●外国人なの?
れっきとした日本人です。
中学高校を通してバスケ部員。
当時人気絶頂の西城秀樹、田原俊彦を抑えて連覇するなどスポーツ万能ぶりを発揮。
余りのスポーツ万能ぶりにテレビ関係者には逆に煙たがられた。
ウガンダ・トラ – Wikipedia
●芸名の由来
1925年- 2003年8月16日はウガンダの軍人、大統領。元帥、法学博士[2]の肩書も持つ。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンや1975年にはアフリカ統一機構議長になったこともある。
芸名は、容姿が似ていたウガンダのイディ・アミン元大統領に由来するが、それ以外にウガンダ共和国との接点はない。
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●タレント活動までの主な経緯
ビジーフォーと言えば二人だと思ってました。
浜口庫之助が経営する地元のゴーゴークラブで、高校在学中からダンサーとして働く。卒業後は、父もサポートメンバーを務めた事がある和田弘とマヒナスターズ(ハワイアンムード歌謡に留まらず、当時はカンツォーネやシャンソン等もレパートリーにあった)の、ボーヤ兼ドラマーとして下積み修行。
1971年、R&B仲間の高田裕三・宮本典子らと、日本のソウル・ファンクの草分け『スリーチアーズ・アンド・コングラッツレイションズ』に加わり、米軍キャンプや都内一流ディスコの生バンドとして腕を磨いた。
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●タレントとしての活動
1983年末「同じような曲ばかり演奏させられる生活に飽きた」との理由で、リーダー島田と共にビジーフォーを脱退。音楽活動を休止してピン芸人になり、『グッドモーニング』 (テレビ朝日系)、『鬼龍院花子の生涯』、『スーパーポリス』(TBS系)、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)などに出演。
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●私生活では
『居酒屋ウガンダの店』(後に『焼き鳥うがちゃん』)を営み、厨房・接客にも励んでいた。
一般客として来店した女性と意気投合し、15歳差を押して1994年に結婚。
その後、ウガンダの妻の妹が、ラッシャー板前と結婚。義理の兄となる。 同時期『ウガンダ・トラ』に改名した。
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●突然の死
https://matome.naver.jp/odai/2142133448666868401/2142262268857128903
Vシネマのロケ先に向かう同年5月10日の朝、「足元がふらつく」と訴えて緊急入院し、復帰叶わず5月31日に死去、55歳没。
死期を悟っていたのか一方的に離婚して店も畳んだ。
デブキャラの後輩である石塚英彦(ホンジャマカ)は、突然の悲報に泣き崩れていた。戒名は『念誉太芸居士』(ねんよたいげいこじ)。
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●カレー忌
Rakutenレシピ オータニの元シェフにこっそり教えてもらったカレー by tamagoyasannさん
命日は芸能人仲間の間で「カレー忌」と名づけられており、毎年ウガンダ本人と親交のあった芸能人が集まりカレーやコーラを飲食しながら故人を偲ぶことが恒例となっている。
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●伝説の名言
カレーライスは飲み物
幼少時代から噛んだことがない。若い頃は3秒で飲み干すこともざらだった。『オレたちひょうきん族』の『ひょうきんベストテン』で、バックのセットの一部としてカレーライスを食べる配役をしていたところ、余りに食べるスピードが早く、思わずインタビューされてしまった時の一言から来ている。
ウガンダ・トラ – Wikipedia
カレーは別腹
『ラジかるッ』の『彦摩呂のまんぷく道場』にて発した。
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オカワリって言ったら、下品かなぁ
ただのデブじゃなく、何か出来るデブはいじめられないんだ
●デブタレントというジャンルを確立
自身の肥満体型を売り物にしている芸能人の総称。略してデブタレ。一般的には肥満体型のお笑い芸人を指すが、歌手・元スポーツ選手などを指すこともある。
デブタレント – Wikipedia
1952年6月6日 – 2008年5月31日。
『ビジーフォー』元メンバー。
身長175cm、体重120kg。
東京都港区六本木出身。