未完の大器から日本の大砲へ、中田翔

西の侍
今季西武のおかわり選手、横浜の筒香選手とのホームラン争いを繰り広げる、日本ハムファイターズの中田翔選手。非常にコワモテで高校時代から圧巻の才能でブイブイ言わせていましたが、実際プロデビューをしてから3、4年間程活躍できなかった機会があり、そこには色々な苦悩がありました。

どんな選手なの?

中田翔
年齢 1989年4月22日
所属チーム 日本ハムファイターズ
経歴 広島鯉城リトルシニア→大阪桐蔭高校→日本ハムファイターズ(ドラフト1位)

高校時代は怪物の異名をとり、1年生から名門大阪桐蔭のバッティングでは4番、ピッチャーとして1年生で最速151kmで甲子園を湧かせる。

中田は本来ピッチャー。(2年の春)肘の怪我がなければ、松坂を超えると思った。
151キロを連発していたから、ウサギが練習したらこんなになるのか・・・と思った。
どんなピッチャーになるのか、ゾクゾクした大阪桐蔭、西谷監督(2011年談)

肘を怪我して投手をあきらめるも、たぐいまれない才能でドラフトの目玉として4球団競合の末、ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団する。

20年間を超えるスカウト活動では彼がNo1右打者だろう!

人気ドラフトブログ管理人、蔵たて男(2008年談)

出だしこそはそこからはプロ意識の低さから、大方の期待を裏切り1軍から2軍をさまよい大きく低迷する。

打てない時のヤジは本当にすごかった。
本当に野球が嫌いになった。
監督が4番で使ってくれた時も、低打率の自分を4番に置く意味がわからなかった。中田翔選手(2015年談)

人との出会いが機会が、中田選手の歯車を変え始める

当時の翔は木製バットの対応やけがに苦しんでいた。
ひたすら話す事を徹底させていった。
けんかになった事もあったけど、次の日も粘り強く話し合った。
こんなすごい能力を持った選手を伸ばしてやりたい一心だったヤクルトコーチ、三木肇コーチ(2015年談)

”4番バッター”という責任が彼を本当の野球選手にさせる

実力不足と言われながら、”日本の4番”として出場する事で精神的に大きく成長した

日の丸の重圧を感じながら、代表選手はみんな気持ちの切り替えが上手い。
また翔にとってもそれを知れた事が一番大きい事。元日本ハムファイターズ、稲葉篤紀選手(2013年談)

中田翔選手(日本ハム)とは?

売りは、体制を崩されてもスタンドにボールを運ぶ圧倒的なパワーを持つ4番バッター。
弱点は選球眼に難がある事が弱点である。

どんな性格なの?

メディアからはやんちゃで荒々しい性格で、時期球界の番長と言われています。
けれども、やんちゃの中にも、非常に謙虚な性格で優しい性格をしています。
おそらく、活躍するようになるまでの期間が長かったので相手に対して敬意を持つ事。
そして、後輩の指導が熱心であり、非常に動物が好きである為、メディアで言われている性格よりは優しい性格をしている、とチームメイトから言われています。

アマ成績

2005年甲子園3位(高校1年生時)
2006年秋季近畿大会優勝(高校2年生時)
2007年春季選抜大会3位(高校3年生時)

圧倒的なパワーを持ち、1年生の時から大阪桐蔭のクリーンナップを努め、ピッチャーとしても1年生で最速149kmを叩き出す。
1年生時は3年生の平田良平、辻内祟伸(中日ドラゴンズ、元読売巨人所属)と共に。
そして3年生時はひと学年下の浅村栄斗(西武ライオンズ所属)と名門大阪桐蔭で”平成の怪物”として企画外のパワーでホームランを量産する。

プロ成績

年度 試合 打率 本塁打 三振 盗塁
2009 22 0.278 0 15 0
2010 65 0.233 9 61 0
2011 143 0.237 18 133 4
2012 143 0.239 24 101 5
2013 108 0.305 28 77 1
2014 144 0.269 27 89 0
通算 626 0.258 106 476 10

https://matome.naver.jp/odai/2143576802683650901
2015年07月06日