艦隊の戦い~マリアナ沖海戦

DragonEye
1944年6月19日から20日にかけてマリアナ諸島沖からパラオ諸島沖の海域で勃発。日米両海軍合わせて24隻もの航空母艦が参加した、史上最大にして絶後となる空母艦隊同士の海戦。アメリカ側はフィリピン海海戦(Battle of the Philippine Sea)と呼ぶ。結果は日本軍の大敗に終わった。

内容
1.海戦の背景
2.参加兵力
3.日本軍の主な兵器
4.アメリカ軍の主な兵器
5.戦闘経過
6.両軍の損害
7.マリアナ沖海戦 動画
8.海戦まとめ
9.行ってみたい兵器・軍事博物館

1.海戦の背景

マリアナ諸島と絶対防衛圏
マリアナ諸島はミクロネシア北西部の列島。北西太平洋とフィリピン海の境界に位置し、北には小笠原諸島、南にはカロリン諸島がある。南北約800キロメートルに連なる約15の島から構成され、南端のグアム島を除く島々を北マリアナ諸島、サイパン島より北の島々を北部諸島(Northern Mariana Islands)と呼ぶ。
左図のように、1943年9月の御前会議において定められた本土防衛上確保すべき勢力圏(絶対防衛圏)の内側に位置する。
グアム・サイパンから東京へは約2,500km、米軍の一大拠点だったハワイからの約6,500kmに比較して一挙に本土へと迫られる事になる。
開戦から3年半が過ぎ、当初は破竹の勢いだった日本帝国海軍も艦船や航空機の消耗が増え、戦力の衰えは大きかった。対する米軍は圧倒的な工業力を背景に次々と機動艦隊の充実を行っており、その戦力は日本軍を凌駕しつつあった。
この状況を打破するために、日本帝国海軍はアメリカ機動艦隊の撃滅を企図し、あ号作戦を立案した。「あ」はアメリカのアである。作戦ではグアム、サイパン、テニアンの兵力を強化して敵をパラオ方面へ誘い込み、第一機動艦隊と第一航空艦隊主力の基地航空隊によって撃破するというものである。
機動艦隊としてはアウトレンジ戦法を取りつつ艦隊決戦を挑むこととなったのである。

5月20日、豊田副武連合艦隊司令長官は「あ号作戦」開始を発令した。同日、小沢治三郎中将は旗艦「大鳳」で次のような訓辞を行った。
1.今次の艦隊決戦に当たっては、我が方の損害を省みず、戦闘を続行する。
2.大局上必要と認めた時は、一部の部隊の犠牲としこれを死地に投じても、作戦を強行する。
3.旗艦の事故、その他通信連絡思わしからざる時は、各級司令官は宜しく独断専行すべきである。
4.もし、今次の決戦でその目的を達成出来なければ、たとえ水上艦艇が残ったにしても、その存在の意義はない。
-Wikipedia

2.参加兵力

____   日本軍      米軍
航空母艦    9(軽4)   15(軽8)
戦艦      5        7
巡洋艦    19(軽6)   21(軽13)
駆逐艦    27       58
潜水艦    24       28
給油艦     6        ?
艦載機   450      956
陸上機   300        ?
-Wikipedia英語版

