700万年続く人類の誕生と進化

radicon
私たち人類はどこから来たのでしょうか。見つかった化石から人の祖先について考えてみます。
ヒト
ヒト(人、Human)とは、広義にはヒト亜族(Hominina)に属する動物の総称であり[1]、狭義には現生の(つまり現在生きている)人類(学名 Homo sapiens)を指す

『ヒト亜族』とは

チンパンジー亜族と分かれ、直立二足歩行をする方向へ進化したグループである。
ヒト亜族 – Wikipedia

人の祖先を始まりから見ていきます。ただし発見されている化石が断片的なため仮説止まりであったり、論争が決着していないなどの問題もあります。今回は、分類で『ヒト亜族』とされる種を祖先の一つと考えて見ていきます。

だが、化石人類にはいろいろな種類がある。それらのほとんどは、現生人類にはつながらない、子孫を残さずに絶滅してしまった種のようである。
人類の起源

【サヘラントロプス】

サヘラントロプス
サヘラントロプス (Sahelanthropus) は、600万年 – 700万年前のアフリカ中部に生息していた霊長類の1属である。サヘラントロプス・チャデンシス (Sahelanthropus tchadensis) 1種のみが属す。発見された化石 TM 266-01-060-1 には、チャドの現地語で「生命の希望」という意味のトゥーマイ (Toumaï) の愛称がある。
最古の人類(チンパンジーと分岐したのちのヒトの系統、分類学的にはヒト亜族)とする説がある。

チンパンジー亜族と分岐し直立二足歩行をしていたヒト亜族のうち、もっとも初期のものはサヘラントロプス・チャデンシス(700万年前)である。
人類の進化 – Wikipedia

しかし、ヒト亜族とチンパンジー亜族が分岐したのは487万年前±23万年とされているため、人類の祖先よりも、ゴリラなどを含めた種の祖先であるとも考えられています。

サヘラントロプスは、頭骨の大後頭孔が下方にある。この孔は脊髄が通る孔で、これが下方にあるということは、脊髄が下に伸びていた、つまり、直立していた可能性が高い。だとすると、直立はヒトの派生形質であるため、チンパンジーと分岐したのちのヒトの祖先(もしくはその近縁)であるということになる。また、ヒトを他の霊長類から特徴づける数多くの特徴のうち、直立は最も初期に進化した形質の1つということになる。
サヘラントロプス – Wikipedia

ただし、サヘラントロプスは頭部の化石しか発見されていないため、直立していたというのは大後頭孔から推定した仮説です。

トゥーマイが本当にヒトの祖先だったとしたら、類人猿とヒトを分ける進化は、これまで考えられていたよりずっと早く起こっていたことになる。また、トゥーマイが生存していた年代を特定することは、進化の地図を描き直す上で重要な鍵となる。
最古のヒト、700万年前に生存か 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

【オロリン属】- 二足歩行の元祖

オロリン・トゥゲネンシス
オロリン (Orrorin) は、ケニアに生息していた化石人類の属である。1種オロリン・トゥゲネンシス
O. tugenensis のみが属す。学名は、ケニアのトゥゲンヒルズ (Tugen Hills) で化石を発見した研究者らによってつけられた。
ヒト亜科に属し、ヒトの系統がチンパンジーと分岐して以降の祖先の可能性がある属・種としては、サヘラントロプスに次ぎ2番目に古い。

オロリン・トゥゲネンシスの化石が大腿骨の臀部側に外閉鎖筋溝を持っていたという事実は、この種が二足歩行をしていたことを示している。臼歯が大きく犬歯が小さかったということは、この種が果物や野菜を好んで食べ、肉類も時々食べていたことを示している。オロリン・トゥゲネンシスはチンパンジー程度の大きさであった。
オロリン – Wikipedia

