【生き方がドラマ】不遇な時代を乗り越えた芸能人!(随時更新)

sora_eyes
不遇な時代を乗り越えた人は、やっぱり強いです。
生年月日:1971年3月29日
出生地:東京都
身長:178㎝
血液型:A型
職業:俳優
ジャンル:映画・テレビドラマ
活動期間:1992年 –
事務所:クォータートーン

93年は大ヒットドラマ「あすなろ白書」に出演
西島秀俊 – 映画.com

横浜国立大学在学中から俳優として活動を始め、93年は大ヒットドラマ「あすなろ白書」に出演。翌年、「居酒屋ゆうれい」で銀幕デビュー。

1997年から2002年までの5年間、テレビ出演“0”という時期を過ごす
西島秀俊 ドラマでブレイクもアイドル扱い不満で5年TV出ず – ライブドアニュース

おそらく、その時期が俳優としてどん底だった
どん底を乗り越えて売れっ子俳優になった西島秀俊 – ライブドアニュース

「『あすなろ−』などに出演した時期に所属していた大手芸能プロは西島をアイドル的に売り出そうとしていたが、西島は本格的な俳優路線で自分を売りたくて方向性で対立し事務所を移籍したが、様々な圧力をかけられ、なかなか仕事に恵まれなかった時期があった。おそらく、その時期が俳優としてどん底だった」(演劇関係者)

ビッグチャンスを与えたのが、世界のキタノ、北野武監督だった
西島秀俊 ドラマでブレイクもアイドル扱い不満で5年TV出ず – ライブドアニュース

北野作品・『Dolls』に大抜擢されたのだ。しかも、主演の菅野美穂(35才)の相手役という超重要な役どころだった。
以来、『CASSHERN』、『サヨナライツカ』といったメジャーな映画にも次々と出演。役者としての地盤を固め、再びテレビドラマにも帰ってきたのだった。

生年月日:1964年6月22日
出生地:神奈川県横浜市神奈川区
身長:189cm
血液型:A型
職業:俳優、モデル
ジャンル:映画、テレビドラマ、舞台
活動期間:1983年 –
事務所:茂田オフィス

雑誌『ノンノ』『メンズノンノ』のカリスマモデルとして活躍。
阿部寛 – Wikipedia

大学在学中の1983年、姉に勧められて優勝賞品である車ほしさに「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募し優勝。
以降、雑誌『ノンノ』『メンズノンノ』のカリスマモデルとして活躍。

巨額借金の過去!?
阿部寛に巨額借金の過去!?パチンコで返済??年収3億円も愛車はファミリアで質素な暮らし?? | 日刊芸能NEWS

人気絶頂の当時、阿部さんは投資目的でマンションを購入します。売れ始めてかなりの収入を得ていたんでしょう。その資金をさらに増やすために、不動産投資に参入したようです。
マンション購入後、間もなくバブルが崩壊。不景気のあおりを受けて、購入したマンションも投資どころか維持費も回収できなくなる始末。その影響で巨額の借金を抱えることになってしまったようです。
その金額は、なんと数億円にも及んでいたようです。

仕事が入ってこない
阿部寛 結婚 借金 身長裏話! | 裏芸能情報

借金が残り、焦った阿部寛は仕事を求めますが、もともと超がつくほどの二枚目のため、ドラマなどで主演俳優より目立ってしまうため、共演者から煙たがれ仕事が入ってこない。
ならば主演を演じようとしても、お相手のヒロイン女優との身長差により断られてしまう。

ちなみに阿部寛の身長は実際190センチあるのだそうですが、この頃、阿部寛のプロフィールに書いてある身長を見たドラマなどのプロデューサーが引きまくっていたのを見て、プロフィールには189センチと1センチサバをよんで書くようになったそうです。

借金返済のためにとった方法とは、なんとパチンコ!
阿部寛は巨額の借金をパチンコで返済したらしい | 芸能の裏ニュース

阿部寛が借金返済のためにとった方法とは、なんとパチンコ!3年間、ほぼ毎日通っていたといいますから、もうパチプロの域ですよね!

