伊右衛門や石川五右衛門の「右」を読まないのはなぜ?
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伝説の盗賊『石川五右衛門』。『五右衛門』と書いて【ごえもん】と読みますが、”右”の音はどこに行ってしまったのでしょうか
「五右衛門」”右”は読まない? - トクする日本語 - NHK アナウンスルーム
英語でいえばknowやknifeの「k」みたいな感じですね。日本語の漢字にも黙字(表記しても読まない字)はあります。
「右」は読まないのに「左」は読む
一方、江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作家『近松門左衛門』は【もんざえもん】と”左”も発音します
「五右衛門」”右”は読まない? - トクする日本語 - NHK アナウンスルーム
頭に文字を付けた場合「左衛門」の部分は「~さえもん」ではなく「~ざえもん」と読む場合が多いそうです。
「五右衛門」はゴエモンですが、右が語頭にある「右衛門督」はウエモンノカミと発音します
D935メモ – 右衛門はもともと「うゑもん」と発音されました。英語ふうに書くと[u-we-mon]です。…
頭に文字を付けた場合「右衛門」の部分は「~うえもん」ではなく「~えもん」と読む場合が多い
右衛門 – Wikipedia
どうやら「右衛門」は「○右衛門」のように、頭に文字が付いたときだけ「右」が発音されないそうです。
もともと右衛門の「衛」は「え」じゃなくて「ゑ」だった
右衛門はもともと「うゑもん」と発音されました。英語ふうに書くと[u-we-mon] D935メモ – 右衛門はもともと「うゑもん」と発音されました。英語ふうに書くと[u-we-mon]です。…
奈良時代には、ヱは [we] と発音され、ア行のエは [e] と発音されて区別されていた
ゑ – Wikipedia
ワ行(わ、ゐ、う、ゑ、を)の「わ」以外は母音として扱われます。この「ゑ」という文字は「恵」をくずしたもので、カタカナにすると「ヱ」。かぎつきの「エ」になります。
昔の日本では語頭以外で母音が連続するのは避けられていた
古来の日本語では一語中で母音が連続すること(連母音)が嫌はれました。簡単にいふと語頭以外に「あ、い、う、え、お」の文字が来るやうな語は存在しにくかつたのです
母音連続について:歴史的仮名遣い教室
人名の場合は、右の上に「五」などがつくわけですが、日本語には古くから「語中・語尾にある母音はほかの母音とくっついてひとつになってしまうか、発音のなかで摩滅してしまう」という傾向があります
D935メモ – 右衛門はもともと「うゑもん」と発音されました。英語ふうに書くと[u-we-mon]です。…
頭に何も無い「右衛門」は「うえもん」と呼ばれることも多い。
「ごうゑもん」の場合、ウという母音が語中にぽつんとあるのが日本語として非常に不安定なために、いつの間にか欠落してしまうわけです
D935メモ – 右衛門はもともと「うゑもん」と発音されました。英語ふうに書くと[u-we-mon]です。…
「ゑ」も母音扱いなので母音の衝突を避けるため「う」が無くなったとも考えられます。「体育(たいいく)」が発音では「たいく」になるようなものです。「左衛門」の「左」は「さ(sa)」と子音+母音になっているので変化する必要がないわけです。
現代ではえと同じ発音である。現代仮名遣いでは「ゑ」は使われず、代わりに「え」と書かれる
ゑ – Wikipedia
時代が経つにつれて発音も文字もア行の「え」に統一されていきました。「うゑもん(ううぇもん)」→「うぇもん」→「えもん」と変化していったわけですね。
伊右衛門をローマ字にするとIYEMONと「Y」が入る
これを「IYEMON」とするのは「IEMON」だと主に英語圏の人に「イーモン」と読まれそうなのでそのための対策だと思います
「右衛門」は「emon」ですか「wemon」ですか「yemon」ですか? – Yahoo!知恵袋
同様に「IWEMON」だと外国人は「w」をハッキリ発音するため「イウェモン」と読まれてしまうそうです。
鎌倉時代に入るとヱとエの混同が顕著になり、13世紀に入るとヱとエは統合した。ヱが [we] から [je] に変化することによって エと合流したと考えられている
ゑ – Wikipedia
さらに「ゑ(うぇ)」が「え」に統合する過程で「いぇ(ヤ行のえ)」と発音されていたそうなので、ヤ行の子音の「Y」が使われてもおかしくはないそうです。16世紀のキリシタン資料でも「え」「ゑ」「ヤ行のえ」をすべて「YE」と表記していて、発音もすべて[je]だったそうです。
他にもある読まない漢字
「和泉」の国名は和銅6年(713年)の詔により2字にしたもので、「和」は読まない
和泉国 – Wikipedia
元々の表記は「泉」であったが、713年(和銅6年)の諸国郡郷名著好字令(好字二字令)により国名を2字にしなければならなくなり、無理やり佳字の「和」を付与したものとされている
和泉とは (イズミとは)
元明天皇の詔により、「郡・郷の地名は二字好字であらわすこと」とされ「和」の文字が添えられました。同じように「紀伊国屋(きのくにや)」の読みで知られる紀伊(きい)はもともと「木国(きのくに)」だったのを詔の2字縛りにしたがって「紀伊国」にしたそうです。
そもそも‘はっとり’と言う名の原初由来は‘はたおり’の変化である。
つまり‘機織’だ
「服部」の由来 | 服 部 堂
機織(はたおり)が「はっとり」になり「服織」の漢字を当てたそうです。
古代職業部の機織り部門を担った機織部の服部(hatoribe)に由来する姓氏。「ハタオリ」「ハトリベ」から「ハトリ」そして「ハットリ」と呼ぶようになった
姓氏と家紋
服部の「部」は「ハトリベ」の「ベ」の部分なので発音上いらないものというわけです。
「伊達」と書いて「ダテ」とあたりまえに読んでいるが、あらためて考えるとどうも納得がいかない。そう、「伊」の音が発音されていないのである
伊達は「いだて」?
伊達は「だて」の他に「いだて」と読む場合があります。「だて」と読む場合は、「伊」の字が黙字です。「いたち」とも読めそうですね。大阪市の地名の立売堀(いたちぼり)の「いたち」は伊達政宗が陣を構えていたことに由来するそうです。
政宗の時代には「いだて」と「だて/たて」の二通りの読みが混在し、江戸時代を通じて「だて」の読みが定着した
なぜ「伊達」と書いて「いたち」と読まないのですか? – Yahoo!知恵袋
伊達政宗がローマ法王に宛てた文書にはローマ字で「Idate Masamune」と描かれていたそうなので、伊達氏は「いだて」を称していたそうです。
これは、「脱音変化」説なるものがあるらしい。
<例> 出羽 :いでわ→でわ
茨 :いばら→ばら
未 :いまだ→まだ
抱く :いだく→だく
伊達(だて)それとも伊達(いだて) – ひーさんの散歩道
この例と同じように時代を経て「い」が脱落したそうです。
他人事(ひとごと)の「他」も後付け
もともと「他人(たにん)のこと」を意味する語・ことばには「ひとごと」という言い方しかなく、この語に戦前の辞書は「人事」という漢字を主にあてていた。ところが「人事」は「じんじ」と区別できないので「他人事」という書き方が支持されるようになり、これを誤って読んだものが「たにんごと」である
「ひとごと(人事)」と「たにんごと(他人事)」 | ことば(放送用語) – 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所
「たにんごと」は辞書にものるほど一般で使われています。「他人事」の「他」が黙字ということ自体が多くの人にとって疑問なのかもしれません。