二足歩行していたことがわかっているため、人類の直接の祖先である可能性は高いです。

現在までに、この種の化石は少なくとも5体発掘されている。その中には直立していたことを示唆する大腿骨の化石や、木には登れたが腕渡りはできなかったことを示唆する薄い右手の上腕骨の化石、現代の人類とほぼ同じものを食べていたことを示唆する歯の化石も含まれている。
オロリン – Wikipedia

もしオロリン属が現代の人類の直接の祖先であると証明されれば、アウストラロピテクス・アファレンシスなどのアウストラロピテクス属はヒト科の樹形図の傍流であるということになる。オロリン属はアウストラロピテクス属よりも150万年も古いが、より現代の人類に近いのである。
化石の発見された場所から考えると、人類の進化の従来の仮説とは異なり、オロリン属は森林に住んでいたとみられる。
オロリン – Wikipedia

【アルディピテクス属】- 人間らしさの化石

アルディピテクス
アルディピテクス属(学名:genus Ardipithecus)は、約580万- 約440万年前(新生代中新世末期[メッシニアン中期] – 鮮新世初期[ザンクリアン初期])のエチオピアに生息していた原始的な人類(猿人)の一種。 長らく最古の人類とされてきたアウストラロピテクス属より、いっそう古い時代の化石人類である。

アルディピテクス・ラミドゥスとアルディピテクス・カダッバの2種がある。

以降の猿人とは異なる形質としては、足の指が手の指の様に物を掴める構造になっているのが主たる特徴である。一方で手の構造はチンパンジーやゴリラの様に歩行時に地面に指の背を付けて使用していた形跡が認められず、直立二足歩行を行うことができていた
アルディピテクス属 – Wikipedia

エチオピアのアファール盆地にある約440万年前の地層から1992年に発見された猿人(ラミドゥス猿人)の化石を機に、1995年5月に新しい属として記載された。
アルディピテクス属 – Wikipedia

アルディピテクス・ラミドゥス

アルディ (Ardi) は、約440万年前のアルディピテクス・ラミドゥス(ラミダス猿人)の女性と見られる化石人骨(標本番号 ARA-VP-6/500)に与えられた愛称である。猿人の全身骨格として最初に発見されたルーシー(約318万年前)や、現存最古の幼児の全身骨格であるセラム(約332万年前)などをも100万年以上さかのぼるアルディは、2010年代初頭の時点で化石人類最古の全身骨格をそなえている
アルディ (アルディピテクス) – Wikipedia

アルディは骨の化石化が不十分だったので触れると破損してしまう恐れがありました。そのため発見された土砂ごと固めてCTスキャンを用いて復元した経緯があります。上の画像がデジタル風なのはそのためです。

属名(ラテン語) Ardipithecus は、アファール語[1]の「ardi (=ground、floor、大地、地面)」と古代ギリシア語「πίθηκος (pithekos =ape、〈高等〉無尾猿、類人猿)」のラテン語形による合成語で、「地上の無尾猿」との原義を持つ。
アルディピテクス属 – Wikipedia

種小名 ramidus は、アファール語の「ramid (=root、根)」をラテン語化したもので、原義は「根のもの」である。 この名からは、人類進化の系統樹上の「根の部分にあたる者」との命名意図が読み取れる。
アルディピテクス属 – Wikipedia

アルディピテクス・カダッバ
歯や骨の一部のみが発見されている種です。

当初はラミドゥス猿人の1亜種と考えられ、2001年7月に『ネイチャー』で公表されたときには、Ardipithecus ramidus kadabba (アルディピテクス・ラミドゥス・カダッバ)の名が付けられていたが、犬歯の形状に明確な差異が認められ、ラミドゥス猿人以前を生きていた同属異種として Ardipithecus kadabba (アルディピテクス・カダッバ)の名が与えられた
アルディピテクス属 – Wikipedia

もう一つの種小名 kadabba は、アファール語で「basal family ancestor、一族中の祖先」を意味している。 まさにその名が示すとおり、彼らは模式種である前者より古い。
アルディピテクス属 – Wikipedia

