世界は男と女だけじゃない?その「思い込み」もう一度よく考えてみて

漬物小僧
人には「男」と「女」しかないと思っていませんか?そして男と女が愛し合うということが当たり前だと思っていませんか?あなたのその考えはただの「思い込み」なのかもしれません。

”男と女だけ”だという思い込み

私たちの意識の中に根強く横たわる、性器主義に基づく性別二元論がある。
幼児教育と学校ジェンダー問題〜「性同一性障害」は学校でつくられる!?

例えばですが、「イケル」「欲情する」「好きになる」「一緒にいたい」という可能性が高いグループとそうでないグループに人類を(とりあえず人類に限定します)2つに分けようとしたときに、「男/女」というところに線が引かれる人もいることでしょう。しかし全ての人がそうというわけではありません。
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

「男」「女」という性別自体が現在では問われています。こんな中でいったいどんな言葉で「同性」「異性」を定義できるのでしょう?
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

性というと、身体の性別で男か女かという風にとらえることが多いと思います。でも、本当にその二つだけで表すことができるのでしょうか?
現在の性科学によると、人の性のあり方は、大きく分けて4つの要素から成り立っています。
Q1.性って男か女、異性愛だけじゃないの? | スクランブルエッグ

生物学的性(身体の性)、性自認(心の性)、社会的な性(ジェンダー)、性的指向(恋愛対象)の4つだそうです

「性指向はグラデーションになっていて、100%のレズビアン・ゲイや100%のヘテロはあんまりいない」みたいな言い方で済まされてきましたが、この言い方こそまさに、「同性愛者」の不在と定義不可能性を明らかに示しています。
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

性別を決めつけていませんか?

「体の性別と心の性別と、服装の性別と、仕草の性別は全て同じであるのが当たり前」
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

それは思い込みかもしれません

ミニーちゃんがズボンを履いて、ミッキーがワンピースを着てもおかしくありません。
そう考えると、この二人の区別がつかなくなりますね。

モテる男子は、「普段は優しいけど、いざという時は頼れる」タイプなんですよね。つまり、男がリードして女がリードされるという図式が変わっていない
〈番外編〉男性の「生きづらさ」から考える、 性別の固定観念にとらわれない、これからの多様な生き方。~田中俊之さん(武蔵大学社会学部助教)~ | マガジン9

男か女か分けるという事

男か女かすぐに判断できない場合もある
生まれてすぐに身体的に男か女かを区別することが難しいこともあります。
そのような人を主人公にした「IS~男でも女でもない性~」という漫画があります。福田沙紀と剛力彩芽が主演でドラマ化もされました。

この半陰陽を男女のどちらにも属さない「第三の性」と位置づけるとする考えもあるが、実際のところ、インターセックスの状態を持つ人々の大多数が、典型的な男性/女性としての性自認を持っており、むしろ「インターセックス」とのステレオタイプ的なラベリングは拒絶されることが多い
半陰陽 – Wikipedia

「男でも女でもない!」とすれば良いわけではないということですね。
その人自身の性をみつめることが大切なのかも

「インターセックスの人々がいるので、生物学的にヒトの性別は2つではない」との主張は、性分化疾患を持つ人達の通常の男性・女性としての自認を踏みにじることにもなりかねない
半陰陽 – Wikipedia

もちろん、性分化疾患の人の中には、性自認が揺れている人もいるし、また個人的な政治主張として「男も女もない」と主張する人もいるが、それは、性分化疾患ではない人がそういう状態にあったり、そういう政治的信念を持つことと変わりがない。ただし、個人の政治的信念は厳に尊重されるべきである。
半陰陽 – Wikipedia

「男と女で分けること」も「男も女もないとすること」どちらも尊重するべき?

身体と心の性別が違うこともある
佐藤かよさん

身近になってきた”同性”愛

最近は「同性愛」などについての情報に触れる機会が増え、性の多様性が以前よりも認められるようになってきました。

それでもなくならない壁

ゲイのカップルを紹介するというコーナーがありました。それを見て、私はとてもびっくりしてしまいました。ゲイのカップルがふたりで手をつないで道を歩いているシーンに切り替わったとたんに、効果音で「笑い」が入っていたんです
同性愛者のおかれている状況

生まれもった性質のせいで異性カップルと同じ権利を享受できない、ということは、人権が無視されているということです。
同性愛者への福音か、家族制度破壊か。同性カップル証明書 – Yahoo!みんなの政治

一番つらかったのは、誰にも本当のところを理解してもらえないという深い孤独感を感じること
偏見からの自由 | NPO法人LGBTの家族と友人をつなぐ会

「男女同室着替えはジェンダーフリーに基づいている」
ジェンダーフリーは多様性を尊重しないホモフォビア,同性愛への偏見の思想 | 反省の女性学

このような意見が生まれるのも、人それぞれの多様性を認めきれていないから?

そもそも「同性愛」という言葉が差別を広げている

わざわざ「同性愛者」ということを取り上げること自体が、「同性愛」が特別なものだという印象を強めているのかも

「同性愛者に対する差別」という言い方をしてしまうと、「私たち」の内部にアイデンティティーによる線引きがされてしまいます。
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

あえて「バイセクシュアル」や「パンセクシュアル」という名前をつけるとまた新たなイメージが出てしまうかもしれない
NHKオンライン | 虹色 – LGBT特設サイト | 連載 | LGBTカフェ | バイセクシュアルってどんな感じ?

