天下人 : 三好長慶
信長以前の天下人
長慶は勢力を丹波・河内・大和・和泉・若狭・讃岐などに伸ばして強大な勢力を築き上げ、事実上天下人の地位にあった。
三好長慶とは (ミヨシナガヨシとは) [単語記事] – ニコニコ大百科
すごい勢いで勢力を伸ばし、当時の都も勢力圏内に収めるほどでした。
三好政権(みよしせいけん)とは、天文18年(1549年)から永禄11年(1568年)まで存在した日本の武家政権である。同時代における他の戦国大名の地方政権とは大きく異なる中央政権であったと言われる。
三好政権 – Wikipedia
三好氏が機内を掌握していた時のことを三好政権と呼ぶそうです。
鬱になり悲しい晩年・・・
専門の研究者達とも交流のある介護士の諏訪雅信によると、長慶は鬱病を患っていたという。
三好長慶 – Wikipedia
九ヶ国を支配する畿内の支配者になったことで、今でいう燃え尽き症候群になってしまったようですね。
わからなくもない。。。
弟、安宅冬康を無実の罪で誅殺してしまう。
三好長慶とは (ミヨシナガヨシとは) [単語記事] – ニコニコ大百科
家臣、松永久秀の讒言を信じて弟を殺めたといわれています。
巨大な権力を手にしたことで人を疑うようになっていたのでしょうか。
これが元で病はさらに悪化。ほどなくして亡くなってしまいます。。。
これが三好長慶の優秀な兄弟達だ! (全員短命)
茶道に傾倒していた文化人という側面も持つ。
日本史上初の鉄砲により逝去した武将といわれています。
それも流れ弾。
深イイ話ですね。
最期は謀反を疑われ長慶に自害させられる悲運の人。
傷口に塩を塗りこんで消毒し、藤蔓を巻いて平然と戦闘に復帰したという逸話もある。
特攻の拓に出てきてもおかしくないキャラですね。
最期は病気療養の為に有馬温泉に向かう途中に落馬し逝去してしまいました。
三好長慶はこんな心優しい人物だった・・・
仇であるが身内を攻め滅ぼすのに躊躇する
Category[ 三好長慶 ] – 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ
父の仇を攻めた時、攻めれば勝てるものを身内ということから躊躇し攻撃命令を出せずにいたそうです。
結局弟が突撃して攻め滅ぼしましたが・・・・
良くも悪くも人間らしいエピソードです。
敵対した元主君、細川晴元を追い詰めても殺さない
三好長慶 – Wikipedia
対立していた元主君と争い、完全に勝てる戦いなのに和睦の道を模索していたようです。
結果、和睦は成り、ご丁寧に弟に警護させて京まで送り届けたといわれています。
お人好しにもほどがあるエピソード。
長慶亡き後の三好氏、またその子孫
長慶亡き後、三好家は内部崩壊を起こし、
跡継ぎである義継は織田信長に攻められ討たれてしまいました。
島の方言は当時の京都訛りが残っています。
漫画やゲームでの評価
関連まとめ
https://matome.eternalcollegest.com/post-2134933883591829901
三好長慶の家臣であり家を滅ぼした元凶と言われている人です。
濃すぎるため、この人に滅ぼされたのならしょうがないか・・・とまで思ってしまいます。
織田信長に先行する「最初の戦国天下人」とも呼ばれる存在だが、現代での評価は芳しくなく、重臣松永久秀と共に「下剋上をした悪党」として酷評されたり、「重臣松永久秀の専横、壟断を許した凡庸な大名」と評されている。
近年は長江正一、今谷明、天野忠幸らによる研究が進み、再評価の兆しを見せている。