純文学誌「文学界」(文芸春秋)編集部の浅井茉莉子さん(31)は「火花」の担当編集者で、又吉の文才に注目して小説執筆を依頼した「作家・又吉直樹」の生みの親でもある
「芸人・又吉」を「作家・又吉」へと導いた人は、会見場の片隅から壇上にいる新芥川賞作家の晴れ姿を見つめていた。「編集者として震えるくらいうれしいです」。浅井さんにとっても初めて味わう喜びだった。
2010年、文芸誌「別冊文芸春秋」編集部に在籍していた当時、うわさを聞いた。「ピースの又吉さんがウチの雑誌を愛読してくれているらしい」。ブログを見ると「別冊文春」への愛をつづっていた。「なんて人だと…。本好きでも、なかなか読まないような雑誌なので…(笑い)」
翌11年、プライベートで訪れたイベント「文学フリマ」に、やはりプライベートで来ていた又吉の姿を発見。あいさつして「雑誌を毎号送らせてください」と伝えると、自宅の住所を教えてくれた。
https://matome.naver.jp/odai/2143734656907418101/2143734965710600903
又吉のエッセーや俳句などを読破した。「この人すごい! 面白すぎる!」。詳細な記憶を文章に再現する力、観察眼に文学的才能を感じた。いてもたってもいられず「小説を書きませんか?」とつづった手紙を自宅に送った。するとメールで「小説は好きですが、書くことにはためらいがあります。多くの素晴らしい作家がいる。自分が書く意味を見つけられません」と返信が来た。「誠実な人だなあ、と」。なおさらホレて、数か月間にわたって口説きに口説いた。そして12年4月、最初の短編「そろそろ帰ろかな」の原稿をもらった。
https://matome.naver.jp/odai/2143734656907418101/2143734965710600803
13年7月に「文学界」に異動したことを機に「また書いてください!」と依頼した。又吉からは高校時代の話、恋愛話などの提案もあったが「今いちばん考えていることを書いてほしい」と伝え、受賞作の構想が生まれた。「打ち合わせは居酒屋の個室、深夜のカラオケボックス…。会社にも来てくれて」。明石家さんまとキャバクラに行ったこと、観月ありさの誕生日会に行ったことなども、たまには話してくれた。
そして、ある日「火花」と名前の付いた縦書きのワードファイルでメールに添付され、送られてきた。一読し「コレが載ったらウチの雑誌は完売するな」と確信しつつ、編集者として意見を伝えた。不要なシーンはカットし、登場人物を加え、4、5回と改稿。又吉は掲載の直前までゲラを真っ赤にした。
浅井さんは言う。「又吉さんによって純文学は活性化しましたし、純文学を読むことへの憧れが一般的な読者にもまだ残っていると教えられました」。
https://matome.naver.jp/odai/2143734656907418101/2143734965710601003
▼ハンバーガー屋で、「小説を書いていただけませんか」と話をした
「最初にお願いしたのは5年ほど前。うちの女性編集者が、文学フリマという同人誌イベントに行ったら、又吉さんが一般客として来ていた。エッセーやライブを見て、この人なら書けると直感を持っていた彼女が、一緒にハンバーガー屋に行って『小説を書いていただけませんか。ついては雑誌を送りたい』と言ったら、いきなり自宅を教えてくれたそうです(笑)」
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2013年7月に「文学界」に異動