アルディピテクスの模式種(その種を代表するもの)はアルディとされていますが、それよりも古い化石のようです。

チンパンジーから分かれたヒトの祖先は、樹上生活をしながら次第に直立できるようになっていったようです。

【アウストラロピテクス】- 人類直接の祖先

アウストラロピテクス
アウストラロピテクス (Australopithecus) は、哺乳類霊長目(サル目)ヒト科の絶滅した属であり、化石人類の一群である。
アフリカで生まれた初期の人類であり、約400万年前 – 約200万年前に生存していた、いわゆる華奢型の猿人である。

アフリカ大陸の東部、南部のサバンナ、疎林や灌木のある草原の環境に適し、食料は植物質を中心に、小動物の狩猟、肉食獣の食べ残しをあさり(スカベンジング)動物質を補充していた
アウストラロピテクス – Wikipedia

以前は最も古い人類の祖先とされていたがアルディピテクス属の発見により、その次に続く属となった。約440万 – 約390万年前にA・アナメンシスが、約390万 – 約300万年前にアファレンシスが現れ、約330万 – 約240万年前にA・アフリカヌスに進化した。この属からパラントロプスと、ホモ(ヒト属)最初の種ホモ・ハビリスが進化したと考えられている。
アウストラロピテクス – Wikipedia

身長は120センチメートル台 – 140センチメートル台くらいで、脳容積は現生人類の約35%の500ミリリットル程度であり、チンパンジーとほとんど変わらないが、骨格から二足歩行で直立して、歩く能力を持つと考えられている。
アウストラロピテクス – Wikipedia

約440万 – 約390万年前にA・アナメンシスが、約390万 – 約300万年前にアファレンシスが現れ、約330万 – 約240万年前にアウストラロピテクス・アフリカヌスに進化した。この属からパラントロプスと、ホモ(ヒト属)最初の種ホモ・ハビリスに進化したと考えられている。
人類の進化 – Wikipedia

種類は、A・アナメンシス、A・バーレルガザリ、A・アファレンシス、A・アフリカヌス、A・ガルヒ、A・セディバなどに分かれます。時代によって様々に進化していきます。

アウストラロピテクス・アナメンシス
アウストラロピテクス・アナメンシスは、アファール盆地で発見されたアウストラロピテクス・アファレンシスから続く系統の祖先だと考えられています。
アウストラロピテクス・バーレルガザリ
アウストラロピテクス・バーレルガザリ(Australopithecus bahrelghazali)は化石人類の一種で、古人類学者ミシェル・ブルネ(Michel Brunet)がチャドのコロ・トロ近くのバーレルガザリ渓谷で発見し、亡くなった同僚の名前にちなんでアベル(Abel)と名づけた。発見された化石は、下顎の破片と下顎第二門歯、下顎の2つの犬歯と、歯槽に付着したままの4つ全ての小臼歯だった。

この化石は、東アフリカの大地溝帯から西へおよそ2500kmの地点で発見され、300万から350万年前のものであると推定された。

アウストラロピテクス・アファレンシス
アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)(アファール猿人)は約390万 – 約290万年前に存在した化石人類の一種である。同時期に存在したアウストラロピテクス・アフリカヌスと同様のスリムな体形をしている。

研究の結果、アウストラロピテクス・アファレンシスはアウストラロピテクス属とヒト属の共通の祖先であり、現代のヒトに直接繋がっていると考えられている。
アウストラロピテクス・アファレンシス – Wikipedia

現代の、また絶滅した類人猿と比べて、アウストラロピテクス・アファレンシスの犬歯や奥歯は小さかったが、それでも現代のヒトよりは大きかった。脳のサイズも380-430mlと比較的小さく、顎が前に突き出た原始的な顔をしていた。
脳が小さく、原始的な顔をしていた人類が直立二足歩行をしていたという事実は、当時の学会にとって意外なことだった。
アウストラロピテクス・アファレンシス – Wikipedia