3.日本軍の主な兵器

零式艦上戦闘機五二型
運用開始:1943年秋
乗員1名 自重1,876kg
動力:1,130hp
最高速度:564.9km/h
武装:20mm機関砲x2(携行弾数各100発)、7.7mm機銃x2(携行弾数各700発)
爆装 零戦
旧式となった零戦二一型に250kg爆弾を抱かせた急ごしらえの爆撃機がこの海戦から使われるようになった。爆戦とか戦爆と呼ばれたが急降下爆撃ができる機体ではなく、構想に最初から無理があった。ただでさえ非力な零戦に250kgの負荷は大きく、速度や運動性などの性能低下が甚だしかった。出撃機数は100機を超えたが多くはヘルキャットや対空砲火の餌食になった。
艦上攻撃機 天山
運用開始:1943年7月
乗員3名 自重3,083kg
動力:1,850hp
最高速度:481.5km/h
武装:13mm旋回機銃x1(後上方)、7.92mm旋回機銃×1
爆装:九一式航空魚雷1本/800kgまたは500kg爆弾1発/250kg爆弾2発/60kg爆弾6発
九九式艦上爆撃機ニニ型
運用開始:1940年
乗員2名 自重2,750kg
動力:1,300hp
最高速度:428km/h
武装:機首7.7mm機銃×2、後部旋回7.7mm機銃×1
爆装:250kg爆弾x1、60kg爆弾x2
艦上爆撃機 彗星
運用開始:1941年9月
乗員3名 自重2,635kg
動力:1,400hp
最高速度:579.7km/h
武装:7.7mm機銃x2(機首。携行弾数各400発)、7.7mm旋回機銃x1(後上方。97発弾倉×6)
爆装:250kgまたは500kg爆弾1発、翼下30~60kg爆弾2発
陸上爆撃機 銀河
運用開始:1943年秋
乗員3名 自重7,265kg
動力:1,825hpx2
最高速度:546.3km/h
武装:20mm旋回機銃x2(機首、後部)
爆装:九一式航空魚雷1本/800kg爆弾1発/250kgまたは500kg爆弾2発
空母 大鳳
最新鋭艦であり、司令長官小沢治三郎中将座乗の第一機動艦隊旗艦。
就役1944年3月
基準排水量:29,300t
最大速力:33.3 ノット
武装:10cm連装対空砲x6、25mm3連装対空砲x17
搭載可能数:53機
6月19日に米軍潜水艦アルバコアの攻撃で魚雷を受け、航空ガソリン漏れによって爆発、沈没した。
就役後、わずか3ヶ月の艦歴だった。
空母 翔鶴
翔鶴型航空母艦1番艦。
就役1941年8月
基準排水量:25,675t
最大速力:34.2 ノット
武装:12.7cm連装対空砲x8、25mm3連装対空砲x20、25mm対空砲x10
搭載可能数:74機
6月19日に米軍潜水艦カヴァラの攻撃によって魚雷4本を受けて沈没。乗組員887人と艦載機搭乗員376人が海に呑まれた。
空母 瑞鶴
翔鶴型航空母艦2番艦。第一機動艦隊旗艦大鳳が撃沈された後、司令長官小沢治三郎中将は重巡羽黒に移乗し、最終的には20日に瑞鶴に移ってこれを旗艦とした。
就役1941年9月
基準排水量:25,675t
最大速力:34 ノット
武装:12.7cm連装対空砲x8、25mm3連装対空砲x20、25mm対空砲x36
搭載可能数:72機
20日の戦闘で飛行甲板に直撃弾を受け、甲板と格納庫で火災を起こした。至近弾によって浸水をも引き起こした。
空母 飛鷹
飛鷹型航空母艦1番艦。日本郵船が北米航路用に新造した橿原丸級貨客船・出雲丸を建造途中で航空母艦に改装したもの。
就役1942年7月
基準排水量:23,770t
最大速力:25.5 ノット
武装:12.7cm連装対空砲x6、25mm3連装対空砲x8、25mm対空砲x12
搭載可能数:48~53機
6月20日ベロー・ウッド艦載機から魚雷一発と爆弾1発を受け、更に潜水艦魚雷を受けて沈没。
写真は同型艦の隼鷹。
空母 隼鷹
飛鷹型航空母艦1番艦。日本郵船が北米航路用に新造した橿原丸級貨客船・橿原丸を建造途中で航空母艦に改装したもの。
就役1942年5月
基準排水量:23,770t
最大速力:25.5 ノット
