保護者の責務子供の教育を受ける権利 強迫教育 Compulsory Education と 義務教育

mototchen

義務教育は誤解されやすい

実は翻訳語で原義に義務の概念はなかった

明治期の Compulsory Education の 訳語という 強迫教育

education とその日本語訳の 教育

「強迫教育」とは「Compulsory Education」の訳語で、今日の用語で「義務教育」のこと
東京教育大学小史 A Short History of Tokyo University of Education

時としては吏人を地方に派出して諸件を監督せしむる等、都(すべ)て学校の管理に関する部分の事は文部省の政権に非(あら)ざれば能(よ)くすべからず。況(いわん)や強迫教育法の如き必ず政府の権威に由(より)て始て行わるべきのみ。但し我輩は素(もと)より強迫法を賛成する者にして、全国の男女生れて何歳に至れば必ず学に就(つ)くべし、学に就ざるを得ずと強いて之に迫るは、今日の日本に於(おい)て甚(はなは)だ緊要なりと信ずれども、その学問の風を斯(かく)の如くしてその教授の書籍は何を用いて何を読むべからずなどゝ、教場の教授法にまで命令を下すが如きは、亦(また)事の宜(よろ)しからざるものと信ず
< デジタルで読む福澤諭吉 > 學問之獨立 – 二十七 頁

平山洋関連 / 福沢健全期『時事新報』社説・慢言一覧 / 1888 年 / 「過度の教育」

小児か、いま小學校に入學すると致します。事實 國民の義務として、強迫教育制度の下に、必す入らねばならぬの であります。しかし此場合に其強迫教育を擔當して居る學校
教育上國語学者の抛棄し居る一大要點  (明治二十八年一月十二日大日本教育會に於て) kokugo kyoiku

第八章 人民ノ義務並ニ強迫教育/(一) 強迫教育ノ由来, (二) 貧生徒ノ待遇, (三) 人民教育ヲ重スルノ理由, 第九章 文運 …. 第八章 人民ノ義務並ニ強迫教育 / 85p (0050.jp2)
近代デジタルライブラリー – 独乙聯邦普魯西国教育新史

九鬼は、欧州においては「人民ノ自治ヲ尊ヒ或ハコレカ権理ヲ保重スル」方向で進んでいるが、「教育ノ道」は「世上百般ノ事業ト背馳」して「強迫教育」の方向に進んでいるとして、「目的」ではなく「方法」としての「強迫教育」の必要性を強調し、そのような見地から大日本教育会の「隆盛」を期待している。
九鬼は結局、人民の自治や権利の延長上に、さらに言えば民主主義の問題として普通教育を位置づけることはできなかった。人民の自治や権利に対立し、人民にたいして「強迫」することによって普通教育は存在し得たのである。

『東京教育新志』第154号(1886年)に載った「我国ノ普通教育ハ強迫教育ヲ取ルベシ」はドイツ、ベルギーの例を出して「干渉主義」「強迫主義」が政治家の世論となっていることを肯定的に論じつつ、我が国の開化が短期間に実現したのは「欧米諸国ノ開化ヲ輸入シテ所謂社会進化ノ秩序ヲ飛ビ超ヘ」たためである、そのため「内部ノ改良ニ至テハ未タ十分ニ行届カザル所」がある、したがって「我国ヲシテ内貌外観共ニ進歩シ欧米諸国ト相拮抗シテ一歩ヲ譲ルコトナカラシメンコトノ希望ハ我国人民ノ普ク有スル所」であるという
第11章 – commons jimdo page!  武田晃二のページ

明治期の保護者の義務である義務教育

日本における義務教育は, よく知られているように森有礼文相の明治19年 (1886)の小学校令に初めて法制上の規定として登場し,23年 (1890)の小学校令において整備され,33年 (1900)の小学校令にいたつて法制上の確立をみた…
明治33年小学校令の中でどのように条文化されているかをみてみよう
就学義務については「学齢児童保護者ハ就学ノ始期ヨリ其ノ終期ニ至ル迄学齢児童ヲ就学セシムルノ義務ヲ負フ」 (第32条3項)と定めている。 この規定は,23年小学校令を踏襲しながらも,それよりも厳密性をもたせている。 その見返りとしての学校設置義務は「市町村ハ其ノ区域内ノ学齢児童ヲ就学セシムルニ足ルヘキ尋常小学校ヲ設置スヘシ」(第6条)とある。 これも23年のを受けついでいる…
ところで,33年小学校令は23年のを受けながら, 単一的な就学義務制度を構想しており,その点においてまず義務教育の確立がみられるのである。19年小学校令は,尋常小学校への就学義務ということではなく
SURE: Shizuoka University REpository: 明治33年小学校令小考 : 義務教育確立に関する史的考察(I)

