東京湾の砲台跡【戦跡・歴史遺産】

KURISEKIHAN
ペリーの黒船来航以来、東京湾には首都を守るための砲台が築き続けられてきました。浦賀水道を挟んで東京湾を囲むように砲台の跡が残っています。

お台場

1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。
お台場 – Wikipedia

11の台場の築造を予定し、結果的には、品川沖に6つの台場を造りました。しかし、ついに使うことなく、放置されました。
六つの台場は、昭和の年代まで残っていましたが、東京湾を整備する必要から四つが取り除かれ、原型を最もよく保存している第三台場と第六台場の二つだけが国指定の史跡に指定されて、今に残っています。
-都立公園・庭園案内-

台場公園第三台場
安政元年(1854年)5月の竣工。関東大震災で被害を受けましたが、それを修復。昭和3年(1928年)に整備して公園として開放しました。当時は海上にありましたが、埋立地造成により陸続きになりました。周囲は高さ5メートル~7メートルほどの石垣でその上に土手が築かれています。
台場公園第三台場
日本, 東京都港区 首都高速11号台場線
北側には石組みの船着場跡があり、往時の面影をしのばせます。台場中央には台場守備隊の休憩所と呼ばれる兵舎があり、今では礎石のみが残っています。そのほかにも、防御施設にかかせない火薬庫、玉薬置所などの跡もあります。
第三台場には、36ポンド砲が配置されていました
第三台場と第六台場
第六台場
安政元年11月の竣工。今でも海上にあり、立入禁止になっています。そのため植物や野鳥の宝庫になっており、学術的にも貴重な存在といわれています。
第六台場
日本, 東京都港区 レインボーブリッジ
第四台場石垣跡(通称:崩れ台場)

天王洲アイル第一水辺広場(第一ホテル東京シーフォート横)のボードウォーク 天王洲大橋脇にある。

わかりにくいが、天王洲アイルが埋め立てられる前、第四台場だった頃の当時の石垣が、今でもここだけに残っている。

第四台場は、文久4年(1864)工事途中で打ち切られてしまったので「崩れ台場」ともいい、後に緒明菊次郎がここに造船所を作ったので「緒明台場」ともいった。

第四台場石垣跡(通称:崩れ台場)
日本, 東京都 海岸通り
8つの台場のうち唯一陸上に造られた御殿山下砲台跡には現在、品川区立台場小学校が建っている
品川区立台場小学校(御殿山下砲台跡)
東京都品川区東品川1-8-30
品海橋を築いた石や、明治3年(1870)から昭和32年(1957)まで第二台場にあった品川灯台(国の重要文化財に指定され愛知県犬山市の明治村に移築)のレプリカが台場小学校庭入口に残る

東京湾要塞

東京湾要塞(とうきょうわんようさい)とは、東京湾周辺の防衛を目的に設置された要塞。東京湾の砲台及び海堡等の建築物を東京湾要塞司令部が管理をした。終戦時は第12方面軍隷下の東京湾兵団に属している。明治時代に建設が始まり、逐次設備を増やしつつ、太平洋戦争(大東亜戦争)の終了時まで運用された。
東京湾要塞 – Wikipedia

猿島

猿島は東京湾に浮かぶ無人島で、湾内最大の自然島
東京湾要塞の一部。
猿島
日本, 〒238-0019 神奈川県横須賀市猿島1
幕末の1847年(弘化4年)に江戸幕府により国内初の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省・海軍省の所管となり、東京湾要塞の猿島砲台が築造された
実際に本施設が実戦に用いられたことはないが、島内の岩壁を掘って煉瓦で覆われた要塞跡は現在も残り、日本では数少ないフランス積み(フランドル積み)が見られる
昭和16年頃より鉄筋コンクリート制の円形の砲座が5座造られ、その上には高射砲が配備されました
高射砲は終戦とともに進駐軍に解体され、砲台だけが残されました
猿島に現存する砲台跡は、この時期のものです。
映画『天空の城ラピュタ』を連想させるとして人気を集めており、『仮面ライダー』の撮影ではショッカーの基地があるとされたことでも知られている

