任天堂を花札メーカーから急成長させた家庭用バッティングマシーン「ウルトラマシン」!
昭和43年に発売されたこのマシンは、小学生の頃それこそ鼻血が出るほど遊んだものだ。
任天堂ウルトラマシン
日本中の野球少年がONの活躍に沸き、ONの豪快な野球に胸をときめかせた時代であった。ウルトラマシンが単なるおもちゃと異なるのは、そのような夢を形にしたところではないかと思う。
ウルトラマシン -家庭版バッティングマシンでON気分: BloggerJoe’s 昭和レトロ大全
単一乾電池1本で駆動するモータを内蔵しており、アームを自動的に回転させて投球するという、プリミティブな仕掛けになっている。
任天堂ウルトラマシン
ボールは重量約2gの軽いもので、思いっきりかっとばして物に当たっても破損する心配は無い。
任天堂ウルトラマシン
当時、初代のウルトラマシンは、変化球用の、デコボコしたボールは、まだ開発されていませんでした。
レトロ玩具のぽこぺん 任天堂ウルトラマシン 初期
ホールは全部で10個。ボールガーターにセットして遊ぶ。ウルトラマシンを設置した場所から、5~7m離れた場所で打つのが適切とされている。付属のバットも伸縮タイプの柔らかいもの。
任天堂ウルトラマシン
ギミックとして投球位置を制御する仕掛けが設けられている。
任天堂ウルトラマシン
「ホールコントロール金具」なるものをラッチに引っかけるのであるが、このラッチの位置によりバネの張力が変化し、結果としてボールを投げる際の力が変わり、ボールの位置が変化できるという仕組みだ。
任天堂ウルトラマシン
なんと、乾電池1個で3200投球!
とても経済的な遊び道具であった。
3年間で200万個が売れた。当時は巨人、阪神は人気も実力も1、2を争う好敵手で、その中でも王、田淵といったら、強打の4番同志、子どもたちの人気は抜群だった。
おもちゃ7
付属のボールは、いろんな種類のくぼみがつけられており、カーブやシュート、当時のドロップに変化する。バネの位置を動かすことで、高め低めを投げ分けることができる。
おもちゃ7
左がデラックス、右が旧型。
このウルトラマシーンの生みの親は、なんとゲームボーイの生みの親でもあるプロデューサー。
ウルトラマシンの作者はかの有名な横井軍平氏である。66(昭和41)年に長男ウルトラハンドを、続いて68(昭和43)年にこのウルトラマシンを世に送り出し、当時一介の花札メーカーだった任天堂を斬新な企画のゲームメーカーへと急成長させた偉大なるゲームプロデューサーなのである。
0081_ウルトラマシン(って知ってる?): cco.cocolog(獅子王ココログ)
97年に氏は惜しくも交通事故により帰らぬ人となってしまったが、近年ではかのゲームボーイの生みの親として名を残している。
0081_ウルトラマシン(って知ってる?): cco.cocolog(獅子王ココログ)
任天堂さん、横井さんの遺志を継ぎ、子供たちがリアルな野球の楽しさを、家の中でも気軽に体感できるようこのマシーンの復活を熱望します。
ウルトラマシンが誕生したのは、野球選手を夢みてバットを振る少年が、そのうちにバッティングセンターに行くようになり、高校野球からプロへ・・・というサクセスストーリーがまだ生きていた時代である。
バーチャルな世界が目の前に広がる現代の子どもたちと違い、リアルなものを追いかけていく姿は今や懐かしいものになったのかもしれない。
ウルトラマシン -家庭版バッティングマシンでON気分: BloggerJoe’s 昭和レトロ大全
今でもウルトラマシンには、子供の心を虜にする魅力が秘められていると思いたい。
おまけ①:ウルトラマシーン開発へと繋がるウルトラハンドとは?
ウルトラハンドは、1966年に任天堂が発売したいわゆるマジックハンド型玩具である。
ウルトラハンド – Wikipedia
ウルトラハンドは、任天堂社長の山内溥が命名した。命名の由来は1964年東京オリンピックの名残でウルトラCという言葉が流行っていたためである。
ウルトラハンド – Wikipedia
任天堂で設備機器の保守点検の仕事をしていた横井軍平が暇つぶしで社内で手製の伸び縮みするハンドを作って遊んでいたところを任天堂社長の山内溥の目に止まり、山内から「それを商品化しろ」と言われたのがウルトラハンドのきっかけとなった。
ウルトラハンド – Wikipedia
ウルトラマシーン開発へと繋がる大事なエピソードのひとつ。
おまけ②:横井氏の手掛けたウルトラ三部作のひとつ、ウルトラスコープとは?
ウルトラマシンのヒットから3年後には潜望鏡を模した「ウルトラスコープ」を開発・販売。
任天堂の歴史
価格:¥2980
子供たちは、高いところ-垣根や塀ー からレンズの向こうの別世界を覗き見したり、 隠れんぼやスパイ遊びに使った。売れ行きは値段もあって前の2つには及ばなかったが、人気はあった。
任天堂の歴史
おまけ③ セガロボピッチャー
ウルトラマシンの発売からしばらくして、セガから同じようなおもちゃの 「ロボピッチャ」が出た。テレビCMにはあの湯川専務が出演していた。
ウルトラマシン
ウルトラマシーンほどのインパクトはなかったが、こちらはテニスもできるとCMでうたっていたのを覚えている。