W☆INGなどで活躍し、ヒクソン・グレイシーと戦った数少ない日本人格闘家としても知られる木村浩一郎さんが28日未明、肺炎のため死去した。44歳だった。
Yahoo!ニュース – ヒクソンと戦った格闘家・木村浩一郎さん死去 (東スポWeb)
木村さんは大学在学中の1989年に「サブミッション・アーツ・レスリング」に入門。90年、FMWでの三宅綾戦でプロデビューした。その後に参加したW☆INGでは齋藤彰俊(現ノア)、徳田光輝と“格闘三兄弟”として活躍。リングスなどの格闘技大会にも参戦し、日本人総合格闘家の先駆け的存在でもあった。
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DDTの高木三四郎社長は「昨日夕方ごろ連絡があり、一同驚いています。『お前らがなめられちゃダメなんだ』と厳しく指導していただいた。木村さんがいなかったら、DDTは存在していない」と故人をしのんだ。
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略歴
大東文化大学在学中の1989年、サブミッション・アーツ・レスリング(SAW)に入門して格闘家としての活動をスタートした。1990年、FMWに参戦。同年7月18日の岡崎市体育館興行における、対三宅綾戦でプロレスデビューを飾る。
その後W★INGに参加し、柔道の徳田光輝、空手・誠心会館の齋藤彰俊らと共に格闘三兄弟の一人として活躍した。1991年にはリングスに参戦。5月11日の旗揚げ戦でSAWルールの試合を行い、同年12月7日からはリングスルールでの試合を行った。
1992年に大学を卒業、1994年には新格闘プロレス所属となり、1995年に西日本プロレスに所属後フリーランスとなった。同年4月20日にVALE TUDO JAPAN OPEN 1995の準決勝でヒクソン・グレイシーと対戦。1R2分7秒、スリーパーホールドで一本負け。
1997年からDDTプロレスリングに登場。DDTでは覆面レスラースーパー宇宙パワーになり新人レスラーのデビュー戦の相手を勤めている。2000年より現場監督に就任。
2003年にWJプロレスに参戦し、佐々木健介とシングルで対戦。2006年にはキングスロード、2008年にはバトラーツに参戦した。他に不定期ながら、池田大輔率いるフーテンプロモーションにも参戦。
2010年には、ハッスルに参戦。ハッスル崩壊後は、その流れを汲むハッスルMAN’Sワールドに参戦。
2013年には、TAJIRI率いるWNCに参戦。
スーパー宇宙パワーの印象が強い
初期DDTが懐かしい
あの頃はまだ胡散臭い「インディー」らしさがあって良かったなあ
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この年齢で、肺炎が死亡原因とはよほど体力か抵抗力弱ってたのか、普通は持ちこたえるものとは思うんだが。格闘界も、今は収入面で危ういところばかりだしなあ、ひょっと満足な栄養も取れてなかった可能性も考えられる。ともかくびっくりだ、ご冥福を。
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久しく名前を聞いていなかったがお亡くなりになられたのか…。
インディ団体に所属してたけど、リングスの実験リーグなんかにもよく出場してたな~。でかい選手だった…。
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ハートフルメッセージ@H_M_Project_
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自粛中@kinironohon
ご冥福をお祈りいたします。
ヒクソンと戦った格闘家・木村浩一郎さん死去(東スポWeb) – Y!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141030-…
肺炎ってかなり死亡率高いから侮っちゃいかんよ
木村浩一郎さん(44)が死去 プロレスラー・総合格闘家としてW★ING、リングス、DDTなどで活躍 : イヤァオ!速報 プロレスまとめサイト
TAJIRI@TajiriBuzzsaw
WNCにも2度参戦してくれました。
ご冥福をお祈りいたします。
木村さん、ありがとうございました。
ジャン斉藤@majan_saitou
eg_2(エイジ)@eg_2
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須山浩継@suyamahakusyak