既に絶滅した種の化石から、その社会的行動について推測するのは困難である。しかし、現代の霊長類やサルの社会構造から性的二形などある程度のことを予想するのは可能である。アウストラロピテクス・アファレンシスのオスとメスの形態にはどれほどの差があったかということについてはまだ論争があるが、オスはメスに比べて大きかったようである。もし類人猿の性的二形や社会構造が当てはまるのであれば、アウストラロピテクス・アファレンシスも一匹のオスと何匹かのメスからなる小さな家族単位で生活していたと推測できる。
アウストラロピテクス・アファレンシス – Wikipedia

アウストラロピテクス・アファレンシスが石器を使ったという証拠はなく、現在見つかっている最も古い石器は、約250万年前のものである。
アウストラロピテクス・アファレンシス – Wikipedia

家族という小さな社会を形成していたと考えられていますが、道具を使用する知能はまだ得ていなかったようです。

アウストラロピテクス・アフリカヌス
アウストラロピテクス・アフリカヌス(A・アフリカヌス、Australopithecus africanus)は初期のヒト科生物である猿人の一種。2-3百万年前の鮮新世にいた[2]。この種より古いアウストラロピテクス・アファレンシスと同様、A・アフリカヌスは体格がほっそりとしており、現代の人類の直接の祖先と考えられていた。見つかった化石からすると、A・アフリカヌスの頭蓋骨は現代人と同様に大きく、脳の量も豊かであり、アウストラロピテクス・アファレンシスよりも現代人と顔つきが似ていた。A・アフリカヌスが見つかったのは、南アフリカの4箇所のみである。

【パラントロプス】- 祖先になれなかった猿人

パラントロプス
パラントロプス (Paranthropus) は、東アフリカと南アフリカに生息していた化石人類の属である。パラントロプスとは、「人のそばに」という意味。
同時代の初期ホモ属や、やや古い後期アウストラロピテクスとは頑丈型として区別されるグループで、発達した顎と側頭筋を持ち、堅い食物を摂取する方向に進化したと思われる。

体長は1.3から1.4mで、華奢型アウストラロピテクスよりひと回り大きい。脳もいくらか大きめである。
形態的には、アウストラロピテクスよりヒト的な特徴は減少しており、堅い食物を咀嚼するため、高く厚い下顎と太い側頭筋、それを通すために張り出した頬骨弓および大型の臼歯など頑丈な咀嚼器を有している。硬い植物性の食物、根などを常食としていたと考えられる。
パラントロプス – Wikipedia

次の3種がある。
パラントロプス・ボイセイ Paranthropus boisei
パラントロプス・ロブストス Paranthropus robstus
パラントロプス・エチオピクス Paranthropus aethiopicus

パラントロプス・ボイセイ
パラントロプス・ロブストス
パラントロプス・ロブストス (Paranthropus robustus) は、1938年に南アフリカ共和国で発見された化石人類の一種である。この種は頭蓋骨が左右方向に広がって顔面も広くなり、咀嚼力(噛む力)が強くなった。アウストラロピテクスよりも頑強な種で、人類学者のロバート・ブルームは新たにパラントロプス属を設けた。
パラントロプス・ロブストスは、200万から250万年前に存在したと考えられる。

パラントロプス・ロブストスはパラントロプス属に典型的な外見を持ち、頭蓋の形はゴリラに近い。しかしゴリラより頑丈な顎と人間に近い咬面の歯を持つ。ブルームはまた、オスでは強大な側頭筋(咀嚼筋の一つ。側頭部と下顎骨の筋突起を結ぶ)を支えるように頭の前後方向に矢状稜があったことも報告しており、これはゴリラとも共通する形質である。Eurydiceと名づけられた頭蓋骨の化石は1994年に南アフリカ共和国のドリモレン洞窟で、アンドレ・カイザーらによって発見され、230万年前のメスのものだと推定された。
パラントロプス・ロブストスのオスは身長120cm、体重54kgで、メスは身長1m以下、体重40kgしかなかった。明らかに性的二型である。歯はP. boiseiのものと同程度の大きさだった。
パラントロプス・ロブストス – Wikipedia

