「ディズニー」歴史と作品集

infiniti_slamms
これまでに公開された作品などディズニーを振り返ってみる

ウォルト・ディズニー

生年月日 1901年12月5日
出生地  イリノイ州シカゴ
職業 アニメーター
映画監督
プロデューサー
脚本家
声優
実業家
エンターテイナー

世界的に有名なアニメーション・キャラクター、ミッキーマウスの生みの親であり、ディズニーランドの創設者
カリフォルニアにあるディズニーランド・パークは、実はウォルトが自ら構想・指揮して誕生した、世界初のディズニーランド

1937∼1947

この頃は「アニメ」といえば短編が当たり前だった。
短編アニメ映画賞は1931年度の第5回から創設されている
ちなみに長編アニメ映画賞は、現存する賞の中では最も遅い2001年に創設
この時期はちょうど、ディズニーの低迷期と重なっており、ディズニー・アニメーション・スタジオの作品は長らく受賞に恵まれなかった

草創期の業績は「短編アニメ」によって築かれた
第5回アカデミー短編アニメ映画賞では「ミッキーマウス」シリーズから「ミッキーの子沢山」が、「シリー・シンフォニー」からは「花と木」がノミネートされ、「花と木」が受賞。
記念すべき第1回の受賞作品となっている

1934年より世界初のカラー長編アニメーション映画となる『白雪姫』の製作に着手する
1937年に公開され、爆発的なヒットを記録
その後のディズニーは短編映画に加え、長編映画製作にも力を注いでいくことになる

当時のディズニー

1930年には30人しかいなかったスタッフ
『花と木』が作られた1932年~1933年には100名を超えた
『白雪姫』が公開された1937年には800名超になったという記録が残っている

1940年に長編第2作となる『ピノキオ』
同年11月に『ファンタジア』
1941年10月に『ダンボ』
1942年に『バンビ』を公開する

低予算で製作された『ダンボ』を除けば、そのいずれもがアニメーションの技術的に当時の最高水準のものだったが、興行収入では『白雪姫』を超えることができず、ビジネス的には失敗作とされた

1939年にはヨーロッパで第2次世界大戦が開戦したこともあり、海外市場が打撃を受けてしまう
その後、アメリカが戦争に参戦したこともあり、長編アニメーション映画の製作はストップ
戦中から戦後にかけてはオムニバス・シリーズが6作製作された

1950~1988

、『バンビ』以来8年ぶりの長編アニメーションとして製作されたのが、シャルル・ペローの童話を原作にした『シンデレラ』
1944年に製作がスタートし、1950年の完成までに総勢750名のスタッフが投入された
『白雪姫』の約2倍となる290万ドル(2億9,000万円)が費やされた
結果的に『シンデレラ』は8,500万ドル(85億円)というディズニー最高の興行収入(当時)を記録し、ディズニーの完全復活、そして黄金期の到来を告げることとなる

『シンデレラ』の後も『ふしぎの国のアリス』、『ピーター・パン』、『眠れる森の美女』といった今なお語られることの多い名作を連発

だが、創業以来常に製作の指揮を執っていたウォルト・ディズニーが1966年末に死去すると、雲行きは途端に怪しくなる。
映画製作の第一線から退いた者もおり、一つの時代が終わりに向かいつつあった

そんな中で一人気を吐いていたのがウォルフガング・ライザーマンで、彼はウォルトの死後第1作1970年の『おしゃれキャット』から1981年の『きつねと猟犬』まで、プロデューサーとして製作の指揮を執り、スタジオを支えていた

1980年代のディズニーは「暗黒時代」とも呼ばれる低迷期に入ってしまう。
このころの作品には批評的にはもちろん、興行的な失敗作も数多い。

1950∼88の主な作品

『101匹わんちゃん』(1961年)

『ジャングル・ブック』(1967年)

『ロビン・フッド』(1973年)

『クマのプーさん』(1977年)

1989∼1999

1989年に公開された『リトル・マーメイド』はディズニー史上最大の成功を収めたアニメーション映画
1991年からは『美女と野獣』『アラジン』『ライオン・キング』といった今なお語り継がれるディズニーの名作を立て続けに発表し、一つの頂点を極めた。

だが、『ライオン・キング』が公開された1994年に二つの大きな出来事が起こる
マイケル・ウェルズが事故死し、そのポストをめぐってアイズナーとカッツェンバーグが対立
カッツェンバーグがディズニーを退社するという事態に至ってしまう

続く『ポカホンタス』『ノートルダムの鐘』『ヘラクレス』『ムーラン』『ターザン』といった作品は商業的成功を収め一時代を築くものの、長続きはせず、2000年代前半から、ディズニー・アニメーションは再び低迷期に突入することになる。

1995∼2005

1995年にピクサーがディズニーと共同製作した世界最初の長編フルCGアニメーション映画『トイ・ストーリー』が発表
時代の中心は手描きスタイルの2Dアニメーションから、フルCGの3Dアニメーションへと移行していく。

1995年の『トイ・ストーリー』を皮切りに、『バグズ・ライフ』(1998年)、『トイ・ストーリー2』(1999年)、『モンスターズ・インク』(2001年)、『ファインディング・ニモ』(2003年)、『Mr.インクレディブル』(2004年)などのフルCGアニメーションでこの時代を席巻した

ディズニーも2000年の『ダイナソー』でCGアニメーションに挑戦するものの、同作はCGのキャラクターと実写背景を組み合わせた作品
単独製作のフルCGアニメーションは2005年の『チキン・リトル』

2000∼2005年の作品

『ラマになった王様』(2000年)

『リロ&スティッチ』(2002年)

『ブラザー・ベア』(2003年

マイケル・アイズナー辞任後のディズニーは2006年、ピクサーを買収した
ピクサーの創設者の一人であるジョン・ラセターが、ディズニー・アニメーションのチーフ・クリエイティヴ・オフィサー(CCO)に就任する
2009年の『プリンセスと魔法のキス』を公開

翌2010年に発表された『塔の上のラプンツェル』もディズニーの伝統を重んじた作品に仕上げた

ラセター体制の現時点での頂点といえる作品が、最新作の『アナと雪の女王』(2013年)

2007年~の作品

『ボルト』(2008年)

『シュガー・ラッシュ』(2012年)

https://matome.naver.jp/odai/2141665824351533701
2014年11月22日