武装:12.7cm連装対空砲x6、25mm3連装対空砲x8、25mm対空砲x12
搭載可能数:48~53機
6月20日の米空母艦載機の攻撃で煙突に直撃弾を受け、6発の至近弾も得て中破。60名を超える戦死者を出すと共に、飛行甲板の損傷と着艦制動装置の故障によって艦載機を収容できなくなった。
空母 龍鳳
瑞鳳型航空母艦。潜水母艦・大鯨として竣工し、後に航空母艦へ改装された。
就役1942年11月
基準排水量:13,360t
最大速力:26.5 ノット
武装:12.7cm連装対空砲x4、25mm3連装対空砲x10
搭載可能数:31機
20日の戦闘で至近弾により小破。
空母 千代田
1938年12月に千歳型水上機母艦として竣工。特殊潜航艇母艦に改造された後、ミッドウェー海戦で一度に4隻の空母を失った穴を埋めるために軽空母に改装された。
就役1943年12月
基準排水量:11,190t
最大速力:28.9 ノット
武装:12.7cm連装対空砲x4、25mm3連装対空砲x10
搭載可能数:30機
20日の米軍艦載機による攻撃で飛行甲板後部に直撃弾を受けた。戦死者20、戦傷者30を出し、艦載機2機が破壊された。
戦艦 榛名
金剛型戦艦3番艦。
就役1915年4月
基準排水量:32,156t
最大速力:30.5 ノット
武装:35.6cm連装砲x4、15.2cm連装砲x8、12.7cm連装対空砲x6、25mm3連装対空砲x24、25mm対空砲x23
搭載:水上機x3
20日の米軍空襲で後甲板に直撃弾を受けて小破。火薬庫に浸水する被害も出た。
重巡 羽黒
妙高型重巡洋艦4番艦。空母大鳳が撃沈された後に司令長官小沢治三郎中将が移乗し、更に空母瑞鶴へ移るまでの間第一機動艦隊の旗艦としてマリアナ沖海戦を戦う。
就役1929年4月
基準排水量:13,963t
最大速力:35.6 ノット
武装:20cm連装砲x5、12.7cm連装対空砲x4、13mm4連装対空機銃x2、7.7mm対空機銃x2、92式4連装魚雷発射管x2、魚雷16本
搭載:水上機x4
重巡 摩耶
一等巡洋艦(重巡洋艦)高雄型4番艦。
就役1932年6月
基準排水量:13,350t
最大速力:34.6 ノット
武装:20cm連装砲x4、12.7cm連装対空砲x6、13mm4連装対空機銃x2、25mm3連装対空砲x13、25mm対空砲x9、13mm対空機銃x36、61cm4連装魚雷発射管x4
搭載:水上機x3
20日の米軍艦載機による攻撃で至近弾を受けて舷側バジルに浸水、2度傾いた。戦死者16、戦傷者40を出している。
給油艦 速吸
風早型給油艦として竣工する予定だったが、ミッドウェー海戦での空母喪失をカバーするために、当時開発中だった艦上爆撃機・流星を搭載して射出機で発進させる機能を付加させた。
基準排水量:18,300t
最大速力:16.5 ノット
武装:12.7cm連装対空砲x2、25mm3連装対空砲x2、25mm連装対空砲x1、爆雷x8
搭載:艦上攻撃機x6、9m内火艇x2、9mカッターx2。13m特型運貨船x1
20日の米軍空襲で艦橋至近に直撃弾を受けて火災が発生、搭載機も炎上して戦死傷13名を出した。
油槽船 玄洋丸
飯野海運の商用タンカーとして1938年4月に竣工、1941年11月に特設運送船として帝国海軍に徴傭された。
総トン数:10,018t
最大速力:19.6 ノット
武装は不明。
6月20日に米軍空母・ワスプ艦載機の急降下爆撃を受けて航行不能に陥り、駆逐艦・卯月によって砲撃処分された。
油槽船 清洋丸
国洋汽船の1TL型戦時標準船として1944年1月に竣工。そのまま特設運送船として帝国海軍に徴傭された。
総トン数:10,536t
マリアナ沖海戦直前の6月15日、米軍潜水艦の魚雷を回避して船首前を横切ろうとした駆逐艦・白露に衝突。白露はその衝撃で爆雷と前部弾薬庫が誘爆して3分で沈没した。
6月20日には米軍空母・ワスプ艦載機の急降下爆撃を受けて航行不能に陥り、駆逐艦・雪風によって雷撃処分された。
写真は同型船の橋立丸。

