[中学歴史]大宝律令とは?[高校日本史]

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中学校の歴史でも習う「大宝律令・たいほうりつりょう」を解説します。高校受験の受験勉強、中間テスト、期末テストの勉強に活用できるといいですね。

大宝律令とは?

大宝律令(たいほうりつりょう)とは、中国の律令を手本として作られた、本格的な刑法(律)、行政法(令)の制度のことです。710年に完成し、当時の年号から大宝律令と名づけられました。
大宝律令の内容

刑法の「律」6巻と、行政法などの「令」11巻の全17巻からなる日本最初の本格的法典。文武天皇の在位の701(大宝元)年に完成し、翌年に施行された。この完成によって官僚制度が整い、中央集権の政治体制ができあがった。
大宝律令(たいほうりつりょう)とは – コトバンク

本古代の基本法典。701年(大宝1)制定。律六巻,令一一巻。刑部(おさかべ)親王・藤原不比等らの撰。七世紀以来の諸制度の法的整備を示し,757年養老律令施行までの国家の基本法となった。現存しないが,養老令の注釈書「令集解(りようのしゆうげ)」などによりその一部が知られる。
大宝律令とは – 日本史辞典 Weblio辞書

刑部親王とは

刑部親王【おさかべしんのう】

忍壁(おさかべ)皇子などともいう。天武天皇の第9皇子。681年天皇の命で帝紀の編集に当たる。700年には文武天皇の命を受け藤原不比等(ふひと)らとともに大宝(たいほう)律令の編集を行い,翌年完成。
刑部親王(おさかべしんのう)とは – コトバンク

藤原不比等とは

藤原 不比等(ふじわら の ふひと)は、飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』などの史料では天智天皇の御落胤と書かれる。諡号は文忠公、国公は淡海公。
藤原不比等 – Wikipedia

藤原 不比等(ふじわら の ふひと)

文武天皇とは

文武天皇(もんむてんのう、天武天皇12年(683年) – 慶雲4年6月15日(707年7月18日))は、日本の第42代天皇(在位:文武天皇元年8月1日(697年8月22日) – 慶雲4年6月15日(707年7月18日))。 諱は珂瑠(かる)、軽(かる)。和風諡号は2つあり、『続日本紀』の707年(慶雲4年11月12日)に「倭根子豊祖父天皇」(やまと ねこ とよおほぢの すめらみこと、旧字体:−豐祖父)と、『続日本紀』797年(延暦16年)に諡された「天之真宗豊祖父天皇」(あめの まむね とよおほぢの すめらみこと、旧字体:−眞宗豐祖父)がある。
文武天皇 – Wikipedia

語呂で覚えるなら

701年
<語呂>名を広めた大宝律令
語呂合わせ日本史

参考リンク

https://matome.naver.jp/odai/2140867908590019501
2017年05月12日