レオナルド・ダ・ヴィンチのどこがアスペルガー症候群?

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防腐剤も満足になかった時代に死体を解剖してスケッチしたレオナルド・ダ・ヴィンチは、間違いなくこのタイプ(人より物への関心が強い)の人であったが、そうした人物がいなければ、われわれ人類は、まだ石器時代を送っているかもしれない。
P.73

さらにヴァザーリは、レオナルドが菜食主義者であり、籠に入って売られている鳥を購入してはその鳥を放してやるような、命あるものをこよなく愛する人物だったとしている。
出典:Wikipedia「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

レオナルドの同時代人のイタリア人著述家マッテオ・バンデッロ(en:Matteo Bandello、1480年頃 – 1562年)は、レオナルドがこの『最後の晩餐』の製作中には、数日間夜明けから夕暮れまで食事も採らずに絵画制作に没頭し、その後3、4日はまったく絵筆を取らなかったとしている。
出典:Wikipedia「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

実在の人物をモデルとしていると思われるものの、大げさに誇張して描かれた「カリカチュア」と呼ばれる多くのドローイングがある。ヴァザーリは、レオナルドは興味を惹かれる容貌の持ち主を見かけると、一日中その後を着いてまわって観察し続けたと記している。
出典:Wikipedia「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

1479年にレオナルドがフィレンツェで描いた、猟奇的ともいえるスケッチがある。ロレンツォ・デ・メディチの弟ジュリアーノが暗殺されたパッツィ家の陰謀に加担したベルナルド・バロンチェッリが、絞首刑に処せられた場面を描いたスケッチである。このスケッチにはレオナルドが流麗な鏡文字で書いた、バロンチェッリが処刑されたときに身につけていた衣服のことが記されている。
出典:Wikipedia「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

レオナルドが残した科学や工学に関する研究も、その芸術作品と同じく印象深い革新的なものだった。これらの研究は13,000ページに及ぶ手稿にドローイングと共に記されており、現代科学の先駆ともいえる、芸術と自然哲学が融合したものである。
出典:Wikipedia「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

レオナルドの科学への取り組み方も観察によるものだった。ある事象を理解するために詳細な記述と画像化を繰り返し、実験や理論は重視していなかった。
出典:Wikipedia「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

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2017年01月12日