パラントロプス・エチオピクス
パラントロプス・エチオピクス (Paranthropus aethiopicus) は、化石人類であるパラントロプス属(旧称:頑丈型アウストラロピテクス)の一種。生息年代は、およそ270 – 230万年前(鮮新世の終盤)などといわれている[1]。

パラントロプス3種のうち、最後(1985年)に発見された。先に発見されていた1938年のP.ロブストス (robustus)、1959年のP.ボイセイ (boisei)と同様に、頭頂部に矢状稜 (sagittal crest)があり、頭骨が頑丈なことを示している[2][注 1]。頬骨弓 (zygomatic arch)からは、ゴリラのように強力な噛む力が想像される[3]。頑丈型か否か以外では、特徴に共通点が多いため、アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)直系の子孫である可能性が高いとされる[4]。 3種のうち最も古い種とされているため、頑丈型の祖先となったのがP.エチオピクスと考えられている[5]。
パラントロプス・エチオピクス – Wikipedia

【ケニアントロプス】- 傍流の祖先

ケニアントロプス
ケニアントロプス・プラティオプス(Kenyanthropus platyops)は、鮮新世の350万年前から320万年前ごろに生きた化石人類の一種である。化石は大きくて扁平な顔を持ち、つま先の特徴から直立二足歩行していたと推測された。歯は典型的な人類と類人猿の中間の形であった。学名のKenyanthropus platyopsは、「ケニアの扁平な顔の人」の意を表し、この属は現在この一種しか見つかっていない。骨格や見つかった地域などから、後の時代の化石人類の一種であるホモ・ルドルフエンシスとの連続性が指摘されている。

【ホモ・ハビリス】- 最初のヒト

ホモ・ハビリス
ホモ・ハビリス(Homo habilis)は、230万年前から140万年前まで存在していたヒト属の一種。 “handy man”(器用な人)の意。

現在分かっている限り最も初期のヒト属である。容姿はヒト属の中では現生人類から最もかけ離れており、身長は130cmと低く、不釣合いに長い腕を持っていた。ヒト科のアウストラロピテクスから枝分かれしたと考えられている。脳容量は現生人類の半分ほどである。
ホモ・ハビリス – Wikipedia

かつては初期型ホモ・エレクトスへと繋がりがある現生人類の祖先と考えられていたが、2007年ネイチャー誌上で両種がおよそ50万年以上に渡って同時期に存在していたとする記事が掲載された。この発見を発表したグループはホモ・ハビリスはホモ・エレクトスとは共通の祖先から枝分かれし、現生人類へと繋がる事無く絶滅した種であるという見解を示している。
ホモ・ハビリス – Wikipedia

直接の祖先ではないようですが、祖先と同じ時代に生きていたようです。

【ホモ・ルドルフエンシス】

ホモ・ルドルフエンシス
ホモ・ルドルフエンシス(エを小文字カタカナにしてホモ・ルドルフェンシスとも) (Homo rudolfensis) は、1972年に人類学者リチャード・リーキー (Richard Leakey) と妻の動物学者ミーブ・リーキー (Meave Leakey) が率いた探検隊のメンバーだったバーナード・ンゲネオ (Bernard Ngeneo) が、ケニアのトゥルカナ湖東岸で発見した化石人類の一種である。

もともとはホモ・ハビリスと同一だとされてきたが、この種に関しては多くの論争があった。

またホモ・ハビリスの頭蓋骨とは明らかに異なり、ホモ・ルドフエンシスという別の種であると推定された。ホモ・ルドフエンシスやホモ・ハビリスがその後のヒト属の直接の祖先となっているかはまだ明らかになっていない。
ホモ・ルドルフエンシス – Wikipedia

本種は現在一属一種として分類されているケニアントロプス属ケニアントロプス・プラティオプスとの連続性が指摘されており、その点もヒト属として本種を認める事に慎重な意見を生んでいる可能性がある。
ホモ・ルドルフエンシス – Wikipedia

