作家・有島武郎の心中事件とは

romon

大正時代を代表する作家

有島武郎(ありしま たけお)
1878年(明治11年)3月4日生まれ
東京市小石川(現・文京区)出身
札幌農学校(現・北海道大学農学部)卒
ハーバード大学中退

東北帝大農科大学で教鞭を執るかたわら、1910年「白樺」に同人として参加。
作家別作品リスト:有島 武郎

白樺派…同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮のひとつ。大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した。(wikiより)

1916年に妻(肺結核により27歳で没)と父を亡くすと、本格的に作家生活に入る。
有島武郎 – Wikipedia

「星座」「宣言」「カインの末裔」「生まれ出づる悩み」「或る女」などにより、リアリズムの虚構を極めた作家として、大きな足跡を残した。
有島武郎とは – はてなキーワード

波多野秋子との出会い

波多野秋子は中央公論社の『婦人公論』記者。英語塾経営者であった波多野春房と18歳で結婚。
波多野秋子 – Wikipedia

妻に先立たれた有島武郎と劇場で席を前後したことをきっかけに次第に恋愛関係となった。
波多野秋子 – Wikipedia

これを知った春房が武郎を呼び出し金銭を要求。また訴訟を起こすとも告げた。
波多野秋子 – Wikipedia

心中

不倫問題の末に軽井沢の別荘で秋子とともに四十五歳の生涯を終える。
有島武郎

秋子は29歳であった。

梅雨の時期に1ヶ月遺体が発見されなかったため、相当に腐乱が進んでおり、遺書の存在で本人と確認されたという。
有島武郎 – Wikipedia

遺体が発見されたとき、二人の遺体は蛆虫の巣と化しており、天井から床まで滝のように蛆虫が湧き、別荘の屋外まで溢れかえっていたとされる。
有島武郎 – Wikipedia

遺書

複数残されていた遺書の一つには、『愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた』と残されていた。
有島武郎 – Wikipedia

…僕はこの挙を少しも悔ゐず唯十全の満足の中にある。
秋子も亦同様。…
山荘の夜は一時を過ぎた。
雨がひどく降ってゐる。
私達は長い路を歩いたので濡れそぼちながら
最後のいとなみをしてゐる。
森厳だとか悲壮だとかいへばいへる光景だが、
実際私たちは戯れつゝある二人の小児に等しい。
愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかった。
恐らく私達の死骸は腐乱して発見されるだらう。

波多野秋子が夫にあてた遺書

春房さま
とうとうかなしいおわかれをする時がまゐり
ました。 ○○おはなし申上げた通りで、
秋子の心はよくわかって下さることとぞんじ
ます。 私もあなたの お心がよくわかって
をります。十二年の○ 愛しぬいてくだすつた
ことをうれしくもつたいなくぞんじます。
わがままのありつたけをした
揚句に あなたを殺すやうなことになり
ました。それを思ふと堪りません。

あなたをたつた独りぼつちにしてゆく
のが可哀相で可哀相で たまりません

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2018年11月26日