高圓圓(カオ・ユエンユエン)の美貌を楽しみつつ秦国を改革した商鞅の活躍するドラマ大秦国を紹介

きょどリンゴちゃん
http://www.youtube.com/watch?v=k8Z9wahCBro

黄健中(ホアン・ジエンジョン)監督が手がけた歴史ドラマで、孫皓暉の同名小説を原作とする。秦が弱小国から強国へと発展していく歴史を、「商鞅の変法」を中心に描いた作品である。国を中原に並ぶ大国にするために富国強兵を志す孝公、そして孝公に仕える商鞅の智勇共に超人的な活躍を描いている。
大秦帝国 – Wikipedia

左の男性が主人公の衛鞅(えいおう)商鞅(しょうおう)ともいう
。魏国の宰相・公叔座に仕える(中庶子:小役人)が、恵王に用いられず魏国を去る。後、秦国の孝公に見出される稀代の策士。
「新法」を用いて法治国家の基礎を作り上げ、秦を一大強国にした功労者。だがその反面 旧貴族らの恨みを買い、孝公の死後、彼らにより酷刑に処された。

右側の女性が白雪様、高圓圓(ガオユエンユエン)様が演じておられまっす。
魏国の前宰相で大商人である白圭の娘。「洞香春」の主人。衛鞅の魏国からの脱出を手伝う。衛鞅の恋人で、一番の理解者。生涯に渡って彼を愛し続けた。

高圓圓(カオ・ユエンユエン、1979年10月5日 – )は中国の女優である。北京市出身。
初主演映画は王小帥監督の『青紅』で、この映画が第58回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したことをきっかけに映画の仕事が増え、ジャッキー・チェン主演の『プロジェクトBB』ではヒロイン役を務めるなど、人気女優の地位を確立した。韓中合作の『きみに微笑む雨』では英語の台詞もこなしている。
高圓圓 – Wikipedia

我らが高圓圓(ガオユエンユエン)様が演じる白雪は実はこのドラマの中では歴史的実在があんまり確認されている人ではありませんので
、ドラマの中で彼女はまあ目の保養の役割ですね。けなげに、改革者である商鞅をささえています。

一見男装みたいないでたちで弟子みたいに振舞ってました。中国語で見たので、細かいところは分からなかったです…

●秦国(櫟陽⇒咸陽)
9代目君主・穆公の時代、覇者としてその名をとどろかせたが、その後4代にわたる君主が暗君だったため、弱小国に転落。24代目君主・献公は国を立て直そうとするが、隣の大国・魏の侵略に常に脅かされていた。しかしその献公も、魏国との少梁の戦いで受けた矢傷が元で志半ばで逝去。父の後を継ぐべく、次男の渠梁が25代君主・孝公として即位する。孝公は商鞅を登用し、穆公以来の旧法を一新。改革を施して秦を一大強国へと成長させた。
登場人物まとめ

http://www.youtube.com/watch?v=1AbpxzS5A2w
左の写真の人物、商鞅(しょうおう)が二流の西の辺境の国だった秦国を
最強の軍事国家にした張本人です。そして我らが高圓圓(ガオユエンユエン)様の恋人でっす。

秦はそれまでは内陸奥地の起源を持ち、中国中央とはやや異なった風習でもあり、野蛮国と見なされてきた。しかし彼によってそういった面は改革され、さらに魏に勝ったことで強国として一目置かれることとなったそうです(ウィキ様によれば)。

商 鞅(しょう おう、紀元前390年 – 紀元前338年)は、中国戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。

姓は姫、氏は公孫。名は鞅。また、衛の公族系のために衛鞅(えいおう)ともいう。なお商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いた。
商鞅 – Wikipedia

偉大な改革者である恋人商鞅を必死で支える、白雪(高圓圓、ガオユエンユエン)。
しかし、彼に秦王が妹と結婚するようにすすめると、白雪は自分から身をひいて、遠くから見守る存在となります。

やはり、国家体制を根底から変えてしまうほどの改革者ですから、宮廷には商鞅の敵だらけです。特に王族や大貴族が彼を目の敵にします。そんな状況で王の妹を娶るってのは、大仕事をする上で本当に重要ですよね。

もっとも深い愛情は身をひいて恋人の幸せを影ながら見守るってことですよね

左の方が秦王の妹である・熒玉(けいぎょく)さん 本名は嬴熒玉。
密使として魏に潜伏し、衛鞅の動向を探る。(※偽名は黒林へいりん)
公主でありながら男勝り(孫尚香に似た雰囲気)。
この人が王の勧めで、商鞅と結婚します。
関係ないけど、普段の高圓圓、ガオユエンユエン様。神のような美しさでっす