【ホモ・エルガステル】- ヒトの祖先

ホモ・エルガステル
ホモ・エルガステル(Homo ergaster、またはホモ・エルガスター )は、ヒト属の一種。東アフリカの初期ヒト属をホモ・エレクトスとは別種とするときの名称。この場合、最初期のヒト属はエルガステルになる。

ホモ・エルガステルはアフリカで発見されたが、かつてはアジアで発見された標本とともにホモ・エレクトスに分類されていた。しかし後に別種とされ、アフリカ側の標本はホモ・エルガステルと名付けられた。
ホモ・エルガステル ‐ 通信用語の基礎知識

アフリカのホモ・エレクトスのことをホモ・エルガステルと呼んでいます。ヨーロッパやアジアにもホモ・エレクトスは進出していたが、子孫を残さずに絶滅したため、現生人類の祖先はこのホモ・エルガステルとされている。

第二種のホモ・エルガステルの方は、草原を放浪し肉食獣の食べ残しを探すという少しあわれな方法をとりました。簡単な石器しか持っていなかった彼らには自分で狩をする力はまだなかったのです。しかし人類の最初の肉食でした。
http://www.haginet.ne.jp/users/kaichoji/hw-sizen8.htm

【ホモ・ゲオルギクス】

ホモ・ゲオルギクス(Homo georgicus)は、化石人類の一種である。1999年から2001年にグルジアのドゥマニシで頭蓋骨と下顎骨が発見され、2002年に公表された。原生人類へは繋がらないジャワ原人・北京原人などの東南アジアへ拡散したホモ・エレクトスの前段階に当たる種であると考えられている

オスはメスよりもかなり大きいという強い性的二形であり、ホモ・アンテセッサー、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ネアンデルタール人等のヨーロッパの化石人類と比べても原始的な痕跡を残している。ホモ・ゲオルギクスはホモ・エレクトスより80万年も前に、ヨーロッパに最初に定住したヒト属である。
ホモ・ゲオルギクス – Wikipedia

【ホモ・アンテセッサー】

ホモ・アンテセッサー
ホモ・アンテセッサー(Homo antecessor、ホモ・アンテセッソールとも)は、1994年にスペインのアタプエルカにあるグラン・ドリナ遺跡にて発見された30以上の化石群に対して、1997年にヒト属の新種として命名された種である。
しかし、まだこの遺跡でしか出土しておらず、これからの再検討が要される。

ヨーロッパ最初期の種のひとつ。

同遺跡では、ホモ・ハイデルベルゲンシスの化石も発見されており、連続性が主張されている。
ホモ・アンテセッサー – Wikipedia

【ホモ・ハイデルベルゲンシス】

ホモ・ハイデルベルゲンシス
ホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis ハイデルベルクのヒト)は、ヒト属の一種。ハイデルベルク人をホモ・エレクトスとは別種とするときの名称。ホモ・エレクトスに比べ脳容量が大きく(1100cc – 1400cc)、より人間的な行動をとることができ、これを種レベルの違いであると考える場合に別種とする。

ネアンデルタール人と比べても、眼窩上隆起が非常に大きく、前脳部は小さい。このことからネアンデルタール人よりは原始的な種と見なされる。
ホモ・ハイデルベルゲンシス – Wikipedia

その後、南アフリカや東アフリカでも同様の化石が発見された。これはホモ・ローデシエンシスという別の名称で呼ばれることもあるが、通常は、別種とは見なされず、ホモ・ハイデルベルゲンシスと見なされる。(亜種ふうの扱い。)
ホモ・ハイデルベルゲンシス – Wikipedia

【ホモ・ローデシエンシス】

ホモ・ローデシエンシス
ホモ・ローデシエンシス(学名: Homo rhodesiensis)とは、ホモ・エレクトスの一種で、ホモ・ハイデルベルゲンシスとほぼ同種のものであり、ホモ・ハイデルベルゲンシスに含める見方が普通である。化石は南アフリカ近辺で発見されたが、他に、北アフリカや東アフリカでも発見された。化石の時期は、30万年前から 12.5万年前の間。