4.アメリカ軍の主な兵器

グラマン F6F ヘルキャット
艦上戦闘機。パワーを生かして雷撃や爆撃も行った。
運用開始1943年秋
乗員1名 自重:4,190 kg
動力:2,000hp(初期)
最大速度:612km/h
武装:12.7ミリ機銃x6(携行弾数各400発)
爆装(最大4,000ポンド(1,800kg)):翼下に5インチHVAR対地ロケットx6/11インチ・タイニーティム対地無誘導ロケットx2、胴体下にMk.13-3魚雷x1/1000ポンド(455kg)爆弾x2/500ポンド(230kg)爆弾x4/250ポンド(110kg)爆弾x8
ダグラス SBD ドーントレス
艦上急降下爆撃機。同型は陸軍(制式名A24)と海兵隊にも配備された。
初飛行1940年5月1日
乗員2名 自重:2,905kg
動力:1,200hp
最大速度:410km/h
固定武装:機首12.7mm機銃2挺、後部旋回7.62mm連装機銃
爆装:1200ポンド(544kg)爆弾
カーチスSB2C ヘルダイバー
ダグラスSBDドーントレス急降下爆撃機の後継機。
運用開始1943年11月
乗員2名 自重:4,784kg
動力:1,900hp
最大速度:475km/h
武装:20mm機関砲x2(主翼)、後部旋回7.62mm機銃
爆装:爆弾2000ポンド(900kg)/魚雷x1、翼下に5インチHVAR対地ロケットx8/爆弾1000ポンド(455kg)
グラマン TBF アヴェンジャー
艦上攻撃機。
運用開始1940年12月
乗員3名 自重:4,788kg
動力:1,700hp
最大速度:436km/h
武装:前方12.7mm機銃x2、背面12.7mm機銃x1、腹部7.62mm機銃x1
爆装:Mk.VIII魚雷×1/500ポンド爆弾(230kg)x4
空母 レキシントン (CV-16)
エセックス級航空母艦2番艦。当初カボットという艦名が与えられていたが、珊瑚海海戦で日本軍に沈められたレキシントン(CV-2)の名を引き継ぐ事になった。5隻目の同名軍艦。マーク・A・ミッチャー中将座乗のTF58旗艦。
就役1943年2月
基準排水量:27,100t
最大速力:33 ノット
武装:5インチ(12.7cm)連装対空砲x4、5インチ(12.7cm)対空砲x4、40mm4連装対空砲x8、20mm対空砲x46
搭載可能数:110機
空母 バンカーヒル (CV-17)
エセックス級航空母艦4番艦。
就役1943年5月
基準排水量:27,100t
最大速力:33 ノット
武装:5インチ(12.7cm)連装対空砲x4、5インチ(12.7cm)対空砲x4、40mm4連装対空砲x8、20mm対空砲x46
搭載可能数:90~100機
19日の日本軍空襲で至近弾を受け、破片で戦死者2戦傷80以上。
空母 ベロー・ウッド (CVL-24)
インディペンデンス級航空母艦3番艦。当初は巡洋艦ニュー・ヘヴン (USS New Haven, CL-76) として起工され、1942年2月に艦種変更と改名が行われた。
就役1943年3月
基準排水量:11,000t
最大速力:31.6 ノット
武装:ボフォース40mm対空砲x26
搭載可能数:33機
20日に艦載機が空母飛鷹を撃沈。
戦艦 サウスダコタ (BB-57)
サウスダコタ級戦艦1番艦。2隻目の同名軍艦。
就役1942年3月
基準排水量:35,000t
最大速力:27.8 ノット
武装:16インチ(40.6cm)砲x9、5インチ(12.7cm)砲x16、40mm対空砲x68、20mm対空機銃x76
19日の日本軍空襲で主甲板に直撃弾を受け、50人以上の死傷者を出した。
戦艦 インディアナ (BB-58)
サウスダコタ級戦艦2番艦。4隻目の同名軍艦。
就役1942年4月
基準排水量:35,000t
最大速力:27.8 ノット
武装:16インチ(40.6cm)砲x9、5インチ(12.7cm)砲x20、40mm対空砲x24、20mm対空機銃x16
搭載:水上機x3
20日の戦闘で日本軍機から2発の魚雷至近弾を受けたが損害は軽微。
重巡 インディアナポリス (CA-35)
ポートランド級重巡洋艦2番艦。レイモンド・A・スプルーアンス大将が座乗する米・第5艦隊旗艦。
後に広島と長崎に落とされた原子爆弾のリトルボーイとファットマンを米本土からテニアン島まで運ぶ任務を果たした。
就役1932年11月
基準排水量:9,800t
最大速力:32 ノット
武装:8インチ(20cm)3連装砲x3、5インチ(13cm)砲x8、40mm対空砲x32、20mm対空機銃x27
搭載:水上機x2
重巡 ミネアポリス (CA-36)
ニューオーリンズ級重巡洋艦3番艦。2隻目の同名軍艦。
就役1934年5月
基準排水量:9,950t
最大速力:32.7 ノット
武装:8インチ(20cm)砲x9、5インチ(13cm)砲x8、40mm対空砲x68、12.7mm対空機銃x8
搭載:水上機x4
19日の日本軍空襲で軽微な損害。
潜水艦 アルバコア (SS-218)
ガトー級潜水艦7番艦。2隻目の同名軍艦。
就役1942年6月
基準排水量:1,550t
最大速力:20.3 ノット(水上)、8.8 ノット(水中)
武装:21インチ(533㎜)魚雷発射管x10(艦首x6、艦尾x4)、魚雷24発、3インチ(76mm)甲板砲x1、ボフォース40mm対空砲x1、オエリコン20mm対空機銃x1
空母大鳳に魚雷攻撃を行い、6本中1本が命中。この損傷によって大鳳は6時間後に沈没。
潜水艦 カヴァラ (SS-244)
ガトー級潜水艦33番艦。
就役1944年2月
基準排水量:1,550t
最大速力:21 ノット(水上)、9 ノット(水中)
武装:21インチ(533㎜)魚雷発射管x10(艦首x6、艦尾x4)、魚雷24発、3インチ(76mm)甲板砲x1、ボフォース40mm対空砲x1、オエリコン20mm対空機銃x1
空母翔鶴の右舷側に距離約1,100メートルから魚雷攻撃。発射6本中4本が命中して翔鶴は3時間後に沈没。

