【川内優輝】燃えるお兄さん!!公務員ランナーが走り続ける理由!!!

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なぜ川内は走りつづけることができるのか?ここでは川内選手が走り続ける理由、これからの目標などに関してのまとめをおこなっています。

家族みんなが走ってきた。走ることが家族も成長していった。

川内 美加さん(川内 優輝 次男・鮮輝よしき 三男・鴻輝こうきの母)

「走ることと一緒に家族が成長してきたって感じがあるんです、うちの場合は。子どもたちは三者三様に」
「中学、高校、大学と、息子たちは走ることを続けてきましたので、できる限り大会へ応援に行きました。だから、うちは走ることと切っても切れないんです」

「自分が走っていなければ、子どもたちも走らせなかったでしょう。今でも、また走りたいなと思う時もあるんですよ」

「主人は陸上のことは分からなかったんですが、優輝が小学生になり、走るようになってからは、すっかり夢中になりました。平日は仕事がありましたから、休みの日に優輝と一緒に練習をしたり、応援に行ったりしました」

走ることがやめられない。楽しくなれば記録も伸びる!だからこそやめられない。

走ることが純粋に楽しくなっていった感じです。高校時代は本当にやめようと何回も思った。走るのが楽しくなると、結果も出てくる。だから余計に面白くなるんでしょう

最初は強豪校に行って、寮生活をしながら陸上をやると考えていたらしいんですが、けがをしたりして試合にすら出られないことが重なったことで、強豪校では自分の走りは通用しないと分かったみたいです。通用しないなら、自分は強豪校ではない、陸上の世界では無名な大学へ行って、自由に楽しく走れたらいいという方向転換をしたんです。

なぜ公務員という職業を選んだのか?

大学時代の早い時期に実業団から声がかかっていたら、そっちへ行ったと思うんです。力を認めてもらえたと喜んで。ところが、それはなかったんです。大学2年で学連選抜で箱根を走ったけど、3年生の時は予選会を突破できなかったので、どこからも声がかからなかったんです。就職をどうしようと考えた時、公務員は安定しているというのもあったし、仕事としてやってみたい分野でもあった。政治、社会、地域政策の仕事に関わりたかったらしいんです。それなら公務員だろうということになったんです

マラソンナショナルチームへ参加

4月に発足するマラソンのナショナルチームに参加するのは、市民ランナースタイルでやってきた川内には変化の一歩だ。練習方法や調整方法、医科学の活用など、世界と勝負するために必要な糧は吸収したいという

ここがアツイ!!川内は後半になってからの驚異の粘り。その走りは実業団にも影響していく。

2014 3月 琵琶湖マラソン

苦手の暑さ対策を再び課題に挙げ今後、16週連続のレース出場に挑む。

「やめちまえっ!」。沿道からの痛烈なヤジに、川内の心が折れかけた。22キロ付近から遅れだし、12番手まで後退。ヤジに交じった「頑張れ」の声に「やめるわけにはいかない」と奮い立たせた。8人を抜いて何とか4位でゴール。せめてもの意地だった。

ゴール後はショックの大きさで視線が宙を舞った。目標に挙げた2時間7分台はおろか、サブテン(2時間10分切り)達成歴代日本男子単独1位、国内男子3大マラソン全表彰台も逃した。それ以上に2週間前、単独走で優勝した熊本城マラソンのタイム(2時間10分14秒)に届かなかったことを悔いた。

川内は“定番”の粘りの走り。25キロ通過は15位だったが、30キロで9位、35キロで7位、40キロで4位と浮上。2時間10分台でのゴールは面目を保つぎりぎりの結果だと言えるだろう。

駅伝中心でマラソンがおまけの選手には負けたくない!!

マラソンのほとんどの選手が実業団に入っている。ある程度の期間なら結果を出さなくてもクビにならないし、引退後も社員として雇ってもらえるのだから、生涯生活に困らない
日本以外のマラソン選手は、優勝すれば10万ドルを超えることもある賞金レースでしのぎを削っている

アジア大会代表へ!

再び日本代表としての自覚を持ち、自分自身の考える日本代表の理想像を追求していきたい

https://matome.naver.jp/odai/2139469874071524301
2014年09月07日