【ホモ・エレクトス】

ホモ・エレクトス
ホモ・エレクトス(Homo erectus)またはホモ・エレクトゥスは、更新世に生きていたヒト科の一種である。
形態的特徴として、ホモ・ハビリス種に比べ額の傾斜がゆるく、大きな頭蓋の容量を持つ。脳容量は950ミリリットルから1100ミリリットルで、現生人類の75%程度。また、歯はより小さく、現代人に近い。

ホモ・エレクトスはアフリカだけでなく、アジアやヨーロッパでも発見されていて様々な種類があり、ジャワ原人、北京原人、元謀原人などが発見されています。アフリカのホモ・エレクトスであるホモ・エルガステルがアフリカを出て到達したものと考えられています。ホモ・エレクトスと言う名前は「直立する人」を意味しています。

ジャワ原人
ジャワ原人(ジャワげんじん)とは、ウジェーヌ・デュボワが1891年にオランダ領であったインドネシアジャワ島トリニールで発見した化石人類に対する通称である。

オーストラリア先住民などに進化したとする研究者もいたが、現生人類の直接の祖先はアフリカのホモ・エレクトス(ホモ・エルガステル)であって、アジアにいた北京原人やジャワ原人は直接の祖先ではないとする意見が支配的である
ジャワ原人 – Wikipedia

北京原人
北京原人(ぺきんげんじん、Homo erectus pekinensis[1])とは、中華人民共和国北京市房山県周口店竜骨山の森林で発見された化石人類である。学名はホモ・エレクトス・ペキネンシス。2015年現在はホモ・エレクトス (Homo erectus) の亜種として扱われる。

北京原人はアフリカ大陸に起源を持つ原人のひとつであるが、現生人類の祖先ではなく、何らかの理由で絶滅したと考えられている。石器や炉の跡が同時に発見されていることから、石器や火を利用していたとも考えられている。
北京原人 – Wikipedia

【ホモ・フローレシエンシス】

ホモ・フローレシエンシス
ホモ・フローレシエンシス(フローレス人 Homo floresiensis)は、インドネシアのフローレス島で発見された、約1万2千年前まで生息していた小型のヒト属の新種の可能性が取りざたされている生物。身長は1mあまりで、それに比例して脳も小さいが、火や精巧な石器を使っていたと考えられる。そのサイズからホビット(トールキンの作品中の小人)という愛称が付けられている

インドネシアのフローレス島で発見されたホモ・フローレシエンシス(約1万2000年前まで生息していたと推定され、小型のヒト属の新種とする説もある。)については論争が続いている。ホモ・フローレシエンシスをホモ・エレクトスの子孫とする説もある。
ジャワ原人 – Wikipedia

ホモ・フローレシエンシスは直接の祖先ホモ・エレクトス(84万年前ごろ生息)が矮小化したものと考えられているが、より原始的な祖先に起源を持つ可能性も示されており、ホモ・ハビリスから進化したという説もある
ホモ・フローレシエンシス – Wikipedia

ホモ・フローレシエンシスについて様々な説が議論されています。次のデニソワ人とともに、ネアンデルタール人と近い種であるという説もあります。

【デニソワ人】

デニソワ人(デニソワじん、Denisova hominin)は、ロシア・アルタイ地方のデニソワ(Denisova)洞窟(ロシア、中国、モンゴルの国境に近い地域)に約4万1千年前に住んでいたとされるヒト属の個体および同種のヒト属の人類である。
デニソワ人 – Wikipedia

見つかった骨の一部は5-7歳の少女の小指の骨であり[1]、細胞核DNAの解析の結果、デニソワ人はネアンデルタール人と近縁なグループで、80万4千年前に現生人類であるホモ・サピエンスとの共通祖先からネアンデルタール人・デニソワ人の祖先が分岐し、64万年前にネアンデルタール人から分岐した人類であることが推定された
デニソワ人 – Wikipedia