5.戦闘経過

●6月19日
05:50日本軍グアム基地の索敵機が米軍TF58を発見。これを受けて同基地から攻撃隊が進発を始めるのをレーダーで捕捉した米軍は、空母ベロー・ウッドから30機のF6Fを急派。基地上空での空中戦となった結果、日本機は35機が被撃墜、対してF6Fの損失は1機。
08:16空母大鳳を米潜水艦アルバコアが雷撃して発射6本中1本の魚雷が命中。損害は軽微と考えられたが、午後に燃料引火によって爆発沈没。アルバコアは火器管制装置が故障しており、目測での魚雷発射だったとされる。
写真はTF58の艦から迎撃戦の飛行機雲を眺める兵士。
10:00米艦隊は68機の日本軍機が襲撃してくるのをレーダーで捕捉、迎撃機を発進させる。日本軍攻撃隊はTF58の110km手前で旋回しながら編隊を組み直し、10分ものロスを生むという致命的なミスを犯した。
そのため米艦隊に到達する以前に41機がF6Fに撃墜された。米軍被害は戦艦サウスダコタへの直撃弾一発のみ。
11:07米軍レーダーが107機からなる日本軍第二波攻撃隊を捕捉。米軍艦船に達する前に70機以上を撃墜。空母エンタープライズとプリンストンが狙われたが損傷は受けず、日本機は更に20機を喪失。
写真はレキシントンに着艦する米軍機。40mm4連装対空砲と対空機銃銃座が見える。
11:20空母翔鶴を米潜水艦カヴァラが雷撃。発射魚雷6本のうち4本が命中、沈没に至る。
13:00 47機の日本軍第3波攻撃隊を40機の米軍艦戦が迎撃して7機撃墜。エンタープライズに迫った機もあったが、この隊は積極的な攻撃は見せず、残存の40機は自艦に帰投した。
写真は空母ホーネットに着艦後、主翼を折りたたむF6F。
11:00~11:30に進発した日本軍第4波攻撃隊は米艦隊を発見できず、2群に分かれて燃料補給にロタとグアムに向かう。ロタへの一群はモンゴメリー少将の艦隊と遭遇し、空母ワスプとバンカーヒルを攻撃したが命中弾は与えられず、17機が撃墜された。
写真は至近弾を受けるバンカーヒル。
グアムへの一群は基地着陸中にヘルキャット27機の攻撃を受けて49機中30機が撃墜され、残りも修理不能なほどの損害を受けた。
●6月20日
日米艦隊ともに早朝から索敵機を放ったが敵の位置は掴めずにいた。
15:40空母エンタープライズからの米軍索敵機が日本軍機動艦隊を発見。TF58からは275マイル(440km)と米軍艦載機には攻撃可能なぎりぎりの距離であり、しかも陽は傾き始めていたが、ミッチャー中将は全機出撃を決断。第一波攻撃隊240機を発進させた。(うち14機は不調などで途中で引き返した)
写真は米空母。
攻撃隊の内訳は、F6Fヘルキャット艦上戦闘機95機(何機かは500ポンド爆弾を搭載)、TBFアヴェンジャー艦上攻撃機54機(わずかな魚雷搭載機の他は500ポンド爆弾4発搭載)、SBDドーントレス艦上爆撃機26機、SB2Cヘルダイバー艦上爆撃機51機で、日没刻限に日本艦隊に到達した。
日本艦隊の直掩機は35機程度で、まず数的に圧倒された。
第一波の発進後に索敵機からの続報が入り、日本艦隊が更に60マイル(96km)遠ざかった事が判明したために第二波は出撃中止となっていた。

