ナオト・インティライミさんの名前の由来ともなっている、リオのカーニバルの次に大きな南米のフェスティバルです。土着性が強く、英語の情報はスペイン語の情報の1割にも達しません。
ナオト・インティライミさんの名前の由来ともなっているインティライミは、こんなステキなお祭り
土着性が強く、英語の情報はスペイン語の情報の1割にも達しません。その分、地元の人々にいかに愛されているかが分かります。
毎年6月24日になると、インカ住民の地域では、地域住民が豊かになるように、収穫時期の到来を祝うインティライミの祭りが行われます。
インカ冬至のお祝いの伝統的な儀式を再現した、太陽の祭は、ペルーの古いインカの首都、クスコで行われます。 コリカンチャ広場で式典や、サクサイワマン遺跡でパレードなどが行われます。
このフェスティバルは明るい衣装や伝統的な儀式で、毎年多くの観光客を魅了していて、南米でリオのカーニバルに次いで2番目に大きなフェスティバルです。
「太陽の道」と言われる宗教儀式は、インカの主神である太陽に捧げられています。
古代から続くインティライミの祭りは、すべての楽しみが集結した、神秘的な民族フェスティバルで、世界中から多くの観光客をクスコの街に集めています。
インティライミのハイライトは、インカの元の言語であるケチュア語での大祭司にる演説です。
ケチュア語は今でも主にペルーの高地、クスコとその周辺の広い地域で話されています。
インカ文明には、太陽の神に生贄と供え物をするいくつかの理由があります。 一つは、インカの人々は、クスコの貴族と同様に、太陽の直属の子孫と考えられていて、生贄と供え物を提供しなくてはなりませんでした。
一方、トウモロコシの生産者たちは、豊作であれば古代の人々に感謝し、不作であれば翌年の豊作を祈願しなくてはなりませんでした。
6月の冬至になると、太陽は遠く離れてしまい、早朝の寒気は厳しく、水は凍ってしまうので、太陽に戻ってきて、早朝の薄明が北へ移動し続けることがないように、祈らなくてはなりませんでした。
最終的に、インティの神と、その子孫には、永遠に完全に降服することを、お供え物をして敬意を示さなくてはなりませんでした。
インカ皇帝は6世紀にわたり、太陽の祭を開催してきました。 そして、インカ文明を受け継ぐ人々も、インカ帝国の輝かしい時代に行われていたのと同じ情熱を持って、現在もインティ・ライミの儀式を行っています。
現在のようなインティ・ライミが実現したのは、偉大なるインカ文明の遺産と揺籃の地を記念して、このフェスティバルが制定された1944年6月24日でした。
http://www.youtube.com/watch?v=_cHh80e4lco
http://www.youtube.com/watch?v=SwPMUskcq74
http://www.youtube.com/watch?v=p3VxiUD4zk4
http://www.youtube.com/watch?v=C2NlpDjQQNg
http://www.youtube.com/watch?v=9hHUb12IdUQ
https://matome.naver.jp/odai/2140973372141078301
2014年09月13日