JR福知山線脱線事故って?
2005年4月25日午前、兵庫県尼崎市のJR福知山線のカーブで快速電車が脱線、マンションに衝突し乗客106人と運転士が死亡、562人が重軽傷を負った。
JR史上最悪の事故と言われているそうです。
速すぎる運転と度重なるオーバーラン
伊丹駅に到着時、70mのオーバーラン(正規の停車位置を越える運転ミス)を起こした。列車は停止位置を修正し、乗客の乗り降りを終えて、9時16分10秒ごろ約1分30秒の遅れで出発した。
失敗事例 > 福知山線脱線事故
伊丹駅(同県伊丹市)で急ブレーキがかかり驚いた。電車はかなりのスピードでバックし、ホームの定位置に。「オーバーランしましたことを深くおわび申し上げます」。車掌の車内放送に苦笑する乗客も。速度を上げながら電車は進み始めた。
尼崎脱線事故、あの朝何が起きたのか 25日で10年 :日本経済新聞
女性の一人は、いつも利用していた列車なので、窓の景色がだいたいどれぐらいのスピードで流れるか体で覚えていたが、このときはいつもより速く感じられたと証言する。同時に窓が細かくガタガタ震えていることに気づいた。「速いですね」「速ないですか?」という声があちこちから上がり、「同じイベントを共有しているみたいな」妙な一体感が車内を包みこんだという。
「速いですね」「速ないですか?」ドキュメンタリー「ブレーキなき社会~JR福知山線脱線事故9年」 – エキレビ!(1/3)
9時18分
車両の進行方向に向かって右側、つまり自分の座っている側が、あたかも遊園地の遊具のように「ふわっと」浮いた。
2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」
「ガタガタ…」。窓の景色の流れが速くなり、事故現場に近づくにつれて、床や窓が大きく揺れていった。ブレーキ音とともに立っていた乗客がバランスを崩して次々と床に倒れた。「ガリガリ」と地面と車両がこすれ合う音が車内に響き、左側の窓が先頭の方からねじれて割れていくのが見えた。
尼崎脱線事故、あの朝何が起きたのか 25日で10年 :日本経済新聞
2両目と3両目の連結部分の壁にもたれていたとき、電車がものすごく大きくカーブして、はっと気がつくと2両目が目の前に迫ってきていました。ちょうど車両がつぶれたところで、顔面を押さえつけられ、顔面が切れてきました。
福知山線脱線事故10年、負傷者が振り返る苦難。でも「人生捨てたもんじゃない」
物や埃が舞い、激しい振動でぐしゃぐしゃになっていくなかで、意識が遠のいてゆく。
2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」
国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)によると、運転士は制限時速70キロのカーブに約116キロで進入した。
運転手に何があったの?
列車が猛スピードで走り出したのは、運転士(当時23歳)が運行ダイヤの遅れを取り戻そうとしていたからだった。駅の発着時間は秒単位で決められているが、ラッシュ時には客が乗り終えるまで時間がかかってしまい、列車はどうしても遅れがちだ。運転士は焦るがあまり、事故直前にも伊丹駅でオーバーランを起こしていた。
「速いですね」「速ないですか?」ドキュメンタリー「ブレーキなき社会~JR福知山線脱線事故9年」 – エキレビ!(1/3)
運転士は「今度ミスをしたら運転士をやめさせられるかもしれない」と語っていたこともあるという。事故直前、運転士の頭には、乗務後に上司にどう報告するかということしかなかったのではないかと、取材に応えた複数の運転士や事故列車の車掌が口々に語っている。はたして、多くの運転士が列車で通りかかるたびに恐怖を抱いていたという、マンションと接した急カーブで事故は起こった。
「速いですね」「速ないですか?」ドキュメンタリー「ブレーキなき社会~JR福知山線脱線事故9年」 – エキレビ!(2/3)
悲惨な事故現場…
気がついて頭の上が明るいなと思った時は、マンションのフェンスのところまで飛ばされていました。頭を上げたらすごい出血でした。
福知山線脱線事故10年、負傷者が振り返る苦難。でも「人生捨てたもんじゃない」
担架に乗せられて車外に助け出された。医師が応急手当をしようと口を開けると、大量のガラスの破片がこぼれ落ちた。両親が病院に駆けつけると、人工呼吸器をつけて集中治療室に横たわっていた。
【福知山線脱線事故10年】脳に障害の娘、支え続けた母「生きてるだけで幸せ」
