柳沢 敦(やなぎさわ あつし、1977年5月27日 – )は、富山県射水郡小杉町(現射水市)出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。元日本代表。
柳沢敦 – Wikipedia
あの柳沢敦が現役引退を決断
ベガルタ仙台は4日、元日本代表FW柳沢敦が現役を引退すると発表した。
仙台の元日本代表FW柳沢敦が現役引退…国際Aマッチ58試合出場 – サッカーキング
「今シーズンをもって現役を引退することを決断いたしました。 長きに渡って自分を支えてくれた多くの方々に心から感謝しています。まだ最終節の試合が残っていますので、最後までプロとして全力でやり切りたいと思っています」
仙台の元日本代表FW柳沢敦が現役引退…国際Aマッチ58試合出場 – サッカーキング
Twitterの反応
中田浩二に続き、柳沢敦まで引退。あの頃の大好きだったアントラーズの選手たちが次々に引退。感慨深い
— りーやん (@nomo39014) December 4, 2014
柳沢敦引退か…
— たかひろ(たか) (@taka______na) December 4, 2014
ドッキリでしょ。昨日満男さんが浩ちゃんの引退にたいして言った言葉が痛いほど分かりすぎて化粧したばっかなのに涙が溢れてる。私の原点柳沢敦。
— みっつぁん (@banbiiii13) December 4, 2014
泣くしかない(T . T)(T . T)(T . T)。お疲れ様でした。 — 仙台の元日本代表FW柳沢敦が現役引退…国際Aマッチ58試合出場 http://t.co/oOXEb1wfGt
— まん丸 (@manmaru5624) December 4, 2014
日本代表・鹿島の頃はは柳沢敦を「点取り屋」としてはバカにする人もいた。「QBK」とか言われて。でも京都みたいな下位だと真の意味で「自分が決める」意志に目覚めた気がする。そんな変化に立ち会えて嬉しい。#sanga http://t.co/2LtC3wDYp1 @sanspocom
— もりわきやすし (@molirinho) December 4, 2014
あぁ、この日がくるとは。。涙
あたしがサッカー好きになったのは敦のおかげだよ。
<J1仙台>柳沢が引退へhttp://t.co/t9A0a4hJC0— ayumi (@uayumiu) December 4, 2014
中田浩二に続いて柳沢敦も引退。お疲れさまでした!
— SHINGO SASAKI (@shn51590) December 4, 2014
高校卒業後、鹿島アントラーズに入団
1996年に富山第一高校卒業後、鹿島アントラーズに入団し、5月にナビスコ杯福岡戦でプロデビュー。この年はリーグ戦で5得点を挙げている。翌1997年は8得点を挙げて新人王に選出され、更に1998年にも22得点を記録するなど鹿島のエースに成長した。岡田ジャパンでA代表へ初招集され、1998年2月15日の親善試合オーストラリア戦で代表デビューを飾った
柳沢敦 – Wikipedia
2002年日韓ワールドカップ
2002年の日韓ワールドカップにもFWとして選出された。W杯ではゴールを決めることができなかったが、ロシア戦で決勝点につながるアシストを記録するなど活躍をみせた(ベルギー戦でもアシストを記録している)。中田英寿からもチーム内のMVPとして戸田と共に名前を挙げられている。
柳沢敦 – Wikipedia
2001.11.07 埼玉スタジアム2002 キリンチャレンジカップ 柳沢敦のスーパーボレー
その後はセリアAに移籍
2003-04シーズンはサンプドリアでリーグ戦15試合に出場するも無得点に終わった。クラブ側に契約延長の意思は無くサンプドリアを退団、引き続き海外でのプレーを希望し、同セリエAのFCメッシーナと契約、鹿島からの1年間の期限付き移籍の形をとった。
2004-05シーズンはメッシーナ移籍後、8月22日コッパ・イタリアの1回戦でアチレアレから1ゴール1アシストの活躍でイタリア公式戦初ゴールをあげ、レッジーナとの海峡ダービーで決勝アシストを決め「柳沢は海峡の王様だ」との見出しが地元紙に載るなどしたが、リーグ戦では22試合で無得点に終わる。
柳沢敦 – Wikipedia
