大町・材木座はJR横須賀線鎌倉駅東口から徒歩圏内のところにあり、材木座海岸や寺社仏閣の多い歴史や自然豊かな地域です。また、材木座は、マリンスポーツが盛んで、毎年8月10日に行われる鎌倉花火大会も材木座海岸で行われます。どうぞ、デート、旅行、観光、ドライブなど素敵な時間をお過ごしください。
◆観光スポット 厳選13
◆グルメ 厳選13
◆お土産・お買い物 厳選12
★★★観光スポット★★★
◆妙本寺
◆安養院
安養院
安養院は鎌倉随一のツツジの名所で、毎年ゴールデンウィーク頃には多くの観光客が訪れる。
源頼朝の妻・北条政子ゆかりの寺としても知られ、政子が頼朝と結ばれることを祈願したと伝わる観音像などがあり、恋愛成就のご利益があるといわれている。
また、映画監督・黒澤明の墓もある。
源頼朝の妻・北条政子ゆかりの寺としても知られ、政子が頼朝と結ばれることを祈願したと伝わる観音像などがあり、恋愛成就のご利益があるといわれている。
また、映画監督・黒澤明の墓もある。
安養院
日本, 神奈川県鎌倉市大町3丁目1−22
日本, 神奈川県鎌倉市大町3丁目1−22
◆上行寺
上行寺
上行寺は、1313年に日範によって創建された日蓮宗の寺院。病気平癒、開運、健康など様々な御利益があり、特に「癌封じ」で知られている。
境内には開運の七福神、病気平癒の瘡守稲荷、厄除けの鬼子母神や、日光東照宮「眠り猫」の作者の名工・左甚五郎作と伝わる山門の龍の彫刻など、小さい寺ながらも見所が多い。
また、墓地には「桜田門外の変」を起こした水戸浪士の一人、広木松之助の墓がある。
境内には開運の七福神、病気平癒の瘡守稲荷、厄除けの鬼子母神や、日光東照宮「眠り猫」の作者の名工・左甚五郎作と伝わる山門の龍の彫刻など、小さい寺ながらも見所が多い。
また、墓地には「桜田門外の変」を起こした水戸浪士の一人、広木松之助の墓がある。
上行寺
神奈川県鎌倉市大町2-8-17
神奈川県鎌倉市大町2-8-17
◆ 妙法寺(苔寺)
妙法寺(苔寺)
日蓮が鎌倉にきて布教を行うために建てた草庵が、鎌倉の僧・武士によって焼き打ちされた。
(松葉ヶ谷法難)その草庵跡に日 蓮が建てた法華堂が本圀寺で、本圀寺が室町時代に京都へ移されたあと、1357年(延文2)日叡が父の霊を弔うため、寺を再興したのが妙法寺の起こりとい われる。
境内には美しい苔の石段があることから、「苔寺」ともいわれる。
(松葉ヶ谷法難)その草庵跡に日 蓮が建てた法華堂が本圀寺で、本圀寺が室町時代に京都へ移されたあと、1357年(延文2)日叡が父の霊を弔うため、寺を再興したのが妙法寺の起こりとい われる。
境内には美しい苔の石段があることから、「苔寺」ともいわれる。
妙法寺(苔寺)
神奈川県鎌倉市大町4-7-4
神奈川県鎌倉市大町4-7-4
◆安国論寺
安国論寺
開山は日蓮上人として創建。ここも妙法寺と同じく松葉ヶ谷法難の跡と伝えられる。
日蓮が鎌倉にきて初めて道場とした岩窟がこの寺がつくられるもととなり、「立正安国論」もこの岩窟で書かれたという。
この場所に寺ができたのは日蓮の弟子日朗が岩窟のそばに建てた「安国論窟寺」が始まりで、のちに安国論寺とよばれるようになったといわれる。
日蓮が鎌倉にきて初めて道場とした岩窟がこの寺がつくられるもととなり、「立正安国論」もこの岩窟で書かれたという。
この場所に寺ができたのは日蓮の弟子日朗が岩窟のそばに建てた「安国論窟寺」が始まりで、のちに安国論寺とよばれるようになったといわれる。
安国論寺
日本, 神奈川県鎌倉市大町4丁目4−18
日本, 神奈川県鎌倉市大町4丁目4−18
◆長勝寺
長勝寺
長勝寺は、1263年創建の日蓮宗の寺院。
本堂前の広場には宗祖・日蓮と四天王の像が安置され、その迫力ある大きさから長勝寺の象徴となっている。
春には広場の入口に桜のトンネルができ、比較的観光客が少ないことから、隠れた桜の名所として人気を集めている。
本堂前の広場には宗祖・日蓮と四天王の像が安置され、その迫力ある大きさから長勝寺の象徴となっている。
春には広場の入口に桜のトンネルができ、比較的観光客が少ないことから、隠れた桜の名所として人気を集めている。
長勝寺
日本, 神奈川県鎌倉市材木座2丁目11−47
日本, 神奈川県鎌倉市材木座2丁目11−47
◆滑川
滑川
街を縦に走り相模湾へ注ぎ込む河川。
川の西側の由比ヶ浜と、東側の材木座海岸の境界線でもあります。
鎌倉幕府の開府に伴い和賀江島という港が築かれ、この地に材木商人達が移り住みました。
そこで結成された“材木商人の座”という組合の名から「材木座」となったとされています。
川の西側の由比ヶ浜と、東側の材木座海岸の境界線でもあります。
鎌倉幕府の開府に伴い和賀江島という港が築かれ、この地に材木商人達が移り住みました。
そこで結成された“材木商人の座”という組合の名から「材木座」となったとされています。
滑川
日本, 神奈川県鎌倉市材木座5丁目2−25
日本, 神奈川県鎌倉市材木座5丁目2−25