写真は米軍艦載機の攻撃を受ける日本軍艦艇。

最初に米軍機の攻撃を受けたのは空母群より30マイル後方にいた油槽船群。ワスプ艦載機によって2隻が大破して後に沈没処分された。
ベロー・ウッド艦載のアベンジャー隊は爆弾と魚雷を空母飛鷹に命中させて撃沈。空母瑞鶴、隼鷹、千代田も爆弾の直撃を受けた。戦艦榛名は主砲塔への直撃を含めて2発の爆弾を受けた。
米軍攻撃隊の損害は迎撃機と対空砲火合わせて20機。
写真は円状に回避運動を取る日本艦隊。手前右側は重巡の摩耶か鳥海。その奥は軽空母・千代田。
20:45米軍攻撃隊が撤収開始。ミッチャー中将は日本軍潜水艦や夜間航空機から攻撃を受けるリスクを承知で空母に全照明を灯させたばかりかサーチライトで夜空を照らし、護衛駆逐艦からは照明弾まで上げた。帰投機に空母の位置を教え、夜間着艦の困難を軽減するためであるが、それでも燃料切れから海に落ちたり着艦に失敗したりして80機が失われた。

– 以上Wikipedia英語版

●6月21日
日本艦隊にとどめをさすべく米艦載機は出撃準備を終えていた。だがTF58との距離は昼までに更に拡大し、艦載機の行動範囲よりも100マイル(160km)遠い事が偵察機によって判明し、出撃は中止された。各空母の戦闘機が前夜海面への不時着機の搭乗員を捜索した。
その最中、偵察に来た日本軍の一式陸攻をヘルキャットが撃墜している。

-第31航空団HP 「マリアナの七面鳥撃ち」(英語)
http://www.vf31.com/sorties/marianas_turkey_shoot.html

小沢治三郎中将
1886年(明治19年)10月2日宮崎県児湯郡高鍋町にて出生。
1906年海軍兵学校37期入校。
1940年中将任官。
1942年第三艦隊司令長官、44年第一機動艦隊司令長官兼務となってあ号作戦(マリアナ沖海戦)に従事。
この戦いで大敗北を喫しながら責任を問われる事も自ら取る事もなく、その後の台湾沖航空戦やレイテ沖海戦にも参加。翌1945年には豊田副武大将の跡を継いで連合艦隊司令長官にまで任じられた。
敵将ニミッツをはじめ小沢の能力を擁護する声は多いが、大敗した将への評価としては疑問が残る。大勝した側のスプルーアンス大将が日本艦隊の全滅まで至らず、消極的戦いだったと批判された事と対照的である。

6.両軍の損害

____        日本軍             米軍
艦艇喪失      空母x3、油槽船x2          なし
艦艇損害    空母x4、戦艦・重巡・油槽船各1  空母・戦艦・重巡各2
航空機喪失     550~645          123
航空搭乗員戦死     445             76
艦艇乗組員戦死    3000以上           33
-Wikipedia英語版(上3項目)Wikipedia日本語版(下2項目。航空機喪失を476とする)

