西成区麻薬中毒者殺人事件
西成区麻薬中毒者殺人事件(にしなりくまやくちゅうどくしゃさつじんじけん)とは、1982年(昭和57年)に大阪市西成区で起こった無差別殺人事件である。
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概要
1982年2月7日午前9時45分、Hは自宅のアパートで妻A子をめった刺しにして殺害。息子のBも刺して重傷を負わせた。さらにアパートの住人も次々と包丁やハンマーなどで襲い、結果的に5分の凶行で4人が死亡し、3人が重軽傷を負う大惨事となった。その後、Hは路上をうろついていたところを警察に取り押さえられて逮捕される。
犯人について
学生時代から暴力、詐欺など様々な事件を起こしては警察に補導された。15歳の頃に先輩からもらった覚醒剤を使用し、以後は中毒に陥った。両親に知られると家出し、転々としながらスリや空き巣を繰り返して5回逮捕、3回刑務所に服役している。
金目当ての結婚
西成区麻薬中毒者殺人事件 – Wikipedia
妻A子と結婚したのは、A子が当時ホステスだった頃だという。A子がHの本当の姿を知った頃には息子も生まれ、籍も入れていたために後戻りのできない関係になっていた。
両親に対する非情さ
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妻の収入だけでは不安を覚えたHは、両親に対して「更生した」、「息子(両親から見れば孫)が生まれた」と述べて、「色々生活費がかかるから援助してほしい」と言葉巧みに預金通帳や家の権利書を持ち出して家を売却し、その金を覚醒剤のために使った。父親はこれが原因で精神病院に入院する羽目になり、死亡したという。
Hは覚醒剤の長期乱用で、幻覚や幻聴に襲われるようになった。それが原因による被害妄想で妻を切りつけ、殺人未遂で逮捕され、懲役3年の実刑判決を受けた。
Hは出所後も妻の収入や生活保護による援助などで覚醒剤を乱用していた。このため、幻覚や幻聴に襲われるようになり、妻や息子に対して暴力を振るうなどしていた。このような奇行を周辺住民も不安視し、警察に通報したりしている。そして1982年2月7日の凶行となった。
Hは取り調べの際、動機について「アパートの住民が自分に嫌がらせするから復讐した。妻も息子も宗教に凝りグルになっていたからやった」と供述している。(Hの奇行に対し妻は自殺未遂を起こし、そのため宗教に救いを求めたという)
裁判
1984年4月20日、大阪地裁は覚醒剤による心身衰弱状態であったとして、無期懲役の判決を下し、控訴しなかったために刑が確定した。
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覚醒剤とは
http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%A6%9A%E9%86%92%E5%89%A4
覚醒剤とは、薬物の一種。広義には中枢神経を刺激して心身を活動的にさせる薬物を、狭義には「覚せい剤取締法」によって規制される薬物をいう(法律上は覚せい剤と表記)。
中枢神経に作用し、ドーパミンなど伝達物質の充溢を生じさせることで、覚醒作用や快感、疲労の減退などの効果をもたらす。まさに「覚醒」剤である。前述の医療品としての効果はこういったものを想定している。
反面、副作用として不眠、食欲減退、強い倦怠感、幻覚・幻聴などをもたらす。これらの症状は統合失調症のものと酷似しており、服用を停止した後もフラッシュバックとして残る場合がある。依存性も高く、中毒患者が譫妄状態に陥って暴力沙汰を引き起こす可能性もある。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%A6%9A%E9%86%92%E5%89%A4