小川 眞由美 夜は黒と赤の装束で決めた義賊「女ねずみ小僧」が艶っぽかった

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おんなねずみ小僧は、全部で4シリーズも製作された人気番組であった。昼は艶っぽい常磐津の師匠。夜は黒と赤の装束で決めた義賊。田中邦衛さんや三国連太郎さんとコンビを組み、その掛け合いが面白かった。

大女優からの虐待を乗り越えた、娘の記録

一人娘(父は細川俊之)が描く昭和の大女優の私生活、子供への接し方は「母親失格」と言わざるを得ないものだった——。娘を餓死寸前にまで追い込んだネグレクト、婚約もした橋爪功を含め次々と変わる男性関係、宗教への傾倒、事業の失敗……。著者は、心を痛めつけられながらも母との距離をとれず、苦しんできました。辛いエピソードが多いですが、ユーモアを交えて書かれており、理不尽な親に苦しんでいる子供にも読んで欲しい内容です。(NT)
『母・小川真由美との40年戦争 ポイズン・ママ』小川雅代 | 単行本 – 文藝春秋BOOKS

女ねずみ小僧@小川真由美さんは、結構肉感的で、色っぽい方である。再放送されている<人魚亭異聞・無法街の素浪人>では、今で言うバーのマダムで、胸元が大きく開いた洋装で決めている。白い肌に胸の谷間が艶めかしい。それでいて、この方。どこかコミカルなイメージもある。<アイフル大作戦>の探偵学校の校長役では、谷隼人さん、川口厚さん、西田健さん、松岡きっこさんを引連れ、ドタバタを演じていた。主題歌「Viva!アイフル」もあの鼻にかかった声で唄っていた
女ねずみ小僧

おんなねずみ小僧は、全部で4シリーズも製作された人気番組であった。昼は艶っぽい常磐津の師匠。夜は黒と赤の装束で決めた義賊。田中邦衛さんや三国連太郎さんとコンビを組み、その掛け合いが面白かった。絶妙のコンビネーションでぽんぽんと言い合いながら、庶民のためにお盗めをする…そんな、爽快感がある番組だった。
女ねずみ小僧

1964年(昭和39年)、東映の『悪女』(渡辺祐介監督)で本格的に主演を飾る。この頃のイメージは強烈だったようで、“悪女スター”というレッテルを貼られることになる。
1965年(昭和40年)、文学座座員に昇格し、後に杉村春子の後継者と目されるまでに至る。
1967年(昭和42年)、同じ文学座の俳優だった細川俊之と結婚し、のちに一女をもうける。彼女は長じてMAHの名前で音楽活動を続けており、一時期は小川主演のドラマに女優として出演することもあった[
小川眞由美 – Wikipedia

1970年代には女ねずみ小僧シリーズを始めとしてTV時代劇に多く主演し人気を集める。
1973年(昭和48年)離婚。その後、近藤正臣ら数名の俳優との噂が報じられる。1981年(昭和56年)6月に文学座で同期だった橋爪功と舞台『ドリスとジョージ』で共演、これがきっかけで急速に結びつき9月に婚約発表。そのときの心境を「週刊平凡」81年10月15日号で「具体的には何も決まっていない。結婚はしてもいいがいつするかも……実験婚約です(笑)」(小川)「年のせいか臆病になって……婚約という状態が一番いい(中略)場合によっては婚約を破棄するかもしれない」(橋爪)と語っていた。大人の愛の形と世間をにぎわせたが、結局は結婚に至らぬまま1985年(昭和60年)に婚約解消。
小川眞由美 – Wikipedia

http://www.youtube.com/watch?v=QRlVDVa9DUg
https://matome.naver.jp/odai/2143164952754807001
2016年05月26日