マリアナの七面鳥撃ち
米軍は航空戦での一方的な戦況を Great Marianas Turkey Shoot と揶揄した。字面どおりにまるで鳥を撃つようにバタバタと日本機を墜とした事を表すが、turkey には劇や映画の駄作・失敗作を指したりドジ・間抜けといった侮蔑の意味もある。
日本機搭乗員の練度が低かった、戦闘機の性能に大きな差があった、レーダーの性能が段違いだった、米艦船の対空砲火がそれまでよりも激しくなった、米軍が近接信管を使い始めた、等々多くの原因が分析されている。
写真はマリアナで日本機を撃墜した米軍機。

7.マリアナ沖海戦 動画

http://www.youtube.com/watch?v=ECVbrJTCU28
20分を越す長尺動画。日本のTV局の制作らしく「50年前に・・」という言葉が入るので、作られたのは1995年だと知れる。この第一部では米軍の新型レーダーとそれを搭載した艦船・航空機からの情報を統合・把握する集中戦闘情報室(Wikipediaは戦闘指揮所と訳しているが、Combat Information Center だから動画の方が合っている。事実、戦闘指揮は行っていなかった)の説明に時間を割き、当時の日本軍のレーダーとの違いを技術的に示すなどかなり興味深い。残念ながら第一部しかアップロードされていない。
http://www.youtube.com/watch?v=54G96C-sEJM
上に挙げた動画と同じレポーターが出てくるが、こちらは戦争当時の日米将官のインタビューも交えて海戦を描き出す。実戦経験者の話はさすがにリアルだ。零戦の構造などを説明しながら6月19日の戦闘を紹介している。
http://www.youtube.com/watch?v=L7BE7aoLhu0
上掲の動画の続編。VT信管(近接信管)のアメリカ人開発者のインタビューも交えて丁寧に説明する。VT信管を実現させた小型真空管(MT管)の開発成功など、レーダーと合わせてアメリカの技術面での先進性に思わず唸ってしまう。
http://www.youtube.com/watch?v=u5l6HEkKdjY
題名 第二次大戦 マリアナ沖海戦 カラー(英語)
米軍のサイパン島上陸から海戦の終了までを実写フィルムで丁寧に描く。上陸戦の模様や潜水艦からの魚雷攻撃の場面、夜間着艦の様子など興味深いところが多い。ただし、逆ガル型主翼が特徴のF4Uコルセアが何度も出てくるところをみると、厳密にマリアナ沖海戦の記録だけを使ったわけではなさそうである。
http://www.youtube.com/watch?v=IVcaejwGuAo
題名 マリアナ沖海戦(英語)
P47サンダーボルト戦闘機のマリアナ諸島への投入の様子を描く。P47は真珠湾でマリアナ攻略部隊の空母に積み込まれ、グアム・サイパン・テニアンなどにあった日本軍航空基地を占領した後に対地戦支援に運用された。従って題名とは裏腹にマリアナ沖海戦には参加していないし、発艦はできても着艦は不可能だったと説明している。
コメント欄には「2:23に出てくる零戦の一機がオリジナルの栄エンジンを積んでカリフォルニアで飛んでいる。カリフォルニア、チノの Planes of Fame にて」との書き込みがあるのが興味深い。
http://www.youtube.com/watch?v=a6HrjVegdL8
日本語ナレーション。アメリカの新兵器とはMk.12と呼ばれる新型レーダーとその情報を統合・把握するCIC(ここでは戦闘情報センターと訳する)の存在が一つ、もう一つはマジックフューズ(近接信管。WikipediaではVT信管とする)。英語が聞こえる事から、アメリカで作られた映画がベースなのかも。6月19日の米艦隊を襲撃する日本軍攻撃隊への迎撃場面や20日の米軍機による日本軍艦艇への攻撃場面なども収められている。惜しいのは画質が低い事だ。

8.海戦まとめ

9.行ってみたい兵器・軍事博物館

https://matome.naver.jp/odai/2142191552783648301
2015年11月18日