抗議の焼身自殺…僧侶ティック・クアン・ドックとは

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1963年6月11日、当時の南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権が行っていた仏教徒に対する高圧的な政策に抗議するため、サイゴン(現・ホーチミン市)のアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺した。

ゴ・ディン・ジエム政権

ゴ・ディン・ジエム
ベトナムの政治家、ベトナム共和国(南ベトナム)初代大統領。熱心なカトリック教徒であった。

1955年に、フランスの傀儡で人気の無かったバオ・ダイを国民投票で退任に追い込み、ベトナム共和国を樹立、初代大統領となる。
ゴ・ディン・ジエム – Wikipedia

アメリカは支持するもののジェム政権が急速に独裁化し、腐敗もした。
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熱心なカトリック教徒であったことから、カトリック信者が多かった首都・サイゴンの有力者たちを優遇した。これに反発した仏教徒らの反政府運動に対し、1963年戒厳令を布告。各地の寺院を襲撃して僧たちを逮捕した。
ゴ・ディン・ジエム – Wikipedia

ティック・クアン・ドック僧が抗議の焼身

ティック・クアン・ドック
ベトナムの僧侶。

1963年6月11日、ゴ・ディン・ジエム政権が行っていた仏教徒に対する高圧的な政策に抗議するため、サイゴンのアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺した。
ティック・クアン・ドック – Wikipedia

彼は支援者たちが拝跪する中、燃え上がる炎の中でも蓮華坐を続け、絶命するまでその姿を崩さなかった。
ティック・クアン・ドック – Wikipedia

その衝撃的な姿がカメラを通じて世界中に放映され、ベトナム国内だけでなく国際世論に大きな影響を与えることとなった。
ティック・クアン・ドック – Wikipedia

焼身の意義

個人的な理由からそれを行う、つまり『自殺』ならば仏教では禁止されています。
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しかし、より気高い動機を持って行われる自己犠牲は高く評価されます。仏陀がその前世において自己犠牲を行っていた物語『ジャータカ』はよく知られています。
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マダム・ヌー

マダム・ヌー
ゴ・ディン・ジエム大統領の実弟である大統領顧問ゴ・ディン・ヌーの妻。

マダム・ヌーは焼身自殺を完遂した僧侶ティック・クアン・ドックの行動を、「あんなのは単なる人間バーベキューよ」「西欧化に抗議するのにアメリカ製のガソリンを使うなんて矛盾してるわ」などとアメリカのテレビのインタビュー上で発言した。
マダム・ヌー – Wikipedia

この発言は、世界中のメディアで報道され、大顰蹙を買った。これは1963年11月の軍事クーデターの一因になったと言われている。
マダム・ヌー – Wikipedia

このような発言を連発したことと、実力者である夫の威を借りて強権的な態度を取り続けたことから、欧米のメディアからドラゴン・レディという渾名をつけられた。
マダム・ヌー – Wikipedia

軍事クーデター

1963年11月にジエム大統領が、仏教徒危機に対するジエムの対応に反対したベトナム共和国陸軍の将校の集団やベトコンの脅迫によって排除された。
1963年ベトナム共和国の軍事クーデター – Wikipedia

多くの体制支持派は油断していた所を次々と捕らえられて、犠牲者が少なかったのでクーデターは順調に進んだ。
1963年ベトナム共和国の軍事クーデター – Wikipedia

ジエムは捕らえられて、彼の弟で顧問でもあったゴ・ディン・ヌーと共に処刑された。
1963年ベトナム共和国の軍事クーデター – Wikipedia

マダム・ヌーは生き延び、国外逃亡した。

ティエンムー寺

ティック・クアン・ドックが乗った
オースチンA95

ティエンムー寺の本堂の裏側には、ティック・クアン・ドックが生前に使用していたオースチンA95が展示されている。
フエ – Wikipedia

https://matome.naver.jp/odai/2141006386526001101
2017年03月25日