あのジャニーズもここから生まれた。代々木公園の歴史が深イイ。

まちひこ
ジャニーズファンにとっては常識?ジャニーズ誕生の歴史を調べたら代々木公園だった。他にも色々な深イイ歴史があったぞ。開園された代々木公園を10倍(?)楽しむ歴史を色々まとめてみました。デング蚊/デング熱/フェス/イベント/初飛行/オリンピック/野球

みんなに愛されている代々木公園。

デング熱の感染エリアとして、なにかと話題になった。

ほんと代々木公園は水もあって自然もいっぱいで、いい所なんですよ。 pic.twitter.com/zCa5pkbWUw

当面、閉鎖して蚊の駆除を進める。都によると、閉鎖は1967年の開園以来初めて。
デング熱、代々木公園を8割閉鎖

注目され過ぎて、何故かネット上に蚊が発生。

代々木の蚊の妹@YOYOGI_CA_SIS

代々木の蚊の妹です。

色々あったけどやっと開園。だからこそ知ろう代々木公園の歴史

開園:1967年(昭和42年)10月20日
敷地面積:約54.1ha(およそ東京ドーム11個分)

東京オリンピック選手村跡地に代々木公園が誕生しました。建物のコンクリート基礎部分は公園敷地内に埋めたという。
東京オリンピック選手村という歴史を経てできた都心の森林公園代々木公園

掘ればでてくる?住宅地を公園に変身させる工事は容易なものではなかったよう。

代々木の名前の由来はお隣・明治神宮の東門付近にあった樅の木の大木から「代々の木」となったとされています。
東京の森林公園 代々木公園|公園へ行こう!

明治神宮と隣接する作りになっている。

初詣者数は毎年全国トップ。

お隣、明治神宮の森と合わせて東京ドーム約27個分に匹敵する森がそこにあります。
東京の森林公園 代々木公園|公園へ行こう!

明治天皇と昭憲皇太后のご神霊をお祀りする為に創建された。初詣者数は三が日で300万人以上、例年全国1位を記録している。
初詣の人出ランキングベスト10(1〜5位) – おすすめ初詣スポット2014

ファンの間では常識?実はジャニーズ誕生の地

しかも「ジャニーズ」は元々少年野球チームだった!

ジャニーズの歴史は、1950年代の終わりに近いワシントンハイツでジャニー喜多川さんがよく野球をしていた事から始まった。
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/jyanys.htm

いつしか野球をする少年たちを教えるようになり、ついには彼が自らスポンサーとなって、野球チーム「ジャニーズ」を結成します。
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/jyanys.htm

都内の野球チームとの試合では圧倒的に強かったようです。

日本で初めて飛行機が飛んだ地でもある。

当時の飛行機。鳥人間コンテストみたい…。

1910年(明治43年)12月14日、代々木練兵場で滑走試験中の日野熊蔵が飛行に成功。これが動力飛行機の日本国内初飛行とされる。
徳川好敏 – Wikipedia

ちなみに、世界で初めて飛行機を飛ばしたライト兄弟は1903年12月17日

代々木練兵場?ワシントンハイツ?

代々木練兵場
つまりは戦争の訓練場。「代々木の原」と呼ばれた。見ると分かるが樹木がない。

江戸時代、甲州街道と大山街道に近い、江戸城防衛のために置かれた大名や旗本の屋敷群の連なる武家地であった。
東京オリンピック選手村という歴史を経てできた都心の森林公園代々木公園

明治42年開設。当初は草原であったが、演習などでその使用頻度が高くなるにつれ、砂ぼこりが舞い立つ荒地に。
東京オリンピック選手村という歴史を経てできた都心の森林公園代々木公園

練兵場は演習のないときには一般に開放され、草野球や凧揚げなども行われていたという

ワシントンハイツ
昭和22年(1947年)撮影。連合国軍占領下の日本において作られた、アメリカ空軍およびその家族のための団地である。

敷地面積2万7000坪、住宅戸数827戸、学校、教会、劇場、クラブ、診療所などの施設も含む大規模施設。
東京オリンピック選手村という歴史を経てできた都心の森林公園代々木公園

ワシントンハイツは日本への全面返還後、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックにおける選手村の本村・代々木選手村として整備された
ワシントンハイツ (在日米軍施設) – Wikipedia

ん?森がない…。実は代々木公園も明治神宮も人工の森だった。

立派すぎて思いもしなかった…

明治神宮の森が形作られたのは大正4年から開始された工事で、全国から献木された約10万本の樹木が新たに植えられたもの。
東京オリンピック選手村という歴史を経てできた都心の森林公園代々木公園

植栽計画の大枠が決まった昭和41年から約5年間にわたって、更地になったワシントンハイツに徐々に森は形づくられていった。
http://www.token.or.jp/magazine/g200802.html

昭和後期になると歩行者天国が誕生。若者文化の発信地に

竹の子族
歩行者天国(通称:ホコ天)でラジカセの周りに集まってディスコサウンドに合わせて「竹の子踊り」という独特のダンスを踊っていた。多いときでは2000人以上も。
ホコ天バンド

最近見かけるこの集団も昭和後期に生まれた文化

ローラー族

空撮で見るとよくわかる。時代の移り変わりが面白い。

大正時代:草原・荒野
大正14年(1925年)撮影の代々木練兵場。注目すべきは左下の原宿駅。現在の駅舎は1924年(大正13年)に竣工した木造建築で、都内で現存する木造駅舎で最も古い。つまりは写真のは誕生1年目。歴史を感じる。
現在:森林公園
平成21年(2009年)撮影の代々木公園。現在の公園に。東京オリンピック選手村は取り壊され更地に。順次、樹木・植栽が植えられ、植栽計画の大枠が決まった昭和41年から約5年間にわたって、徐々に森は形づくられていった。

そして未来、代々木は2度目のオリンピックを迎える。

新国立競技場
国立競技場も新しく。新国立競技場の完成予想図。

まとめ

代々木公園は森林公園として整備されました。公園としての森と神社としての森の違いはありますが、代々木公園も明治神宮の森も人の手によって造られた森であることを忘れてはなりません。
東京の森林公園 代々木公園|公園へ行こう!

関連サイト

フォロワーは10万人を超える。

https://matome.naver.jp/odai/2140126651259014101
2014年12月10日