その後、俳優としての仕事も追い風となり、見事20年をかけて借金を返済されたといわれています。2007年公開の映画、『バブルへGO!!タイムマシンはドラム式』に出演した阿部寛は、舞台挨拶にて借金返済を告白したのでした。

バラエティ番組『あの人は今!?』の取材で捜索対象になってしまい、一念発起した。
阿部寛 – Wikipedia

困った時の阿部寛とも言えるほど頼もしい俳優
阿部寛、モデル時代からの借金が結婚できなかった理由か?同い年の芸能人が温水洋一ってもう意味わかんないな(笑) | 俺の言いたい放題ブログ

二枚目から三枚目まで幅広く演じ、また自虐ネタも惜しまず披露するなど、困った時の阿部寛とも言えるほど頼もしい俳優となっていった。

生年月日:1974年5月31日
出生地:広島県
身長:172cm
血液型:A型
職業:のお笑い芸人
活動期間:1994年 –
事務所:太田プロダクション

ヒッチハイクで30万のつもりが4,000万!
有吉の栄光から絶望伝説。猿岩石のピーク時代 | ビーカイブ

「電波少年」でヒッチハイクに行く前の給料は5万円だった有吉さん。
半年間旅に出ていたので、その間給料を一切使わなかったので、「5万×6カ月=30万」、帰ってきたときに、「30万貯まってるからやった」と言ってたのが、いきなり4,000万円入ってきました。

仕事が激減
有吉弘行 – Wikipedia

帰国後、CDや著書が爆発的に売れるも、肝心のお笑いで結果を残すことができず、ほどなくして人気は低迷し仕事が激減。
本人によれば「天狗」になっており、あまり人に好かれていなかったようだと言う。そのためブームが去るとその後の転落速度は相当なものであったという。

月収2千万からゼロに至る
有吉の栄光から絶望伝説。猿岩石のピーク時代 | ビーカイブ

月収2千万からゼロに至るまでは、4年ぐらいでした。
給料100万時代が2年ぐらいあって、そこから歩合制になり、あとは転がり落ちるようにどんどん減っていって、月7〜8万円っていうひと桁が何カ月か続いたと思ったら、本当にゼロになったんです。

それから7・8年間、広島のローカル局での出演以外は仕事がなく、経済的に自活することもできず
有吉弘行 – Wikipedia

それから7・8年間、広島のローカル局での出演以外は仕事がなく、経済的に自活することもできずに食事などは上島竜兵らの世話になっていた。
仕事も無くほとんど家におり、ネタも無い為、ブログには作り話を多く綴っていた。

復活へのきっかけ
有吉弘行 – Wikipedia

2004年、お笑いにこだわる有吉と、役者や歌手活動を望む森脇とで活動の方向性の違いが生じ、猿岩石を解散。
ピン芸人として活動を始める。
このころから、『内村プロデュース』に度々出演するようになり(最初の内は猿岩石として、解散後には有吉が一人で)、これが久方ぶりの全国ネット番組への出演となり、復活へのきっかけとなった。

大ブレークへのきっかけ「おしゃクソ事変」
有吉再ブレークのきっかけを知っていますか? | ビーカイブ

有吉さんが大ブレークした大事件が「アメトーーク」で起きました。
それが、あの「おしゃクソ事変」でした。
「おしゃクソ事変」とは、品川祐を「おしゃべりクソ野郎」と名付けた一件をきっかけに、「あだ名」や「毒舌芸人」ということで一気に有吉さんの仕事が増えました。

2013年時点でテレビのレギュラー番組15本、そのうち8本が有吉の冠番組となっている。
有吉弘行 – Wikipedia

特に、2013年だけで5本のレギュラー番組が増え、そのうち4本が冠番組を占めるなど、2013年は仕事の幅を広げた。

https://matome.naver.jp/odai/2139950708115373801
2014年05月17日