スーツは面倒な服なのでしょうか
スーツは面倒に思う人は多いかもしれません。いまどき時代遅れという合理主義の人もいるでしょう。そういった方も仕事着ではなく普段着の一つとしてスーツを捉えると見方が変わるかもしれません。日本のスーツの歴史と流れから今後のスーツについて考えます。
戦前におけるスーツの位置付け
昔の日本であれば個人の経営する商店が多く、八百屋はシャツに前掛け、寿司屋は白い仕事着、小さい店は自由な服装がほとんどでした。毎日スーツを着る人口自体が少なかったのです(小津安二郎の映画が昔の日本をよく表しています)。かといって一般の人々がスーツを持っていなかったわけではありません。彼らの外出時に着る背広は何着かテーラーで仕立てていたものです。デパートに行く際、映画に行く際、ちょっとした所へ出かける時のおしゃれ着であったわけです。
古い映画を見ると男性のお出かけファッションはスーツです。当たり前になっていたからこそ苦にもならず、むしろネクタイを締めることでワクワク感がましたものです。そういったモダンなスーツに感化された日本人に洋装文化は着実に浸透していきました。戦争でモダン文化は断ち切られ戦争に敗れると、アメリカの文化が流入してきます。簡略化好きなアメリカ人のセンスを受け継いでしまった日本では洋服のカジュアル化が進みます。着こなしのバリエーションは広がってきましたがその反面正装、三つ揃いの背広が古臭い代表になってしまったのです(スーツに帽子を被っているのは波平さんくらいになってしまいました)。
街のテーラー
自由な服装ができるようになった戦後、経済も成長し良い服を着たいという思いは増えていきました。大きな街はもちろん中規模程度の街ならばほとんどテーラーがありました。大規模大量生産施設もまだない日本ではたくさんのテーラーがいたため今よりも相対的に安い価格で背広を仕立てることができました。当時のテーラーは仕事用のスーツをはじめ、休日のお出かけ用のカジュアルスーツからジャンパーまで幅広い服を作っていました。
街のテーラーの衰退
だいたい1970年台頃まではテーラーが既製服と張り合っていましたが、既製服がまずまずの質になって着たことや海外ブランドが流入し日本のテーラーは衰退してきました。カジュアルな服は既製服でビジネス用のスーツはテーラーという住み分けもここら辺から始まったように思います。
既製服の増加はコーディネートの幅が広げ、たくさんの中から服を選べる楽しみを提供してきました。しかしトンチンカンな服装がオシャレと言われたり、正装すべきはずのスーツがだらしなくなったりと弊害もあったように思います。
いつから就活スーツを着始めたのでしょうか
昔は昔ですが画一化されていなかったからこそ良い服とは何かを自分で考えきこなそうとしていたことが伺えます。今の就活スーツもメリットはあります。柔軟に構えその時に応じて着る服を選ぶ必要はありますが、就活には就活用スーツを買うという風潮は昔からあったわけではないということも心に留めておくべきであります。
スーツを普段着の一つとして考える
どんな服でもちゃんと着こなすにはその服の背景を知ることが大切です。私は自由な服装はファションを進化させると考えており、(ウィンザー公も初めは批判されたものです)多様な着こなしがあっても良いと思っています。むしろ最近の服のバリエーションは減って来ていると思います。ただ無理やり着させられているかのような服装は許せません。かつて東海道新幹線の開通時にボーイの制服がお仕着せのようで似合わないという批判をした作家がおりましたが、その通りです。服をきこなすには自覚が必要なのです、正しく着る中に自分の趣味やセンスを取り入れる努力が必要です。
おしゃれに見える休日の装い
服の多様性を認めよう
スーツに凝り過ぎるあまりカジュアルな服を小馬鹿にするような狭い了見の人もおります。スーツによって自分の威厳を保とうとしている人もいます。が私はあくまで背広も一つのファッション、山に行くには山の格好も必要でしょうし運動にはスポーツウェアが必要です。ただオーダーの服には既製服にはない個性や自分にあった着心地があります。この良さをもっと多くの人に知ってもらえれば嬉しいと思い本まとめを作成しました。