大声を出して助けを呼んだが、誰も助けてくれる気配はなかった。自力では出られる状態ではなかった。何時間もこの状態が続いて、このままやったら死んでしまうんじゃないかなと、あきらめがあった。
JR脱線事故“最後の生存者”語る 林浩輝さん(経済・3年) (前編) « 同志社PRESS
1階駐車場に突っ込んだ1両目の先頭部分には多くの乗客が押し込められていた。地下側から接近すると、障害物のわずかな隙間から要救助者の手が見えた。その隙間から医師による救命医療を施す一方、救助資機材を使いながら上方から少しずつ内部に進んだ。車内は損壊した部品などで非常に狭く、最後の生存者を救出したのは翌朝だった。
尼崎脱線事故、あの朝何が起きたのか 25日で10年 :日本経済新聞
事故後の経緯
2005年4月に兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線脱線事故で、強制起訴されたJR西日本の歴代3社長を無罪(求刑禁錮3年)とした二審・大阪高裁判決を不服として、検察官役の指定弁護士が6日、最高裁に上告した。
速度照査機能を持ち、曲線区間の手前で充分に減速、あるいは非常停止が行えるATS-Pが、車上側では運転士のマスコン・ブレーキ・警笛・EBリセットスイッチなどの無操作が約60秒続くと5秒間警報が鳴動し、さらに操作がない場合は自動的に非常ブレーキが作動するデッドマン装置の一種である緊急列車停止装置(EB装置)と、列車の異常時に操作することで、防護無線をはじめとする必要な処置を一斉に行う緊急列車防護装置(TE装置)の導入が進んだ。
JR福知山線脱線事故 – Wikipedia
いま、事故を思い出すということ
「10年という時間は、色々な事故の関係者を見ていると変化を実感するものですが、私や親しい遺族には、10年経っても心が安らいだとか生活が安定したということはありません。JR西日本の(遺族への)対応や発言で、余計に辛さが増したように思う」
JR脱線事故“最後の生存者”語る 林浩輝さん(経済・3年) (前編) « 同志社PRESS
今でも癒えない悲しみがあります
しもさん@1011Mss
⋆。˚ 寧々⋆。˚✩@smile_peach316
JR福知山線の脱線事故から間もなく10年。負傷者を多数受け入れた病院が当時の様子を収めたビデオを公開。
教訓として、「重症者ほど喋らない。」なるほど。— kozy (@taoktymkozy) April 21, 2015
残されたマンション
乗客ら107人が死亡した2005年4月のJR福知山線脱線事故で、JR西日本は29日、兵庫県伊丹市で遺族や負傷者向けの説明会を開き、事故現場の最終的な保存案を示した。電車が衝突したマンション(9階建て)を4階まで残し、運転士の安全意識向上のため線路側の壁の一部を透明ガラスにする。
遺族の方などの働きかけで残されることに決まったそうです。
「生命」の花文字
107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から今月25日で10年になるのを前に、兵庫県尼崎市の事故現場近くの畑に、犠牲者を追悼しようと花で「命」と「生」の文字が作られました。
脱線事故から10年 現場近くに追悼の花文字 NHKニュース
命と生の文字の花は事故から10年となる今月25日に見頃を迎えるように育てられ、JR福知山線の列車から見ることができるということです。
松本さんは、「花の文字を通じて命の大切さを多くの人に呼びかけるとともに犠牲になった人への追悼の気持ちで、私の命のあるかぎり、続けていきたい」と話していました。
脱線事故から10年 現場近くに追悼の花文字 NHKニュース
企画展も開かれます
企画展「わたしたちのJR福知山線脱線事故-事故から10年展」は東京都豊島区駒込のギャラリー「KOMAGOME1-14cas」で22~26日に開催。入場無料。
【JR福知山線脱線事故10年】あの日車内から見た現場…3年かけた絵と模型を一般公開へ(2/2ページ) – 産経WEST
小椋さんは「脱線事故に限らず、戦争や災害で人の命が理不尽に奪われるが、頑張って生きている遺族や被害者が大勢いる。命に関心のある人が作品を見れば、何かを感じてくれるはず」と話した。
【JR福知山線脱線事故10年】あの日車内から見た現場…3年かけた絵と模型を一般公開へ(2/2ページ) – 産経WEST
トークイベントは4月22日18:30~20:30に行われるそう。
日本, 〒170-0003 東京都豊島区駒込1丁目14