当時警察が就学させていない親に対し取り締まり、法改正時に罰金刑まで検討したがそこまではなされなかったそうです。

穂積重遠は、従来の続権解釈を批判しつつ、次のように解釈している「従来の親権を権利の方面から観察してきたが、今後はむしろ『親義務』として義務の方面から観察した方がよいと思ふ。即ち、親は子を適当に教育する義務があるのである。さう云ふと直ぐにそれでは養ひ育てて貰ふのが子の権利と云ふことになって面白くない、と云ふ批難があるかも知れぬが、義務者に対応する受益者が必ず権利者であると考えるのが抑も因われた話で、親が子を育てるのは子に対する義務と云わんよりはむしろ国家社会人類に対する義務と観念すべきである」
…当時の教育辞典の「(義務教育における)義務は、国家が自己の目的の為に保護者に負はしむる公法上の義務として保護者に於ても児童に対して負う私法上の義務にあらず…就学の義務が父兄の子弟に対する義務なりや、将又、間家に対するものなりや…勿論後者によるべきもの」
〚国家教育権〛論のイデオロギー構造:親権とのかかわりにおいて : HUSCAP

The Ideological Structure of “States Right to Education”

日本国憲法でのCompulsory Education と義務教育

マッカーサー草案Article XXIV. In all spheres of life,laws shall be designed for the promotion and extension of socialwelfare,and of freedom,justice and democracy. Free,universal and compulsory education shall be established.(以下略)
Constitution of Japan(テキスト) | 日本国憲法の誕生

「日本国憲法」第26条 すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする。
日本国憲法

“The Constitution of Japan”Article 26 All people shall have the right to receive an equal education correspondent to their ability,as provided by law. All people shall be obligated to have all boys and girls under their protection receive ordinary education as provided for by law. Such compulsory education shall be free.
Diet-related Laws The Constitution of Japan

「日本国憲法」英文

マッカーサー草案の注目すべき点は“compulsory”である。つまり,“compulsory”をそのまま「強制」と訳していたことであることがわかる。そこで,“compulsory”を英英辞典のウェブスターでみると,“that must be done”となっている。“compulsory”とは「強制する」とか「強制された」という意味が強く,「土地の強制収容」,「強制兵役」,つまり徴兵制等の場合に用いられている。これは「義務」の観念とは異なるといえよう。“Education”を一般的な訳である「教育」として“compulsory education”を直訳すれば,「強制教育」となる。「強迫教育」でも大差はない…
なお,マッカーサー草案の同文箇所は後には「義務教育」と紹介されるようになる…
また,「日本国憲法」の「義務教育」を訳した部分は“compulsoryeducation”である。今日の多くの和英辞典でも同じように解説している
職業訓練と「義務教育」に関する一考察

日本国憲法では初等教育と訳したが青年までの教育とするために義務教育とした

「78○大島(多)委員 今御讀みになつたやうに,修正を御願ひしたいと思ふ所は,第二項の「兒童に初等教育」と云ふ所を消しまして,其の代りに「青少年に法律の定める年齡まで」と云ふことを入れる譯です,それから其の次の文章の一番初めの「初等」を削つて「義務」と入れて「義務教育は」とするのです,之を提案致しました理由と致しましては,御承知の通り現在でも「青年の方は義務教育に俟つて居る」(1939(昭和14)年施行の青年学校の男子義務制のこと)次第でありますから,それを兒童だけに限定しまして,初等教育だけに限定をすると云ふことは,是は正に時代逆行でありまして,われわれ教育に關心を持つて居る者と致しましては,憲法に斯う云ふ規定をされると云ふことは非常に辛い譯であります,全國の教育者は全部此の修正を熱望して居る次第でありまして,軍備なき日本と致しましてはどうしても教育に依つて再建設をしなければならないと云ふ時に,義務教育の年齡を低下せしめられると云ふことは,是は非常に堪へ難いことであります…

80○林(平)委員 是は私の方で提案して居たのと全然一つ狙ひであります,修正を希望する所も例へば初等教育を義務教育に改めると云ふ點も一つでありますが,一括して御決め願つて議題にして戴きたいと思ひます」

「101○芦田委員長 「年齢まで」と云ふのは「法律の定めるところにより」と言っても同じことですね,「すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に教育を受けさせる義務を負う。義務教育は,これを無償とす。」斯う云うことですな」

1946(昭和21)年7月30日の衆議院第7回「帝国憲法改正案委員小委員会」

職業訓練と「義務教育」に関する一考察 田中 萬年
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:RpLgPpirouAJ:www.geocities.jp/t11943nen/ronbunf/vtgimu.pdf+&cd=5&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

日本国憲法の義務の原義の英語と義務教育の義務

「日本国憲法」の「保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」の「義務」の訳には“be obligated”を用いて使い分けている。なお,国民の「義務」としての最も重要なのは納税の義務であるが,これには“obligation”を用いている。“obligation”といえば武人(貴人)の“Noblesseoblige”「身分に伴う義務」の言葉があるように,権力による強制的な「義務」というよりも,個人の内発的な責任感による道徳的な行為を意味しているといえよう。また,「日本国憲法」の「勤労の義務」は“obligation to work”である
職業訓練と「義務教育」に関する一考察

実際の学校についてはこういう意見も…

憲法・教育基本法制の下でも「義務教育」の言葉は残ったけれども,「義務」の観念は180度転換した。教育を受けること・学校で学ぶことは法制上「義務」ではなく,「権利」となった。しかし,子どもたちにとっての学校数育のcompulsoryな性質(「強迫」的性質)はこの法制的観念に逆らって数段,強化されている
子どもにとって「学校」とは何か(1) 駒林邦男

岩手大学教育学部研究年報第50巻第2号(1991.2)61~81

https://matome.naver.jp/odai/2141530727315842801
2015年05月22日