【平塚八兵衛】敏腕刑事の人生

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「落としの八兵衛」「喧嘩八兵衛」「鬼の八兵衛」「捜査の神様」など数々の異名で知られる敏腕の刑事。戦後最大の誘拐事件と言われた吉展ちゃん誘拐殺人事件を解決に導く。

平塚八兵衛とは

1913年9月22日生まれ。
茨城県新治郡土浦町出身。

ある事件で誤認逮捕され、土浦警察署での取調べ中に殴る蹴るの暴行を加えられるという経験
本物の名探偵・平塚八兵衛が追った事件

この暴行の経験に発憤した平塚は、警察官になる事を決意して上京し、警視庁に入庁
本物の名探偵・平塚八兵衛が追った事件

間もなく「花の捜査一課」へ移動となり以後、1943年から1975年3月の退職まで
刑事部捜査一課一筋を貫いた。

「落としの八兵衛」「喧嘩八兵衛」「鬼の八兵衛」「捜査の神様」など数々の異名で知られる敏腕の刑事であった。
平塚八兵衛 – Wikipedia

在任中に手がけた事件は殺人だけでも124件に上り、後述するような戦後の大事件の捜査でも第一線に立ち続けた。
平塚八兵衛 – Wikipedia

【関わった主な事件】

吉展ちゃん誘拐殺人事件

1963年3月31日に東京都台東区入谷(現在の松が谷)で起きた男児誘拐殺人事件。

迷宮入り寸前になっていたこと、事件解明まで2年3ヶ月を要したこと、犯人の声をメディアに公開したことによって国民的関心事になったため、当時は「戦後最大の誘拐事件」といわれた。
吉展ちゃん誘拐殺人事件 – Wikipedia

犯人の小原保

小原には誘拐発生の1963年3月31日と最初の脅迫電話があった同年4月2日の両日、郷里の福島県内で複数の目撃者が存在していましたが、担当刑事の平塚八兵衛らは徹底的なアリバイの洗い直しを実施
吉展ちゃん誘拐殺人事件|本物の名探偵・平塚八兵衛が追った事件

結果、犯人の小原保のアリバイを崩して自供に至らせた

小原が死刑を執行される直前に、「私は今度生まれるときは真人間になって生まれてきます。どうか、平塚さんに伝えてください」と言い残した事も有名
平塚八兵衛 – Wikipedia

下山事件

日本が連合国の占領下にあった1949年7月5日朝、国鉄総裁の下山定則が出勤途中に失踪、翌日未明に死体となって発見された事件。

事件発生直後からマスコミでは自殺説・他殺説が入り乱れ、警視庁は公式の捜査結果を発表することなく捜査を打ち切り
下山事件|本物の名探偵・平塚八兵衛が追った事件

下山事件から約1ヶ月の間に国鉄に関連した三鷹事件、松川事件が相次いで発生し、この三つの事件を合わせて「国鉄三大ミステリー事件」と呼ばれている。

帝銀事件

1948年(昭和23年)1月26日に東京都豊島区長崎の帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町支店(1950年に統合閉鎖され現存しない)で発生した毒物殺人事件。

「近くの家で集団赤痢が発生した。GHQが行内を消毒する前に予防薬を飲んでもらいたい」「感染者の1人がこの銀行に来ている」と偽り、行員と用務員一家の合計16人(8歳から49歳)に青酸化合物を飲ませた。
帝銀事件 – Wikipedia

最終的に、12人が毒によって死亡した。

犯人として逮捕された平沢貞通

逮捕当初、平沢は一貫して否認していたが、拷問に近い平塚八兵衛の取り調べの末、逮捕から1か月後の9月23日から自供を始め、10月12日に帝銀事件と他の2銀行の未遂類似事件による強盗殺人と強盗殺人未遂で起訴された。
帝銀事件 – Wikipedia

1987年(昭和62年)5月10日、平沢は肺炎を患い八王子医療刑務所で病死した。享年95。
帝銀事件 – Wikipedia

《冤罪の可能性と真犯人》

平沢のような毒物に関する知識を何も持たない人物に犯行は不可能なこと、拷問に近い取調べで自白を強要されたこと、平沢は精神に疾患があり虚言症であることなどから冤罪の可能性が高いと指摘
帝銀事件|本物の名探偵・平塚八兵衛が追った事件

事件から60年以上たった今でも真相は分かっていない。

三億円事件

東京都府中市で1968年12月10日に発生した、窃盗事件。1975年(昭和50年)12月10日に公訴時効が成立し未解決事件となった。

被害金額3億円は現金強奪事件としては当時の最高金額であった
三億円事件 – Wikipedia

事件から半年後、捜査本部に「吉展ちゃん事件」などで活躍した名刑事・平塚八兵衛が投入される。
三億円事件

平塚刑事は複数犯説を一蹴し、単独犯説をとった。その根拠は男は1人しか目撃されていないこと、1人でやったからこそ周到に見張りの車や、逃走用の車を用意しておいたのだし、複数犯でやった場合、ボロが出てくるというものだった。
三億円事件

しかし真相は謎のまま、1975年(昭和50年)12月10日に公訴時効が成立し未解決事件となった。

平塚八兵衛が残した言葉

平塚は刑事時代にいくつかの名言を残しており、それらの言葉は、後に平塚が扱った事件がドラマ化・映画化された際に、実際にセリフとして使われた。

『刑事という仕事はゼニカネじゃねぇ』

『刑事がホシ(犯人のこと)ではなく、肩のホシ(階級のこと)を追うようになったらおしまいだ』

『俺たちにはよ、100点か0点しかねえんだよ。80点とか90点とか、そういう中途半端な点数は、俺たち刑事にはねえんだよ』

退職後

1975年、平塚は三億円事件捜査主任を最後に刑事を退職。
本物の名探偵・平塚八兵衛が追った事件

三億円事件の公訴時効が成立する9ヶ月前のことだった。

その後事件のコメンテーターとして、テレビや映画『実録三億円事件 時効成立』(1975年 東映)に出演した。
平塚八兵衛 – Wikipedia

退職から4年後に、膵臓癌により死去。享年66。帝銀事件の死刑囚である平沢貞通より先に鬼籍に入った。
平塚八兵衛 – Wikipedia

顕著な功績を残した優秀な刑事であったとされていたが帝銀事件のように容疑者に拷問を加え自供をさせた事実も明らかにされている。
平塚八兵衛 – Wikipedia

https://matome.naver.jp/odai/2142850375151135701
2015年04月09日