米ヶ浜砲台(演習砲台跡)

横須賀中央公園は旧日本軍の演習砲台跡を利用して造られた公園です
横須賀中央公園
日本, 〒238-0016 神奈川県横須賀市深田台 中央公園
猿島が良く見える
公園内はよく見ると掩蔽部と思われる部分などが確認できる。

夏島砲台

日産追浜工場に隣接する夏島
夏島
日本, 〒237-0061 神奈川県横須賀市夏島町2−15
国指定重要文化財に指定されている夏島貝塚もあることから普段は立入禁止ですが、近年ガイドツアーでしばしば公開されるようになりました

貝山緑地砲台跡

戦前、海軍航空隊や海軍航空技術廠があったところ
貝山緑地
神奈川県横須賀市
地下壕がありますが一般には公開されていません

観音崎砲台

1880年(明治13年)から観音崎各所にレンガ造砲台が建設され、東京湾防備の要塞地帯となり一般者の立ち入りを禁止されていた
観音崎砲台跡
日本, 〒239-0813 神奈川県横須賀市鴨居4丁目1187
レンガやコンクリートのトンネル、遺構が数多く残っています

千代ケ崎砲台


https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151918124781404303
軍道でもあった坂道を登り詰めると表れる石積みの柵門
千代ケ崎砲台は明治28(1895)年に平根山(現横須賀市西浦賀町)の山頂に築かれた。

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151918144081578903
柵門を抜けると砲台を隠す土塁があり、左右から回り込むように進むと

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151918144081578503
隧道と露天空間が繰り返す直線的な塁道になる

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151918144181579103
塁道の被覆壁は露天空間では凝灰質礫岩の切石による石造

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919172789333603
隧道内ではオランダ積みの煉瓦造
猿島で採用された「フランス積み」からさらに土木技術が進化し、少ないれんがの使用量で高い強度を誇る「オランダ積み」を採用。
高温焼成により撥水性を高めた焼過煉瓦を、雨水が直接あたる露天空間に面した施設出入口周辺に浸かっている。

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919318790334503
出入口のアーチには、斜架拱という煉瓦をねじったような特殊な煉瓦積みを見ることができる

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919235889796803
煉瓦に見られる桜花の刻印は小菅の東京集治監のもので、収監されていた囚人が煉瓦製造に従事していた

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919286990137803
塁道の露天空間の東側には棲息掩蔽部

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919294990176603

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919302990230303
西側にある階段は地表に連絡しています

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919345290465203
塁道の隧道内には砲側弾薬庫が配置され

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919350990508803
その脇には砲座へつながる通路と階段がある

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919356490534603
塁道から砲座にでたところ

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919361790569503
1砲座2砲床で塁道に並行して3砲座あります

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919370690606303
現時点では一般公開はされていないが2015年春に「猿島砲台跡」と合わせて国の史跡に指定され、今後の整備・公開が期待される
見学会が定期的に催されています。

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2151919393690720403
左翼観測所跡
2018年度は5月から隔月で見学会が催されます。

平成30年度より隣接する観光農園に残る右翼観測所の見学もあわせてできるようになりました。

砲台山

三浦富士から武山に続くハイキングコース上にある大塚山は、昭和初期に海軍が砲台を造ったことから、砲台山と呼ばれるようになり、今もすり鉢状の砲台跡が残っています
砲台山 砲台跡
神奈川県横須賀市
側面に開けられた8個の四角い穴は、弾薬の格納庫と思われます

剱崎砲台

剱崎灯台から北の 遠津山という場所に大正15年に設置された
現在、畑の中に砲塔を固めていたコンクリートの円形構造物とこれに通じる地下道の出入口が残っている。
剱崎砲台
Unnamed Road, 南下浦町金田 三浦市 神奈川県 238-0103 日本
100m離れたところにもう1ヶ所砲台跡が残っている