◆九品寺
九品寺
1333年(元弘3)新田義貞が鎌倉攻めをしたときの本陣をかまえた場所で、義貞が北条方の戦死者の霊を慰めるため 1337年(延元2)に建立したといわれる。
山門と本堂に掲げられている額の「内裏山」と「九品寺」の文字は、義貞の筆の写しと伝えられ、直筆と伝えられる額は本堂に保存されている。
山門と本堂に掲げられている額の「内裏山」と「九品寺」の文字は、義貞の筆の写しと伝えられ、直筆と伝えられる額は本堂に保存されている。
九品寺
日本, 神奈川県鎌倉市材木座5丁目13−14
日本, 神奈川県鎌倉市材木座5丁目13−14
◆ホテル&レストラン SARAH
ホテル&レストラン SARAH
海沿いに建つホテル。
10室のみと部屋数は多くないものの、その全てが材木座の静かな海を見渡せるオーシャンビュー。
天気の良い日には稲村ヶ崎の方向に富士山を望めることもあります。
レストランフロアも材木座の海が見渡せる全面ガラス張りの開放的な空間。
銀座のレストランで修業を積んだご主人が、地物の食材をふんだんに使ったフレンチのコースを提供しています。
10室のみと部屋数は多くないものの、その全てが材木座の静かな海を見渡せるオーシャンビュー。
天気の良い日には稲村ヶ崎の方向に富士山を望めることもあります。
レストランフロアも材木座の海が見渡せる全面ガラス張りの開放的な空間。
銀座のレストランで修業を積んだご主人が、地物の食材をふんだんに使ったフレンチのコースを提供しています。
ホテル&レストラン SARAH
日本, 神奈川県鎌倉市材木座5丁目8−27
日本, 神奈川県鎌倉市材木座5丁目8−27
◆材木座海岸
材木座海岸
地元民が誇りに思う海岸。
材木座海岸は街の人々の憩いの場。
海のある暮らしが日常に彩りを添えています。
夏には鎌倉花火大会も開かれるこの海岸こそが地元民の誇りなのです。
材木座海岸は街の人々の憩いの場。
海のある暮らしが日常に彩りを添えています。
夏には鎌倉花火大会も開かれるこの海岸こそが地元民の誇りなのです。
材木座海岸
日本, 神奈川県鎌倉市材木座5丁目 国道134号線
日本, 神奈川県鎌倉市材木座5丁目 国道134号線
◆OSJ湘南クラブハウス
OSJ湘南クラブハウス
アウトドアスポーツのセミナーを主催するお店。
材木座の裏山などを駆け抜ける「トレイルランニング」や1時間かけて2kmを泳ぐ「オーシャンスイム」などのセミナーを開催しています。
特に今注目なのが「アウトリガーカヌー」。
アウトリガーと呼ばれる浮きがある為、従来のカヌーよりも安定性とスピードにまさります。
団体スポーツの為、気軽に参加できると初心者にも人気です。
材木座の裏山などを駆け抜ける「トレイルランニング」や1時間かけて2kmを泳ぐ「オーシャンスイム」などのセミナーを開催しています。
特に今注目なのが「アウトリガーカヌー」。
アウトリガーと呼ばれる浮きがある為、従来のカヌーよりも安定性とスピードにまさります。
団体スポーツの為、気軽に参加できると初心者にも人気です。
OSJ湘南クラブハウス
日本, 神奈川県鎌倉市材木座6丁目4
日本, 神奈川県鎌倉市材木座6丁目4
◆光明寺
光明寺
第四代執権北条経時が、1240年(仁治元)に然阿良忠を開山として佐助ヶ谷に建てた蓮華寺を、1243年(寛元1)に現 在の地に移して光明寺と改めたのがはじまりといわれる。
経時が亡くなったあと時頼をはじめ代々の執権が敬った寺院である。
江戸時代には浄土宗学問所として 関東十八檀林(有名な学問所)第一位として大いに栄えた。
経時が亡くなったあと時頼をはじめ代々の執権が敬った寺院である。
江戸時代には浄土宗学問所として 関東十八檀林(有名な学問所)第一位として大いに栄えた。
光明寺
日本, 神奈川県鎌倉市材木座6丁目17−19
日本, 神奈川県鎌倉市材木座6丁目17−19
◆和賀江島
和賀江島
鎌倉時代に港として使われていた、現存する日本最古の築港遺跡です。
大潮の干潮時にだけその全貌を表します。
800年ほど前は鎌倉の海の玄関口でしたが、現在は海の生物と触れ合える場所として干潮時に家族連れで賑わいます。
大潮の干潮時にだけその全貌を表します。
800年ほど前は鎌倉の海の玄関口でしたが、現在は海の生物と触れ合える場所として干潮時に家族連れで賑わいます。
和賀江島
神奈川県鎌倉市材木座/逗子市小坪
神奈川県鎌倉市材木座/逗子市小坪
★★★グルメ★★★
◆鎌倉フェリーチェ
https://matome.naver.jp/odai/2141147922192053601
2016年02月17日
この地はもともと、鎌倉幕府の主導権争いで北条氏に滅ぼされた比企能員の一族の屋敷があった場所。
一族滅亡後、京都で生き延びていた比企能員の息子・能本が、一族の霊を弔うために法華堂を建立したのが始まり。
広大な境内は緑豊かで、特に鎌倉有数といわれるカイドウや、ノウゼンカズラ、紅葉の名所として知られている。