語られない本当の『初代』アメリカ大統領

radicon
アメリカの初代大統領はジョージ・ワシントンだというのが定説であり常識です。しかし、ほかの人物が『初代』であるという説も存在しています。さらに他にも7人もの隠されたプレジデントがアメリカにはいるようです。本当はどちらが真の『初代』なのでしょうか。なんらかの陰謀があるのでしょうか。

アメリカ『初代』大統領

ジョージ・ワシントン
ジョージ・ワシントン(英語: George Washington、グレゴリオ暦:1732年2月22日 – 1799年12月14日(ユリウス暦:1731年2月11日生まれ))は、アメリカ合衆国の軍人、政治家、黒人奴隷農場主であり、同国の初代大統領である。死去した現在もアメリカ合衆国陸軍大元帥の階級にいる。

任期:1789年4月30日 – 1797年3月4日

アメリカの初代大統領がジョージ・ワシントンであるというのは常識ですし、アメリカでは学校教育で普通に教えています。しかし、「そうではない」という意見も存在しています。

プリンス
プリンス(Prince, 本名:Prince Rogers Nelson、1958年6月7日 – )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス出身のミュージシャン、マルチ・インストゥルメンタリスト、シンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、俳優である。
これまでに12作品のプラチナアルバムと、30曲のトップ40シングルを生み出し、アルバム・シングルの総売り上げは、1億2,000万枚に上る。

僕らは皆、契約で決められた使用人なんだよ。わかるだろう?ジョージ・ワシントンの前には8人の大統領がいた事を知った時、誰かをぶちたくなったんだ。わかるだろう?どうして違って教えられたのか疑問に思ったんだ。
嘘八百のこの世界:ジョージ・ワシントンの前には8人の大統領がいた!?


プリンスも憤りを感じるほど、初代大統領はジョージ・ワシントンであると教育されており、アメリカ国民も存在すら知らない人物がいるのです。

事実、ジョージ・ワシントンの前には8人の大統領がいました。

連合会議『議長』

大陸会議(たいりくかいぎ、英: Continental Congress)は、英国本国の高圧的な植民地経営に対して北アメリカ13州の自治意識が高まり、1774年から開催された各植民地代表による会議である。第1次大陸会議と第2次大陸会議がある。アメリカ合衆国の独立承認後は連合会議(1781年 – 1789年)に発展するが、この連合会議を含めて大陸会議と総称することがある。
大陸会議 – Wikipedia

連合会議(れんごうかいぎ、英: Congress of the Confederation, United States in Congress Assembled)は、1781年3月1日から1789年3月4日までのアメリカ合衆国の政体である。アメリカ13植民地各邦議会によって指名された代議員により構成された。アメリカ独立戦争の意思決定主体として機能してきた大陸会議が提案した連合規約の批准完了に伴い、第二次大陸会議を直接引き継ぎ、代議員もそのまま連合会議の代議員となった。
連合会議 – Wikipedia

アメリカでは、イギリスから独立する際に2種類の会議が開かれました。大きく分けて独立前が『大陸会議 』、独立後は『連合会議』となります。

大陸会議の時は、議長は「プレジデント」(President of Congress for the United Colonies of America)と呼ばれた。 連合会議になると、「連合会議における合衆国のプレジデント」(President of the United States, in Congress Assembled)となった。これはしばしば短く「合衆国のプレジデント」(President of the United States)となり、ワシントンが就いたアメリカ合衆国大統領と同じ呼称である。
連合会議 – Wikipedia

イギリスから独立した後の連合会議の議長も「プレジデント」です。日本語では議長や大統領など名称が変わりますが、英語ではどちらも同じ名称です。

独立戦争と、合衆国憲法が署名されるまでの期間のリーダーが、なぜ初代大統領と認められないかと考える人たちもいる。
ジョージ・ワシントン – Wikipedia

もう一人の『初代大統領』

ジョン・ハンソン
ジョン・ハンソン(英: John Hanson、1715年4月3日-1783年11月22日)は、アメリカ独立戦争中の大陸会議代表である。ハンソンは、1781年から1782年に連合規約下の連合会議議長 (President) として初めて任期を全うしたので、最初のアメリカ合衆国大統領 (President) と呼ばれることもあった。

任期:1781年11月5日 – 1782年11月3日

ハンソンはアメリカの歴史の中で最も不可解な人物の一人である。ハンソンは度々最初の大統領という主張に結び付けて言及されているが、同時代の多くの人よりも、その人生や業績についてあまり多くのことが分かっていない。
ジョン・ハンソン – Wikipedia

なお、当のワシントン自身は、初代大陸会議議長であったジョン・ハンソンが初代大統領であると考えていた。
ジョージ・ワシントン – Wikipedia

アメリカには、歴史では語られないもう一人の初代大統領が存在しました。ジョージ・ワシントンまでには、さらに7人のプレジデントが存在します。

2代目 エリアス・ブーディノット

エリアス・ブーディノット
エリアス・ブーディノット(英: Elias Boudinot Jr.、1740年5月2日-1821年10月24日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身の弁護士、政治家である。アメリカ独立戦争中の大陸会議代表であり、1782年から1783年にかけて連合規約下の連合会議議長を務めたので、独立戦争を終わらせた時のアメリカの代表者になった。その後アメリカ合衆国下院議員も務めた。