東京湾海堡

東京湾要塞の重要な設備として、東京湾入口の最挟部である富津岬から観音崎を結ぶように造成された人工島の海堡がある。
海堡は、明治の中頃に建設が始まり30年にわたる海上工事と多大な工事費、及び犠牲者を出しつつ大正時代に完成を見て15センチカノン砲などが配備された。
近年、海上交通の安全において、第三海堡は大きく支障があるとのことで、2000年12月から2007年8月にかけて撤去作業が行われた。第一・第二海堡は現存しているが、老朽化した第二海堡の護岸が地震で崩壊した場合に土砂が隣接する航路まで流出するおそれがあることから、第二海堡では護岸整備工事が行われている。
東京湾要塞 – Wikipedia

第一海堡

富津岬から見える第一海堡
第一海堡
千葉県富津市富津

第二海堡

また第二海堡には海上保安庁によって灯台が設置されている
第二海堡
日本, 〒238-0019 神奈川県横須賀市猿島1
富津公園内の中の島も富津元洲堡塁砲台跡です
富津元洲堡塁砲台跡
日本, 〒293-0021 千葉県富津市富津2280

第三海堡(一部移設保存)

夏島都市緑地内に移設
毎月第一日曜日が一般公開日。(ただし、1月のみ第二日曜日)
予約無しで10:00~16:00まで見学できます。
http://www.action-oppama.org/project/dai3kaiho/
夏島都市緑地
日本, 〒237-0061 神奈川県横須賀市夏島町2 夏島都市緑地 駐車場
探照灯舎
探照灯の台座
内部に入って
階段を登ると
他の建物を見下ろせます
観測所
地層のように見えますが説明看板にはコンクリート製とあるので海水に浸かって変色したのではないかと思われます
砲台砲側庫
建物側面に突き出ている樋状のものは砲弾の出し入れ口。
横須賀うみかぜ公園にも大型兵舎が保存展示されている
横須賀うみかぜ公園
日本, 〒238-0013 神奈川県横須賀市平成町3丁目23
うみかぜ公園からは猿島がすぐ近くに見えます

走水低砲台

平成28年5月より、これまで未公開だった「走水低砲台跡」を公開されました
※ただし「走水低砲台跡」を見学するには、専門ガイドが案内するツアーに参加する必要があります。
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/4130/sisetu/hasirimizuteihoudai.html
走水低砲台
日本, 〒239-0811 神奈川県横須賀市走水2丁目4
「走水低砲台跡」は、明治時代に着工され終戦まで可動状態にあったため、砲座や弾薬庫、兵舎などほとんどの遺構が良好な状態で現在も残されています

大房岬砲台

黒船来襲の時代から太平洋戦争まで、日本の防衛の砦として使用された
大房岬砲台
日本, 〒299-2404 千葉県南房総市富浦町多田良1212−23
昭和初期には軍部の方針などで地図から大房岬の存在が消されていたこともあるという
弾薬庫跡

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2153727338693146003
要塞跡地(探照灯収納庫格納庫)

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2153727338693145903

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601/2153727338593145403

———–おまけ————

東京湾ではなく相模湾になるが江の島と富士山の眺望がすばらしい逗子の披露山公園も砲台の跡地
披露山公園
日本, 〒249-0008 神奈川県逗子市小坪3丁目29−4
戦時中は海軍の小坪高角砲台として2連装12.7センチ高角砲2基と高射装置を備えた指揮所が存在した
手前の円形の花壇、右奥の展望台、左奥のニホンザル舎が砲台台座の名残
サル舎は砲座の姿をとどめている
レストハウスは指揮所跡に建てられたとのこと

東京湾の入口にある館山は、首都防衛のため多くの軍事施設が有りました。現存している遺構の中でも特に赤山地下壕は見ごたえがあります。

https://matome.naver.jp/odai/2142604810197365601
2018年09月18日