どうやらデニソワ人はネアンデルタール人と近い種のようです。

【ホモ・ネアンデルターレンシス】

ネアンデルタール人
ネアンデルタール人(ネアンデルタールじん、ホモ・ネアンデルターレンシス、Homo neanderthalensis)は、約20万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種である。シベリアのアルタイ地方で発見されたデニソワ人、インドネシアのフローレス島で発見されたフローレス人は、ネアンデルタール人の兄弟種である可能性が高い。

ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。
ネアンデルタール人 – Wikipedia

かつて、ネアンデルタール人をホモ・サピエンスの祖先とする説があった。しかし、遺骨から得られたミトコンドリアDNAの解析結果に基づき、現在ではネアンデルタール人は我々の直系先祖ではなく別系統の人類であるとする見方が有力である。両者の遺伝子差異は他の動物種ならば当然別種と認定されるレベルであり、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは混血できなかったとする考え方が有力であった[2]。しかし、2010年5月7日のサイエンスにホモ・サピエンスのゲノムにネアンデルタール人の遺伝子が混入している可能性があるとの説が発表された
ネアンデルタール人 – Wikipedia

現生人類の祖先とネアンデルタール人は混血しているようです。直接の祖先ではないものの、ネアンデルタール人の要素が現代にも残っているようです。なんだかロマンですね☆

【ホモ・サピエンス】- 現生人類

現代の分類学ではホモ・サピエンスはヒト属で唯一現存している種である。ホモ・サピエンスの起源の研究に伴い他にもヒト属の種がいたが、全て絶滅していることが判明している。これらの絶滅種の中にヒトの直接の祖先がいたのかもしれないが、そのほとんどがホモ・サピエンスの「いとこ」であって、彼らのどれを種としどれを亜種とすべきなのかは統一された見解がない。これは化石人類の分類に用いられる種の概念が解剖学的特徴に基づいた形態的種であるためで、二つの種の中間的な特徴を持ち分類が困難な化石も多く発見されている。
人類の進化 – Wikipedia

ホモ・サピエンスは、ホモ・サピエンス・イダルトゥという現生人類の亜種と、現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンスに分かれます。

ホモ・サピエンス・イダルトゥ
ホモ・サピエンス・イダルトゥ(またはイダルツ Homo sapiens idaltu)は、現生人類ホモ・サピエンス・サピエンスの直接の先祖であると考えられている。

日本語では、発見場所の名前からヘルト人とも呼ばれる。

外形的特徴は古い形質を残しているが、種レベルの違いではないと判断され、ホモ・サピエンスの亜種となった。ハイデルベルク人から進化したホモ・サピエンスの最古のものと解釈される。
ホモ・サピエンス・イダルトゥ – Wikipedia

人間の亜種なんて不思議な感じがします。

古来「人は万物の霊長であり[3]、そのため人は他の動物、さらには他の全ての生物から区別される」という考えは普通に見られるが、生物学的にはそのような判断はない。「ヒトの祖先はサルである」と言われることもあるが、生物学的には(分類学的には)、ヒトはサル目ヒト科ヒト属に属する、と考えており、「サルから別の生物へ進化した」とは考えない。アフリカ類人猿の一種である、と考える。
ヒト – Wikipedia

このような地域や流れで進化していったようです。

簡単な流れは、アフリカでホモ・エルガステルからホモ・ルドルフエンシスになり、その後ホモ・サピエンスになって世界中に広がったというもの。それまでにもアジアやヨーロッパに進出していましたが、祖先はアフリカで誕生したようです。

ここまで見てきたとおり、私たち現生人類はサルから進化したのではなく、様々な要因が重なって少しずつ変化していったことがわかります。また、「ホモ」がつくヒトの親戚にあたるような種がたくさんあってそれらが絶滅しているということから、私たちが生きているのが何十万年前の先祖が生きていたからだという基本的なことまでも考えさせられます。

参考リンク

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https://matome.naver.jp/odai/2143313258829877401
2015年06月13日