフト1位で入団した選手のする仕事じゃない」と、認めてもらえない日々が続いた
マスコット界のパイオニア、島野修が歩んだ道(中編) | 週刊野球太郎

それでも、マスコットを全うした

マスコットとして通算1175試合に連続出場
島野修さん死去…球団マスコット演じ18年 – 野球ニュース : nikkansports.com

スーツアクターは重さ10キロ以上の衣装を身に着けながら様々なパフォーマンスを行うため大変な重労働
島野修 – Wikipedia

幾度かの大ケガなどを克服しながら出場を続け、91年にネッピーへの「変身」を経て、96年には日本のマスコットとして初めて1,000試合出場を達成
ファンゾーン | 北海道日本ハムファイターズ

2010年に亡くなってしまったが、その功績と輝きは多きい

功績と輝きは、各球団にいる二世や三世のマスコット達が受け継いでくれるに違いない
島野修〜マスコットの名球界プレーヤー  ver.17 – 一瞬専手録 Issen

現在も他球団のマスコット担当者から「島野さんのネッピーのようになりたい」と崇められるほどである
島野修 – Wikipedia

我々野球ファンは、その礎を築いた男の生き様を、後世に語り継いでいかなければならない
【プロ野球】マスコット界のパイオニア、島野修が歩んだ道(後編)(週刊野球太郎) – goo ニュース

https://matome.naver.jp/odai/2144344541204095401
2015年09月28日