鹿島アントラーズに復帰(2006-2007)
2006年の鹿島では背番号は13番をつけ、復帰戦となった3月5日のJ1開幕戦のサンフレッチェ広島戦ではスタメンでフル出場、ハットトリックを達成した。これがJリーグでは、自身3度目のハットトリックとなった。
柳沢敦 – Wikipedia
ドイツワールドカップでは2試合に出場
クロアチア戦では有名な「QBK」(急にボールが来た)が生まれた。
加地が勢いよくペナルティーエリアに入り、柳沢は加地のシュートに備えGKのこぼれ球を狙っていた。そこで受けた高速パスに、試合後「急にボールがきたので」とのコメントが世間に広まった。
柳沢がW杯クロアチア戦「QBK」語った – サッカーニュース : nikkansports.com
1年以上そう言われていたことは知らなかった。(ネットは)あまり見ないようにしてた部分もある。見たくなかった。
苦々しい一瞬を消化しきれていない。それだけ苦しみ、今も引きずる。
柳沢がW杯クロアチア戦「QBK」語った – サッカーニュース : nikkansports.com
柳沢、現役引退かぁ。QBKとか言われていてもゴール決められたトラウマで敵にするのが嫌だった存在だわ。http://t.co/r8MSvztLBT
— moko (@yfmoko) December 4, 2014
柳沢引退かぁ~~~ QBKとかネタにされてるけども普通に好きな選手だから本当に残念・・・
— こはぽん (@kohapon) December 4, 2014
その後は、京都サンガ、ベガルタ仙台でプレー
2008年は出場機会を求め京都サンガF.C.への移籍を決断した。低迷するチームの残留に貢献し、3月16日に移籍後リーグ2戦目の大宮戦で、ゴール前での混戦からこぼれ球を決め移籍後初ゴールを決める。夏場以降はコンスタントに得点を重ね続け、従来課題であった得点力を改善し、自身2001年以来の二桁得点、同季の日本人最多得点である14得点を記録した。同年は7年ぶりにJリーグベストイレブンにも選出された。
柳沢敦 – Wikipedia
2011年、ベガルタ仙台に完全移籍。背番号を今までの13から30にし、移籍会見では背番号だけの得点を決めたいと抱負を語った。
柳沢敦 – Wikipedia
2013年は開幕からしばらくは故障でメンバーから外れていたが、公式戦初先発となった4月10日のAFCチャンピオンズリーグ4節FCソウル戦で得点を決め、仙台にACL初勝利をもたらした。5月6日の名古屋戦でリーグ戦初得点を記録。柳沢のJ1での得点は16シーズン目となり、第一線を退いているFW中山雅史、神戸FW吉田孝行(同シーズン限りで引退)、G大阪MF遠藤保仁の記録を更新した。夏場にコンディションをあげ、2008年京都時代以来5年ぶりに古巣鹿島相手にも得点した。
柳沢敦 – Wikipedia
2014年 リーグ戦17年連続ゴールを更新
仙台は、スコアレスで迎えた後半開始直後、MF大森晃太郎のゴールで先制を許す。するとロスタイム3分、途中出場したFW柳沢敦がロングボールのこぼれ球に反応し、ゴール前に持ち込む。左足で放ったシュートは豪快にネットを揺らし、土壇場で引き分けに持ち込んだ。
G大阪戦でFW柳沢敦が今季初得点、17年連続ゴールで歴代記録更新 – 夕刊アメーバニュース
これで自身が持っていた記録を塗り替える17年連続のリーグ戦ゴールとし、J新記録を打ち立てた。
【Jリーグ】元日本代表柳沢、リーグ戦17年連続ゴール!「記録更新!」とファン大喜び|自転車ならサイクルスタイル - 自転車販売店/自転車カタログ
2014年12月24日引退を発表
柳沢は今シーズン、J1で12試合出場1得点、天皇杯で1試合出場1得点を記録。キャリア通算では、J1で370試合出場108得点、ヤマザキナビスコカップ108試合出場64得点、天皇杯では35試合出場10得点を記録。国際Aマッチでは58試合に出場し、17得点を挙げている。
仙台の元日本代表FW柳沢敦が現役引退…国際Aマッチ58試合出場 – サッカーキング
柳沢敦選手 現役引退のお知らせ http://t.co/Z7aJohj05C
やなぎ3年間ありがとう!
— シンジ (@shinjiiiiiil) December 4, 2014