実際はひとりひとり違うのに、どうしても言葉にするとパッケージ的なものとしてまとまって見えてしまって、それが怖くて、もう言うのをやめようというネガティブな気持ちになってしまうんです。
NHKオンライン | 虹色 – LGBT特設サイト | 連載 | LGBTカフェ | バイセクシュアルってどんな感じ?

かえって、女性はこういうもの、セクシャル・マイノリティはこういうもの、という固定観念を助長してしまう気がするんです。もっとひとりの中にある多様性についても、認めていける社会にならないといけないと思っています
〈番外編〉男性の「生きづらさ」から考える、 性別の固定観念にとらわれない、これからの多様な生き方。~田中俊之さん(武蔵大学社会学部助教)~ | マガジン9

もし「差別」というものがあるとしたらそれは、「特定の、一貫したアイデンティティーを持つことを強いられる」というところにあるはずです
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

同性愛や性別にこだわらない愛が『普通』ならば、わざわざ同性愛者だということを強調しない

「同性愛者」だと言わなければいけないワケ

それは、その言い方を必要とする社会的状況があるからです。その言い方で表されること、「私が今大切にしている(または欲情する)人の性別は同性(とされる)人だ」を伝えるためには、「私は同性愛者だ」言うことがとても効果的で分かりやすいからです
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

逆に言うなら、わざわざそう言わない限り同性同士の関係は性的なものであるとはみなされない社会に私たちが生きているということです。わざわざ言葉にして納得し、言葉にして理解し、言葉にして相手に伝えない限りそこには何もないことにされてしまうからです。
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

「同性愛者」という言葉は、だから、「異性愛者」のための言葉です。「ノーマル」「自然」と思われているものが、実は「異性愛」(正確には強制異性愛)であるということを「ノーマル」「自然」と思っている人に説明するための、道具として便宜的に使われる言葉に過ぎません。
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

本当の問題は何なのか…?

私にとっては同性愛も異性愛も、恋愛対象の性別にこだわるという点では、同じものに見えます。恋愛対象の性別にこだわるのが悪いことではないように、こだわらないことも、悪いことではありません。
恋愛対象の性別にこだわらないということ – よもちかブログ

「同性間の関係が抑圧されている」ということが問題なのではなく、「ことさら相手の性別が問題にされている」ということが、問題なのです。
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

だから、問題なのは、「よく分からないもの」「何となく否定的に思えるもの」に対して「淫乱!」というレッテルを貼ることが罵倒したことになってしまう社会の方です。
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

ここで私がいいたいことは、ある基準からみてそれが真実であるということと、私が「朝食に納豆を卵をかけて食べる人間」というアイデンティティーを持っている(もしくは「持つべき」)ということとはまったく別のことだということです
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

「納豆と卵をかけて食べる人間」と主張しなくてもいいように、「同性愛者」「バイセクシュアル」等ということを気にしないことが普通なのかもしれません。

「同性愛者という言葉」に縛られない

社会だけでなく、当事者自身も考えを見直すことが必要…

ただ、LBGTの当事者側は、みんなもっと自分以外の性的志向についても知る努力したほうがいいなあと思っています。セクシャルマイノリティにも、本当にいろんなタイプがありますから。
「バイセクシャル」の恋愛って、実際はどうなの? | Plus-handicap

異性愛者も、同性愛者も人それぞれ

必要なのは、あなたがあなた自身を受け入れることであり、「自分自身の」アイデンティティーを獲得することであって、「同性愛者としての」「バイセクシュアルとしての」アイデンティティーを確立することが必要なのではありません。他者と自分とは違うということを、等身大に、当たり前のこととして受け入れることができれば、「ホモがばれるかどうか」は問題ではないはずです。
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

その価値観、みつめ直してみて

バイに限ったことではないのかもしれませんが、生きづらいか、そうでないかは本当に人それぞれ
「バイセクシャル」の恋愛って、実際はどうなの? | Plus-handicap

仮にあなたにとって私のことが「バイセクシュアル」に見えたとしても、私に対してそのあなたの性別を中心とした基準を押しつけないで下さい。仮に、私が男女の両方に欲情するとしても、あなたが私のことを「バイセクシュアル」だと思うのは勝手ですが、私のことを勝手に「バイセクシュアル扱い」しないで下さい。
「バイセクシュアル」 という問題領域から見えるもの

あなたのその価値観や基準は、あなただけのものかもしれません。

バイセクシュアルが、男か女か決められないどっちつかずの浮気者と認識されることは、不服です。そっちの基準・価値観で裁かないでくれ、と思います。
恋愛対象の性別にこだわらないということ – よもちかブログ

こんな社会だったら素敵かも

薄めのグレーゾーンに位置する方々も、もっと大手をふって自分のセクシャリティについて語るようになったらもっと世の中が面白くなるし、生きづらさを感じている人の苦しさも和らいだりするのではないかなぁと想像します。
私は恋愛対象の性別にはこだわりませんという話 – よもちかブログ

男性と女性とヘテロセクシャルしか認められていない世の中より、色々な性のあり方が認められている世の中のほうが自由で楽しそうだと思います。
私は恋愛対象の性別にはこだわりませんという話 – よもちかブログ

https://matome.naver.jp/odai/2142450487666279901
2016年07月15日