任期:1782年11月4日 – 1783年11月2日

良い政府は一般に家庭において始まる。もし人々の道徳観が一旦堕落したら、その政治的な面も直ぐにそうなるに違いない。
エリアス・ブーディノット – Wikipedia

彼は熱心な宗教家でもありました。

3代目 トーマス・ミフリン

トーマス・ミフリン
トマス・ミフリン(英: Thomas Mifflin、1744年1月10日 -1800年1月20日)は、アメリカ、ペンシルベニア出身の商人、政治家である。アメリカ独立戦争中の大陸軍では少将を務め、ペンシルベニア議会議員、大陸会議ではペンシルベニア代表となり、大陸会議の後の連合会議では第5代議長を務めた。

任期:1783年11月3日 – 1784年10月31日

4代目 リチャード・ヘンリー・リー

リチャード・ヘンリー・リー
リチャード・ヘンリー・リー(英: Richard Henry Lee、1732年1月20日 – 1794年6月19日)は、アメリカ植民地のイギリスからの独立を求めた「リー決議案」を大陸会議に提出したことで名高い政治家である。連合規約下の連合会議で第6代の議長を務めた。

任期:1784年11月30日 – 1785年11月22日

フリーメイソンである。

決議案:これら植民地の連合体は独立した国であり、そうなるべき権利があること。これら植民地はイギリス王室に対する忠誠から解き放たれるべきこと。これら植民地とイギリスとのあらゆる政治的関係を完全に解消し、また解消すべきこと。
リチャード・ヘンリー・リー – Wikipedia

これがリー決議の内容です。

5代目 ジョン・ハンコック

ジョン・ハンコック
ジョン・ハンコック(英: John Hancock、1736年1月12日(ユリウス暦) – 1793年10月8日(グレゴリオ暦))は、アメリカ合衆国の政治家である。第二次大陸会議および連合会議の議長を務め、マサチューセッツ州の初代知事となった。アメリカ独立宣言に最初に署名した人である。

任期:1785年11月23日 – 1786年5月29日

フリーメイソンである。

また、独立宣言書(the Declaration of Independence)に署名されたサインの中では、ジョン・ハンコックのサインが一番大きかったため、アメリカでは「ジョン・ハンコック」が「サイン」の代名詞として用いられることもある。
ジョン・ハンコック – Wikipedia

アクション映画「ハンコック」の名前もこの人物から来ています。

ハンコックはフリーメーソンであった。 マサチューセッツ植民地知事としてハンコックは、ボストンの黒人軍隊「バックス・オブ・アメリカ」に軍隊旗を送った。
ジョン・ハンコック – Wikipedia

6代目 ナサニエル・ゴーラム

ナサニエル・ゴーラム
ナサニエル・ゴーラム(英語: Nathaniel Gorham、1738年5月27日 – 1796年6月11日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州出身の商人、政治家である。マサチューセッツから連合規約下の連合会議代表に選ばれ、その第8代議長になった。

任期:1786年6月6日 – 1786年11月5日

ゴーラムはしばしば制定会議の全体委員会議長を引き受けたが、これは制定会議の議長であったジョージ・ワシントンよりも活発に憲法の草稿を起草する期間を差配したことになった。
ナサニエル・ゴーラム – Wikipedia

7代目 アーサー・セントクレア

アーサー・セントクレア
アーサー・セントクレア(英語: Arthur St. Clair, 1734年または1736年3月23日 – 1818年8月31日)は、アメリカの連合規約下の連合会議で第9代の議長を務めた政治家である。
セントクレアはアメリカ独立戦争中は大陸軍の将軍として従軍し、戦後、アメリカ陸軍の最高位に昇った (1791-1792)。

任期:1787年2月2日 – 1787年11月4日

明記されてはいませんが、セントクレア一族はスコットランド・フリーメイソンの名家で、代々グランドマスターを勤めています。

セントクレアはシンシナティ協会の名前を貰ってシンシナティの市の名前を付け、自分の家をそこに建てた。北西部領土が1800年に分割された時、セントクレアはオハイオ領土の最初で最期の知事となった。
アーサー・セントクレア – Wikipedia

8代目 サイラス・グリフィン

サイラス・グリフィン
サイラス・グリフィン(英語: Cyrus Griffin、1749年7月16日 – 1810年12月14日)は、連合規約下の連合会議第10代かつ最後の議長である。

任期:1788年1月22日 – 1789年11月2日

議長就任に先立つ1787年9月17日にアメリカ合衆国憲法が採択されており、グリフィンの就任中は各邦でその批准のための議論が行われていた。1788年6月21日のアメリカ合衆国憲法の承認に伴い、新しい合衆国政府設立の準備が連合会議とその議長の任務となり、政府発足により議長職は廃止された。
サイラス・グリフィン – Wikipedia

フリーメイソンとの関係は?

ジョージ・ワシントンが秘密結社フリーメイソンのメンバーであったことは公に知られた事実です。

ジョージ・ワシントンを「初代」としているのは、何らかの理由があるのでしょうか。もしかしたら、隠したい歴史があるのかもしれません。

参考リンク

関連まとめ

https://matome.naver.jp/odai/2141370745317292301
2015年01月26日