第一次変法

紀元前356年、孝公は公孫鞅を左庶長[3]に任じ、変法(へんぽう)と呼ばれる国政改革を断行する。これは第一次変法と呼ばれる。主な内容は以下の通り。

戸籍を設け、民衆を五戸(伍)、または十戸(什)で一組に分ける[4]。この中で互いに監視、告発する事を義務付け、もし罪を犯した者がいて訴え出ない場合は什伍全てが連座して罰せられる[5]。逆に訴え出た場合は戦争で敵の首を取ったのと同じ功績になる。
一つの家に二人以上の成人男子がいながら分家しない者は、賦税が倍加させられる。
戦争での功績には爵位を以て報いる。私闘をなすものは、その程度に応じて課刑させられる。
商鞅 – Wikipedia

もう身分に関わらず、戦争で首とったら出世できる仕組みを導入した商 鞅。
民政でも戦前の日本の隣組みたいな制度を導入して、みんなで監視させあって、国家の奴隷にしていきます。

考公13年(前349年)、太子の嬴駟(えいし)(後の恵文王)の傅(後見役)である公子虔(中国語版)が法を破ったのでこれを処罰する事を孝公に願い出た。公子虔(中国語版)を鼻削ぎの刑に処し、また教育係の公孫賈を額への黥刑に処し、さらにもう一人の太子侍従の祝懽を死刑に処した。このために公子虔・公孫賈の両人は恥じて外出しなくなり、公孫鞅を憎悪したという。この後は全ての人が法を守った
商鞅 – Wikipedia

商 鞅が目指したのは、完全なる法治国家ですね。法の前には、王の太子の後見人であろうが処罰の対象に
なるってこと。鼻削ぎの計をくらって、鼻無くした人はそのあとちゃんと生きていけたのかなあ?

こういうやり過ぎが最後に本人の悲惨な末路につながるのですね。

紀元前353年の桂陵の戦い(中国語版)で魏が斉に大敗すると、紀元前352年には変法で蓄えられた力を使い秦は魏に侵攻し、城市を奪った(安邑、固陽の役(中国語版))。同年、この功績で公孫鞅は大良造(中国語版)に任命された。

紀元前350年、秦は雍から咸陽へ遷都した。
商鞅 – Wikipedia

改革によって精強な軍に再編成したお陰で、今まで勝てなかった、中原の一流国である魏国と戦争に勝って領土を奪った商 鞅。改革による成果がはっきりとでた事件ですね。
農民でも敵将の首をとれば、貴族にもなれるっていうシステムなら有能な人材はやる気だしますよね(まさに漫画のキングダムの世界です)。

比類なき功績で得意の絶頂であった商鞅だが、強引に変法を断行した事により太子の傅を初めとして商鞅を恨む人間を大量に作っていた。彼らの多くは旧来の貴族であり、変法によって君主の独裁権が確立されると彼らの権限が削られていくので商鞅を恨んでいた。また、商鞅の腹心であった趙良は主人の身を案じて「殿は今すぐ宰相を辞し、他国に赴くことをお勧めします。」と厳重に忠告した。だが商鞅は「趙良よ、わしの身を案じるのは有難いが、わしはまだまだやることがたくさんあるのだ」とこれを退けたという。これを聞いた趙良は禍を恐れて他国に逃亡したという。
商鞅 – Wikipedia

結局商 鞅は秦国王の独裁権の確立の犠牲になったんでしょうね。秦国にはこういう他国人に高い地位を与えて改革させて、最後に殺したり追い出したりするケースがよくあります。それを見越して、他国から人材をスカウトしているんでしょうね。
恐ろしい世界です。でもそういう非情さが秦国を、西の辺境の国から中華最強国家に作り変えたのですよね。
貴族の合議制による虚弱な王権のままでモタモタしていた他国(楚、魏、斉とか過去の大国)を尻目に、急成長してしまう秦国の秘密がここにあるかと思われます。

紀元前338年、孝公が死去し、太子駟が即位し、恵文王(この時点では恵文君)となった。この時にかねてより商鞅に恨みを持つ新王の後見役の公子虔・公孫賈ら反商鞅派は新王に讒訴し商鞅を謀反の罪を着せ殺害しようとした。また、恵文王自身も太子時代に自分を罰しようとした商鞅に怨恨を持っているために、新王の恨みを買っている商鞅は慌てて都から逃亡し、途中で宿に泊まろうとしたが、宿の亭主は商鞅である事を知らず、「商鞅さまの厳命により、旅券を持たないお方はお泊めてしてはいけない法律という事になっております。」とあっさりと断られた
商鞅 – Wikipedia

ついにパトロンである孝公が死んで、商鞅を恨んでいた王族たちの復讐タイムです。殺されまいとして秦国から脱出するときに自分の作った法律で逆に身動きがとれなくなる商鞅。融通のきかない精緻な法治国家というものが、いかに無慈悲なものであるかを無力な存在になった身で思い知らされるのですね。皮肉がききすぎです!!さて中華最強の改革者である彼の最後はどうなるのか…
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2015年01月14日