2016年2月3日、衝撃が走る!!
そういえば、ニンニク注射は堂々と打ってましたね。。
■プロフィール
生年月日:1967年8月18日
身長:188 cm
体重:110 kg
血液型:B型
経歴
・PL学園高等学校
・西武ライオンズ (1986 – 1996)
・読売ジャイアンツ (1997 – 2005)
・オリックス・バファローズ (2006 – 2008)
■清原は当初、バッターではなく、ピッチャーを志望していた
大阪府岸和田市八木南小から久米田中、リトル・シニア時代を通じて「エースで4番」!!
リトルリーグでは完全試合を達成
では何故ピッチャーではなくバッターになったのか?
それは・・・
桑田真澄という偉大なピッチャーの存在
投球回数197 2/3 自責点34 防御率1.55
※打者としての才能も抜群で甲子園通算本塁打数も清原和博に次ぐ歴代2位の6本を放っている。
清原は桑田の投球を見て「こいつには敵わない」と一瞬にして悟ったという。
そして打者に専念
かくして、偉大な大打者、清原和博が誕生した!!
【伝説】
①バッティング練習の際は飛距離の出ない竹バットを使用していたが、それでもネットを軽々越えて場外に飛ばしていた為、清原用の金網が継ぎ足されていた
②全国から精鋭の集まるPL学園野球部にあって1年生から4番に座り、エース桑田と共に甲子園に5季連続出場を果たす。1年生の夏に優勝、2年生の春・夏は共に準優勝、3年生の春はベスト4、3年生の夏は2度目の優勝を経験している。
清原和博(元オリックス)をPL学園で指導した中村順司氏(現名古屋商科大監督)は「とにかく体がでかくて、骨格がしっかりしていた」と振り返る。1年生から4番起用。6月の興南との練習試合では仲田幸司(元阪神)から満塁で右中間二塁打を放った。プロでも得意とした、右方向への強烈な打球の片りん。「あの一打は印象に残っている」と話した。
怪物伝説 清原は名門PLで1年生4番、松井は入学4月に箕島戦で一発 — スポニチ Sponichi Annex 野球
■高校通算64本塁打
▼甲子園通算成績
91打数40安打29打点13本塁打、打率.440
▼3年生夏の選手権大会に限って言えば
16打数10安打8打点5本塁打8四死球、打率.625、出塁率.750
オープン戦こそ、プロの投手に手こずりますが・・・
ペナントレースが始まると、打ちまくります!!
【打率304、本塁打31本、打点78点、盗塁6】
見事、新人王を獲得!!・・・そりゃそうですよねwこの数字なら
(1959年の桑田武に並ぶ新人本塁打記録の最多タイ記録)
打率.304及び打点78も同じく高卒新人の歴代最高記録
虚しい・・・。切ない・・・。やるせない・・・。
1992年6月26日には通算200号の最年少記録!王さんを超えた!
清原が通算200号の最年少記録、王さん超えた :
通算868本塁打をマークしている王貞治氏が持つ25歳4カ月の史上最年少200号記録を、8月18日で25歳になる清原が抜き去った。だが数字に対する感想は「まだ200本か、という感じですね」。あくまで通過点と位置付けるようになったところに、自信を取り戻した清原本来の姿があった。
そして小さい頃からの憧れだった『読売ジャイアンツ』にFAで移籍
巨人か!?阪神か!?世間を賑わせました。
この後のストーリーはまだ記憶に新しい。
かつて「王貞治の記録を超えるのは清原しかいない」とまで言わせた天才打者は、その力を十分に発揮することなく、引退となってしまった。
それでも通算本塁打525本。凄い記録です。ただ、やっぱり、もっと打てたのでは・・・???
■コメント
1学年上の桑田真澄と清原和博のKKコンビは当時多くの高校球児にとって憧れの存在で、金本も高校入学前の春休みに甲子園へ清原を見に行くなど学生時代は清原マニアであったことを自認しており、常々「俺のアニキは清原さん」「俺にとってのスーパースター」と公言している。現在は清原自身と深い交友関係にあり、清原の引退試合に駆けつけ花束を贈呈した際には頭が真っ白になったという。
清原が現役を引退したときのコメント。立浪は清原の出身校であるPL学園の後輩であり、清原が3年のとき、立浪は1年生であった。
「ここ数年は試合に出られない状態で、大変な思いをされたと思います。あれだけ偉大な方ですから、僕らにとってはスーパースターです。」
「ぼくの中では世界一のバッターです。彼に出会ってなければプロで野球はできなかった。たくさんいいこともあったし、倍以上つらいこともあった。」
「清原や松井は生まれ変わって、また野球選手になっても同じかそれ以上の成績を残せる。オレは絶対無理。しつこく粘り強くやってきた上に奇跡があったからこそここまでこれた。」
「(初めて清原を見たのは)高校時代。甲子園でやっているときにテレビで見た。そのときのほうがよかったという印象だね。なにしろ、構えがよかったんだ。打席に入るでしょ。すると、スッと、すじが通っている。そういうスタンスだった。」
この後、落合さんは「清原は高校時代のバッティングが最高だった。年々悪くなってきている」という趣旨の発言をしていました。
「一緒にやっていく時に抜かれるとか負ける気はしないけど、辞めた後にすべての数字は清原が抜いてくんだろうと思ってた」
「抑えた記憶が残っているのは俺の2000奪三振のとき。記録は清原で達成すると宣言していて、実際にそのとおりになった。真ん中高めをフルスイングしてね……あれはわざとしてくれた三振じゃないかな。いい奴やなとしみじみ思ったね。勝負している者同士で心の機微が分かる奴だった。その点落合なんかはまったく違う。俺の200勝のときなんかホームラン3本も打たれたもんな(笑)」
「今だから言えますけど、清原さんの特長は、ピッチャーのベストピッチであるアウトローの直球を、反対方向に本塁打できるということなんです。それができたのは清原さんと落合さんぐらいしかいなかったんじゃないですかね。原さんとか王さん、野村さんなどの場合、インコースを狙ってやや甘く入ったボールを本塁打にするじゃないですか。清原さんはある意味、メジャー型というか外国人選手に近いタイプのバッターだと思います。」
「プロに入ってきた当時、誰も真似のできないような大きな本塁打をどんどんスタンドに放り込んでいてね。ライト方向にまで大きいのを運べる打者だった。苦手と言われているインサイドの球も、体の素早い回転で苦もなく運んでいた。ルーキーで3割、30本打って、末恐ろしい子だなってね。現実に考えたのは、落合じゃなくて王さんの記録を抜くのは彼しかいないということです」