深津絵里の母、「漢字アート」の諭美子さんが死去【諭黄】

curator
女優・深津絵里の母親で、書道家の深津諭美子さんが肺がんのため亡くなっていたことが分かった。66歳だった。「諭黄」の雅号でも活動していた。
深津絵里

女優の深津絵里(42)の母親で、書道家の深津諭美子(ゆみこ)さんが亡くなっていたことが16日、分かった。66歳だった。
深津絵里の母死去 書道家・諭美子さん66歳(スポーツ報知) – goo ニュース

「娘の名前で仕事をしてると思われるのがイヤだった」

深津諭美子
諭黄(Yuhuang)

一度は服飾の仕事に就くが「日本の文化を伝えていきたい」と、
錚々たる芸能人とパーティー? 気鋭書道家はあの超人気女優のお母さん|サイゾーウーマン

中華人民共和国は上海で書家の免許を取得
諭黄(Yuhuang)のプロフィール|Ameba (アメーバ)

2003年頃

人気女優の母親であることを隠すため09年まで「諭黄(ユンホン)」の雅号で活動。
深津絵里の母親で書道家の諭美子さん死去 昨年末期がんを公表 – ライブドアニュース

「娘の名前で仕事をしてると思われるのがイヤだった。私が先に産まれてるんだから私は私で、娘は関係ない。でも娘の名前は付いてくるものだし、娘も『好きなようにすれば』と言ってくれています」
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「漢字アート」を確立して、中国やニューヨークでも活動

ひとりひとりの個性が表現出来るSHODO-ARTを
日中両国、老若男女に広めていきます

歯ブラシやタワシ、ほうきなどを筆のように使い、書とアートを融合させた独自の「漢字アート」を確立。
深津絵里の母親で書道家の諭美子さん死去 昨年末期がんを公表 – ライブドアニュース

「漢字をアートにして書いたらどうなるだろうと思って書いたら、上海で当たっちゃった。両手で書いたり、帯を使って書いたものも入選しました。でもやっぱり努力あってこその結果ですね」
錚々たる芸能人とパーティー? 気鋭書道家はあの超人気女優のお母さん|サイゾーウーマン

http://www.youtube.com/watch?v=9VKspI4Jwbs

kozberry nyc@kozberry

JAPAN ART MATSURI なかなか盛況。書道家(とお呼びしていいのか?)の深津諭美子先生に私のイメージで名前を漢字にして書いていただく。先生のお嬢様は深津絵里さん。一ヶ月の間に親子でお会いできる偶然の運命! pic.twitter.com/2wtmMwBt

深津諭美子(ふかつゆみこ)先生文字入り商品が買えるのは、フィサリスフラワーだけ!

国内外での活動が認められ、昨年11月に東久邇宮文化褒賞を受賞した。
深津絵里の母親で書道家の諭美子さん死去 昨年末期がんを公表 – ライブドアニュース

この度本当に夢のようなお知らせが届きました
昨日迄ブログにはUPしませんでした!
余りにもおこがましかなぁと思っておりました
なんと私が
東久邇宮文化褒章
頂ける事になりました

末期ガンの治療を拒否して、書道家としての人生を全う

誕生日迄報告しなかった事を
今から報告しますねぇ

早速病院に行く私
なんと
肺癌ですと言われる

昨年11月、一部報道で、末期の肺がんのため、余命3か月の宣告を受けて闘病中であることが明らかになった。
深津絵里の母死去 書道家・諭美子さん66歳(スポーツ報知) – goo ニュース

ブログでは、8月に公表していました。

当初は身内にもガンであることを伏せてきた諭美子さんでしたが、担当医に言われてやっと家族に告げることにしました。しかし、
深津絵里の母・諭美子さんが末期ガンだった。そんな母の生き方とは? | 最新トレンドSPICE!

入退院を繰り返すよりも最後まで書道家として人生を全うしたいという強い意志で放射線治療も抗がん剤治療も拒否!
書道家の深津諭美子は深津絵里の母だった 末期がんで余命3ヶ月でも治療拒否

「お母さんのことが大好きな深津さんですから、本当は治療してほしかったはずです。でも、彼女も表現者。お母さんの気持ちが痛いほどわかったのでしょう。最終的には、その生きざまを見届ける決意をしたのです」
深津絵里のニュース – 深津絵里の母・諭美子さん「余命3カ月」末期がんとの闘い – 最新芸能ニュース一覧

諭美子さんの知人

リンク

1948年(昭和23年)8月24日 – )

活動開始当初はあえて本名を伏せて「諭黄」(ユンホン)という名前で活動していた。しかし海外で名が知られると、日本のメディアも深津さんの活躍を取り上げ始め、次第に娘の存在も隠すことはできなくなったそうだ。

諭美子さんいわく、娘には「人に頼るな」「感謝の気持ちを忘れるな」「謙虚に生きろ」「いつも笑顔で」「泣く時は陰で泣け」という〝5箇条の人生訓〟を教えてきたという。

まとめ

実は、とても多才な人で、焼き肉店「叙々苑」の設計やロゴを手がけ、太田の自伝「カラス」の題字を書いたり、太宰治に自分が書いた小説を読んでもらったこともあるとか。

ニュース

生前の諭美子さんと親交のあったある音楽家は、「闘病中に諭美子さんは某メディア・A(仮名)に裏切られ、ひどく落胆していました。本当に無念だったでしょう」と悲痛に語る。「発売日直前になってAから原稿差し替えの連絡が入ったのです。原稿は『東久邇宮文化褒賞を受賞した書道家の深津諭美子さんは、実は女優・深津絵里の実母だった』という主旨に変わっており、発売直前で記事の修正は間に合わないタイミングだったため、そのまま掲載されました」

https://matome.naver.jp/odai/2143451291260208401
2015年07月09日